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癌と父、それを見守る家族

2005年8月、父が脳腫瘍で倒れました。

それに関する自分の気持ちとかを整理する為に書こうと思います。

私は時間のあるとき、いろんな脳腫瘍の方の闘病記を読んでいる。
そのうち一人が最近、亡くなられてた。


めちゃくちゃショックです…


その女性は父よりも10歳くらい若く、同じ病院で入退院を繰り返していた。
2年半の闘病生活だったらしいけど、ほんとなんて言っていいかわからない。

本人は辛くて死にたいって思うときも、もっと生きたいって思うときも両方あったと思う。

最期の方は本人ではなく旦那さんが書いていたけど、そろそろ危ないなって思っていたらしい。
最期は麻痺して痛みとかも感じないらしいから苦しまなくて良かった。。。本当にそうなのかはわからないけど。


知り合いの薬剤師の先生が、「痛みに対して日本はモルヒネなどの痛み止めをあまり使わないために患者さんが苦しむことも多いようです。モルヒネなどの麻薬で腫瘍が悪くなることはありませんから、痛みをが我慢しないように配慮してあげてください。」とちょっと前に言ってくれてるので痛みがひどくなるようなら母にこれも言おうと思う。

弾き語りするにあたって、父は25冊くらい歌詞とコードを印刷したフォルダーを持っていた。

各本、あいうえお順にならんでいる。
そして、一冊ずつ番号もふられている。
一冊30曲くらい入ってる。


おばあちゃん達から「○○歌って」とリクエストがあったら、父は私に「17にその曲入ってるから出して」とか「20か24にある」とか指示を出す。つまり曲が何番のフォルダーに入ってるか暗記してるのだ。

久しく弾き語りとかしてなかったのに、よく憶えているなぁとめちゃくちゃ感心した。



改めて、重い脳腫瘍であろうとも。記憶ってのはまったく衰えていないのだなぁと思った。

そして私も暗記とか記憶とかすごい自信があるけど、こういう機能はDNAとして受け継がれるのかなぁとも感じた。

1日しか父と一緒に入れませんでしたが、実家に帰りました!
前日まで、父は身体が痛くて何もできずずっと寝てたみたいだったけどこの日は比較的元気。


よかった。


予定通り、近くで弾き語り(私がギターを弾いて父が歌う)。お客さんは、60歳~くらいのおばあちゃん連中。

どうやら私が思っていたより父は人気者で、父の弾き語りを毎回テープに録音して食事中に聞いたり、涙流して感動してくれるおばあちゃんもいるみたい。


注:父はずばぬけて歌がうまくもないしギターもあんまり上手くないです笑。


父は、この日の為に新聞を大声で読む、極力歌の練習する、パソコンにカラオケ入れて自宅練習、など相当頑張っていたみたいで、明らかに先月より歌が上手くなっていた。ほんと、声だけ聞くと、とても癌とは思えない。



おばあちゃん連中のリクエストに答えながら、1時間ぐらい歌った所で父もだいぶ疲れたようで今回は終了。
おばあちゃん達も嬉しそうだったし、何より父がこの日に至るまでの間、練習とか体調管理してたのがすごい!
本人も楽しみにしてたんだな、てのがわかってめちゃくちゃ嬉しかった。

確実に弾き語りは父が出来る限り継続したい。毎月これを目標に頑張って欲しい。

脳腫瘍になった今、継続して生きることの方が辛いだろうけど、その中でも楽しみを見出して欲しい。


その夜、父の同級生4人ほど、急きょ家にお見舞いに来た。
日頃は寝てテレビ見るだけの生活なのに、この日は、外で歌ったり、同級生と何時間も話したりして…盆と正月が一緒に来るあわただしさだっただろう。
次の日は一日中、本人曰く「地獄」の苦しみで寝ていた。



普通に身体を休めていても一日中苦しい。

何かイベントがあるとその時は楽しいけどあとでそれを埋め合わせる苦しみが待ってる。


見ていて辛いし、歌ってる時の楽しそうな父を見ると嬉しいけど、その後襲ってくるであろうしんどさを考え始めると、やっぱり寝ていた方が良いんじゃないの?とも思ってしまう。


