自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所) -37ページ目

自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所)

結果にコミット! みずから活性化し進化する組織を実現します。

■昨年10月から12月まで、

『SUITS』というタイトルで、

織田裕二と鈴木保奈美が共演したリーガル・ドラマが放映されていましたね。

 

『東京ラブストーリー』以来、27年ぶりの共演ということが、ずいぶん話題となりました。

 

そして、

『SUITS』が放映開始されるまでの数週間、

『東京ラブストーリー』が

連日、再放送されていました。

 

良くも悪くも、

「織田裕二と鈴木保奈美の共演」

が巷で話題となり、

 

「携帯電話がなかった世代と、いまの若い世代の違い」

「恋愛観の違い」

「仕事観の違い」

「バブル期と今のファッションの違い」

など、さまざまなことが話題となりました。

 

世間で話題となれば、

インターネット上でも話題となり、

検索もされます。

 

みなさんもご存知の通り、

これら話題づくりのすべてが、

『SUITS』への関心を高め視聴率を上げるための

宣伝活動にほかなりません。

 

特に今の時代は、

検索されれば、

拡散され、TVでも取り上げられ、

それを見た人によってまた検索され、

拡散され………、と大きなウェーブを生み出すことへとつながります。

 

人は、

普段、見聞きしていることについては関心のアンテナを高くするので、

情報を発信する側は、

その関心が高い時を逃さずに情報を発信すると、

相手のアンテナにかかりやすく、情報が届くというわけです。

 

これはすなわち、逆に、

普段、話題にもなっていないことには、

相手がアンテナを高くしていることはないので、

情報を発信しても、

唐突に感じさせてしまうだけで、

良い形で情報を受け止めてもらえない、ということを意味しています。

 

■ここからが本題です。

 

もし人や組織を動かそうとすれば、

あらかじめ関心を喚起しておき、

前後の経緯からごく自然に受け止めてもらえるような文脈を設計し、

唐突にならないようにして進めた方が良い、

ということが言えるでしょう。

 

TV番組にならって考えるとわかりやすいのは、

職員対象の研修でしょう。

 

医療機関の場合、たしかに多くの研修がありますが、

それだけに、

できる限り、研修が消化試合として流されることがないように、

有意義なものにしたいところでしょう。

 

▶︎とするならば、

『SUITS』の前の『東京ラブストーリー』のように、

メインとなる研修の前に、

以前にも実施した研修のダイジェスト動画を、院内ネット上にアップしておいて、誰でも観られるようにしておくことも考えられます。

 

そのことについて、

院内SNSで、意見交換できるようにしておくことも考えられます。

 

▶︎動画配信が難しければ、

その際のレジュメを元に、任意参加の勉強会を開くことも考えられます。

 

それも、1回ではなく、

3ヶ月間かけて、何回かの連続企画にすれば、

話題になる可能性がある期間も長くなります。

 

▶︎試写会で、主演俳優が舞台挨拶をする様子が

宣言で使われるように、

研修前に、自由参加の座談会を開き、

講師が職員の方々を話している様子を記録にして、

紙媒体なり動画なりで、発信する、といったことをすれば、

「どんな人?」

「どんな話?」

と、部内の関心を高めることが可能となるでしょう。

 

また、そのような準備段階を経て、

満を持して当日を迎えれば、

研修参加者は大きな興味関心を持って参加するので、

「学ぼう」

「活かそう」

という意識も高く、

研修後の実践にも大いにつながります。

 

その他にも、

さまざまに事前施策を講じることは可能です。

 

▶︎研修そのものの広告ではなく、

「いまこんなことが大問題だ」

というシンポジウムなどを行なうことも有効です。

 

「研修があるから、受けてみよう」

と思わせるのではなく、

「こんな問題があるのだから、こんな研修があったら出たい」

と思わせる企画をする、ということです。

 

「問題顕在化施策」

とでも言うことができるでしょう。

 

▶︎また、そうした問題について、

「どう思うか?」

「どんなことで困っているか?」

について、事前にアンケートを実施して、

参加対象となる方々から質問を挙げてもらっておくことも可能です。

 

研修では、登壇した講師が、

「そのアンケートに書いた質問に答えてくれる」

となれば、アンケートで質問した職員は、

「ぜひ講師からの回答を聞いてみたい」

と感じることでしょう。

 

このような事前の施策もアナウンスもなしに、

「◯月◯日、◯◯講師による◯◯◯セミナーあり。

ぜひご参加ください」

と訴えても、

関心の高い人に参加してもらうことも、

学んだことを活かしてもらうことも、難しいものです。

 

■このように、研修に限らず、

何を行なうにしても、

相手が関心を向けてくれるタイミングを逃さないことが

極めて重要です。

 

タイミングを充分に活かすという意味では、

事前施策のみならず、

事後施策を講じることも重要です。

 

というのも、

研修が終わった後に、

「いつ、誰が、何を、するのか?」

を明確に設計しておかなければ、

学んだ内容はあっという間に現場から風化してしまうからです。

 

ということは、

研修の中で、

「いつ、誰が、何を、するのか?」

を明示して、

「明日から始まりだ」
「行動するのはあなたたちだ」
と伝えて、研修を終えるのが、最もタイミングを活かした「釘の刺し方」となるでしょう。
 
これがもし、研修から二週間も経ってから
「しばらく前の研修で学んだことについてなんだけど」
と言われても、
多忙の中で働く職員の方々からすれば、
「え?なんでしたっけ?」
という印象にしかならないからです。
 
■また、問題が起こった時に、
「みんなの様子を見てから」
「落ち着いてから」
と、時機を逸してしまえば、
あとから
「以前、問題が起こったので、みんなに伝えたいことがある」
と言い出すことになるので、
現場からは、
「いまさらですか?」
という声が上がりかねません。
 
というのも、聞く側は、
問題発生から何日もの間そのままでやってきたのですから、
「それほど騒ぐ程の大事故でもない」
と感じ取ってしまうからです。
 
「いまこの建物が火事で焼けている!」
と言うくらいに、
すぐに対処すべき緊急事態(まさに火急)だということを示さなければ、
もし組織の存続に関わる大問題だとしても、
そうは伝わりません。
 
