11日目、エジプトの旅、最終日。

午前10時起床。

「ホテル ヴェニス」

地球の歩き方で「日本人に人気」と紹介されていることもあり、

宿泊者の90%以上は日本人と、館内は日本一色。

小さなテラスで朝食を食べる。

これから旅に向かう者、旅を終えた者の情報交換、あるいは団欒が続き、笑いがたえない。


今回の旅もこれで終わりなんだ・・・

なんだかんだいつのまにか12時になってしまい、

それからリョウ君、ヒミちゃん、そして朝食が一緒だった女性の4人で郊外のピラミッドを見に行くことになる。


僕は19時30分の飛行機に乗らなければならないため、17時30分チェックイン。

空港までは平均的に1時間。渋滞が酷いと1時間半。

というわけで…16時までにはホテルに戻って来なければならない。


街中でタクシーを選ぶ。

乗ってしばらくすると気付く。

奴は・・・目的地の場所を知らない・・・おまけに英語がまったく通じない…

順調なら30分~40分で到着する予定が、1時間40分もかかる。

その間、道を間違えまくるわ、現地の人に聞きまくるわ…

乗車している僕ら4人は呆れ果てて、疲れ果てる。



カイロ郊外、サッカーラピラミッド群。

ギザの3大ピラミッドには感動具合は遠く及ばず。

相変わらずの「砂漠気候」を「砂漠」で体感するものだから、死ぬほど熱く、早く帰りたくなる始末。




最後に写真を撮ろうとした瞬間、最先端1000万画像デジカメ故障・・・。


ちなみに私・・・

・前回カンボジアの旅・・・5日目にカメラコンクリートに落下し故障

・前々回ネパールの旅・・最終日前日に現地の人にカメラを渡すとデータを全消去される。

・5回前ラオスの旅・・・最終日前日にボートで移動中に、カメラの入ったリュックごとメコン河に沈没


と最近の旅はデジカメとの相性、本当に最悪。

まあ今回は最後までカメラがもってよかったが・・・ラオスの旅は本当に悲惨だった。

このときは、ガイドブックでも「死者も毎年出ており乗車には注意を」と記載のある6人乗り超高速ボート(時速100キロ近く出る)で、メコン河を一気に600キロ爆走。

そのラスト30分で、メコン河の浅瀬で石に衝突し、ボートが飛び跳ねた時、

ボートのお尻部分にくくりつけてあった、リュックサックが見事に沈没(くくりつけてくれるのはボート会社の社員)。

奇跡的に?リュックが浮いてきたが、服からパスポートから全てが水浸し。

メコン河なんで泥まみれ…。当然のごとき、写真もカメラもすべてブロークンアウト。


話は脱線したが、そしてカイロに戻る。

おみやげ屋さんの町、ハンハリーリで下車する。

下車して最初に約束したお金を渡すと、ドライバーが「少ない」と犬のように吠えまくる。

どうにもこうにも話し合っても言葉の壁があり、どうしようもない。

奴がいくら求めているのか、なにを勘違いしているのかもわからない。

しかし・・・僕らが払った金額は、まったく相場どおりのお金で決して安いわけでもない。

途中からは僕とドライバーとの怒鳴りあい。

「アホか!そこまでゴネルなら払わんぞ、ボケ~」

「※▲LO3w※・・※■WOsk」

アラビア語対日本語、互いになにを言ってるのか意味不明。


奴の提案で警察沙汰に。

英語のわかる警察官に必死で事情説明。

奴もアラビア語で必死に事情説明。

さあ、ポリスの判断は!?

我々、日本人、アウェーで見事に勝利!!!

判決理由「おまえ、そんなに金を貰ってて、それ以上貰おうなんて、ふざけすぎだろ」


そして、お土産を買い、時間もないので彼らと別れて僕はタクシーに乗り込む。

リョウ君、ヒミちゃん3日間、楽しかった、ありがとう。

最後の最後でまた事件発生。


タクシーに乗ったのはいいが・・・そういえば僕、ガイドブック持ってきていない…。

現地のミニホテル「ベニス」なんて言ったところで全く通じないどころか、そのホテルを知らない。

ホテルのだいたいの住所や最寄の駅でも言えたらいいのだが・・・それもわからん。

ハンハリーリに戻ってもハンハリーリは非常に広く、ガイドブックの持つ彼らと再会できるかも疑問。

とにかく街の中心部付近で降ろしてもらうが・・・ここはどこだ???

なんせ地図ももっていないため、どうしようもない。


とにかく待つ、99%ガイドブックを片手に歩いているはずの日本人を待つ。

15分後の奇跡、今日ホテルで煙草を貰ったガイドブック持参の日本人現れる。

しかし・・・彼も迷っている・・・(汗)

地図片手に「帰れない」と迷っている(大汗)

ここは…僕の特技、「地図見」

これだけは12年の旅行歴で培われた。

歩きながら「通り名」の表示を探し、コンパスで「北」の方向を把握し、5分後、現在地遂に把握!!!

