読者様からメッセージで「罪悪感を持ちながら幸せになっていい」というありがたい啓示を頂き、その意味がやっと分かってきた気がします。


たくさんの方から「子供は可愛いけど育児は大変で当たり前、罪悪感を持つ必要なし!」と激励頂いて、みんな同じなんだ、私だけじゃなかった、罪悪感を持たなくていいんだ…とホッとしたのも間違いないのですが、


やっぱりあるんです。罪悪感。そのことを、やっと認めることができてきました。なんか、罪悪感を持つ必要は全くないとしても何故か私は持ってしまう、だから持たなくていいと理解すると同時に抑え込むのもやめよう、となった段階です。


そう、娘がこんなに可愛くて、小さいもみじのお手手、ハイハイや歩き出す前のムチムチな足、ぷにぷにすべすべなほっぺ、産毛が可愛いお座り後ろ姿…一瞬の成長も見逃したくない幸せと同時に、大変さへのストレスも絶大で、その罪悪感がすごくて…何回も書いてますね、ほんと手放してラクになってしまいたいんです。


で、その方が教えてくださった通り、罪悪感めちゃくちゃあるぜ!ともう盛大に認めて、そのままでいいから幸せな今も噛み締める。それが許されるということを知って本当に救われた思いです。


はい、私は罪悪感ありまくりです!もうしょうがない!思いっきり認めて手放します。
私は女神みたいな母親にはなれないみたい。
人間だった。キャパの狭い、HSPな、すぐ不安になる、上手に息抜き出来ない、境界線も曖昧な、変化に全然ついていけない人間だった。
それでもいいかな。それでも娘は、私を母親と認めてくれるかな。可愛い寝顔を見て泣けてくる。
いつも笑っていられなくていいかな。
今、娘の可愛い寝顔を見て隣に寝転びながら書いています。


だんだんわかってきました。
私は、娘をものすごく愛しています。
たぶん、重たいくらいに。
そして、両親から「こういう風に愛されたかった」という思いが強いです。
それは「いつでも笑顔で、いつも私の方を見て構ってくれて、いつも愛してるって言ってくれる」ような。
だから私はそうやって娘に接したい。まさに絵に描いたような完璧な女神像の母親を自分に課していました。
でもできるわけがない。でもしたい。
で、全力でやってみて、結局途中で疲れ果てる。
そして自分を責める。
その結果が今まで。


だから、今度東京に帰ったら自分の裁量の範囲を知って、出来ないを前提として、娘にはきっと愛が伝わっているんだと信じて、人を頼って、力の抜きどころを日々の生活の中で推し量ってバランスを取っていくしかないんだろうと思っています。


いつか「あ、これくらいならちょうど良い」ってホッと出来て、肩の力が抜けて自然に笑える瞬間が来ると信じたいです。もっとうまくやれたらと本気で悔みますが、力が入りすぎるのもすぐいっぱいいっぱいになってしまうのも私だから、仕方ないですね。


ああ、親離れしたい。自立したい。愛されてるんだってば。東京で優しく待ってくれている主人とゆったり楽しく育児と家事したい。もっと軽くラクに考えたい。娘のことをこんなに大切なのに。もっと気楽で陽気な母親の方が娘も幸せだろう。そうなりたい。


自分らしく解放、進めます。

その後もタイミングを見計らって解放を続けていたら「そうか。大嫌いで良いんだ。そして同時に愛してる、愛されたい、そう思って良いんだ」と許すことができ、また少しホッとしてきました。


解放って自分自身をそのまま許すっていうのが本質なんだと最近の私は気づいてきました。なんかすごいのひらめきそうな予感。


娘は今日もニコニコ元気に過ごし、スヤスヤ寝ています。ありがとう。最高に可愛い(^^)という思いはますます強まるばかりです。
父への感情は苦しいけど手放し続けています。
それと同時にいろんな大切なことがわかりはじめています。
自分がどこを目指すのか、人生の究極の目的。
たくさんの啓示も頂いて…ありがたいです。
自分が今ある場所で、感謝を忘れず、もっとそのままの自分で生きたいです。