■同じ内容を伝えるにしても、
タイミングによって相手の心理状態が異なり、
相手の心理状態によっては、
その効果が100倍にも、100分の1にもなるのです。
 
「もっとも聞くべき時に聞く」
「もっとも伝えるべき時に伝える」
 
そして、深く理解して欲しいことは、
深く理解してもらえるように文脈を構成して、
周到な準備によって機が熟してから本題を伝える。
 
そんなことを踏まえて、
コミュニケーションを設計されることをお勧めします。
 

■身体の管理をする場合、

普段からバイタル・チェックをしておけば、

時々不調があっても、

「ま、これは通常の変化の範囲」

とわかるので、いちいち慌てる必要はありません。

 

また、時々、体力測定で良い数値が出ても、

それが珍しいことなのかどうか、把握することができます。

 

■身体と心理はパラレルな傾向があり、

心理状態の管理をする場合も、

本当は、

普段から心のバイタル・チェックをしておけば、

時々不調があっても、

「これは通常の変化の範囲」

とわかるので、慌てる必要もなくなります。

 

また、時々、メンタル的に快適なことがあっても、

それが珍しいことなのかどうか、把握することができ、

情緒をコントロールする参考にすることができるでしょう。

 

ただし、

「心のバイタル・チェック」

とは、どうすれば良いのか?は、

簡単ではないかもしれません。

 

■そして、

個人の心理と組織の体質はパラレルな傾向があり、

組織体質の管理をする場合も、

普段から組織体質のバイタル・チェックをしておけば、

時々、ミスやクレーム、ヒヤリハットがあっても、

「これは通常の変化の範囲」

とわかるので、慌てる必要がありません。

 

むしろ、一定数のヒヤリハットが上がってこないことが、

問題だと、みなさんもご存知の通りです。

 

また、時々、現場において素晴らしい事例があっても、

それが珍しいことなのか、

あるいは当病院では当り前にできているといえることなのか、

把握することができ、

その組織の素晴らしさの水準を、

維持するのか、さらに向上するのか、をコントロールすることが可能となります。

 

■組織体質のバイタル・サインで、

最も重要なものは、

「どれだけ現場職員がみずから気づき考え行動できているか?」

という指標でしょう。

 

いわゆる

「自律進化傾向」

です。

 

なぜなら、

自律進化の組織体質になっていれば、

現場のあらゆる事々が現場主導で向上し、

もっとも職員の精神衛生がよく、

患者さんにも最も行き届いた対応が可能となり、

その結果、もっとも生産性が高い組織が実現するからです。

 

組織体質のバイタル・サインで、

次に重要なものは、

「どれだけ、職員同士の風通しが良いか?」

という指標になります。

 

というのも、

職員同士がなんでも話し合える風通しの良い関係性になければ、

もし、改善につながる違和感を覚えたり、

大胆なことを思いつくことがあっても、

それを口に出すことができないため、

実現もできず、

それは、自律進化が生まれない組織となってしまうからです。

 

そのため、自律進化の組織体質を築くためには、

論理必然的に、

「職員同士がなんでも話し合える風通しの良い関係性であること」

が、前提条件となるのです。

 

■では、

「自律進化傾向」

と、

「風通しの良さ」

といった、組織にとって最も重要なバイタル・サインを、

チェックする方法はあるのでしょうか?

 

もしこれがなければ、

ミスやクレームやヒヤリハットがあっても、

それが通常範囲なのか、

問題範囲なのか、判断できません。

 

現在の組織体質が、

良い状態で維持するに値する水準なのか、

それとも、

さらに向上して次のステージを目指すことが可能な水準なのか、

わかりません。

 

となれば当然、

組織マネジメントの舵取りができない、ということになってしまいます。

 

果たして、

「自律進化傾向」

「風通しの良さ」

を定量評価する方法はあるのでしょうか?

 

■ただし、測定するとしても、

「主観評価」

では意味がありません。

 

職員にマークシートで回答してもらうといった

職員の主観で、

「わたしたち、かなり自律的にやっています」

「ずいぶん話し合っています」

と回答してもらったところで、

あてにはならないことは、みなさんもご存知の通りでしょう。

 

「アンケートは嘘をつく」

と言われている通りです。

 

なので、参考情報にはなっても、

主に依るべき指標にすることはできません。

 

では、どうするか?

 

■患者サービス研究所では、

組織の「自律進化傾向」や「風通しの良さ」を、

客観的に定量評価するためにも、

「HIT-Bit」

の手法をお勧めしています。

 

HIT-Bitは元来、

「指示命令をしなくても、現場職員がみずから気づき考え行動する『自律進化組織』を創る」

手法として開発されたものです。

 

そして、

「自律進化傾向」

「風通しの良さ」

を向上してゆくことを当然目指してゆくので、

その進捗状況を客観的に定量評価できなければなりませんでした。

 

なぜなら、

進捗状況を定量評価できなければ、

「体質が向上したかどうか」

の検証もできず、

ということは、

「さらに向上しよう」

「どこまで目指そう」

という目標設定もできないということになります。

 

つまり指標がないということは、

「向上し続けることができない」

ということを意味しているのです。

 

そこで、

HIT-Bitは、

「自律進化傾向」

「風通しの良さ」

を客観的に定量評価することが可能な手法となっていて、

いいかえれば、

組織体質のバイタル・チェックをすることが可能となっています。

 

■ところで、世間には、

「コミュニケーションが活発になる」

「職員のモチベーションが上がる」

「チームワークが向上する」

「ホスピタリティが良くなる」

「リーダーシップが高まる」

などなど……、

さまざまな組織体質向上策らしき研修やコンサルティング・プログラムがありますが、

 

その進捗を客観的に定量評価するものは、

あるのでしょうか?