遠くないぞ、15分も歩けばたどり着く。


宿に戻ると17時前。

やばいぞ、ハーリアップ。

預けていた荷物を受け取り、駆け足で階段を駆け下りて、街に戻る。


「エアポート、OK?」


捕まえたい時はなかなかつかまらないタクシー。

4台目でようやくOK。

しかし・・・奴も「アラビアンオンリー」。英語話せず。

しばらくして気付く。

奴は「エアポート」という英単語を理解していない。

信号待ちをしている時、ウインドウ越しに通行人に英語で話しかける。

通じたひとりに、通訳をしてもらい、奴に説明してもらう。

通行人は言う。

「大丈夫、空港に行ける。ドライバーは理解した」

ドライバーは一体、どこに僕を連れて行くつもりだったんだ・・・。


本当にタクシーが空港に向かっているのか、心配になりながらも途中の道路標識を見ながら、

ドライバーに「ここで曲がれ」とジェスチャーで指示してなんとかたどり着く。

1時間前・・・無事にチェックイン完了!


「ばいばい、エジプト」











一応、オーシャンビューの部屋で目が覚める。

でもベランダに出なければ海は見えない…(汗)



近所のホテルにたまたま宿泊していたヒミちゃんとリョウ君を迎えに行く。

そして電車でカイロにとんぼ帰り。




15時、電車が遅れて予定より1時間遅れでカイロの街に戻る。

相変わらずランチはケンタッキーで、オアシスの美女を待つ。チキンを食べ、禁煙ため外に出て街角で煙草を吸っていると、「こんにちは」と彼女が登場。

人違いじゃなかった…まさしく砂漠のオアシスの美女。

それにしても、人との出会い、繋がりというのは不思議なものだ。

彼女と会ったのはこのカイロから400キロ離れた砂漠のオアシス。

連絡先どころか名前も聞かなかったのに、カイロの街で約束をした上での再会を果たしたのだ。

モトコさん。学卒後、劇団に所属。演劇の傍らテレビドラマなどにも出演。その後小さなきっかけから海外の孤児への支援に興味を抱きボランティア活動に従事、保育士免許を取得し海外青年協力隊として、エジプトに派遣。


ケンタッキーでの4人での談笑が30分ほど経過しただろうか…。

「何処に行く?まだご飯食べるのも早いしねえ…」とモトコさん。

絶好機!今がチャンスだ、ヒミちゃん!…と僕は心の中で願うと念通力成功。

「モトコさんの家に行ってみたいです~。みんなで料理作ってご飯食べません?」

素晴らしい…100点満点の自然な会話が成立している。


後でバクシーシを払わねば…。

「ヒミちゃんの頼みなら、断れないなあ。いいよ。じゃあ、ウチに行こう!」

そしてタクシーに乗って彼女の住む住宅街へ。

仲良く前を歩く女同士を背に…

「いやあ、本当にうまくいったな。本当に彼女の家でご飯食べることになるとは」とリョウ君。

「ヒミちゃんが完璧だったね」

マンションの近所の八百屋さんでお買い物。

この国の八百屋さんは陳列のセンスが日本よりはいい!



買い物袋一杯の買出しを終えて、彼女の部屋に到着。

素敵なマンションの一室のソファーに腰掛ける。

目に付いたのは手作りの大きな張り紙。「イイ女になるための…」の出だしから始まり、掃除、語学の勉強、ストレッチなどが書かれており、その最後に「メールチェック」の文字。そう…本当はメールチェックを最初にしたいんだろうなあ。

特に基本的に日本語の喋れない生活をしているから尚更。でもそれをしちゃうと、ずっとパソコン漬けになってしまう。だから、メールチェックする前にやるべきことをやるように自分に課す。

こういう心構えは…日本に帰国後の僕にも求められる。

心にメモ、メモ、メモ。

皆様、気付けば料理作りに没頭。居場所を失った僕はマリオに没頭。

ダメだ…ダメだ…いくら料理が苦手とはいえ、なにか手伝わないと…。

「モトコさん、なにかお手伝いできることはございませんか…」

「うーん、じゃあ、おぐら切ってもらっていい?」

「おぐらって…どうやって切るのでしょうか…大汗」

30個ほどのおぐらを切っただろうか…。

数年ぶりに包丁たるものを握ったが、料理というものは本当に細かい作業であり、きちんとしたものを作ろうとすると手間をかけて作るものである。

いつも日本で何気に食堂で注文しているが、その裏ではこうして地道に「切る」作業は必ずや発生していることであり、「美味しい味」を客に出すために見えないところで試行錯誤があるわけで…

