6月12日 今日は何の日 宇高連絡船開業の日 | 鉄撮り屋

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今日は何の日?

1910(明治43)年6月12日、本州の宇野港と四国の高松港を結び、長年にわたり本州と四国を結ぶ交通の大動脈として活躍した宇高連絡船の開業日ですね(1988年3月に廃止)

 

1910年(明治43年)6月12日、宇野と高松を結ぶ宇高連絡船が開業しました。まだ瀬戸大橋も新幹線もない時代、本州と四国を結ぶ大動脈として誕生したのです。鉄道と船を接続するという壮大な構想で、岡山方面から来た列車の乗客は宇野港で船に乗り換え、高松へ向かいました。今では当たり前の移動ですが、当時としては画期的な交通網でした。

開業当初は旅客輸送が中心でしたが、やがて貨車航送も始まります。貨車をそのまま船に積み込み、四国へ運ぶという豪快なスタイルで、日本の物流を支えました。列車ごと海を渡るような感覚に、多くの人が驚いたそうです。

戦前から戦後にかけて宇高連絡船は発展を続けました。四国への玄関口として利用者は増え続け、旅行客や帰省客、ビジネスマンまで幅広く利用しました。特にお盆や年末年始は大混雑で、船内は人であふれかえったといいます。

宇高連絡船を語るうえで欠かせないのが船内うどんです。香川県に向かう途中で食べるうどんは格別でした。立ち食い形式ながら、いりこだしの香りが船内に漂い、多くの乗客の食欲を刺激しました。

「まだ高松に着いてへんのに、もう讃岐うどん食べてるやん!」

そんなツッコミも聞こえてきそうですが、それが宇高連絡船の魅力でした。

特に名物だったのは連絡船のデッキから眺める瀬戸内海の景色です。穏やかな海面に浮かぶ島々、行き交う漁船、夕暮れ時には海が赤く染まり、旅情たっぷりの時間を味わえました。鉄道ファンだけでなく、多くの旅行者がこの景色を楽しみにしていました。

戦後には大型で近代的な船も登場し、輸送力は大幅に向上します。四国と本州を結ぶ交通の要として、まさに日本の発展を支える存在でした。

しかし時代は変わります。

1988年4月10日、瀬戸大橋が開通しました。本州と四国が鉄道と道路で直接結ばれる歴史的な日です。これにより宇高連絡船はその役目を終えることになりました。

ところがこの日は単なる引退の日ではありませんでした。

なんと宇高連絡船の復活航行が実施されたのです。

港には多くのファンや利用者が集まり、まるでお祭り状態。長年親しまれた連絡船との別れを惜しむ人々で大変な賑わいとなりました。汽笛が鳴るたびに歓声が上がり、カメラのシャッター音が港中に響きました。

「最後やいうのに人多すぎやろ!」

と思わず関西弁で突っ込みたくなるほどの熱気だったそうです。

瀬戸大橋開通という新時代の幕開けと、宇高連絡船という一時代の終幕が同時に訪れた特別な日でした。喜びと寂しさが入り混じる、不思議な空気に包まれていたといいます。

その後、定期運航は終了しましたが、宇高連絡船の思い出は今も多くの人々の心に残っています。船内うどんの味、甲板で浴びた潮風、入港時の汽笛、夜の瀬戸内海の灯り。どれもが忘れられない旅の記憶です。

宇高連絡船は単なる交通機関ではありませんでした。本州と四国を結び、人々の暮らしや文化、経済を支え続けた存在でした。78年近くにわたり活躍し、多くの人の人生の一場面を運んだのです。

今では瀬戸大橋を列車で数分走れば海を渡れます。しかし、ゆっくり船に揺られながら瀬戸内海を眺め、うどんをすすり、旅情を味わうことはできません。

便利さを手に入れた一方で、失われた旅の風景もありました。

だからこそ宇高連絡船は今なお語り継がれています。

船内うどんの湯気の向こうに広がる瀬戸内海。出航を告げる汽笛。宇野港と高松港を結び続けた数え切れない航跡。

それらは今も、多くの鉄道ファンや船好きの心の中を静かに航海し続けているのです。まさに宇高連絡船は、瀬戸内海に刻まれた伝説の連絡船やったと言えるでしょう。