最後に皆さんから頂いたメッセージです。
父自身、BLOGを始めてから常に皆さんのコメントに励まされていました。 皆さんからの書き込みを楽しみにBLOGを更新していたのでコメントが少ない日は 「なんで誰も書き込んでくれへんねんやろう?」 と、凹んでいました。
しかし最後にこれだけ多くの方々にいろいろなメッセージを頂き、本人も安心かつ喜んでいると思います。
たくさんのメッセージ、本当にありがとうございました。
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■病を中心に生きたくない 厳しい病状に一日一日翻弄される方、先が見えず真綿で絞められるような息苦しさに苦悩される方、楽しい筈がありませんよね。 私もまだ病を苦しみとしか捉えられなて・・・。 自分はこう生きたいのに、病によってわき道へ引き込まれたり後退させられたり。こんなの自分の欲する人生じゃない!って思ってしまいます。
私の受けたイメージでは、ピースさんはそうじゃなかった、ですね。 ご自分の欲するままに行動されてましたよね? 自分の身体なのに思うようにならないくやしさもあったと思いますが、ライブで皆さんを楽しませ、人との関わりを最後まで大切になさってました。 私は現実に存じ上げませんが、またピースさんも私の「言葉」でしか判断し得ないのです。 私は、見得も無い、まやかしもない世界でピースさんと向き合うことができたのです。これは、力、となって私に返ってきましたよ。初めは、頑張って、との思いで書き込み始めましたが、私のほうが安らぎをいただきました。 ピースさん、いつかムーンリバーを一緒に歌いましょうね。今まで暖かい心で向き合ってくださってありがとうございました。 もうしばらくの間、がんばってみようと思います。 バニラ (2006-08-04 14:50:27)
■自分を貫いた ピース氏とは彼が転校生としてやってきた時からの付き合いだったから、50年近くになる。それを一言でまとめるなら、自分の人生を貫いたということ。絶えず前向きで積極的で。その姿勢は病に冒されてからも変わらなかった。ブログでも彼らしさが存分に発揮された。病を病と思わないほど。冗談でふきとばす勢いで。。。だから、皆まだ彼がブログに再登場するのでは、また、ライブを開くのではという錯覚から抜けきれない。 イカ釣り氏 (2006-08-04 23:01:33)
■バニラさん、一日一日やっていきましょね。 バニラさんのリクエストに応えようと、4月のライブに備え”Moon River"はよく練習してました。 残念ながら、4月26日に救急車で病院に運ばれ、もう歌なんか歌える状態じゃなくなりました。でも、5月31日にホスピスに転院し、3~4日は信じられないくらい意識がはっきりしてきたのです。二人で童謡を何曲かと”Moon River"を歌いました。歌を歌ったのは、それが最後になりました。 ”Moon River"は忘れられない曲になりました。 今、CDをかけました。バニラさん聞こえますか?Andy Williamsで我慢しましょう。 ピー子 (2006-08-04 23:22:32)
■安らかにお過ごしください 今頃は雲の上でギター片手に歌を歌っているんですか? 59歳の人生ご苦労さんでした。 日下君との若き日の懐かしい思い出を大切に これからの人生生きてゆこうと思います。 もう少し待ってください我々もそれぞれ楽器を 練習して雲の上でコンサートを開きましょう 仲間に練習するように言うておきます私が一番 覚えが悪いのでうまく演奏できないかもしれませんがその時は教えてください。 雲の上の新しい仲間も集めておいてください 楽しみにしています。 短いようで長い間ご苦労さまでした。 息子さんも娘さんも奥さんもしっかりしておられ るので安心ですね。 しばらくの間雲の上で安らかにお過ごしください マサユキ シュウクリーム (2006-08-05 10:10:43)
■天まで届け 最後の最後までコメント出来ませんでした。実感のないまま、コメントをしているこの時が夢と現実の狭間に居るようです。僕はピース氏から色んな事を学ばせて頂きました。少々照れ屋で奥ゆかしくて、それでも暖かいピース氏の背中を追っていきたいと切に思っています。音楽の好きな氏に届くように大きな声でライブハウスからメッセージを送りますので聞いて下さい。そしてあの暖かいメッセージをいつか僕に返して下さい。夢の間に間に・・・。 kataoka shozo (2006-08-06 23:52:55)
■つたない英語ですが・・ 昨年、同じ病気で亡くなった方の奥様宛に、「千の風になって」という詩を送られた方がいらっしゃいました。それを読んでとても心うたれました。 ぜひ、ピースさんのご家族の方に送りたい詩だと思い、調べたら作者不明で元は英語の詩だったそうです。ピースさんは英会話の先生であり奥様もご一緒にアメリカに行かれたとの事。なので英語で送らせていただきます。(スペルが間違えていたらすみません) A THOUSAND WINDS -author unknown- Do not stand at my grave and weep. I am not there, I do not sleep. I am a thousand winds that blow. I am the diamond glints on snow. I am the sunlight on ripened grain. I am the gentle autumun's rain.