作ってくれた方への感謝を何処かしら持たないといけないものだと…僅か10分、包丁を握っただけで悟った…。


そして素敵な料理が並ぶ。

チーズたっぷりドリア、サラダ、スープ…。



映画の話、夢の話、日本で好きな女優の話・・・話題は尽きない。

ふと煙草を吸おうとベランダに出る。

住宅街の部屋の灯りがいくつも見える。

ここは日本から遠く離れたエジプトだよね…。


それにしても素敵な旅になった。

GWなどはたぶん、ツアーで来たほうが安い。


しかも安い上に、僕らより随分素敵なホテルに宿泊できて、

・・・ベットが陥没した

・・・シャワー、水しか出ないよ

・・・部屋にタオルもなければトイレペーパーもない

まさかこんな愚痴を言わなくてもいいだろう。


移動もエアコンの効いたバスだろうし

・・・熱くてたまんねぇ

・・・シートが壊れてるから揺れるたびに椅子から落ちそうだよ

・・・隣のジジイなんて臭い香水つけてんだ堪えられねえ

まさかこんなことで悩まないだろう。


でも…自由旅行だから、プライスレスな体験ができる。



添乗員がいないから、白砂漠でこんな岩に登れたり・・・



こんな場所で眠ったり・・・


こうして…現地で出会った人の家でみんなで料理して食べるなんてことも。


「10日目、エジプト滞在の美女のマンションで、手料理の晩餐会」


こんな素敵なプラン、ツアー旅行のオプションで絶対に買えないもの。

お金をいくら積んでもできない体験。

この旅、最後の夜、プライスレス。


朝、駅に向かって歩き出した。カイロの喧騒を離れて地中海を見に行こうと電車に乗った。




辿り着いた終着駅、エジプトの北端アレキサンドリア。

海の見える宿を根城に選び、昼食はケンタッキー。

そしてのんびりと海岸を闊歩する。地中海からの爽やかな風が心地いい。

そう、ここは砂漠気候ではなく、地中海性気候。街並みも何処かしらヨーロッパらしかった。




なぜか図書館を訪れる、歴史あるアレキサンドリア国立図書館。

近代的な設備内で学生たちが勉強に勤しんでいた。



それにしても日本人一人もいないなあ…今日は久し振りに一人ぼっちで夕食かも。

…と夕暮れ、ネットカフェに立ち寄り日本の家族にメール。

しばらくするとネットカフェの2階に向かう階段から「あっ…」の声。

オアシスに辿り着き、現地の人に囲まれている時、颯爽とジープで現れた日本人男女カップルと4日ぶりに再会。あれから彼らは、僕が諦めた「紅海」まで出向き、ダイビングをしてこの町に来たという。

20代中盤のリョウ君と、20歳のヒミちゃん。

一緒に旅をしているが…交際しているわけでもなく、ただの旅友達だとのこと。

そんな二人は、なんでも「紅海」で出会った日本人とこの地で会う約束をしているという。そして僕も今夜、夕食をご一緒させてもらうことになる。

彼らの約束の場所に行くと、待っていた彼と僕とが「あれっ…!?」。

その待っていた彼とは…オアシスのホテルで僕がなにかと喋った青年モッチーだった。

モッチーは、僕とは砂漠のオアシスで出会っていて…

モッチーは砂漠の後にバルカダという「紅海」で、リョウ君とヒミちゃんに出会っていて…

僕とリョウ君たちは砂漠で出会っているけれど、その日モッチーは砂漠にはいなくて…

うーん、奇跡が生んだトライアングルの再会。世界は狭い…。

4人でシーフードを食べに行く。

青年モッチーは海外青年協力隊でこの町アレキサンドリアで生活。アラビア語を操る素晴らしさ。待てよ…海外青年協力隊といえば…あのオアシスの美女。

「モッチー、そういや、あのオアシスのホテルにいた集団で、一人やけに綺麗な子がいたよね」

「彼女、日本で女優をやっていたみたいで、テレビとかにも出ていたらしいですよ」

やはり…。

そしてモッチーは携帯電話を取り出して彼女に電話をしてくれる。ここは日本か?

電話で彼女と話す。こんな声だったっけ???

とりあえず明日、カイロのケンタッキーで16時に待ち合わせの約束を果たす。今日この街に来たばかりだが、とんぼ帰りだ、カイロに。まあこれも旅の醍醐味。



「アツシさんさあ、オアシスで名前も聞いてないんでしょ?人違いだったらどうするの?美人といっても、モッチーのいう美人と違う人かもしれないし」リョウ君は心配する。


言われてみれば確かにそうだ…。

しかし「テレビに出た女優級」となればそうそういない。

大丈夫、砂漠の美女はそのレベルに達している。

「まあ、リョウ君もヒミちゃんも一緒に行こうよ、楽しいじゃない。みんなでご飯も」

「で、みんなで彼女の家でご飯でも作ってもらう(笑)?」

それはグットアイデア。素晴らしい夜になるぞ、こりゃ。

「じゃあ、これは女の子のヒミちゃんが彼女の家に行きたいと頼みまくり作戦で…僕らが行きたいとお願いするのは、いやらしいでしょ…」

「私がですか?わかりました。私がんばりますよ!その女優さんの家でご飯食べましょう!」

ヒミちゃん素晴らしい…。大役を果たしてくれ。



夜はモッチーのマンションでビールを飲む。

まだ若い三人と「夢」の話、「未来」の話を繰り返す。

僕も学生時代の旅はいつもこんな感じだったよなあ。


…ってか、ヒミちゃんが24歳ですか?と最初に言うものだから調子に乗って、僕は26歳ということになっているのですが…年齢にサバを読みすぎ…まあいいか(笑)