 

「よくなった気がする」

だけでは、

費用と労力と時間の無駄となってしまいます。

 

そして、それでは、

バイタル・チェックもせずに、

「回復した・悪化した」

と言っているようなものですから、

本当に治すことはできないのではないでしょうか。

 

■ちかごろは、

「退職を代行する会社」

なるものがあるそうで、すごい時代になりました。

 

これから、ますます

「最後まで相手を尊重することができない人種」

が増えてゆくということです。

 

■たとえば、

会社側がどんなに心を込めて社員を育てていたとしても、

社員自身が、

「面倒臭い」

「話し合うのが怖い」

「時間が惜しい」

などの一方的な理由で、会社に向き合わなくても済む時代なのです。

 

会社とはいえ、上司や同僚にも心があり、

対話もなく一方的に接触を断絶されれば、

誰でも尊厳を傷つけられたと感じることでしょう。

 

本来、

お互いに何度も面接をして雇用関係になったのであれば、

うまくいかないプロセスにおいても、

お互いに意見を出し合い、

譲歩できるところを譲歩するなどして最後まで向き合い、

話を尽くしても折り合えなかった時に初めて、

「折り合えなかった」

と納得できるので、

円満に「折り合えなかった」と感じ、

 

互いに紳士的に、

離れるという結論を受け入れられるようになるのではないでしょうか。

 

その時、どちらも、

「最後まで向き合ってくれて、

最後まで手を尽くしてくれた」

というプロセスがあるので、

尊厳を傷つけられることなく離れることができるでしょう。

 

反対に、

「もう結論は出しました。気持ちは変わりません」

と、一方的に関係を断絶する人は、

「最後まで相手を尊重することができない人種」

だということができるでしょう。

 

■恋愛も同じ構造なのは、ご存知でしょう。

 

うまくいかなくなって、

連絡を疎遠にしたり、

相手をはぐらかして、

相手に向き合うことから逃げることで、幕引きを図ろうとする人は珍しくありません。

 

それは、相手の憎悪を引き起こすという

最悪の展開を選ぶことでもあります。

 

とても、互いに、

「最後まで向き合ってくれて、

最後まで手を尽くしてくれた」

というプロセスがあるので、

尊厳を傷つけられることなく離れることができた、ということにはなりません。

 

憎しみあい傷つけあい、

永い恨みをわざわざ買うやり方を、

選んでいる人は少なくないことでしょう。

 

このように、

「もう結論は出しました。気持ちは変わりません」

と、一方的に関係を断絶してしまう、

「最後まで相手を尊重することができない人種」

が多いので、

昨今は、相手方の激情を煽ってしまい、

殺したり殺されたりといった

事件になってしまうのではないでしょうか。

 

■このように、

異なる価値観を尊重し、

できる限り歩み寄ろうとすることが、

日本人はとても苦手です。

 

そのため、

最後まで相手を尊重することができず、

ある時、突然、

「もう結論は出しました。気持ちは変わりません」

と、バッサリと関係を断絶するタイプの人が、

我が国では、もともと多いのではないでしょうか。

 

相手との価値観が違う時、

「そこは理解するが、ここは賛同できない。

でも、あなたを尊重する。

しかし、あの点はどうにも承服できない」

などといった、

複雑に価値観が入り組んだ相手と

冷静にコミュニケーションをとることが苦手でしょう。

 

議論を好まず、

「そっと退場してくれれば、波風は立たなくなるから、

身を引いて欲しい」

といって、泣き寝入りしてくれるよう促す対処を

選択する組織もすくなくありません。

 

また、

「どちらが正しいとか間違っているとかは、さておき、

あいつを呼ばなければ、摩擦はなくなる」

と、権限に任せてバッサリと接触を断つというパターンもあります。

 

大の大人が集まって運営しているはずの企業や団体でも、

価値観が異なる人とのコミュニケーションが苦手で、

対処がお粗末すぎることは、

NGT48の運営会社AKSや、

日大理事長の件などを見ても、明らかでしょう。

 

先日、

弁護士を目指しているはずの小室圭さんが

母親の元婚約者とのトラブルについて、

本人の意思確認もしないままに

「トラブルは解消済みです」

とマスコミに発表していましたが、

 

相手の尊厳を傷つけることでかえって問題が根深くなるだけですから、

コミュニケーションの初歩を知らず、

弁護士の資質に問題があることを

みずから露呈したと思えてなりません。

 

昨今、

「モンスタークレーマーが増えている」

と言われてはいますが、これも、

 

実態は、

「ここは応じられるが、ここは応じられない。

ここまでは検討するが、これ以上は難しい」

と交渉するコミュニケーション能力がなかったり、

 

「申し訳ございません」

と繰り返すものの、

会って話すことには一切応じないという、

大企業のような「門前払い作戦」しか持っていなかったり、

と、

 

とても

「最後まで相手を尊重しつつ話し合う」

ということができない組織が極めて多いことを露呈している結果ではないでしょうか。

 

そして、そのいずれもが、

「最後まで相手を尊重する」

気がなく、

自分の結論を押し通したい一心なので、

相手を深く傷つけることになるのは言うまでもありません。

 

■というわけで、

すでにその傾向はありますが

今後ますます、

「最後まで相手を尊重することができない人種」

が増え、

その人たちが、

バッサリと一方的に自分の結論を押し通そうとすることは間違いありません。

 

そうしている自分自身も含めて、

他者のそうした対応によって、

尊厳を傷つけられ、心に痛みを負う人も

これからますます激増することでしょう。

 

いかがでしょうか?