とにかくそれを毎日見てる母や妹や弟はもっとつらいだろう。

まだ父は携帯弄ったり出来るので退屈な病院生活の暇つぶしにBLOGを書かせるようにしている。

わずかな体調の良し悪しで元気だったりすごく辛かったりするので無理に毎日かかせるより、暇な時とかの楽しみを作ってほしいなぁと。


最初はまったく読者を意識しない変てこな日記だった。

毎日、父に「体調どうや?昨日お父さんの日記訪問者数○○人もあったで!」みたいに言ってたら徐々にいろいろ興味深い日記になってきました。


癌スーパーリンクにも貼ってますが父のBLOGはこちらです。
http://ameblo.jp/peacecircle


ただ、父の予後など父が知りたくない内容も多いと思うので、父に私のBLOGの事などは知らせないで下さい。


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父がそろそろ退院です。私自身は来週末に1日ほど実家に寄れる日があるのでその日に父の体調が良ければ公演でミニコンサートするつもりです。1週間ほど前は非常に元気だったが、ここ最近また調子悪そうで本当に出来るのかな・・・

お医者さんの話は超ストレートの剛球なのでいつもショックを受ける。


父が倒れた時、一番最初に行ったお見舞いで父の生徒の薬剤師さんもお見舞い来てた。
まだ脳腫瘍がそんなに重いモノと認知していたなかった私に
「あと1年とかしか生きられないかもしれないけど、こうやって今までなかった家族のふれあいもあるんだし考え方によっては全然悪い病気じゃないですよ」と言う。「え!?」とか相当ショックを受けた。


セカンドオピニオンに行ったときも「これで助かっている人はいません」と夢も希望もないセリフをはっきり言われめちゃくちゃ凹んだ。


最近、「日本はモルヒネなどの痛み止めをあまり使わないために患者さんが苦しむことも多いようです。モルヒネなどの麻薬で腫瘍が悪くなることはありませんから、痛みをが我慢しないように配慮してあげてください」と言われ、今は痛みもなく比較的元気な父だけどそんな事も考えないといけないのかぁと落ち込んだ。