久し振りに、誰からも起こされる事も無く、気の向くままに起床。

今日は何処に行こう…。

もう気分的には昨日のピラミッドでゴールしているんだが、あと4日も時間がある。

本当は世界一美しい海と評される紅海へと出かけ、ダイビングを楽しもうかとも思っていたのだが、連日の日焼けで既に肌を露出している部分はズル剥け。Tシャツを着ているだけで痛い状態。このまま海に泳ぎに出向くのは皮膚がんを目指すようなものだ…。

今回の旅の痛手は日焼けクリームを2日目に紛失してしまったことだ。

ピラミッドを訪れた仲間と、伝統の町オールドカイロ・世界遺産イスラム街・おみやげ町ハンハリーリと終日かけて廻った。どれもそこそこ素晴らしい遺跡や場所だが、気分的に観光は既に「ゴール」を迎えているため、消化試合をしているような心境に近かった。



何処に行っても観光地でつきまとうのは「バクシーシ」。

エジプト特有の「チップ」なのだが、だいたいトイレに行くとトイレペーパーを片手に持っておりそれを貰おうとも貰わなくても「バクシーシ」を請求される。

観光タクシーに乗っても、帰り際に運賃以外にバクシーシを請求されたり、酷い観光地ではドアを少し開けてくれただけで「バクシーシ」と言われたり、フェリーから降りる時に手を差し伸べてくれただけで「バクシーシ」。

とにかく「バクシーシ」を聞かない日は全くない。

旅の途中からは「バクシーシ」の声には、立ち止まることなく振り返らず圧倒的直進。

耳日曜日、を繰り返した…。

昼はマクドナルドで夜は韓国料理を食べた。

エジプト料理は…ダンドリーチキンと、豆のスープ以外、余り口に合わず。

特に国民食といわれる「コシャリ」などは、パスタとライスを香辛料で混ぜて食べるという炭水化物だらけの組み合わせで、どうもしっくりこない…。それと比して世界に誇るマクドナルドのハンバーグは日本のそれより確実に美味かった。たぶん肉の比率が高いのだろう…。

午前9時過ぎ、砂漠を訪れた仲間とタクシーで3大ピラミッドのあるギザへと向かう。

近辺でタクシーを降りるとすぐに現地のガイドに付きまとわれる。

「ラクダに乗るか?馬に乗るか?」

しつこい、余りにしつこい。

しかし話を聞いていると相場程度の値段を申しているので、ボッタクリ屋ではないようだ。結局、彼のファームへととりあえず訪れることになる。

そこには「馬」そして「ラクダ」がいた。

これに乗って、ピラミッドを2時間観光できるという。

交渉は130ドルから始まる。最初からふっかけては来なかった。ほぼ相場どおり。

しかし値切る。僕は値切る。

25ドルからなかなか落ちない。

だが…こちらは4人。奴は僕らを逃すとたとえ一人20ドルで成立しても80ドルものビジネスチャンスを失うことになる。

どう考えても落ちる、20ドルまでは落ちる。

「ラストプライス、1パーソン、20ドル」

「それは無茶だ、頼む、せめて23は払ってくれ」

ごねる、5分に及びごねまくる。

20ドルでダメなら、他のファームで探すことにする。これがラストチャンスだ、どうする?」

奴、遂に陥落。

僕は「馬」を選択する。ラクダの方が雰囲気はあるが、昔、競馬をよくしていたこともあり、一度馬に乗って闊歩したかった。誰か馬を引いて先導してくれるのかと思いきや、超簡単に手綱使いを教えてくれて、レッツゴー。

おいおい、どうやったら馬は歩き出すんだ!?

とにかく引いていた手綱を緩めて揺さぶってみる。

昔、競馬のゲームでやった手順と同じ…(汗)