When you awaken in the morning's hush. I am the swift uplifting rush of quiet birds in circled flight. I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry. I am not there, I did not die.
この病気で戦いながらも皆さんに歌と勇気を与え続けたピースさんは本当にすごいと思います。同じ病気の母をもつ娘として、今まで戦ってきた勇気とこれからの戦いの勇気を頂きました。 私の母ももうすぐそちらに伺うかもしれません。どうか暖かく迎えてやってください。 miya (2006-08-07 01:13:55)
■皆さん書き込みありがとう シュークリームさん> 私もピースは雲の上で歌を歌っているように思います。 Kataokaさん> ライブを盛り上げていただいて感謝します。最後のライブ(3・26)で、Kataokaさんのお友達の写真家に撮って貰った写真は最高のプレゼントになりました。ありがとうございました。 Miyaさん> 私も『千の風になって』の詩は、新聞で読んでから心から離れないんです。 ピースはこの詩は知らなかったと思います。でも、「いつもそばにおるから、寂しがらないで!」って言ってました。風になったんでょうか? 出来るだけ長く、お母さんのそばに居てあげて下さいね。 ピー子 (2006-08-07 02:00:36)
■先生へ 今まで本当にありがとうございました! 先生の所に行きだして四年目かな?めんどくさがり屋で何週間も行かなかったりしたけどいつも笑顔で迎えてくれたね!勉強の事、私生活の事、仕事の事、夢の話し、先生にはたくさん話したね。そしていつも楽しそうに聞いてくれたね。いつもあたしを誉めてくれた。いつもあたしを楽しませてくれた。本当にありがとう!一緒にご飯も行ったね!自分はタバコも吸わないしお酒も飲めないのにあたしにはいつもすすめてくれたね。 あたし病気良くなってるってばかり思ってたの。だから大阪来たけど落ち着いたらまた習いに行こうと思ってた!ごめんね。ホントにごめんね。もっと早く会いにに行かなかった事悔やんでもくやみきれない。 今どこにいるの? ちゃんと家族や友達そんであたしの事もみててね。 先生に会えて心から良かったって思うよ。これからもずっと今までとは少し遠いけど見ててね。ホントにありがとう☆ NAOKO (2006-08-07 12:20:11)
■ピースさん、ピー子さん ずっと拝見していましたが、初めてコメントさせていただきます。 ピースさんが倒れてからのこの一年は、P介さんから今まで以上にいろんな濃い話を聞いたり、 こちらのブログを読んだり、命についてとても多くのことを学ばせていただきました。 とても感謝しています。 みなさんのコメントやお話を聞いてると、ピースさんの人柄がとても楽しく大きな方だというのが易く想像できます。 GWにお見舞いに伺ったときの、ピースさんの力強い握手は忘れません。 ピー子さん、その節は大変お世話になりました。 仲の良いご夫婦で、見ていてすごく心が和みました。 また大阪へいくときは、ご挨拶させてください。 心よりご冥福申し上げます。 ひい(P介さんの彼女) (2006-08-07 17:19:14)
■ありがとうございます。 ピースさんとは最後になってしまったライブの日、一度きりの出会いでしたが、内容は濃かったです。あの頃写真へのモチベーションが下がりかけていたのですが、ピースさんのブログを拝見して、久々に心から撮りたい被写体が見つかったと、勇んで大阪まで訪ねた甲斐がありました。ライブでピースさんの生命の力を間近で見せつけられ、圧倒されながらひたすらシャッターを押し続け、かと思えば、お客さんとのやりとり中心のライブの和やかな雰囲気にのせられ、シャッターを押すのも忘れ、一緒に歌を口ずさんだり...。本当に内容の濃い、素晴らしい時間でした。あの日、ピースさんとそのご家族、ピースさんの歌を聴きに来られていた方々に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。 タネ (2006-08-09 23:33:12)
