ヨンギ氏が持ち出して来た以下ブログ記事は、あたかも人間始祖アダム・エバが「独り子」「独り娘」として最初から創造されたかのような錯覚を覚えますが、決してそうではありませんでした。すべての被造物には成長期間があり、その期間を通過してその如くになるという原理原則があります。アダム・エバもその例外ではありませんでしたし、その成長過程で「堕落」したことを見過ごしているのが、以下引用一部です。
「初臨の独り子・イエス様の時は、神様が独り娘を送る環境が設けられず、独り娘を送ることができなかった」と?
通り過ぎた犬が笑うでしょう。
その言葉は、イエス様は何をしても結婚できず、家庭を成し遂げることができず、失敗するしかなく、十字架にかかって死ぬしかなかったという言葉ではありませんでしたか。
復帰摂理歴史を自分の思い通りに小説で書いているなんて恐ろしくないのか?
続けては以下です。
「独り子、独り娘は永遠に一つだけだ」?
あなたの言うとおり、「ただ一つだけの独り子と独り娘」は、すでに聖書歴史の6千年前にアダムエバだったのではありませんか?
(家庭連合のどこにアダム・エバからだという主張があったでしょうか? 次に続く一文も矛盾するものです。)
アダムの独り子が失敗して再び来るアダムをメシアとし、
そのメシアが失敗して再び来る3番目のアダム、メシアを再臨と呼んだ。
初臨だから再臨だから言葉を引っ張って
独り子 独り娘に加えて初臨再臨をつけるには
アダムが独り子でイエス様も再臨だろう。
エバが独り娘であり、次は?
(お父様は堕落世界で訪ねて来て育てなければならないでしょう)
さて、「初臨の独り子・イエス様の時は、神様が独り娘を送る環境が設けられず、独り娘を送ることができなかった」は、家庭連合がお父様聖和後に持ち出してきたものではありません。1959年10月、真の父母様のご聖婚式の半年前のお父様のみ言からでした。
ヨンギ氏の『(独生女教)オタクに尋ねる。』などと偉ぶったタイトルですが、そのヨンギ氏がかつては女性を装った【オカマ】であったことを自白させた過去記事(以下)がありました。お父様が語られたみ言「独生女(独り娘)」の関連記事と併せてご覧ください。
https://ameblo.jp/yaeno1976/entry-12612085441.html
ーー ーー ーー ーー ーー
「独生女論」などといった批判にしても、また然りです。
カテゴリー「家庭連合」では「独生女論」という言葉自体が理論ではなく、yaenoさん記事「独生女論は真理ではない」は当然のことです。「独生女論」そのものが机上の空論であって存在しないものですから。家庭連合を批判・否定するための「俗語」でしかありません。もしも、「独生女論」というものがあるとすれば、その言い出しっぺが文総裁でした。であれば、文総裁の元祖「独生女論」を私たちは学ぶべきでしょう。
イエス様「独生子(独り子)」に対して、その相対が「独生女(独り娘)」であると語り始められたのが1959年10月であり、その翌年に文総裁夫妻の「聖婚式」がされたものでした。文総裁がイエス様の再臨だと信じるならば、黙示録で予言されていた「小羊の婚宴」、そのイエス様の新婦が「独生女(独り娘)」でしょう。「独生女」言い出しっぺのこの「文総裁のみ言を否定」されますか?
「独り子」に対しての「独り娘」そのものもこれまでのキリスト教の教えにはなかったものでしたが、お父様が初めて語られたものでした。
「…人がすべての生き物に与える名は、その名となるのであった。…」(創世記2.19~)
について考えてみてください。
人間始祖アダムではなく被造万物を創造されたのは神様でしたが、彼にそれらの命名権を与えては神様の創造に加担したという位置を付与されたものでした。
次に「独り子」ですが、人間始祖アダム自身そのようには呼びませんでした。堕落以降の「第二アダム」として来られたイエス様が復帰(再創造)された初臨メシヤとして自らを「独り子」と命名されたものでした。このように「第三アダム」としての再臨主は何をされるかというと堕落したエバを復帰、「再創造」されたエバを待ち望んでは「小羊の婚宴」をされるというのがキリスト教の教えです。
そして1959年10月に何があったかというと、まさに、復帰された(天が送った)エバを捜して「独り娘」と命名(再創造)されたのがお父様ということになります。
↓ にほんブログ村 、応援クリックも忘れずに ↓