馬は歩き出す。

競馬ゲームで培った手綱捌きで、馬を操縦する。勝手に「トップガン」と命名。「トップガン前へ、左だトップガン」まるで騎手になった気分。






いつしか砂漠へ。砂漠の向こう側にはそう…『ピラミッド』

一瞬、ピラミッドに目が奪われる。凄い、これは凄いぞ。

「トップガン止まれ、写真を撮らせてくれ」と手綱を引くと…

トップガン突如暴れて、私、痛恨の落馬…砂まみれになる。

砂漠の向こう側で偉大なる雰囲気を醸し出し鎮座するピラミッドの雄姿。

幼い頃からエジプトという地に「ピラミッド」という遺跡があることは知っていた。

今、僕はそれを眼中に手に入れた。

それはエジプトで見たどの遺跡よりも迫力があり、威厳があり、壮大であり、美しかった。

さすがピラミッド。

これじゃなきゃピラミッド。

これぞピラミッド。



スフィンクスともご対面し、帰りはラウダに乗り換えピラミッド裏から周遊を終えた。

ちなみに正規ルートからだと、ラクダ周遊は出来ない。ただ正規ルートでなければピラミッドを間近で見ることができず、後からもう一度入場料を払って入り直した。





ピラミッドは間近で見ると、大きな石の山。

多少距離を置いて見るのが一番美しかった。



15時ごろから、有名らしい「考古学博物館」を見学。

目的はただひとつ、ツタンカーメンの黄金のマスク。

重厚なガラスケースの向こう側に鎮座したマスクと見詰め合った。

「かわいそうだな。ミイラはルクソールにあるのに…」と僕は心で呟いた。

それにしても3000年前、日本は縄文時代真っ只中で石器片手にエイヤー、アイヤーと獣を追っていた時代に、この国では既にピラミッドを造営するわ、こんな黄金のマスクまで作る技術もあるわ、当時は文明の差が歴然とあったものだ。

夜は美味しい中華を食べた。高級店に行ったせいか…一人あたり3000円。

で…30円のペットボトルを買って、11,000円(トイレ、シャワー、朝食付)の安宿に戻る。金銭感覚、狂うなり。

朝、余りの寒さに目覚める。空が薄暗くなっていてサンライズの瞬間だった。

毛布を頭まで被り、目だけ出して砂漠からのご来光を拝む。

とにかく寒い。

推定気温は10度くらいじゃないかと思うほど寒い。

砂漠で凍死も十分に有り得ると思うほど寒い。

しばらく毛布から出れないが、朝食の準備が出来たというので仕方なく毛布脱出。

あれ…身体の変化に気付く。

悪寒がしない。

5日間連日苛まれた早朝からの悪寒。命の薬バファリン投与で誤魔化しながら旅してきたが、6日目の朝にして身体が朝から軽い!!!

奇跡だ。

この体調なら高熱が出てもおかしくない完全な野外での野宿。

これで病が治ってしまった。

やはり人間は「野」に戻るのが健康には一番なのかもしれない(謎)

オアシスに戻る帰路で「温泉」に立ち寄る。

しかし、推定水温25度程度で温泉というより温水プール。

さすがに身体ごと入浴する気になれず、足湯で我慢する。

しばらく足湯に浸っていると、銃を携えた少年が砂漠の向こうから、ラクダに乗ってトボトボ歩いてくる。

やけに意味不明な光景だ。

もちろんその銃をこちらに向けられ発砲されたら絶命。

一瞬、目が点になるが「ピクチャーOK?」と聞くと、快く応じてくれる。

で、写真を撮るとまた少年はラクダに乗って砂漠へと消えていった。

狩りでもしているのか?