 

みなさんの周囲にも、

そんなタイプの人がいるのではないでしょうか。

 

確かに、

「最後まで向き合わなければならない」

という法的責任もありませんから、

本人の良心次第です。

 

また、自分がバッサリと関係を切るということは、

人からバッサリと関係を切られても文句は言えない、

ということもであります。

 

しかし、それでも、

最後まで相手に向き合うかどうかは、

本人の価値観次第で、誰にも強要することはできません。

 

■このような、

「相手との関係性をどのようにつくり、

お互いの価値観が異なるところを、どのように認め合い、

折り合えなかったとしても、

最後はどのように

お互いに尊重し合いながら離れるという結論にいたるのか?」

といった、

「関係性の設計」

をできる人が、これからは、求められる時代になるでしょう。

 

しかし、これは決して難しいことではありません。

 

たった一つ。

 

■「最後まで向き合う」

というポリシーを持つ。

 

それだけです。

 

■以前、

「感情物理学」

というタイトルで、

「感情エネルギーは、物理エネルギーと同じように作用する」

と書いたことがあります。

 

心の正体「感情」のシンプルなメカニズム

感情エネルギーは物理エネルギー

感情物理 実践編 「真剣さのエネルギー」

感情物理 実践編 「頼みごとをした後」は終始同態で

感情物理 実践編 「心は感情が湧き出る器」

感情物理 実践編 「心の器の大きさと軟らかさ」

 

簡単に言えば、

自分が得ている情報によって関心が高まり、

そのことに思いや行動や時間を注げば、

そのことに関わる情報がさらに増えるので、

より一層、関心が高まってゆく、という構造がある、ということです。

 

反対に、自分に情報が届かないことや、

届いても情報が乏しければ、

そのことに人は関心を持ってゆかれることはありません。

 

そして、その関心の強弱は、

好きか嫌いかによって異なることはありません。

 

冷静に考えれば別れた方が良いとわかっていても、

それまでに蓄積した情報量が多ければ多いほど、

簡単に関心を遮断することは難しくなります。

 

また、強烈につらい思い出しかない時代を過ごした場所でも、

時間が経つと、

郷愁とともに、懐かしく感じられてくることもあります。

 

好きか嫌いか、善か悪か、幸か不幸か、正しいか間違っているかと関係なく、

親しんだ事柄に心懐いてしまう心の性質を、

「執着」

と呼ぶことができるでしょう。

 

■人があることに執着を抱けないのは、

そのことについて、関心を持つ機会がなかったからです。

 

反対に関心を持つ機会があれば、

執着を抱くようになる可能性が生まれます。

 

たとえば、

自分が希望してもいないのに、突然配置換えがあり、

新しい部署の立ち上げを担当させられたとします。

 

さしてやりたかったことではないので、不本意でしたが、

一生懸命、その業務に力を注いでいたものの、

またもや、突然の配置換えで、

その部署の立ち上げから離れることになりました。

 

そのため、いまはすでに部署立ち上げは自分の担当ではありませんが、

やはり、いっとき一生懸命力を注いだ以上、

その部署の立ち上げ準備が、

「いまどうなっているのか?」

「うまく進んでいるのか?」

「いまの担当者が困っていたら力になれることはないか?」

と、気にならない人はいないのではないでしょうか?

 

これも執着です。

 

また、

人を恨んでも

何一つ得なことはなく、

それどころか人を恨むと言う不健康な心理状態の時間を

わざわざ過ごして、

良いことなど一つもないとわかっていつつも、

恨みで自分の頭の中をいっぱいにして、

人生のうちの大事な時間を黒い感情で塗りつぶしてしまうのも、

執着のなせるわざに他なりません。

 

というわけで、

この執着は、

理屈抜きで人間の心を左右する、強烈な心理作用だということがおわかりでしょう。

 

■さて、職場においては、

経営者・上層部・管理職は、部下職員に対して、

「もっと〇〇に関心を持って欲しい」

「もっと〇〇に関する意識を高めて欲しい」

と思うものですが、

 

この「執着」という心理作用を起こすことなく、

「関心を持て」

といくら言っても、まったく刺さらない、ということを

踏まえておいた方が良いでしょう。

 

「なぜ危機感を覚えないのか?」

「なぜ責任を感じないのか?」

「なぜ自分の問題としてとらえられないのか?」

と思った時に、

説明やデータを駆使して、理解させようとしても、

相手の心がまったく動いていない、ということがあるでしょう。

 

では、どうすれば良いか?

 

そのことに、思いや労力や時間を注がせて、

執着を持つような環境条件の中に放り込む、ということです。

 

たとえば、

「この問題の解決は、きみだけの特命ミッションだ。

2年をめどに、病院全体を動かす対策プロジェクトを

立ち上げて欲しい」

と、任せてみるという方法も考えられます。

 

あるいは、

「この問題は、うちの病院ではきみが第一人者だからな」

「きみが病院を導けるかどうかが運命を分けるぞ」

と、外からの意味づけをします。

 

そして、その部下職員が動き出した時、

もし上司が、正解を知っていたとしても、

本人の思うように取り組ませることになります。

 

たとえ、

「その調査は無駄だ」

「その方法は役に立たない」」

と知っていても、管理職は、口を出さずに、部下職員の思うようにやらせることです。

 

それが有効であれ、無駄であれ、

思いと時間と労力を注いげば注ぐほど、

部下職員本人の内発的な関心すなわち執着が強くなるからです。

 

■NLPでは、

自分に動機づけしたければ、

「動機となる概念をイメージし、

なんらかのアクションをしながら、

言葉で口から発することを繰り返すと、

その概念が、深く無意識の中に刻まれる」

としています。

 

五感と概念を同時に体感すれば、

五感によって概念を鮮やかに思い出すので、

いつでも五感によって鮮明に動機を思い出させることが可能となる、と言います。

 

要するに、自分が、

「鈴の音を聞くとご飯を食べたくなる」

パブロフの犬になれれば、

鈴の音ひとつで、自分の食欲を鼓舞できる、という理論です。

 

しかし、

「鈴の音を聞く」

という受け身で一過性の刺激よりも、

自分自身がみずから動き回り人と話すなどして、

多大な思いと労力と時間を注ぐという能動的な行動の方が、

はるかに大きな執着が生まれるであろうことは、

みなさんにとっても想像にやすいでしょう。


■もし、部下職員に、

「実情を踏まえて的を射た意見を言って欲しい」

と思うなら、

その事案に巻き込んで、執着を持たせることです。

 

「プロとしての哲学を持って真剣に臨んで欲しい」

と思ったら、

その事案に巻き込んで、執着を持たせましょう。

 

「責任を持って関わって欲しい」

と思ったら、

その事案に巻き込んで、執着を持たせることをお勧めします。

 
 

