本日6月18日は「国鉄DD54形ディーゼル機関車が定期運用を退いた日」 | 鉄撮り屋

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こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日6月18日は「国鉄DD54形ディーゼル機関車が定期運用を退いた日」だそうで。

営業運転は見た事ないですが、なんとも迫力あるカタチですねぇ。

DD54という機関車は、日本の鉄道史の中でも「短命やったけど、ものすごく濃い人生を送った名優」のような存在です。

活躍期間は決して長くありません。しかし、その独特な姿、技術的な挑戦、そして悲運ともいえる引退劇によって、今なお多くの鉄道ファンを魅了し続けています。

京都鉄道博物館に保存されているDD54 33号機を見た時、「なんやこのゴツい機関車は!」と思った方も多いでしょう。

国鉄形ディーゼル機関車の中でも異彩を放つ存在です。

今日はそんなDD54の歴史、活躍、そして1978年6月18日に迎えた最後の日について語っていきます。

DD54の誕生は1960年代にさかのぼります。ワイも生まれてません(笑)

 

当時の国鉄は蒸気機関車を次々と置き換える「無煙化」を進めていました。

山陰本線も例外ではありません。

しかし山陰本線には大きな問題がありました。

線路規格が比較的弱く、しかも勾配区間が多い。

そのため重量級の機関車を簡単には入れられません。

かといって蒸気機関車をいつまでも走らせるわけにもいかない。

そこで国鉄は西ドイツの技術に注目しました。

当時、西ドイツはディーゼル機関車技術の先進国でした。

「ほな、ドイツの技術を取り入れたらええやん」

という流れになったのです。

そして誕生したのがDD54でした。

1966年に試作車が登場します。

見た目からして異様です。

 

そして日本の機関車には珍しい中央部の機器配置。

まるで外国からそのまま来たような雰囲気です。

実際、多くの技術がドイツ由来でした。

エンジンは高出力。

液体変速機も特殊な構造。

当時としてはかなり先進的な機関車でした。

ところが世の中そんなに甘くありません。

DD54は性能自体は優秀でした。

しかし整備が非常に大変でした。

部品点数が多い。

構造が複雑。

整備士泣かせ。

現場の人たちは苦労したそうです。

現代風に言えば、

「性能は最高やけど説明書がドイツ語で500ページあるパソコン」

みたいな感じでしょうか。ww

そら現場も大変です。

DD54は主に山陰本線で活躍しました。

京都から福知山。

さらに鳥取方面。

山陰路を走る優等列車を牽引しました。

当時の代表列車といえば、

急行「だいせん」

急行「丹後」

急行「さんべ」

などでしょうか・・・。

特に急行列車を牽引する姿は実に格好良かったのです。

客車を何両も従えて山陰路を駆け抜ける姿は圧巻だったでしょうねぇ。

現在の特急列車ももちろん素晴らしいですが、DD54が客車列車を引いていた時代には独特のロマンがあります。

エンジン音も魅力でした。

DD51とも違う。

DE10とも違う。

独特の唸り声。

山あいに響くエンジン音は多くのファンの記憶に残ってるのでしょうね。

しかし活躍の裏では苦労も続いていました。

故障です。

とにかく故障が多かった。

しかも重要部品の不具合が発生すると運転に支障が出ます。

現場では

「またDD54か…」

という空気もあったとか。

もちろん全ての個体が問題児だったわけではありません。

しかし保守面での負担は大きかったのです。

やがて国鉄は判断します。

DD51でええやん。

となったのです。

実際DD51は頑丈でした。

全国で活躍できる万能機関車です。

整備もしやすい。

部品供給も安定。

比較するとDD54は不利でした。

結果としてDD54は大量増備されませんでした。

総製造数は40両。

国鉄形機関車としては少数派です。

それゆえ現在でも希少価値が高いのです。

1970年代後半になると廃車が始まります。

まだ新しい機関車なのに引退。

鉄道ファンから見れば非常にもったいない話です。

車齢わずか十年余り。って事はEF200より短い!?!?

