以前、陽性と陰性の二性性相の相対的関係についてとことん書きました。今日は、続き、性相と形状の二性性相の相対的関係について書いていきます。
性相は目に見えませんが、ある形を持っています。形状は、見ることのできない性相がそのごとくに現れたものです。水を例に考えていきたいと思います。空気の中にも水蒸気として水があると思います。もちろん、濃度が薄いため、その水は目に見えません。しかし、その濃度が濃くなれば、水として目に見えます。
原理講論P44 第一節 神の二性性相と被造世界 (一)神の二性性相 から抜粋します。便宜上、原文とは異なりますが、一部赤くします。
「これに対する例として、人間について調べてみることにしよう。人間は体という外形と心という内性とからできている。そして、見える体は見えないその心に似ているのである。すなわち、心があるかたちをもっているので、その心に似ている体も、あるかたちをもつようになるのである。観相や手相など、外貌から、見えないその心や運命を判断することができるという根拠もここにある。それゆえ、心を性相といい、体を形状と称するのである。ここで、心と体とは、同一なる人間の相対的両面のかたちをいうのであって、体は第二の心であるということもできるので、これらを総合して二性性相であるという。これによって、あらゆる存在が性相と形状による二性性相の相対的関係によって存在しているという事実を、我々は知るようになった。」
抜粋した赤い部分に書いてあるっように、見えない心もある形を持っていて、その心に似て見える体がある。ここに、性相と形状の二性性相の相対的関係の基づいた原理的な生活が見えてきます。
それは、「性相が形状化する」ことです。
見えない心が体として見えてくるように、見えない心が、手相、行動、仕草、表情など、現れてきます。毎年、夏に甲子園がありますね。甲子園に行ったことがある兄弟が言ってました。気持ちで負けると、プレーに出てきて負けると。甲子園には魔物がいると良く言いますが、私の心の中にいるのではないでしょうか!?あと1アウト取れば試合に勝てる時に慢心・油断・力みなどがエラーなどプレーに現れ逆転負け。まさに、性相が形状化というのは原理的だと思います。
他には
意識が変われば、行動もかわり、習慣も変わる。み言を訓読し、意識が変わっていけば、み言の実践へつながっていくのではないでしょうか。訓読は本当に大切ですね。
まだ、続きます。
明日もよろしくお願いします\(^_^=^_^)/ ♪
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