だからって誤魔化したりウソを言って欲しくないからそれで良いんだけど、まだまだ慣れない…


実家で常に父の世話をしている母なんてもっと辛いだろうなぁ。
日々残酷な(しかし必要な)報告を医者から受けている。


基本的に母は父と比較してあらゆる面でめちゃくちゃ強いと昔から思ってた。

今もそう思ってる。この脳腫瘍が父と母が逆だったらそれこそ今以上大変だったと思う。

でも、さすがに母の事も心配だな。


~~~


とりあえず父があと2週間で退院みたいです。
退院と言っても完治の退院ではないのがなんともいえず悲しいですが…
どこで生活するかはこれから考えないと…

母が電話してきた。

検査の結果、父の腫瘍が若干だが小さくなったらしい。
20回も放射能治療やらカテーテルして少ししか小さくならないのか?というのが父の本音らしいが。


医者からは、「グリオーマは薬が効きにくい。現状維持で大成功と思ってください」的な事を言われていた私達家族は嬉しい。
今現在は左半身の麻痺もあまりないらしくその場しのぎかもしれないが、嬉しい。


本当に腫瘍のわずかな大きさ(10ccとか水を抜いたり)で、恐ろしいくらい体調や体の機能が変わるみたい。
腫瘍ほど全然重くはないものの、扁桃腺とかで具合悪くなったり、ニキビできて痛くなったり…あげていったらきりがないけど…

つくづく生き物の身体は絶妙のバランスで成り立ってるのだなぁと思う。



ずっとどうなるかなどうなるかな、と現在が心配だったがこうして少し(ほんとに少しだが)落ち着くともうしばらくして訪れる今後の父の生活を考えないといけない。

ずっと入院するわけにもいかないし、家にいるのが一番ストレスレスで良いのだろうけど、誰かがいてあげないと不安だし。訪問看護とかがいいのかなぁ。



もっと先の事(いつかはこの治療で腫瘍をやっつける方法が効かなくなる事、など)を考えるといてもたってもいられないがそれは考えないようにしよう。

父がどれだけ喜ぶことをやってあげれるか?

ってので、私がいろいろ考えた一つ目が実行できそうです。


父は元気な時、フォークギター弾き語りが大好きでよく公園で一般人相手に弾き語りしていた。
左半身不随の今、父はギターが弾けない。


私は、父の影響があるのかないのかわからないが一応ミュージシャンです。

ので、父の歌いたい曲を私が弾いて父が歌うって路上ライブを手伝ってあげようと思いその旨を伝えると父も迷いつつもやる気を出してくれた。


嬉しい。良かった。月一回、実家に帰ったときにこれが出来たら父も楽しみやら目標が出来て前向きになれそうな気がする。


同時に「あと何回これができるんだろう?」とか「徐々にまともに歌えなくなるんだろうなぁ」って思いも存在する。けど、それを考えていたら何もできないし、これをやるのとやらないのでは圧倒的にやったほうが父にとってはいい事だと思う。




さて、何を歌いたいと言い出すのか今から若干心配である(変な昔の歌が多い為…笑)。

最近、実家に帰ったときに母から聞いたこと。

近い親戚の赤ちゃんが筋肉の能力がどんどん低下していく病気らしい。
名前がどうしても思い出せないが、横文字の誰でも聞いたことある名前の病気…
知ってる赤ちゃんだったので、すごいショックだった。


おそらく長く元気に生きていけないそうだ。


可哀相と思いながら不謹慎にもそれを聞いて
「親戚に父より重病の人がいる。ああ、
これで父も少しは頑張らなければいけないってポジティブに強くなるかな」って思った。


で、そういう風に思った自分がすごいいやになる。
もちろんその赤ちゃんは甥にあたる子だし可哀相で悲しい事には変わりない。


でもなんていうか、他人の不幸を自分の励ましにする…と言うのか。
無意識にそうしている自分に腹が立つ。




仮に、母や妹や弟、彼女、が今の父より重病になったり大怪我したりしても今回と同じ風には思わないだろう。

このBLOGを始めたのは超最近だが、
当初は自分の力で父の脳腫瘍はどうする事も出来ないのでこうやって書くことで
誰か救世主的な存在が現れるのを待っていた。


いつかどこかの誰かが「私は貴方の父と同じ脳腫瘍でした。でも、××で○○したことで治りましたよ。」

とか書き込みがあるのを期待していた。

他力本願だが、私は父に会って元気づけたり、

セカンドオピニオンや本やネットでうる憶えの知識を父に伝えて
仮の安心を与える事しか出来ない。私には抜本的な問題解決、「病気完治」は不可能だからだ。


余命あと1~2年、例外なし!と主治医やらセカンドオピニオンを聞いて、
そんな楽観的な事はありえないと思い知らされてる今も
若干期待してるし恐らくその夢のような期待は0%になる事はないだろう。



もう一つ、最近新しくこのBLOGを書く理由ができたと思う。

それは、父の事を書きつつ整理しつつ自分の考えを修正しつつ自分が成長したいって事。

こういう状態にならなければ、このBLOGで書いているような事は一切考えなかったと思う。
別に親不孝者でもなんでもなく、いい年(29歳)した大人が、

親の事をテーマにBLOGを書くという事がありえないと思う。

とにかく、この現実は変わらんし悲しいし、でもどうしようもない。
受け止めなきゃいけないしこれをきっかけに自分もいろんな意味で成長しなきゃいけない。
そうする事で父も喜ぶと思う。

これだけだと正直、ノートや手帳に書くだけでも良いと思う。


でもやはり脳腫瘍(グリオーマ)に対するアンテナは立てときたい。


あと、自分が脳腫瘍じゃないし脳腫瘍も130種類とかあるらしいので私が答えられる事は限られる。

でも知ってる事は何でも答えますので、何か質問のある方は聞いてください。

不思議なもので父が元気な時は、一年に一度軽く挨拶くらいだった仲も父が倒れてからは
ほぼ毎日メールして一ヶ月に一度帰り食事を共にしていろいろ話ししたりしている。


私は宗教や神などは信じていない。
生まれ変わりやら天国やら地獄やら霊やらも存在しないし、
人が死んだらその時点で終わりで死後の世界などないと思っている。


世の中、すべて数学で成り立つと思っている。


そこまで割り切ってるなら、こうなった今、なぜ、父にいろいろしてあげたい、と思うのか?

ふと、わからなくなった。


いつかわからないけど、近い将来、父の命が終わる瞬間、その時に父が父の人生で良かったと思って亡くなってほしい。
そして父が最後にそう思えるかどうかのかなり多くのパーセンテージは私達家族にかかっていると思う。
いや、私を含む父の子供にかかっている気がする。

母は父がいなくとも存在しているが、父の子供である私達は、父がいなければ存在していない。


「新しい生命を作る」


ってのが、父がこの世で成し遂げた業績のもっともすごい事だと思う。あとは貧乏だし。
死ぬ瞬間、その生命が失敗作だと思ってほしくない。生んで育ててよかったと思ってほしい。

そうなると私達、父の子供は残り相当な責任があると思う。


…だから父に優しくしてあげたい、って事に繋がるのかな。