人間で言えば働き盛りです。

「定年どころか新人研修終わったくらいやん!」

と思ってしまいます。

しかし国鉄の現場事情を考えれば仕方ありませんでした。

そして迎えた1978年。

DD54最後の日が近づきます。

1978年6月18日。

この日はDD54ファンにとって忘れられない日となりました。

山陰本線での営業運転終了。

事実上のラストランです。

当日は多くのファンが沿線に集まったそうです。

今でこそ引退列車は大イベントですが、当時も熱気は凄かったようです。

カメラを構える人々。

見送りに来る地元の方。

現場職員。

皆がDD54の最後を見守りました。

山陰路を走るDD54。

長年活躍した路線。

最後の力走。

機関車自身が

「ほな、おおきに」

と言っているようにも感じられます。

もちろん機関車はしゃべりません。

しゃべったら国鉄職員が腰抜かします。

しかしファンにはそう見えたのです。

最後の運転を終えたDD54。

こうしてその歴史は幕を閉じました。

わずか十数年。

しかし内容は濃密でした。

国鉄の技術挑戦。

外国技術導入。

山陰路の主役。

そして早すぎる引退。

まるで映画の主人公です。知らんけど。

もしDD54がもっと信頼性の高い機関車として完成していたらどうなっていたでしょう。

もしかすると全国へ広がっていたかもしれません。

ブルートレインを牽引していたかもしれません。

北海道で走っていたかもしれません。

そんな妄想も楽しいものです。

そして現在。

DD54は京都鉄道博物館でその姿を見ることができます。

保存されているのはDD54 33号機です。

京都鉄道博物館

館内で初めて見ると、その大きさに驚きます。

写真では分からない迫力があります。

長い車体。

重厚な足回り。

独特の顔つき。

「なるほど、これは人気出るわ」

と思います。

DD51とも違う。

DE10とも違う。

EF58とも違う。

唯一無二です。

特に機械好きにはたまりません。

細かな配管。

複雑な構造。

ドイツ技術の影響。

見れば見るほど面白い。

鉄道ファンだけでなく機械好きにも人気があります。

さらに保存状態が良好です。

塗装も美しく、往年の姿を感じることができます。

子どもたちは

「かっこいい!」

と言います。

ベテランファンは

「懐かしいなあ」

と言います。

その両方を引き付ける魅力があります。

DD54の前では世代を超えて会話が生まれます。

これも保存車両の大切な役割でしょう。

考えてみれば奇跡です。

40両しか作られなかった機関車。

短命に終わった機関車。

それが今も京都で保存され、多くの人に見られているのです。

もし保存されていなかったら、写真の中だけの存在になっていたでしょう。

だからこそDD54 33号機の存在価値は非常に大きいのです。

京都鉄道博物館を訪れた際には、ぜひ近くで見てください。

そして想像してみてください。

山陰本線を疾走する姿。

トンネルを抜ける姿。

急行列車を牽引する姿。

1978年6月18日の最後の力走。

きっと展示車両の見え方が変わるはずです。

DD54は成功作だったとは言いにくい機関車かもしれません。

しかし失敗作という言葉でも片付けられません。

挑戦があったからこそ技術は進歩します。

DD54は国鉄の挑戦そのものでした。

短命ゆえに伝説となった機関車。

山陰路の記憶を背負った機関車。

そして今も京都で静かに語り続ける機関車。

それがDD54なのです。

京都鉄道博物館でDD54 33号機の前に立った時、ぜひこう声をかけてあげてください。

「長いことお疲れさん。山陰路をよう走ってくれましたなあ。」

もちろん返事はありません。

けれど、あの重厚な車体を見ていると、

「まあ、いろいろあったけど楽しかったで」

そんな声が聞こえてくるような気がするのです。