対岸の火事…(対岸の火事は、自分に影響がない意から)自分に関係がなく、なんの苦痛もないこと。
…被災しました 東北関東太平洋大地震。色々な名前で言われてるみたいですが、とりあえずこう呼びます。秋田県の、しかも日本海沿岸なので被災したといっても岩手県、宮城県、福島県、茨城県等々の甚大な被害に比べたら全然たいした事はありません。震源の移動(という表現が正しいのか)で一度大きな揺れがありましたが、これも何度も揺れている新潟県、長野県等々に比べると被害に直接結びつくような規模ではありませんでした。
約30時間の停電があり、その間寒い思いはしましたがガスと水道が生きていたため、食事をとる事ができたのは幸いでした。ですがあっと思って行動した時にはすでに遅く、ガソリンスタンドが長蛇の列。灯油がなかったので厚着をしてどうにか凌いだという感じでした。地震直後から家族の無事確認、食料や非常用持ち出し品の準備、全員揃ってからは寒さ対策と慌ただしく過ごし、時間が経つのが遅いようで早い不思議な3日間だったように思います。3日前の、ごく当たり前の何事もない金曜日が、遠い過去のような気がしています。
もちろん先のように岩手、宮城、福島等で被災され今まさに食料不足、物資薬品等の不足、寒さ、暗さ、そして不安や絶望の只中におられる方々には、一刻も早い支援が得られるよう祈っております。
祈る事くらいしかできませんが、せめて何もしないよりは祈ります。すでに精一杯頑張っておられるでしょうが、もう一息。あと少しの辛抱です。
さて、そんなこんなで八発目 対岸の火事。
事件、事故、天災というのは、誰しも多かれ少なかれ「まさか自分にふりかかるとは思わない」と思って日常過ごしているものだと思います。備えあれば憂いなしとは言いますが、そうそう常に備え続けてはいられません。またその備えも、常に万全とは限りません。それが普通の感覚ではないかと思います。
今回の地震は、まさに100年に1度の出来事ではないかという規模でした。三陸海岸側地域はかつての三陸沖地震を教訓とし、防波堤等の様々な設備が整えられ、幼い子供に至るまで一人一人の防災意識も高かったと聞きます。それが実は不十分だったとかいう事ではなく、実際に他の大半の地域より十分だったと思います。
ですが、そういった様々な想定をはるかに上回るような規模で襲い来る天災には、十分とはいかなかった。十分に整っていてあれだけの被害が出たのです、備えがない地域だったらさらに甚大な、想像すら難しい規模の被害になっていたでしょう。津波が防波堤を越え、ついさっきまで普通に過ごしていた町並みを蹂躙する数々の映像は、見るたび寒気がします。あれを上回る被害となると、私には想像できません。
今さらですが、日本は常に地震が起こりうる国です。阪神淡路もそうでしたが、いつ、どれだけの規模のものが自分の足下に来るか、誰にも確実な予想予測は不可能なようです。
今は対岸の火事でも、いつ同じ事が自分の身にふりかかるか 絶対というものは絶対ないのですから、明日は我が身です。対岸から火事を見る時は「わーきれい」とか「わーすごい」とか思うかも知れません。「関係ないし」とか「わーこわい」とか、思う事は人それぞれかと。ですが、火事の真っ只中に自分が放り込まれたら…
何も特別な事ではありません。必要以上に大袈裟な備えを常に頑張って続けろというのは無理で、逆に無意味な事かも知れませんし。ただ、これまでより一つか二つ、やってなかった事をやり気にしてなかった事をすればいいだけです。
○○の連絡先は携帯に入ってるから大丈夫ではなく、非常時に携帯が機能しない事を考えて暗記する、メモして携帯する。地域の緊急避難先を把握し、家からの道筋くらいは覚えておく。災害時緊急伝言ダイヤルの使い方等を覚えておく。備蓄している食料等の賞味期限等を確認し入れ換えておく、等々どれか一つだけでもしておけば昨日までとは違います。
被災され、今なお避難先で過ごされている方々。家族や親戚、友人知人と連絡がつかず安否不明の方々や、そういった方が被害に合われてしまった方々。そして被災地にそういった家族や親戚等がおられる、他地域にお住まいの方々。
多少なりとも被災した身としては、頑張って下さい、希望を捨てないで下さい、絶望してしまわないで下さいとしか言えません。
私が幼稚園の頃、日本海中部地震がありました。あの時もかなりの被害でしたが、約30年後、町は元通りになりました。阪神淡路大震災も、新潟県中越地震も。日本人はきっと自分が思う以上にタフです。
停電時、あと少しで充電がなくなる携帯で地震情報を見、蝋燭の明りの中家族と会話をしていて、パッと照明が灯り、家電が生き反りピーピー鳴った瞬間の気持ちは、おそらく一生忘れません。
