Re:今こそ、真の父母様に続いて私たちが “沈黙を破る時である” 荷台王に従うのか? それとも | peaceのブログ

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「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。

 

今こそ、真の父母様に続いて私たちが “沈黙を破る時である” 荷台王に従うのか? それとも

 

 

昨今

次々と私の耳に入り、目で確認できる混迷を深め続ける現状を知るにつけ、2015年1月

“沈黙を破って” を世界に発信されたように、お父様の教えに反することがあると思えるときは、今私達も 王様に続いて “沈黙を破って” 意見を発信するべきであると思います。

「自由の原理的意義」を確認の上でです。

 

二大王様が「悪を悪とはっきり言わなければならない」”悪を悪とはっきり言う文化” と発信されたように。

 

ヤマトの光氏からの引用ですが、「自由の原理的意義」についてまずは確認しておきましょう。

  1. 原理を離れた自由はない
  2. 責任のない自由はあり得ない
  3. 実績のない自由はない

自称ルポライターtomy4509は、サンクチュアリ教会は「非原理集団」として扱ってきました。原理軌道に沿っているというのであれば、サンク資料「アベルカイン一体化」と併記して書かれていたものですが、「お母様の右手が上か? 下か?」くらいはすぐにでも回答できるというものです。

 

 

しかしながら、私からサンクチュアリ・ブロガーの方々にそれを訊ねても誰も「隠蔽」「黙秘」「不聞」を貫かれていました。

 

原理講論P.101を見れば、

② 人 間 の 犯 罪

 

 創世記二章25節を見れば、罪を犯す前、アダムとエバは、裸でいても恥ずかしく思わなかった。しかし、彼らが堕落したのちには、裸でいることを恥ずかしく思い、無花果の葉をもって下部を覆ったのである(創三・7)。もし、善悪の果というある果実があって、彼らがそれを取って食べて罪を犯したのだとすれば、恐らく彼らは手か口を隠したはずである。なぜかといえば、人間は恥ずかしい所を隠すのがその本性だからである。しかし、彼らは、手や口を隠したのではなく、下部を隠したのである。したがって、この事実は彼らの下部が科となったために、それを恥ずかしく思ったということを表しているのである。ここから、我々は彼らが下部で罪を犯したという事実を推測することができるのである。

と書かれていました。サンクチュアリに罪とががないというのであれば堂々とされていいはずです。しかしながら、私からはまた別のフォトを提示してはその間違いの指摘をしていました。

 

サンク資料は、明らかに文総裁と韓総裁の不一致説を印象付けるべく流した「20ドル紙幣のデマ」であったと自称ルポライターtomy4509は報告をしていましたが、「自由の原理的意義」を確認の上で「“沈黙を破って” 意見を発信するべきである」と主張されるヤマトの光氏は、当然のことながら「二大王様が「悪を悪とはっきり言わなければならない」”悪を悪とはっきり言う文化” 」を発信されていくものと信じます。

 

文総裁が1959年10月、歴史上初めて語り始められたのがイエス様の相対としての「独生女(独り娘)」でした。また、1960年の「小羊の婚宴」後の「真の父母様」もまた、人間始祖アダム・エバから6000年を経て語り始められた真新しいものでした。文総裁の御言葉選集、「八大教材教本」の中の「黒・天聖経」(韓国語P.177参照)にも記載されたものを包み隠さず「悪を悪とはっきり言わなければならない」ときを迎えているということです。

 

次々と私の耳に入り、目で確認できる混迷を深め続ける現状を知るにつけ、2015年1月 “沈黙を破って” を世界に発信された」亨進牧師のそれは、『お母様は独生女ではない』というものでしたが、果たして、それが「善なのか? 悪なのか?」です。「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で、遺言書のように語られていた「八大教材教本」にも記載の「独生女」についてもヤマトの光氏は「悪をハッキリ」と糾弾されていかれるでしょう?!

 

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