して欲しかったことを、自分がする | 3姉弟ワーママ LIFE・MY TIME

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神奈川在住、子ども3人(9歳、5歳、2歳)介護福祉士。体と心を健やかに♡食養ごはん作り、諦めない美容や家計管理、暮らしのこと、悩みながらも欲張りたい♡ワーママ生活のあれこれを綴ります!






こんばんは🌛




今日は別のことを書く予定だったんですが

また明日以降にするとして..気づき

 



週末から実家にコロナがやってきてて

発端は、離婚出戻りの私の弟

そして、私の父へと移り

まだ母は症状がないけど時間の問題

でしょうなぁ凝視



母しか動ける人がいないけど

母も病気があるし、料理もしない(できない)


ウーバーだか何だかわからないけど

出前頼んだらしく

そんな毎日じゃぁ、と


作れるだけ作って、実家へ届けることに

しました🏠



我が家が全滅したときも

差し入れてくれましたしね



みんな熱も微熱くらいらしいけど

父は、微熱と思えないくらいの

寒気と倦怠感だって言ってました


弟は微熱と鼻水?だったかな


幸い食欲はあるようで

通常のごはんで大丈夫そう知らんぷり








最近また部屋の配置換えをした流れで

昼間、断捨離していたもんで

次女と長女を保育園&学童に迎えに行ってから

3人引き連れてスーパーへ🛒




3人連れてくって想像するだけで

ゲッソリなんだけど



長女が本当に私の右腕のように

動いてくれて


抱っこー!って私にせがむ次女を

抱っこして歩いてくれたり


買うもの取ってきてくれたり

支払いもしてくれたり

(お金入れたいだけだと思うけど笑)


抱っこひもしてると、動きにくいから

とても助かるえーん


根菜や重いものも色々買ったからのと

次女が乗ってて重くて、

駐車場まで押すのも、段差につっかかったり

まごまごしちゃうところ

一緒にひいてくれたりして、、、



長女迎えに行く前に、スーパー行こうかなって

迷ったけど

連れてって良かった悲しい飛び出すハート


4歳0歳の2人より

8歳入れた3人のほうが、楽...!!



数年前までスーパーでひっくり返って

大泣きしてた長女はすっかり頼もしい存在に



知らないおばあちゃんにも

褒められていた長女



ずっと大変なんてことはないんだ...!!

って、しみじみでした。。。




駐車場まで戻ってくると


👩🏻長女「はー!大変だったねぇー!


ママ、◯◯(長女)も、お母さんになったら

こんなに大変になるの?」




って泣き笑い



まぁ大変は大変なんだけど

大変を大変と思わない捉え方ができるように

なってほしいなぁ

(自分ができないくせに笑)



大変なこともあるけど

ママは長女がいてくれてすごく助かってる

ってことは伝えたけど

あとなんて答えたか、ヒーヒーしてて

忘れてもーた昇天




長女との会話や言葉の端々から

いろんなことを理解してきてるのを

感じる...。


反論というか、口ごたえもすごいけどちょっと不満






そんなで、帰宅したから

パイして、おんぶして

さっそく差し入れ&夜ごはん作りスプーンフォーク






●蓮根.椎茸たっぷり、豆腐入りつくね

●ほうれん草の胡麻和え

●ひじき煮

※もずくの味噌汁はウチ用




●塩麹卵
●コールスローサラダ



キャベツ刻むあたりで、もう疲労...




別で作るの大変だからたくさん作って
今晩の我が家のごはんも兼ねていますにっこりスプーンフォーク



差し入れとしては全然足りないとは思うけど

まぁ...気持ちですよね




あとは、フルーツとか🍓🍎

サラダの材料とか🥗

冷凍うどんとか

かんたんなもの、すぐ食べれるものと



明日、豚こま大根も作って

持っていこうと思います!






猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま飛び出すハートうお座






母が病気になったの、私が17歳くらいの時

18歳で家出てから

1番大変なときを父にまかせてしまった




時々実家に帰ってたけど

私の知ってる母から

変わっていく姿を見る勇気もなく

現実を受け止めきれなくて

距離をとってたような気がする。




その代わり

週1〜2の夜勤明けのボーッとする頭で

バイクで実家へ向かい料理を作ってた。



そのまま力尽きて寝て

夜帰ったり、泊まったり...



父が主に料理してたけど

私はずっと母の料理が食べたくて



「たまには味噌汁くらい作りなよ!」

って、全然かわいくない言い方する私に

たまーーーに、作ってくれた

ほうれん草の味噌汁が美味しくてニコニコ



共働きで、料理が苦手な母

子どもの頃から、あまり母の味とかなくて

どんなもの作ってもらったか

記憶がない...💦


父と仲が悪くて、

ストレス発散にパチンコ行って

帰りにお寿司買ってきたりしてた記憶昇天寿司

喜んで食べてたけど、携帯もないし

帰りが遅くて事故にあったんじゃないかと弟と心配してた



または、勝手に冷蔵庫あけて作ったり

むさぼっていた笑




中学生の時、出してくれたほうれん草のサラダ

(ほうれん草切っただけと、市販の梅ドレが

最高にマッチしてた)が美味しくて

何度もリクエストしたり


かぼちゃのポタージュ

(これはちゃんとかぼちゃこして作ったやつ)

が美味しかったのと...


あと...あと〜...爆笑




いつも、両手千切れそうなほど

買い物して帰る母を駅まで文句タレながら

迎えに行っていたので

色々作ってくれてたと思う泣き笑い



フルタイムで働いて過労で

仕事帰りに倒れたとあっけらかんと

話す母に、事の大変さがわからなかったけど

今なら大変さが分かる...



んで、ごはんの後、力尽きて寝落ちして

夜中に起きて片付けしてたのが母のイメージ



私も中学から素行が悪かったし

迷惑心配かけまくりだった




母が病気になって、1番辛いのは

紛れもなく母なのに

それによって、私は深く傷つき続けて

(そう感じることしかできなかった)



自分が出産した時は、

里帰りとかで、実家でお母さんにごはん

作ってもらえる人が羨ましくて羨ましくて

むりやり実家に帰っては

理想と現実の差とガルガルで

余計に辛くなった昇天




今でも孫に会うと喜ぶから

定期的に実家に行っては

私が料理を作る。作り置きをする。


我が家に母が来てくれたときも

母にふるまう。


20歳からずっと、15年以上会うたびに

母に料理を作り続けてきたけど



大人になってから、母が私に

料理を作ってくれたのは数えるほど

むりやり作らせて、すごくむりして

頑張って作ってるのが分かるから

心が痛むし、本意じゃないけど



もっと甘えたかったのに

唯一無二の、強い母が

そうでなくなっていく様に傷ついて

本音を言えなくなって、私が強くあらねば

って弱音も吐けなくなっていたダッシュ




ずっと、子どもの頃のさみしさが

まだ昇華されていないんだなぁって気づいて



子ども達には

健やかに丈夫に育ってほしい骨

健康を守りたいという気持ちももちろん



「家庭の味」「母の味」を

カラダでココロで感じてほしくて

ごはんだけは...って気持ちもあるのかも

しれないな、と分析してるキョロキョロ







何かすっごい重くなっちゃったけど驚き

ごめんね、なんか..

そんなつもりはなかったんだ






長女がくれる手紙にはいつも


「美味しいごはん作ってくれてありがとう」


って書いてあるし




外食しようか話てたり


今度◯日に学童で◯◯作るんだって、と

行くか行かないか話てると


「ママのごはんがいい」


「ママのごはんが1番好き」


ってたびたび言ってくれるのが、嬉しい飛び出すハート


特別上手いわけでも何でもないけど

ホッとする母の味、というものを

長女がカラダとココロで感じて、覚えて

くれてるのかと思うと。




私は、母の料理も食べたいけど

今は私の料理を母が

喜んで食べてくれる事が嬉しい。




してほしかったことは、自分がしよう流れ星


って思ってます。





ではヒヨコ





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