幸せの定義
最近考える「幸福観」について。
「幸せになりたい!」と思うことが、誰しもしばしばあると思う。もちろん私も。
でも「幸せ」って一体何なんだろう?ということが問題になってくる。
欲しいモノがすぐに手に入ること?
お金が有り余る程あること?
家族がいて、連絡を取ろうと思えばいつでも取れること?
と、、挙げればいくつでもありそうなのでこの辺にしておこう。
もちろん何が「幸せ」なのかは人それぞれだと思う。
お金がたくさん欲しい人もいれば、健康でありさえすれば良い人もいるだろう。
しかし最近、「「幸せ」という考え方自体がそもそもおかしいのではないだろうか?」と思うようになった。
「勝ち」があるから「負け」があるように、「幸せ」があるから「不幸せ」ができてしまう。
でも、世の中はそんなに簡単ではない。
それは自分一人で生きているわけではなく、自分の中で「自分は幸せだ」と思っていても、幸せかどうかを勝手に他人と比較してしまうからだ。
そうこう難しくいろいろと考えていると、いくつかそれを打ち消す考え方が出てきた。
「人は生まれながらにして平等(個体・与えられた時間)である。」ということと、「幸せと不幸せのバランスは皆同じである。」ということ。
福沢諭吉が唱える「人は生まれながらにして平等」という考え方は、真っ正面からそうかと考えると、YESとは言いがたい。不細工に生まれたり、病気を持って生まれたり、「違い」があるからだ。そして違いに対して、人は優劣をつけたがる。いや、自然につけてしまう。しかし、「違い」は「個性」であって、その人にしか感じられないことがそれぞれにある。みんな、声をそろえて「可愛そう!」と貧困の地域の人々のことを言うけれど、案外彼らは私たちよりも幸せを感じて暮らしていると思う。
そして私が思っている、「幸せと不幸せのバランスは皆同じである」ということ。どんな人であろうと、生きている中で嬉しいことも悲しいこともある。
「あなたのほうが私よりもイケてるし、悲しいことなんて少ないでしょ?」と思う人もいると思うけれど、それは違うと思っている。それは、その人が「幸せ」なことをそう感じ取れていないからだと思う。もし、「幸せ」という定義があるとすれば、偶然この世に生まれてきたこと事態が幸せなことで、努力をすればそれなりに満足が得られるはずである。
そしてプロダクトデザイナーは人に幸せを与えられる職業だと思っている。
「人に幸せを与える」ことは、「微かな幸せ」を汲み取ってそれをデザインすることである。
私は日々の中から「微かな幸せ」が見つけられているだろうか。
「幸せになりたい!」と思うことが、誰しもしばしばあると思う。もちろん私も。
でも「幸せ」って一体何なんだろう?ということが問題になってくる。
欲しいモノがすぐに手に入ること?
お金が有り余る程あること?
家族がいて、連絡を取ろうと思えばいつでも取れること?
と、、挙げればいくつでもありそうなのでこの辺にしておこう。
もちろん何が「幸せ」なのかは人それぞれだと思う。
お金がたくさん欲しい人もいれば、健康でありさえすれば良い人もいるだろう。
しかし最近、「「幸せ」という考え方自体がそもそもおかしいのではないだろうか?」と思うようになった。
「勝ち」があるから「負け」があるように、「幸せ」があるから「不幸せ」ができてしまう。
でも、世の中はそんなに簡単ではない。
それは自分一人で生きているわけではなく、自分の中で「自分は幸せだ」と思っていても、幸せかどうかを勝手に他人と比較してしまうからだ。
そうこう難しくいろいろと考えていると、いくつかそれを打ち消す考え方が出てきた。
「人は生まれながらにして平等(個体・与えられた時間)である。」ということと、「幸せと不幸せのバランスは皆同じである。」ということ。
福沢諭吉が唱える「人は生まれながらにして平等」という考え方は、真っ正面からそうかと考えると、YESとは言いがたい。不細工に生まれたり、病気を持って生まれたり、「違い」があるからだ。そして違いに対して、人は優劣をつけたがる。いや、自然につけてしまう。しかし、「違い」は「個性」であって、その人にしか感じられないことがそれぞれにある。みんな、声をそろえて「可愛そう!」と貧困の地域の人々のことを言うけれど、案外彼らは私たちよりも幸せを感じて暮らしていると思う。
そして私が思っている、「幸せと不幸せのバランスは皆同じである」ということ。どんな人であろうと、生きている中で嬉しいことも悲しいこともある。
「あなたのほうが私よりもイケてるし、悲しいことなんて少ないでしょ?」と思う人もいると思うけれど、それは違うと思っている。それは、その人が「幸せ」なことをそう感じ取れていないからだと思う。もし、「幸せ」という定義があるとすれば、偶然この世に生まれてきたこと事態が幸せなことで、努力をすればそれなりに満足が得られるはずである。
