Re: 腰抜け・クルト教(サンク)の原理講論「女性神」を否定する事の恐ろしさ! | peaceのブログ

peaceのブログ

「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。

文鮮明総裁の元祖「独生女神学」(2)--『原理講論』記載の「聖霊=女性神」

 

文鮮明総裁が「原理」を発表され、半世紀以上も前(1967年)に出版された『原理講論』ですが、

その『原理講論』にはシッカリと「女性神」との記載があります(以下引用)。

 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。

ところが「聖霊=女性神」を否定しては【ホモ・三位一体論】を拡散しているのが、ブログ・諸星くると氏の「クルト教」でありサンクチュアリ教会の文亨進牧師です。

 

 

↓ にほんブログ村 、応援クリックも忘れずに 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ 

 

 

先回記事の「文鮮明総裁の元祖「独生女神学」(1)--『原理講論』の主人はお母様」からは、「独生女神学」そのものは存在しないのだが、あるとすれば、歴史上初めて「独生女」を語り始められた文鮮明総裁こそがその元祖(権威者)であることを、自称ルポライターtomy4509(peace)は主張しています。

であれば、文総裁の元祖「独生女」に関してどのように語られていたかを検証していく必要があります。

 

このテーマでの私の記事は、お母様「独生女」を否定される非原理集団のブロガー記事がどのような「独生女(批判)神学」を書いているかについて、文総裁み言との比較を主に扱っていこうと思います。

 

さて、上記諸星くると氏記事からの一部です。

だからこそ私たちは、【間違いが分かるならば進言】しなければなりません。「成約時代の摂理的同時性」は、摂理の捉え方そのものが間違っているのです。この本の著作者の原理観は、「お父様の聖霊」とともに「お母様の聖霊」もあると主張しているのと同様の考え方のうえで成り立っているのです。なぜなら「女性神」の存在も認めているからです。「女性神」を想定しなければ、「重生」は不可能だと考えているのです。

 

日本(サンクチュアリ教会)本部は「女性神」の存在を認める思想の上で、運行されていると言っても過言ではないのです。

 

神学は後回しで摂理が最優先と言われますが、三代王権においての神学とは、真のお父様が語られていた「真の父母様の本体論」のことであり、この理解無くしてはサタンに対抗することは出来ないのです。

 

peaceが、まず最初に引っ掛かったことは、「だからこそ私たちは、【間違いが分かるならば進言】しなければなりません。」の一文です。誰にですか? 【文亨進牧師】に、ということです。

 

私の過去記事で「腰抜けのサンクチュアリ・ブロガー皆さんへ:「真実」語る忠臣はいないのか?」があります。

目明きの「盲人」を決め込んでは、

家庭連合の神様呼称「天の父母様」は

両性具有神(偶像)だと吹聴したりもしていましたが……。

(※ 両性具有は、男女両性を兼ね備えた存在の事を指し、両性具有者、ギリシャ語よりandrogynos(アンドロギュノス/アンドロギュヌス)とも称する。)

もしも「忠臣」がいれば、

自分の生命をかけて暴君(荷台王「文亨進牧師」)に進言していたでしょう。

 

奇知外記「真のお父様が執筆された原理原本・原理講論に記載されていた天の父母様」(2021.02.24)にて以下の映像を準備しました。

 

 

これまでもpeaceと諸星くると氏(別HN:シムソン氏)とは長くブログ間やコメント欄での意見交換もしていました。

彼の主張は、サンクチュアリの文亨進牧師の説教からもそうでしたが、冒頭に挙げた「聖霊=女性神」を真っ向否定していました。

彼のブログ記事で明らかにされているのは、『原理講論』記載とは違った原理(非原理)を亨進牧師が教えている、という事実です。

 

ところがその一方で、サンクチュアリ教会内でも

「成約時代の摂理的同時性」の著作者の原理観は、「お父様の聖霊」とともに「お母様の聖霊」もあると主張している

方々が居られたということです。その『原理講論』記載を信奉される方々は、亨進牧師に「お母様の聖霊」についての進言はされようとしないのでしょうか?

 

また、「サンクチュアリー教会江利川氏に対する、霊界のお父様からの通達(2016年8月)」(2024-09-30)もありますが、江利川女史は亨進牧師と直接に質問されるくらい非常に近い関係にあり、彼女も「お母様の聖霊」を信奉されていたブログ記事内容です。

彼女は女傑で、「長い物には巻かれよ」というタイプではない印象でしたが、亨進牧師にはそのことは進言しようとはされないのでしょうか?

 

 

↓ にほんブログ村 、応援クリックも忘れずに 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ 

 

【関連記事】