ただ…この2日間、野生の動物らしい動物は全く目撃していないのだが…。



オアシスのホテルに戻る。

15時のバスまで3時間程度あるのでテラスでのんびりと休む。

すると若者日本人の20人程度の集団が訪れる。

一人の男の子と挨拶すると、「海外青年協力隊のレクリエーション」だという。

それは…それは…。

一時間後。

相変わらずテラスで煙草をふかしている僕。

協力隊のランチが終わったようで、何人かが食堂から出てくる。

おっ、やけに綺麗な子が一人いるなあ…と思っていると、その子が僕の前で立ち止まり「こんにちは」と話しかけてくれる。ラッキー、ラッキー。

彼女は海外青年協力隊でカイロに派遣されて、現在孤児院で働いており、あと1年半ほどはこの地で生活するという。

カイロの町の見所などを伺い、せっかくだから案内して貰おうと後日の約束を取り付けようとした瞬間、「車が来たよ~」の声。

カイロの美女、「ではまた」とあっという間に立ち去る…。

無念…名前も聞けずにオアシスで出会ったジャパニーズ美女退散。

またバスでカイロに戻る。それにしても帰りのバスは酷かった。

「ボロイ」「狭い」に加えてクーラーが全く効かず「熱い」までもが加わった。

その三重苦で心身ともに疲れ果てた。

ちなみに過去に乗ったバスでこれ以上酷いのは「悪路」が加わる。

この酷い状況で舗装されていない路を走るため、瀕死の疾走になる。

しかしエジプトの道は舗装されており、走行だけは快適だった。

カイロに戻る。夕食を食べると23時を過ぎていたが、予約もしていないホテル1軒目で運良く空室があり、宿探しに骨を折らずにベットに辿りつけた。

「午前3時起き」「電車」「砂漠」…とこの3日間劣悪な環境での睡眠が続いたが、4日ぶりにまともに熟睡できる。

遂に明日はピラミッド。

午前5時30分過ぎ、客室乗務員のドアノックの音で目覚める。

実は旅に「時計」を持っていっていない。

腹が減ったら飯を食べ、眠くなったら寝る。

そういう人間の本能のままに「旅」ができたら・・・という思いからだが…

現実的には何処に行っても大抵「時計」は存在し、ほぼ現在時刻を±20分では把握して行動している。


朝から相変わらず悪寒。


しかし、命の薬「バファリン」が残り1錠になり、何処かで入手せねば流石に宿で一日寝込まないとやばい。

カイロまで戻ってきたことだし、病院に行くのもいいか…

などと考えながら下車。


下車したのはいいが、午前6時の町にたどり着いて、一体何処へ行こうか…。

次の目的地は砂漠だが…体調不良のままに出向くのはいささかの不安もある。

ここでこの旅、一番の『幸運』に出会うことになる。

降りるまで気付かなかったが、アスワンからの夜行電車には僕以外に日本人が3人乗っていたのだ。

しかも、昨日アブシンベルツアーで一緒で、余り喋らなかったが顔見知りでもある。

誰かバファリンを持っていないだろうか…

とにかく声をかけてみる。



「バファリン持ってますよ、あげますよ」

助かった・・・幸運は続く。

「今から、何処行くの?」

「砂漠、バスでパブレイヤオアシスに」

ついてる…。


実は砂漠のオアシスにたどり着いてから、ジープをチャーターするわけだが、1台600ポウンド(12,000円)~800ポウンド(16,000円)は要することを事前情報で得ていた。

もちろん4人なら、その金額を単純に4で割れるわけで…。

そして急遽、この男3人旅に、僕は合流することになった。


ボロイ、狭い、でも安い、の3拍子が揃ったローカルバスで砂漠に向かう。

1時間ほどでカイロの街を抜けると、一面砂漠になった。

地平線、どこまでも砂、砂、砂。いままで見たことのない、景観。

バスは砂漠の一本道を「南」へ「南」へと進んでいく。

乗車して5時間後、砂漠の果てに眩しいくらいの「緑」が広がる。


そこはオアシス。


オアシスというと、砂漠の中の小さな池みたいなものを想像していたが、実際は町なのだ。

バスを降りた瞬間、10人くらいの現地人に囲まれる。

全員が、ホテルの客引き。

こんなところまで来る日本人は、まず100%「砂漠ツアー」に参加するので、

「うちに泊まって参加しろ」の大合唱。

でも奴らの中から、誰かを選択しなければならない。

でも異様にうるさい。煩わしいほどうるさい。


するとエジプト人が運転するジープに乗って、日本人カップルが通りかかる。

「どっか、いい宿ある?」と聞いてみる。

「いやあ、よくわかんないよ」みたいな感じで、しばらくすると何処かへ行ってしまう。

仕方なく、適当に一人選ぶ。




昼食を食べて、彼のホテルへとジープで移動。

ホテルオーナーから、砂漠についてコーチ&ガイドを受ける。

本当は明日から砂漠ツアーに繰り出す予定だったのだが、今からでも十分にいけるとのこと。

というわけで、いざ砂漠に向けて5人を乗せてジープは出発!!!



「コンパスはいつもほら南を指している もうすぐよきらめくシヤングリア

 永遠に終わらない 二人の夢のなかで   はるかなオアシスにたどりつくの

 たいくつなイルミネーション ざわめく都会のノイズ

 ステレオタイプの毎日がほら 蜃気楼の彼方に消えていく

 FLY WITH ME ,DARLING  舞い上がる 砂の嵐

 世界で一番熱く光る夏 もうこのトキメキ止めないで 」 ♪世界で一番熱い夏  



この曲が頭の中で流れていた。この曲が似つかわしい光景だった。

砂漠は想像を超える絶景だった。

黒い石?が辺り一面に広がる「黒砂漠」。







石灰岩が作り出す幻想的な奇岩が溢れる「白砂漠」。



 




そのどちらも胸を熱くする光景だった。

でも、それを凌ぐのは「無」。

ひたすら砂が地平線まで続く、昔からよく知っている「砂漠」

澄み渡る「青」とひたすら続く「茶」

この2色だけで、全てを表現する目の前の光景が一番美しかった。

いわば「無」。

もしかして「無」が一番美しいのかもしれない。




白砂漠で地平線に沈む夕日を見た。

たぶん生涯忘れないだろう、砂漠に沈む夕日を眺めるのも生涯この時だけかもしれない。






ジープは白砂漠に停車し、ドライバーが1時間かけて料理を作ってくれた。

カレー風味の鍋物とライスなのだが…異様に美味しかった。


テントは張ってくれなくて、砂漠の上に敷物を引いて、毛布に包まって眠ることになる。

セーターを着込んで、毛布を3枚身体に巻きつけたが、それでもまだ寒かった。

でも…横になって、ふと目を開けるとそこには満天の星空が広がっていた。

なにも光がない暗闇、建物や山もないため視線の彼方地平線まで星が見える。

どれが北極星かわからないくらい、沢山の星が輝いている。

しばし目を閉じて、しばし目を開いてを繰り返した。


目を開けるたびに、「プラネタリウム


4日目、午前3時に強烈なドアのノック音で起こされる。

そうだ、そうだ3時30分にツアースタートなんだ…。

こんな時間にスタートするツアーなんて、富士山のご来光を拝むツアーくらいだろ…とかなんとか独り言を愚痴りながら、出発の準備をする。体調不良で相変わらず朝から悪寒がするが、バスで寝ている間にバファリンが効くだろう…。