■世の中には、

自分が望んでいることと反対のことをして苦しんでいる人が

たくさんいます。

 

「あの人のことが死ぬほど嫌い」

と言いながら、

その職場で働き続けたり、

 

付き合い続けても良いことにはならないと

知っていながら、

「この人と別れられない」

と付き合い続けたり、

 

上司から頼まれれば断れず

「頑張ります」

と引き受けたものの、そこまで情熱がないので責任を果たせず、

結局、かえって自分の株を下げてみたり、

 

人と人が揉めた時には、

双方から事情聴取し、

良いことは良い・悪いことは悪いと明らかにした上で、

今後のために、理解し合えるところはないか?と

話し合えば良いものを、

摩擦を嫌うあまりそのままにしたために、

なんども同じ問題が起き、

その都度、悩んでみたり、

 

絶対に謝っておいた方が、

自分にとっても良い環境を作れるとわかっていながらも、

プライドや意地が邪魔して、どうしても謝る気になれず、

大切な可能性を失ってみたり、

 

……といった事例が、

みなさんの周囲にも、数限りなくあるでしょう。

 

それほど、わたしたちは、

自分が願っている結果にはたどり着かない道を、

みずから選択して

嘆き、驚き、怒り、恨み、疲れ、泣いている、ということです。

 

人はみな、

「重度のすっとこどっこい」

だと言わざるを得ません。

 

悲しいとか愚かというのを通り越して、

滑稽にさえ感じるかもしれません。

 

しかし、

こんな自分を、

天から俯瞰すれば、

「そっちへ行ってはいけない」

と、自分を正しい選択へと導くことができるはずです。

 

■ところが、

これが組織となると、

優秀な人が集まって決めるのだから、

「お互いに客観視できるので、

きっと冷静かつ科学的な、正しい判断をするだろう」

と想像するのですが、

現実は、その逆で、

「組織ぐるみのすっとこどっこい」

ということが、あまりに多いのです。

 

関与する人数が多いほど、

私利私欲・私憤私怨が作用して、

すっとこどっこい度がアップする、ということでしょうか。

 

■たとえば……

 

職員のモチベーションを上げるにあたっては、

「お金じゃない」というモチベーションが大事、

とわかっていながらも、

なぜか、多くの組織では、

すぐ待遇でなんとかしようとする、という傾向があります。

 

また、

職員が受け身で当事者意識が乏しいことを嘆き、

「自分で考える習慣を身につけさせなければならない」

ということに行き着くのは良いのですが、

そのため、

「自分で考える組織にするための研修」

を企画し、

「管理職は全員参加!」

などと、参加を強制している、という例も多々あります。

 

よく見受けられるのは、

「職員が、当院の理念を理解できていない」

と困った結果、

毎朝、理念を唱和させたり、

理念をカードにプリントしてネームカードに入れさせたりと、

結局、

理念についての具体的な話をしていないので、

職員が誰も具体的に何をすれば良いかわからず、現場が変わらない

という事例も珍しくありません。

 

あるいは、

職員の接遇に対するモチベーションを上げたい、と

望んでいるにも関わらず、

外部講師に高いお金を払って、

「接遇の基本をきっちり教えて欲しい」

と依頼するため、

研修では、頭ごなしに、

「ああすべき、こうすべき」

という講義を受けさせる結果、

ますます職員のモチベーションが下がる、

ということも、典型的です。

 

クレームがあった時には、

「患者さんとの人間関係が築けていなかった。

人間関係を築くことが大事だ」

といいつつ、

「では、人間関係ってなんですか?

と問われても、管理職が説明できないので、

「人間関係は人間関係だ。それくらいもっと自分で考えろ」

と精神論で乗り切ろうとする、という状況は、

むしろ、ほとんどの現場に存在するのではないでしょうか。

 

スタッフの退職が相次いで、

いよいよ

「スタッフのモチベーションを上げるためには、

褒めることが大事だ」

と言いつつも、

現場では、良い結果が出た時に褒める「評価」ばかりをするため、

職員はみな

「結果ばかりを求められている」

と閉塞感を覚えて、

かえってモチベーションが下がり萎縮している、という様子もよく聞きます。

 

年度の区切りには、必ずと言っていいほど、

経営者から大事な理念の話がなされるものの、

「どのような理念の実現が、どれだけ生まれたのか?」

という検証もしていなければ、

評価にも報酬にも反映することもできないので、

スタッフからは、

「充分やっているので、聞き流せば良いのだろう」

と冷めた反応が返ってくる、

という声もあちこちで聞きます。

 

「日頃の仕事ぶりや技能や成果を見える化して、
職員のモチベーションを上げるため」

として、目標管理制度を導入したにも関わらず、

目標とは名ばかりで上司から押し付けられたノルマをシートに書くことになり、

事実上、ノルマ管理制度となっているため、

手間と時間をかけているにも関わらず、

逆に職員のモチベーションが低下し、

目標管理制度ももはや形骸化している、

という状況も、数限りなく聞かれます。

 

■このように、

願っていることと逆の方向へ向かって猛進している場面について、

みなさんのお心あたりも1つや2つではないでしょう。

 

前職場でも、隣の部署でも、自分の直属の上司も…

と、心あたりがたくさんある方もいるでしょう。

 

それほど、

世間には、

願っていることと逆の方向へ向かって猛進している

「すっとこどっこい組織」

が存在している、ということです。

 

しかし、組織も個人と同じで、

そんな自分の組織を、

天から俯瞰すれば、

「そっちへ行ってはいけない」

と、正しい選択へと軌道修正することができるはずです。

 

ぜひ、

「すっとこどっこい経営」

を、一日も早く卒業されることをお勧めします。

 

そして、ぜひ、

みずからを俯瞰し、

本来願っていた方向への最短最速の道を進まれることをお勧めします。

 

■そのためにも、

従来の組織論(モチベーション論、リーダーシップ論、ホスピタリティ論、マネジメント論、コミュニケーション論など)をベースとしたコンサルタントに振り回されてはなりません。