八発目 対岸の火事 でしたm(__)m
…被災しました 東北関東太平洋大地震。色々な名前で言われてるみたいですが、とりあえずこう呼びます。秋田県の、しかも日本海沿岸なので被災したといっても岩手県、宮城県、福島県、茨城県等々の甚大な被害に比べたら全然たいした事はありません。震源の移動(という表現が正しいのか)で一度大きな揺れがありましたが、これも何度も揺れている新潟県、長野県等々に比べると被害に直接結びつくような規模ではありませんでした。
約30時間の停電があり、その間寒い思いはしましたがガスと水道が生きていたため、食事をとる事ができたのは幸いでした。ですがあっと思って行動した時にはすでに遅く、ガソリンスタンドが長蛇の列。灯油がなかったので厚着をしてどうにか凌いだという感じでした。地震直後から家族の無事確認、食料や非常用持ち出し品の準備、全員揃ってからは寒さ対策と慌ただしく過ごし、時間が経つのが遅いようで早い不思議な3日間だったように思います。3日前の、ごく当たり前の何事もない金曜日が、遠い過去のような気がしています。
もちろん先のように岩手、宮城、福島等で被災され今まさに食料不足、物資薬品等の不足、寒さ、暗さ、そして不安や絶望の只中におられる方々には、一刻も早い支援が得られるよう祈っております。
祈る事くらいしかできませんが、せめて何もしないよりは祈ります。すでに精一杯頑張っておられるでしょうが、もう一息。あと少しの辛抱です。
さて、そんなこんなで八発目 対岸の火事。
事件、事故、天災というのは、誰しも多かれ少なかれ「まさか自分にふりかかるとは思わない」と思って日常過ごしているものだと思います。備えあれば憂いなしとは言いますが、そうそう常に備え続けてはいられません。またその備えも、常に万全とは限りません。それが普通の感覚ではないかと思います。
今回の地震は、まさに100年に1度の出来事ではないかという規模でした。三陸海岸側地域はかつての三陸沖地震を教訓とし、防波堤等の様々な設備が整えられ、幼い子供に至るまで一人一人の防災意識も高かったと聞きます。それが実は不十分だったとかいう事ではなく、実際に他の大半の地域より十分だったと思います。
ですが、そういった様々な想定をはるかに上回るような規模で襲い来る天災には、十分とはいかなかった。十分に整っていてあれだけの被害が出たのです、備えがない地域だったらさらに甚大な、想像すら難しい規模の被害になっていたでしょう。津波が防波堤を越え、ついさっきまで普通に過ごしていた町並みを蹂躙する数々の映像は、見るたび寒気がします。あれを上回る被害となると、私には想像できません。
今さらですが、日本は常に地震が起こりうる国です。阪神淡路もそうでしたが、いつ、どれだけの規模のものが自分の足下に来るか、誰にも確実な予想予測は不可能なようです。
今は対岸の火事でも、いつ同じ事が自分の身にふりかかるか 絶対というものは絶対ないのですから、明日は我が身です。対岸から火事を見る時は「わーきれい」とか「わーすごい」とか思うかも知れません。「関係ないし」とか「わーこわい」とか、思う事は人それぞれかと。ですが、火事の真っ只中に自分が放り込まれたら…
何も特別な事ではありません。必要以上に大袈裟な備えを常に頑張って続けろというのは無理で、逆に無意味な事かも知れませんし。ただ、これまでより一つか二つ、やってなかった事をやり気にしてなかった事をすればいいだけです。
○○の連絡先は携帯に入ってるから大丈夫ではなく、非常時に携帯が機能しない事を考えて暗記する、メモして携帯する。地域の緊急避難先を把握し、家からの道筋くらいは覚えておく。災害時緊急伝言ダイヤルの使い方等を覚えておく。備蓄している食料等の賞味期限等を確認し入れ換えておく、等々どれか一つだけでもしておけば昨日までとは違います。
被災され、今なお避難先で過ごされている方々。家族や親戚、友人知人と連絡がつかず安否不明の方々や、そういった方が被害に合われてしまった方々。そして被災地にそういった家族や親戚等がおられる、他地域にお住まいの方々。
多少なりとも被災した身としては、頑張って下さい、希望を捨てないで下さい、絶望してしまわないで下さいとしか言えません。
私が幼稚園の頃、日本海中部地震がありました。あの時もかなりの被害でしたが、約30年後、町は元通りになりました。阪神淡路大震災も、新潟県中越地震も。日本人はきっと自分が思う以上にタフです。
停電時、あと少しで充電がなくなる携帯で地震情報を見、蝋燭の明りの中家族と会話をしていて、パッと照明が灯り、家電が生き反りピーピー鳴った瞬間の気持ちは、おそらく一生忘れません。
八発目 対岸の火事 でしたm(__)m