■夢 日下、君の告別式から早や二週間。 振り返ると、日下の人生カッコよかったで本当に。少し短かったけど。 君は語学力やギター演奏などたくさんの才能を持っていたけど、それ以上に、人の追随を許さない強い意志力と、驚異的な集中力を持っていた。 中学時代、勉強とは無縁だった君がほんの短期間に社会に国語や英語など文科系の学科をマスターし希望校に進学したっけ。 肥満体質で美食家だった君が夕方6時以降の食事を一切断ち、必死に体重コントロールしていたっけ。 お金も持たず、何のコネもなく、無謀にも会社を辞めて奥さんと二人アメリカに渡り、語りつくせない苦労の末大学を卒業したんだものね。 確かに君は人生を精一杯生きた。本当に格好良かったで。 お互い歳を取ると昔の事がことさら懐かしくなる。 君の和製アストンマーチンで毎週末のように行った若狭へのキャンプ。 いっぱしの雀士をきどり、某スポーツ新聞主催のマージャン大会に乗り込んだものの、こんな筈ではと肩を落としトボトボ帰った日のことを懐かしく思い出す。 同じ時代を共に歩き、同じ時間を共有した友がいなくなるのは寂しい。 今度、君の”夢”が叶うんだって? 出来ればブログを形にして残したいと言っていたけど、大ちゃんが意志を継ぐと聞いた。 胸の熱くなるメッセージが一杯あったものね。 僕は日下のもう一つの夢も何時か必ず実現すると思っている。 何年先か何十年先か、いやもしかすると世代を超えてしまうかもしれないが、 いつかきっと、老人ホームや介護施設への歌の全国行脚の夢は叶うのだろうと。 君の家族に”音楽の血”は脈々と受け継がれている筈だから。 最後に日下、君がいなくても友達一同君の家族と今まで通りつき合わせてもらうよ。 それじゃあ。 東北の奇人 (2006-08-11 04:42:31)
■ありがとう いつも、煙草吸い過ぎたらあかんで、お酒飲みあ過ぎたらあかんでと、あたしの体のことまで気にしてくれる、健康管理の行き届いた人に、神様は不公平にも難病をおしつけて!!! いつも褒めてくれましたねえ。自信を失いかけている時、頑張ってると言ってくれ、病に倒れたらピースさんの家族との絆をあたえてくれ、意識があやふやになっても、お見舞いに行けば手をぎゅっと握ってくれましたね。 ありがとう。 最後に行けなかったドライブ、形見になったステップワゴンで、今度ピー子さんと行こうと思います その時は御一緒して下さいね。 まあ (2006-08-11 10:00:03)
■ピースさんに心から感謝します ピースさん、それからピースさんのご家族に勇気と、人として生まれたことのすばらしさを教えていただきました。ブログを拝見するたびいつも温かい気持ちになりました。おだやかなお顔のお写真はお会いしたこともないのに懐かしいような感じがしていました。ピースさんのお人柄、その魅力がたくさんの人々の心を結び、勇気づけてきたことを絶対忘れません。人と人が同じ空間で心一つにして歌をうたうということはなんという幸福なことでしょうか。平和とはそういうことですね。これからも私達の心の中で歌い続けてくださいね。 けいこ (2006-08-13 01:05:09)
■無題 先生、YOSHIです。 先生の事は毎日思い出します。 授業は僕の事務所で有線で音楽をBGMにしてましたね。 僕は小学校からビートルズが好きで、当然歌詞の意味も知らずですが。 たまたまビートルズが流れると、その歌詞を英語で書いて説明してくれました。 イエスタデーやレットイットビー等は20年して歌詞の意味を理解しました。 僕や先生の好きな曲が流れると、しばしば中断して歌詞の意味を教えてくれましたね。 おかげで沢山の思い出の曲が出来ました。 これからもテレビ・ラジオ等で聞く度に先生の事を思い出すことでしょう。
