統一原理を愛して -6ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


以前、陽性と陰性の二性性相の相対的関係についてとことん書きました。今日は、続き、性相と形状の二性性相の相対的関係について書いていきます。


性相は目に見えませんが、ある形を持っています。形状は、見ることのできない性相がそのごとくに現れたものです。水を例に考えていきたいと思います。空気の中にも水蒸気として水があると思います。もちろん、濃度が薄いため、その水は目に見えません。しかし、その濃度が濃くなれば、水として目に見えます。


原理講論P44 第一節 神の二性性相と被造世界 (一)神の二性性相 から抜粋します。便宜上、原文とは異なりますが、一部赤くします。

「これに対する例として、人間について調べてみることにしよう。人間は体という外形と心という内性とからできている。そして、見える体は見えないその心に似ているのである。すなわち、心があるかたちをもっているので、その心に似ている体も、あるかたちをもつようになるのである。観相や手相など、外貌から、見えないその心や運命を判断することができるという根拠もここにある。それゆえ、心を性相といい、体を形状と称するのである。ここで、心と体とは、同一なる人間の相対的両面のかたちをいうのであって、体は第二の心であるということもできるので、これらを総合して二性性相であるという。これによって、あらゆる存在が性相と形状による二性性相の相対的関係によって存在しているという事実を、我々は知るようになった。」


抜粋した赤い部分に書いてあるっように、見えない心もある形を持っていて、その心に似て見える体がある。ここに、性相と形状の二性性相の相対的関係の基づいた原理的な生活が見えてきます。

それは、「性相が形状化する」ことです。

見えない心が体として見えてくるように、見えない心が、手相、行動、仕草、表情など、現れてきます。毎年、夏に甲子園がありますね。甲子園に行ったことがある兄弟が言ってました。気持ちで負けると、プレーに出てきて負けると。甲子園には魔物がいると良く言いますが、私の心の中にいるのではないでしょうか!?あと1アウト取れば試合に勝てる時に慢心・油断・力みなどがエラーなどプレーに現れ逆転負け。まさに、性相が形状化というのは原理的だと思います。

他には

意識が変われば、行動もかわり、習慣も変わる。み言を訓読し、意識が変わっていけば、み言の実践へつながっていくのではないでしょうか。訓読は本当に大切ですね。

まだ、続きます。

明日もよろしくお願いします\(^_^=^_^)/ ♪



クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

以前、陽性と陰性の二性性相の相対的関係についてとことん書きました。今日は、続き、性相と形状の二性性相の相対的関係について書いていきます。



原理講論P44 第一節 神の二性性相と被造世界 (一)神の二性性相 から抜粋します。

「さらに、我々はすべての存在を形成しているもっと根本的な、いま一つの二性性相の相対的関係を知らなければならない。存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。」


性相は目に見えませんが、ある形を持っています。形状は、見ることのできない性相がそのごとくに現れたものです。水を例に考えていきたいと思います。空気の中にも水があると思います。もちろん、濃度が薄いため、その水は目に見えません。しかし、その濃度が濃くなれば、水として目に見えます。

すべての存在は、性相と形状の二性性相の相対的関係からできています。人間もそうです。心と体。見える体は、見えないその心に似ています。手相などから見えない心が判断できるのも、この原理かわかると思います。

これを踏まえて、性相と形状の二性性相の相対的関係に基づいた原理的な生活について考えていきたいと思います。


明日もよろしくお願いします\(^_^=^_^)/ ♪



クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村




カインは天に近い存在であるアベルを求めていると。

アベルって天に近い存在なんですね。


誰でも無条件にアベルになるのでしょうか?教会で活動していると、時には、班長として、原理講師として、まとめたりしなければなりません。

班長、原理講師はアベルなんでしょうか???





教会の組織的には、アベルです。組織的に。でも、本当の意味で天に導く人でなければ、アベルとは言えないのではないでしょうか!?