バスの中で砂漠の地平線から顔を出した日の出を拝む。

別に日の出をアブシンベルで拝むためにツアー時間が早いわけではないのだ。

で、一体このツアーがなぜ、こんなに早朝出発なのか。

それはアブシンベルがアスワンの町から300キロ以上離れているから…。

推定時速100キロで砂漠の一本道を疾走したバスは、午前7時40分、エジプトの南端アブシンベル神殿駐車場に到着。9時まで観光していいとのこと。



アブシンベル神殿。
一言で言えば素晴らしい。
その姿は余りに完成度が高く、映画ハムナプトラのセットのようだ。
3000年ほど前に造営されたとはまるで思えない。




昨日から観光を繰り返しているが感動が薄いのは、間違いなくその完成度の高さのせい。アンコールワットのように錆びれた様子はなにもなく、「ふるい」を感じさせない美しさがその感動度合いを少し下げているのだ。

でも…遺跡自体は遥々遠くまで来たかいがあるくらい、素晴らしかったです。



その後、バスは4時間かけてアスワンハイダムへと辿り着く。当然ながら、何処から見てもただのダムだった。記念に看板の前で写真を撮影し10分で退散。続いて小船に乗り換えて、小島に辿り着き、イシス神殿というところを観光した。







15時頃、アスワンの町に戻る。ツアー時間は12時間近いのだが、15時に終わるところが素晴らしい。

先を急ごう、次の目的地はサハラ砂漠。

とにかく一度カイロに戻らなければならない。

駅に行き、「今日の夜行寝台は空いているか?」と聞くと18時20分発の寝台が予約できた。1泊2食付で60ドル。



18時18分夜行寝台に乗り込む。

乗務員が丁寧に挨拶に来てくれて、鍵のかかるコンパートメントとなっている室内設備の説明をしてくれる。説明を聞いているうちに、夜行寝台は出発した。

室内は洗面所が完備。さらに乗務員コールボタンまでもが装備されており、なにか困ったことがあれば、コールボタンを押してくださいとのこと。





続いて酷くまずい夕食を食べた後、余りに煙のサワーで心地よく口の中を洗浄したくなり、コールボタン。







「煙草を吸いたい…」

乗務員は優しかった。全室禁煙なのだが、通路に椅子と灰皿を特別に設けてくれて、「ここで吸ってください」とのこと。



一服が終わるとすぐにベットをセットしてもらった。

「もう寝るのですか?」

「うん…ちょっと体調不良で…それと今日3時起きだったんですよ」

「わかりました。それではもう、この部屋には誰も入らないように配慮するので鍵をかけて眠ってもらって結構です」



実は室内はツインベットであり、シングル料金しか払ってないため室内の独占はできず、次の駅で誰か他の客とシェアすることになる。しかし彼の配慮で室内を独占できることになった。

それにしても完璧すぎるほど、丁寧で親切な乗務員だった。



室内の灯りを消すと、非常灯が装備されていないため完全に室内は暗闇になった。外の景色も砂漠の場合は、枕元から綺麗に夜空が見える。もちろん電車のため、見える夜空も移り変わっていく。



まさしく「スターライトトレイン」。



その美しさにしばし心を奪われながら、いつしか眠りについた。






3日目、電車で早朝からルクソールからアスワンへと4時間かけて移動した。アスワン。何処かで聞いたことのある地名だ…そうだそうだ、昔、授業で習った「アスワンダム」で有名なんだ。



駅前の汚いホテルに宿泊を決め(1泊500円)、明日のアブシンベル遺跡+アスワン観光ツアーを申し込んだ。観光ツアーといっても、バスで連れて行ってくれるだけだが…。



両替をしに町を徘徊するが、銀行らしき建物さえも見つからず、商店街を徘徊しても両替所がない。警察に聞くと、なぜか近所のピザ屋に連れて行かれ、そこで闇両替…汗。おねだりしたら、レートはなぜか銀行よりも良くなった。

駅前で日本人旅行者とすれ違い挨拶すると、これからツアーで「フルーカ」というヨットに乗りナイル河を周遊するという。

「同乗させてもらっていいですか…」

快くOKを貰い、急遽フルーカに乗ることになった。







ヨット上で風に吹かれることは本当に気持ちがいい。

風の吹くままにヨットは進む。

風の吹かれるままに…

爽やかに…

気の向くままに…

こんな調子で毎日生きれたらいいな。




 




午前6時起床。

朝食を食べていると早くも悪寒。最悪な体調。

異国の地で病気になることほど辛いことはない。

病院がどこにあるのかもわからないし、病院にたどり着いたところで的確に症状を伝えられない。

単なる風邪と信じて、バファリンを飲んでとにかく寝る。

8時頃に立ち上がると悪寒は治まる。

クスリが効いたみたいだ…。


自転車を借りて町に出る。1日10ポウンド。(200円)

性能が悪く、初乗り時からガタガタいいやがるが、今日一日この自転車で駆け回る予定。

地図を見ながら3キロほど走ったところで「カルナック神殿」に到着。

入場料50ポウンド(1000円)。



なんなんだこの物価差は…。

以来、観光入場料の余りの高さに心が疲弊し続けることになる。

3000年以上前に作られた巨大遺跡らしいが、余りにデキが素晴らしすぎて、感動は薄い。

なんで、こんな綺麗な造りのまま残っているんだ??