そして今の時期、中東情勢、原爆、終戦のニュースには必ず「平和」という先生の名前が出ます。 そんな訳で毎日先生の事が思い出されます。
先生、待ってて下さい。 僕が逝ったらライブのお手伝いをさせて下さいね。 tito (2006-08-13 11:41:52)
■お世話になりました。 お亡くなりになってから初めてブログを拝見しました。もっと早く見てれば良かった・・。 ボランティアで音楽活動をなさってたこともお聞きしていましたけど、本当に大勢のひとの心にいつまでも生きていらっしゃる素敵な人生を送られたのですね。 こんなに早く逝ってしまわれるなんて夢にも思わず、私も子供達もお世話になりながら、何のお役にも立てなかったのが残念です。 心からご冥福をお祈りいたします。 マミィ (2006-08-13 22:52:41)
■ピー子さま 色んな煩雑過ぎる手続き等でおつかれでしょう? 早やお盆を迎えて、ご家族様の慌ただしさがほんの少し哀しみを脇に押しやってくれるといいのですけど・・・まだまだ見るもの全てにその人の存在を感じさせられてしまうのはよくわかります。 ホスピスへの道、それは生きているピースさんへと繋がっていた道ですものね。辿り着いてもその人はいないという現実。ほんとに涙がこぼれてしまいますね。
精霊様とんぼの背に乗り、皆さんに会いに帰って来られたのでしょうか? きっと苦しみや痛みの無い世界のピースさんは、いつもニコニコと皆さんのお話に加わってらしたことでしょう。 時にはピー子さんの肩を抱き、お子さんたちの頭をそっと撫で、自称悪友の皆さんと酒を酌み交わされたのでしょうね。
ピー子様もどうぞお気をつけて・・・。 私にまでお気遣いありがとうございます。 (ムーンリバー、ほんと私にも思い出の曲になってしまいました。) バニラ (2006-08-15 20:54:11)
■ありがとう 僕は人とのコミュ二ケーションをとるのが苦手で、この文章も下手なものになると思いますが、日下先生にはとてもお世話になったので、できるかぎり文を書こうと思います。 日下先生には英語を、先生が入院される前まで教えてもらっていました。僕が英語を教えてもらおうと思うようになったきっかけは、自分がビートルズが大好きだからでした。習い始めて、そのことを先生に言うと授業にビートルズを取り入れてくださいました。詞を日本語に訳したり、パソコンのカラオケを一緒に歌ったり、とても楽しい授業でした。先生は「I Should Have Known Better」や「In My Life」などが好きでした。他にはジョン・レノンの「Imagine」が詞がすごいと感心しておられました。僕は「I Feel Fine」が好きでした。先生には「めずらしいなあ」と言われましたが、それらの歌を二人で一緒に歌いました。 先生は戦艦大和も好きでした。先生は生前、「大和美術館に一度は行きたい」と言っていました。残念ながら、それはかないませんでしたが、僕も結構好きで、授業に、戦艦などが載っている本を持って行って、艦の大きさや、砲の数など先生に問題を出したりしました。 いろいろ、誘われたりもしました。「長居公園でギターひきながら、一緒に歌わない?」とか「ライブ一緒に見に行かない?」とか誘われました。僕は人前に出るのがすごく苦手なので、そういってことわっていました。お宅に招待された時はあまりことわるのもわるいので、おじゃましました。軽い食事をいただいたり、お話したりしました。 先生との付き合いは一年半ほどでしたが、いろんな事をおしえていただき、いろんな体験をさせていただきました。 下手な文章の羅列になりましたが、僕のおもいを書きました。 天国でも、先生らしく、先生の好きな色んなことに挑戦してください。 最後に。 ありがとう。 三ッ林 侑亮 (2006-08-16 23:49:40)