アベルとしてカインを愛し、天に少しでも導けてこそアベルです。アベルがカインをそのように導ければ、カインはアベルとして自然屈服します。

いや~、アベルって簡単じゃないですね。モーセが民衆に不平不満を言われたように、いろいろ言われるかもしれません。変わらず愛し、天に導いてこそアベルです。


み言を信じて実践んし、神様の心情を体恤していき、真のアベルになりましょう\(^o^)/





クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村



アベルの立場のヤコブが、カインの立場のエサウを愛してこそ一つになれた。だから、アベルの立場の人が問題です。原理講論において、アダム家庭では、堕落性を脱ぐための蕩減条件、カインの責任分担しか書いてありません。カインは書いてあるようにすべきでした。しかし、歴史的事実はどうか??

カインはアベルを野原で殺しました。カインの責任分担に焦点を当てるとやはりうまくいきません。

アベルが問題です。

では、そもそもアベルって・・・・・・・



原理講論P296にカインのアベルに対する姿勢が書いてあります。これを参考に考えていきたいと思います。

「我々は、ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。・・・・・・・・・・・

人間が常に立派な指導者や親友を探し求めようとするのは、結果的に見るならば、より天の側に近いアベル型の存在を求めて彼と一体化し、天の側に近く立とうとする天心から起こる行為である。また、謙遜と柔和が、キリスト教信仰の綱領となっているのは、日常生活の中で、自分も知らずにアベル型の人物に会って、彼を通じて天の前に立つことができる位置を確保するためである。」


カインは天に近い存在であるアベルを求めていると。

アベルって天に近い存在なんですね。

アベルは、天に近い存在なんですよ。

皆さんはアベルと呼ばれたことがありますかね??

またはアベルと呼んだことがありますかね??

誰でも無条件にアベルになるのでしょうか?教会で活動していると、時には、班長として、原理講師として、まとめたりしなければなりません。

班長、原理講師はアベルなんでしょうか???


アベルについて、明日に続く・・・・・



クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村


アベル・カインについて。

続きです。

アベルとカインが堕落性を脱ぐための蕩減条件を立てて、実体基台を初めて復帰したのは、アブラハム家庭でのヤコブとエサウの時でした。


では、何故、実体基台を復帰することが出来たのか??

原理講論には、エサウがヤコブを愛して歓迎したと書いてあります。この内容だけだとエサウが責任分担を果たした事が一番の大きな要因のように感じます。しかし、もっと大きな要因があります。聖書を読んでいただければ分かります。



創世記第27からイサクが年老いて、ヤコブとエサウについて書いてあります。省略して、最後のところを今回はピックアップして話します。創世記第32,33章を参考にすると、

エサウが母リベカの兄のラバンオジサンのもとで、21年間、騙され続けます。そして、そこで妻と財物を得て兄エサウのもとへ戻って来る時のことです。

使者通して、エサウは21年前に長子権をヤコブに奪われたことを未だに恨んでいて、ヤコブを殺そうとしていました。その時にヤコブはどうしたか??

カインの立場であるエサウがアベルの立場であるヤコブを殺そうとしているときに、カインよ、アベルに従順に屈服しろと言っている場合か??そんなことをしていたらどうなるか??

絶対に殺されます。


アベルの立場のヤコブは、この21年間で得た家畜などの財物を、何個かの群れに分けて、その群れごとに召使いにヤコブからの贈り物ですと言わせました。そして、最後にヤコブの家族でエサウのもとに表れ、ヤコブはエサウに7回敬拝をしました。この結果、エサウはヤコブを許し、抱き合いました。



この内容からアベル・カインについて何を言えるか??

アベルの立場のヤコブが、カインの立場のエサウを愛してこそ一つになれた。だから、アベルの立場の人が問題です。原理講論において、アダム家庭では、堕落性を脱ぐための蕩減条件、カインの責任分担(堕落性を脱ぐための蕩減条件)しか書いてありません。カインは書いてあるようにすべきでした。しかし、歴史的事実はどうか??

カインはアベルを野原で殺しました。カインの責任分担に焦点を当てるとやはりうまくいきません。

アベルが問題です。

私たちは、み言を学び、真の御父母様に出会いました。アベルの立場に立つものです。真の愛の主人となって、愛し為に生きて、神様のみ旨を成し遂げましょう。

アベル・カインの一体化は、まずはアベルが重要です。


クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村