まるで、50年くらい前に、観光地として造営したような雰囲気さえある。


続いて、自転車をフェリーに積んでナイル河を渡って、ルクソール西部に突入する。

「体力に自信のある人は、自転車で周遊可能」とガイドブック。

自信はないが、まあなんとかなるだろう…と挑戦。


最初から緩やかな坂道が続く。気温はたぶん40度を超える猛暑。

早くどっかに着いてくれ…と直進を4キロほど続けるところ、ようやく分岐点にきたようだ。

ここで看板「王家の墓まで9キロ」

半分砂漠の一本道の先には坂道。

愕然としてここでサイクリングを諦め、タクシーを拾うことにする。

10分ほど待っていると、1台のタクシ-が止まる。

「200ポウンド(4千円)」

くそ…足元を見やがって…

相場からみれば、60ポウンド(1200円)程度で半日周ってくれてもいいくせに…。

渋っていると、日本人から貰ったというメモを見せられる


「300ポウンド払いました」「200ポウンド払いました」


こやつは金払いのイイ日本人に慣れているようだ。

しかし、既にお昼前。ここにきて客を捕まえられずにいるところをみると、値切りはきくはず。

こっちも足元をみることにした。


「80ポウンドでどうだ?」


とりあえず、掲示された金額の半分以下を申してみた。

これでも本当は60ポウンドで十分と思っているので、かなり妥協してやった金額。

ハッ!?おまえバカか!?というような顔をされる。


「150でどうだ」


と50下げてきた。まあこの程度は簡単に下がるのは予想済だ。


「85にしてくれ」


まあ100ではいけることは予測がついたし、100に抑えるため、小刻みに値段をあげていくことにした。

交渉5分、予想通り100で折り合う。

かなり妥協したが、自転車を積んでくれる点と、道中の途中でピックアップしたので仕方がない…。



王家の墓。

ここには、かの有名なツタンカーメンの墓がある。

ツタンカーメンは小学生の頃から知っている。

確か、発見に関わった人が続々と死んだはずで…ツタンカ-メンの呪いとかなにかで。




入場料70ポウンド、1400円。

10箇所ほど入場できる墓があり、その10箇所の内の3箇所を入場券一枚で見学できるという。

まあ、ツタンカ-メン見れたらいいや…とツタンカ-メンに直行。




(これがツタンカーメン王が眠る由緒あるお墓!)


墓に入ろうとすると…「NO」

なにがNOだ、まだ1箇所も墓に入場してないぞ…と思うと、

なんとツタンカ-メンの墓だけは、追加チケッが必要だと言う。

しかも入場料、1,600円。

有り得ん…。

結局、ツタンカーメンの墓を見るには3000円。

アンコールワット、タ-ジマハルを凌ぐ世界一の水準の入場料だ…。


迷う。

果たして1600円を追加するだけの価値があるのか?

迷う。

迷った果てに、、、まあ一生来ないからと思い、チケット購入を決断。

チケット売り場まで10分歩いて戻り、チケットを買おうとすると、クローズ。


「12時~14時までツタンカーメンは見学できない」


ただいまの時刻11時55分。

ふざけすぎ…。

ツタンカーメンは諦める。


…後日談だがこの遺跡は階段を下りて、狭い部屋にツタンカ-メンのミイラがあるだけだという。

有名な黄金のマスクは、カイロの考古学博物館にあるとのこと。

それにしても、黄金のマスクをかぶり、宝飾品溢れた室内で、立派な棺桶に数千年眠っていたツタンカーメンが、

今は、宝飾品を没収された室内で、マスクも棺桶も取られて哀れなミイラ姿のままで見世物にされているとは…。

古代の王様も哀れなものである。

公開するなら、せめて黄金のマスクを被ったままの姿で見せたらいいのに…


ランチはドライバーがチキン料理店に連れて行ってくれた。

ダンドリーチキンに、3種類のスープにサラダにライス。

これで10ポウンド(200円)。

見た目は酷いが、激ウマ。疲れが吹っ飛ぶ。



続いて、日本人12人を含めて60人ほどが10年前に殺されたルクソール屈指の遺跡を観光。

こちらも、遺跡が美しすぎて感動は薄い。

とにかく、殺された人たちの冥福だけ祈ってきた。



それにしても熱い。

遺跡巡りは、炎天下の中、半砂漠を歩きたおさないといけないため、日頃、運動不足の身体が悲鳴をあげる。

砂漠が辛いのは太陽からの逃げ場所がない。

一度、車をでると酷暑の中とにかく遺跡までたどり着かなければ、「日陰」に逃避できないのだ。

燃えざかる40度の紫外線はジリジリと皮膚を焼き続ける…。


身体はなんとか夜までもった。