というのも、

従来の組織論そのものが、

手段に重きを置いており、

「本当はどっちへ進めばよかったのか」

と俯瞰する発想に乏しいからです。

 

ぜひ、本質を明らかにするコンサルタントを見抜き、

選んでください。

 

■誰もが、みな

「自分なりに充分やっている」

と思いたい心理があります。

 

「まだ足りない」

「まだ頑張るべき」

と、自分で顧みることはあっても、

他者からは言われたくないでしょう。

 

そのため、

他者からあれこれ言われないように

自分を隔離する傾向があります。

 

それが、蛸壺化や独善化を生み出します。

 

それは同時に、孤独化であり、

わかってもらえないという心理が、

他責発想にもつながります。

 

また、独善化に陥ると、

「自分は正しい」という考えが暴走しやすいので、

周囲を傷つける危険をはらむようになります。

 

限られた視界に写ったものだけが世界なので、

周囲の人間と揉めてみたりします。

 

自分だけがものさしなので、

時と場合によって自分を律することができず、

ひどく自堕落な言動をすることもあります。

 

なにしろ、蛸壺の中は密室なので、

「恥しい」

と感じる必要がないのです。

 

「自分に恥ずかしくないのか?」

と言われても、

自分が自分を見るだけなので、

「何が恥ずかしい?」

とピンと来ません。

 

そんな状況に陥っている人を時々見かけませんでしょうか?

 

あるいは、部署まるごと、

そんな状況に陥っている様子を見かけることはないでしょうか?

 

自分自身も、蛸壺化していたかも、

と思い当たることも無くはないのではないでしょうか。

 

それだけ、人はそうした状況に陥りやすい、ということでしょう。

 

では、そんな状況に陥らないようにするためには、

どうすれば良いか?

 

■蛸壺化しないためには、

つねに自分を蛸壺の外に出すこと、

つまり、公開化・公表化することです。

 

要するに、

自分の言動がつねに第三者から見える環境に

自分を置くことが、

独善化・孤独化・他責発想、自分は正しいという考えの暴走から、

自分を避難させる、最も確かな方法となります。

 

「自分に恥ずかしくないのか?」

と言われてピンと来ない人ならば、

「自分の家族に、ありのままを見せられますか?」

と聞き直してみれば良いでしょう。

 

あなたの言動を公開化しますよ、という意味です。

 

職場では、居丈高に主張しているけれど、

家族が見たら、

「それは言い過ぎじゃない?」

「パパのやり方はちょっと・・・」

と言われるのではないか、と冷静に考えてみたり、

公開化されて世間からどう言われるかを想像すれば、

 

「家族には見せられない」

「YouTubeにアップされるのはいやだ」

「部下職員の親御さんにまで胸を張って説明できないかも」

と、改めて

「恥」

という概念を覚えることでしょう。

 

■組織運営においても、

いじめ、体罰、DV、パワハラも、また、

公開化すれば、その多くがなくなるはずです。

 

また、トラブルがあった時に、どう対処するか?

その対処方法も、公開化することができれば、

(アメリカの公文書のように、後々公開する、というのも悪くない制度です)

当事者は、必死に考えて判断することでしょう。

 

たとえば、よく、

「片方を異動させれば、もめなくなる」

とか、

「相手は業者だから、取引しなければ、もう来ることはない」

といって、

接触しないようにすることで解決したことにしてしまう、という組織も多々あります。

 

これでは、根本的な解決にはなりません。

 

その組織・経営者・管理職の対応力の無さが、如実に現れます。

 

もし、対応力がある組織・経営者・管理職ならば、

公開してでも、事態を改善するものです。

 

基本的に公開化する姿勢があれば、

どこから

「そんなんでいいのか?」

という声が上がるかわからない中で、

「つねに社会が納得してくれるような妥当な結論を出そう」

としますから、

おのずと、蛸壺化を防止することができるというわけです。

 

第三者の目を意識するので、

独善化を回避することができ、

周囲との関係性を持つので、

孤独化することもなくなりますから、

他責発想になってしまうということもありません。

 

みなさんの現場では、

経営者・管理職が、

情報を公開化してでも健全化する力を持っているでしょうか?

 

そこに、組織の能力が現れます。

 

■今回、大阪の病院で、

「自律進化組織づくり」のための

組織改革プログラムがスタートしました。

 

「指示命令がなくても職員がみずから気づき考え行動する自律進化組織」をつくること。

 

「この病院でよかったと言われるような接遇が実践できる病院」をつくること。

 

こうした方向性は、すでに持っていたからこそ、

今回のプログラムの導入になったわけです。

 

■どんなことをするにも、

まずは「目的」が重要。

 

目的が明確でなければ、

どんなことも、

進行上で迷いや摩擦が生じて、

思うように前進しません。

 

なので、この病院でも訊いたのです。

 

「自律進化組織を目指したい、

この病院でよかったと言われる病院にしたい、

ということはわかりました。

 

その方向性をもっと明確に、

もっと端的に言うと、

どんな病院にしたい、ですか?」

と。

 

このように質問すると、

「それはその〜、え〜と、やっぱり……」

と、まとまらない返事が返ってくることが

多々あるのですが、

この病院では、

その答えがすぐに返ってきました。

 

しかも、明確。

 

「さすが!」

と驚かされました。

 

そして、その

「どんな病院にしたいか?」

の答えを聞けば、

職員の誰もが

自分がどのような考えで臨めば良いか、

ハッキリとわかります。

 

しかも、

そのポリシーが、

実現できているか、できていないかの結果を

明確に検証することもできる、明快なものです。

 

どんな組織でも、方向性が明確であれば、

底力を発揮することができます。

 

この病院ほど明確なポリシーがあれば、

あとは、

行動あるのみ、だと感じました。

 

■さて、

いまはプログラム開始の準備段階ですが、

この病院では、

早くも病院全体を牽引するプロジェクトチームが

編成されており、

そのプロジェクトチームのメンバーがいずれも、

すでに、

「このプログラムによって、現場を変えてゆきたい」

と思いを新たにしています。

 

「どんな病院にしたいか?」

その答えは明確ですので、

これからのプログラム期間中、

この病院では、

職員一丸となって、その実現に向かって進んでゆくことになります。

 

そんな熱い現場ですから、

まだプログラムはスタート地点に立ったばかりですが、

この病院は、

必ずや、その名の轟く病院になることでしょう。

 

■みなさんの現場では、

端的でわかりやすく、

行動に移しやすく、

進捗を検証しやすい

「こんな病院にしたい!」

というポリシーはあるでしょうか?