そしてプロダクトデザイナーは人に幸せを与えられる職業だと思っている。
「人に幸せを与える」ことは、「微かな幸せ」を汲み取ってそれをデザインすることである。
私は日々の中から「微かな幸せ」が見つけられているだろうか。
大よりも小よりも、中がいい
今日は大学のTA(ティーチング・アシスタント)をしていて、仕事が終わった後、担当の先生とお茶を飲む機会があり、そこで面白いことを話した。
「大は小を兼ねる」という四字熟語がある。
「大きな物は、それ自体の用途の他に、小さな物の代わりに使うことができる。」といった意味のものだが、実際問題そうとは限らない。
私たちがモノを買う時に、自分にとって大切なモノであればあるほど、いろいろな種類の中でどれが一番良いのかと悩むことはきっと皆同じだと思う。
そこで、ピンポイントで選択できれば良いのだが、なかなかそう簡単には分からない。
そして「大は小を兼ねる」ということで少し背伸びをして、「大」のモノを買ってしまう。
もちろんそのモノは「小」を兼ねるが、それと同時に「大」を兼ねるということであり、自分の想定外のスペックであるために、逆に扱いにくい場合がある。
その経験を経て、自分にとっては「このくらい(中)」がちょうど良いと判断ができるようになる。
それは「自分」や「モノ」の力量を把握することや、自分がやりたいことを理解するということだと思いました。
「実際にやってみる」ということがとても大切。
何事も、見るだけや聞くだけではなく、体験することが大事であるとつくづく思った。
「こうすれば良い」という答えは、特に見つかった訳ではないけれど、迷ったあげく「大」のモノを買ってしまってお互い泣きを見た経験を話すことが単純に面白かった。
また仕事の後のお茶がとても美味しく感じました。
「大は小を兼ねる」という四字熟語がある。
「大きな物は、それ自体の用途の他に、小さな物の代わりに使うことができる。」といった意味のものだが、実際問題そうとは限らない。
私たちがモノを買う時に、自分にとって大切なモノであればあるほど、いろいろな種類の中でどれが一番良いのかと悩むことはきっと皆同じだと思う。
そこで、ピンポイントで選択できれば良いのだが、なかなかそう簡単には分からない。
そして「大は小を兼ねる」ということで少し背伸びをして、「大」のモノを買ってしまう。
もちろんそのモノは「小」を兼ねるが、それと同時に「大」を兼ねるということであり、自分の想定外のスペックであるために、逆に扱いにくい場合がある。
その経験を経て、自分にとっては「このくらい(中)」がちょうど良いと判断ができるようになる。
それは「自分」や「モノ」の力量を把握することや、自分がやりたいことを理解するということだと思いました。
「実際にやってみる」ということがとても大切。
何事も、見るだけや聞くだけではなく、体験することが大事であるとつくづく思った。
「こうすれば良い」という答えは、特に見つかった訳ではないけれど、迷ったあげく「大」のモノを買ってしまってお互い泣きを見た経験を話すことが単純に面白かった。
また仕事の後のお茶がとても美味しく感じました。
バランス
最近、作業のバランスが悪いせいか体がダルくなってしまいました。
特に頭ばかり使って長時間考えていると、集中力がキレてしまうとボーッとしてしまう。
そして体がダルくなって、作業がはかどらない。パターンに。
頭で考える作業と、体を動かして考える作業のバランスによって疲れ方が変わってくるはず。
どちらか片方を集中してやってしまうと、どうやら良くないらしい。
特に頭の疲労がピークに達してしまうと、肉体は元気なため、睡眠が浅くなってしまうようだ。
今週はパソコンでリサーチをしたり、アイデア出しばかりをやっていたので、頭を使いすぎてしまったみたい。もともと無い頭を使ってるので、余計に(笑)
バランスは、いろいろなことに共通して大切なことだとしみじみ思った。
明日からは適度な休憩と、体を使った作業を間に挟んでいこうと思う。
特に頭ばかり使って長時間考えていると、集中力がキレてしまうとボーッとしてしまう。
そして体がダルくなって、作業がはかどらない。パターンに。
頭で考える作業と、体を動かして考える作業のバランスによって疲れ方が変わってくるはず。
どちらか片方を集中してやってしまうと、どうやら良くないらしい。
特に頭の疲労がピークに達してしまうと、肉体は元気なため、睡眠が浅くなってしまうようだ。
今週はパソコンでリサーチをしたり、アイデア出しばかりをやっていたので、頭を使いすぎてしまったみたい。もともと無い頭を使ってるので、余計に(笑)
バランスは、いろいろなことに共通して大切なことだとしみじみ思った。
明日からは適度な休憩と、体を使った作業を間に挟んでいこうと思う。