関門トンネルのスター EF30 今日は何の日?関門トンネル 初試運転の日 | 鉄撮り屋

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今日6月11日は、1942年関門トンネルが開通、EF10という機関車が登場し試運転が開始された日だそうです。

って事で(;^ω^)

EF10関門の後ですね、関門トンネルを代表する機関車EF30を…。

1986.8 沼津機関区100周年記念イベント

1988.4 高崎運転所 JR東日本1周年イベント

 

 

 

 

「関門鉄道トンネル」といえば、新幹線や自動車が通るはるか昔から日本の物流と人々の移動を支えてきた生きた伝説の鉄道ルートであり、開通したのはなんと戦時真っ只中の昭和17年(1942年)7月1日に世界初の海底鉄道トンネルとして貨物営業を開始したまさに歴史的な大動脈なのです。

その始まりを遡ると明治時代から何度も「本州と九州を繋ごうや!」という熱い調査が行われていたものの当時は技術が追いつかず、ようやく昭和11年(1936年)に工事がスタートした時には最初は「大きな橋を架けたら気持ちええんちゃうん?」という誰もが思いつくナイスなアイデアがあったのにもかかわらず、時代が戦争へと向かう中で軍部から「おいおい待て待て、もし大きな橋を作って戦争中に敵の飛行機から爆弾を落とされてドカーンと崩れて海に落ちたら、関門海峡を船が通れなくなって日本の大動脈が完全にストップして大パニックになってまうがな、それなら見つかりにくい海の底をモグラみたいに地道に掘り進んだほうが絶対に安全や!」

(いやたぶん関西弁やない)

と強烈なストップがかかったことで大変な海底トンネル工事へと進むことになりました。

 

当時は最新技術である「シールド工法」という丸い鉄の筒をギリギリと押し進めながらトンネルを掘る方法が使われたものの、見上げれば何万トンもの冷たい海水がたまっている地獄のような現場で「おい、なんか足元が水浸しになってへんか?」「うわ、気のせいであってくれー!」という全作業員が恐怖でガタガタ震える過酷な環境の中、延べ466万人もの労働者による血と汗と涙の凄まじいド根性によって何度も発生した大出水事故を泥まみれになりながら決死の覚悟で塞ぎ込み、ついに完成したトンネルは当時そのあまりの美しさと感動から賞賛を込めて「海の彼方の竜宮へつながる回廊」なんてロマンチックな別名で呼ばれたものの「いやいや竜宮城って行ったら最後は玉手箱を開けられておじいさんにされる場所やから縁起でもないやん!」というおもしろいツッコミを入れたくなるエピソードを遺しました。 

そんな苦労の末に迎えた、正式な営業運転が始まる前の昭和17年(1942年)6月11日には、歴史的な「初試運転」が門司操車場を発車する形でEF10形電気機関車によって行われ、当時のオリジナル紙焼き写真の裏面には「鉄道省検閲済」や「下関要塞司令部検閲済」といった戦時中ならではの物々しいスタンプがドカンと押されて日本の命運をかけた超重要プロジェクトであったことがビンビンに伝わってくる中で試運転列車は見事に海の底を駆け抜けて大成功を収め、その後11月15日からは旅客列車の正式運転も始まって本州と九州がしっかりと一本のレールで結ばれたのです。 

そして昭和36年(1961年)に九州の鹿児島本線などが交流電化開業したことによって関門鉄道トンネルの歴史はさらに最高に面白い新時代へと突入することになり、なぜなら本州の山陽本線やトンネル内は「直流1500V」の電気で走るのに対して九州の線路は「交流20000V」という全く違う仕組みの電気が流れることになったため、もしこの2つの電気がごっちゃに混ざるとバチバチッとショートして大爆発を起こしてしまうことから門司駅の構内に「ここから先は電気が一切流れてへんでー!」という長さ数十メートルの魔のすき間エリアである「デッドセクション(死電区間)」が作られました。 

ここを直通して走り抜けるために1960年から22両が製造された世界初の量産型交直流両用電気機関車「EF30」こそが鉄道ファンならずとも絶対に惚れてしまう関門の絶対的ヒーローであり、このEF30の何がそんなに魅力的なのかと言いますと、まずは何と言ってもトンネル内の凄まじい湿気と海水がしみ出す塩分によるサビから愛しい車体を絶対に守るために全身にギラギラと眩しく輝く特注の「ステンレス製」の銀色の鎧を身にまとっている点です。

さらに車体の下半分には強度を保ちつつめちゃくちゃ重厚で男前な存在感を放つ「コルゲート板」というギザギザの波板状のプレス加工処理が施されており、最近の低コストでアルミむき出しの銀色電車とは格が違う本気の塩害対策デザインが今見てもどこか近未来のロボットみたいで最高にシブくてカッコいいのですが、実はこのEF30は「関門トンネルを通り抜けるためだけ」というあまりにも尖りすぎた超特殊な目的のために開発されたために、直流の本州区間では大パワーでバリバリと高速で走れるのに、いざトンネルを抜けて交流の九州区間に一歩足を踏み入れた瞬間に交流用の電気機器が少なすぎてパワーが出せず「交流区間では最高時速30キロしか出せへん」という信じられないほどの超のんびり屋なカタツムリスペックになってしまうという「本州ではめちゃくちゃ強気やのに九州に入った瞬間めちゃくちゃ安全運転になるやん!」と思わずズッコケて爆笑してしまうほどの愛嬌満点なギャップを秘めていました。

 

そんな極端な性能でありながらも本州から大急ぎでやってきた花形のブルートレイン「さくら」や「はやぶさ」といった豪華寝台特急や日本中の物流を乗せた重たい貨物列車をしっかりと受け止め、門司駅の手前で車内の照明がフッと全部消えてエアコンも止まり乗客が「えっ、心霊現象!?それとも電気代の滞納!?」とザワザワする中で「電気が来うへんから大人しく惰性でゴロゴロ走りますわ!」と言わんばかりに自分の勢いだけでデッドセクションを静かに潜り抜け、九州の交流機関車へと見事にバトンタッチさせる「海の下の力持ち」としての実直な仕事っぷりは日本中の鉄道マニアの涙を誘い、昭和62年(1987年)に惜しまれつつ全車が引退して後輩のEF81形へと大役を引き継ぎました。 

現在でも北九州市の和布刈公園に1号機が、そして九州鉄道記念館にカットモデルが静態保存されていて今もなお「関門の銀色の星」として当時の輝きを失わずに多くのファンに愛され続けていますので、もしみなさんが下関や北九州へ旅行する機会があれば新幹線でビューンと通り過ぎるだけでなく、あえて山陽本線の普通列車に揺られながら世界初の海底トンネルを掘り進んだ先人たちの凄まじい歴史と、昭和の関門海峡をド根性で支え続けた銀色に輝く不器用な名機EF30のロマンあふれる大活躍に心の中で熱い拍手を送ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

1988.8 門司機関区見学

吹田機関区への回送と扇形車庫の様子