 

そのポリシーが

①明確でわかりやすく、

②進捗の検証が可能であれば、

組織は、大いに力を発揮して成長してくれるはずです。

 

「心のこもった対応を」

「高度な医療を提供」

「地域に貢献する」

などの理念が、現場に浸透しないのは、

①明確とは言えず、

②進捗を検証できない

……からです。

 

■我が国は、

高度経済成長期の大量生産の時代を経て、

長らく、結果主義が染み付いてきました。

 

そのため、

「結果が全て。仕事なんだから」

「数字が上がらなければ、意味なし」

とまで言われてきました。

 

子供には、

「努力が大事」

と教えつつ、社会では、

「結果が出なければ、いかなる努力も無意味」

と言い切られてきました。

 

■ところが、今日では、

結果だけではすべてを測れない時代になってきました。

 

いくら売上をあげても、

職員が辞めていては、

結局、利益が少ない、ということが起きます。

 

いくらお客さんを集めても、

偽りの広告を使っていれば、

かえって不信・不満の声がインターネット上に

拡散されてしまい、

その副作用の方が甚大となるでしょう。

 

教育研修費を節約してコストダウンをしても、

個人情報が漏れたりすれば、

それ以上の損害賠償に見舞われ、

その副作用の方がかえって大きくなってしまいます。

 

こうした状況があるにも関わらず、

経営者・上層部が結果だけしか見ていなければ、

どうなるでしょうか?

 

現場が結果の出ることだけに専念してしまうので、

副作用によって大きな損害を被りかねません。

 

いまや個人も発信できる時代ですから、

現場職員が結果だけを追究してしまい、

クライアントやステークホルダーへの対応が悪ければ、

いっぺんに悪評が広まり、

たいへんなことになってしまうのです。

 

■こうしてみると、

「数字だけを出せば良いと言うものではない」

と言うことがわかるでしょう。

 

「そのプロセスが、

社会に受け入れられるものだったのか?」

という配慮が尽くされていなければならないということです。

 

では、

経営者・上層部・管理職であるみなさんは、

現場職員の方々に

「プロセスも大事だ」

と、伝えているでしょうか?

 

しかし、伝えているだけでは、現場の状況がどうなっているかは、わかりません。

 

それはつまり、

いつ問題が起こるかわからないということです。

 

もし、実際に、クレームが生じた時に、

その当事者である部下職員本人が、

プロセスをみずから釈明できなければ、

経営者・上層部・管理職の方々もまた、

部下職員のプロセスを理解してやることはできません。


これでは、

経営者・上層部・管理職の方々と、部下職員の関係は悪くなってしまうだけです。

 

こうしたことが起これば、

部下職員は、

「結局は、結果しか見てもらえない」

と、プロセスに配慮することをやめてしまい、

結果が出ることだけしかしなくなってしまいます。

 

経営者・上層部・管理職側としても、

「部下職員が、どんなやり方をしているのか?」

がわからなければ、

今後もどんなクレームや不都合が現場から生じるのかわからないということになってしまいます。

 

■そこで、これからの時代に必要となるのは、

「現場職員が、プロセスを説明できる力」

と、

「経営者・上層部が、プロセスを理解する力」

だと言えるでしょう。

 

たとえば、

「クレームが生じた」

という事態でも、

すぐにヒヤリハットやインシデントだと判断するのではなく、

どのようなプロセスがあったのか?の情報を確認してから

判断できるようにする、ということです。

 

そのためには、

「いかに適正な対応を尽くしたのか?」

を、現場の職員がきちんと釈明することができなければなりません。

 

釈明は、

「最近、気をつけていました」

「できるだけ、配慮するようにしていました」

といった漠然とした情報では足りません。

 

逆に、

「何月何日の何時頃、院内のどこで、

誰がいた場で、誰がどのようにしたのか?」

と具体的でなければ、説得力はありません。

 

また、

「何度も繰り返し伝えました」

では足りません。

 

「いつといつ(何回)、どのような言葉で伝えたのか」

と具体的であることです。

 

さらに、

「できる限りわかるように努力しました」

では足りません。

 

「口頭で伝えましたが、ご理解いただけなかったようなので、

次には、書面を提示しながらお伝えし、

その次の時には、お伝えしてから書面をお渡しし。

さらには、電話でも念を押し、

ご家族にもご協力をお願いしました」

というように、打てる手をすべて打ってきたことを、具体的に説明できていて、

初めて、聞く側は、

「できる限りのことをした、というプロセスがあったのだ」

と、理解することができるのです。

 

■このように、すべての職員が、

「プロセスを表現する力」

を身につけることが重要です。

 

上司や同僚に対して釈明することができることもメリットですが、

患者さんやご家族に対しても、

「医療機関としてできる限りの手を尽くしたのだ」

ということが説明できることで、

「結果は満足できるものではなかったが、

病院の職員の方々は実によくやってくださったから、感謝する」

と、理解していただけることにつながります。

 

■一方、経営者・上層部・管理職の側も、

「呼んで伝えるのではなく、こちらから訪ねる方がよかったのではないか」

「書面を渡す場合にも、その方法について、相手の了承を得てからにした方が、ご機嫌を害されなかったのではないか」

「いきなり結論から話すのではなく、選択肢をすべて伝えてから、その中でどれが最善と思われるか、こちらの意見を述べた方がよかったのではないか」

「直接の担当者だけでなく、上司も同席するような配慮をした方が良かったのではないか」

などのように、

どのようなプロセスが良いプロセスか?といった

「プロセスを理解する力」

を身につけることが重要となります。

 

それによって、

「部下職員が、良いプロセスを踏んでくれたのかどうか」

を判断し、

部下職員に対して、より良いプロセスの方法を助言してあげることができるようになるのです。

 

■もしかしたら、

プロセスを説明することが、

昭和時代の古い体質の人には、

言い訳をしているようで、抵抗があるかもしれません。


また

「言い訳などしたくない」

とつまらない見栄を張る自分中心な人もいます。

 

しかし、こんにちでは、

「具体的に、何があったのか?」

を情報共有することが、

正しい対処や今後への対策を適正にするためには、

むしろ必要なことなのです。

 

部下職員も客観的な事実の情報を表現してもらわなければならず、

経営者・上層部・管理職も、そうした客観的な事実を踏まえて、結果だけにとらわれない判断をできなければなりません。

 

世の中のニュースを見れば、

世間の人が、いかにプロセス情報に慣れていないかがわかるでしょう。

 

学校がいじめの存在を隠したり、

大学が職員の不正を是正できなかったり、

政治家が国民の不信を買ったり、といったニュースの枚挙にいとまがありませんが、

 

そして、当事者が、

釈明できるようなことをしていないのであれば、言い訳を聞く必要もありませんが、

 

もし、できる限りのことをしてきたのであれば、

ただただ批判を受け続けるのではなく、

「こうしたことを、ここまではやり尽くしたのです」

「他の誰がやっても、これ以上にはならなかったのではないでしょうか」

と現実的な話をすることが、

社会にとっても、今後に資するはずです。

 

しかし、いまの我が国にには、

プロセスを表現できる人も少なければ、

プロセスを理解し適否を判断できる人も少ないのが実情でしょう。

 

■しかし、病院組織の中では、

「仕方ない」

と言ってもいられません。

 

「クレームが上がったからダメ」

「ミスが起きたからダメ」

と言っていたら、

状況がわからずに反省するだけなので、

本当に有効な改善には繋がらないからです。


また、言い訳をしたくないと言っている職員自身も、

実は

「結果だけで全部判断されるのは、実は不本意」

と感じているものです。


その本音を無視して結果だけで評価すれば、

誰しもやがて疲弊して、

辞めていってしまうでしょう。

 

「どんなプロセスがあったのか?」

を把握した上で、

「そのうえで、より良くするためには、何をすれば良いのか?」

を具体的に判断しなければ、

本当の改善にはならないでしょう。

 

■では、普段、現場において、部下職員は、

「いつ、誰が、何を、どのようにしたのか」

を具体的に釈明できるように、情報を蓄積しているでしょうか?

 

そうした情報の蓄積がなければ、

「どれだけ、手を尽くしてきたのか?」

を後々説明することができません。

 

また、経営者・上層部・管理職も、

「日々、現場で、誰が何をどうしているのか?」

といった情報にアンテナを張っているでしょうか?

 

現場から情報が上がってこなければ、

把握しようがないかもしれません。

 

■そこで、

日々の情報を、

つねに言語化し、

大事なことは記録に残す、

負担の少ない方法を講じることが必要となるでしょう。

 

そのための、コミュニケーション・モデルが、

患者サービス研究所が提唱する

「HIT-Bit」

です。

 

日常、HIT-Bitを行なっていると、

現場の状況が常に言語化され、記録に残るので、

驚くほど、現場の状況がわかります。

 

経営者・上層部・管理職は、プロセスを理解することができ、

現場の部下職員は、プロセスを表現する能力が、

自然に身につきます。

 

「HIT-Bit」

については、1Dayセミナーを行なっています。

 

本当に効果が永続する組織づくりを実現したい方は、

ぜひご参加ください。

 

◆ 6月24日(月)13:30〜16:30【東京】

◆ 7月28日(日)13:30〜16:30【東京】

お申込みはこちらから

◆参加費:1人当り4,000円

 

■自律進化組織が6ヶ月で生まれる方程式「HIT-Bitプログラム」

については、

ブックレットで概略をお読みいただくことも可能です。

 

A5判、76ページ

1部800円となります。

お求めはこちらから

 

または、少人数で開催している

1Dayセミナーで詳しくお伝えしています。

 
 

■職員を成長させ、組織を発展させたい場合、

「職員を集めて大切なことを伝える」

と考えている人がほとんどではないでしょうか?

 

しかし、

「あれだけデータを示して説明したのに、なぜ危機感を持たないのだ?」

とがっかりした、という経験が、あるのではないでしょうか。

 

「あんなにディスカッションさせたのに、なぜ、まったく意識が高まらないのだ?」

と困ったことも、あるでしょう。

 

そんな経験を経て、

実は、みなさんも、うすうす

「集めて伝えても、大して伝わらない」

と、すでにご存知なのではないかと思います。

 

わたしの場合は、接遇研修をお引き受けしては、

幾度となく、

「集めて伝えても、伝わらないもの」

と知らされてきました。

 

■考えてみれば当り前のことですが、

そもそも、人間は、

心から聞きたいと思っていない内容は、

いくら身体がその場にいても、

まったく心に届かないものです。

 

本人にとって、

自分ごとになっていないものを

何度訴えても、

本人にとっては、ますます鬱陶しいだけなのです。

 

■ところが従来の組織論は、

上意下達が前提でしたから、

「集まれと言われたら集まるべき」

「こうしろと言われたらこうするべき」

という精神論がまかり通っていました。

 

もちろんこの正論に、

部下職員が反論することはできませんから、

我が国の社会の中で、誰も、

「それはおかしい」

とは言いません。

 

なので、

「集めても伝わらないのは、部下職員の意識が低いからだ」

「ならば、もっと伝えるべきだ」

「繰り返し伝えて行くべきだ」

という発想で、

さらに部下職員を追い詰めている、ということも珍しくありません。

 

当然、それによって現場が変わることはないので、

あの理論を取り入れたり、

この手法をやってみたり、

あのセミナーに行かせてみたり、

このコンサルを使ってみたり…。

 

しかし、

良いと思ったものを、

手当たり次第に何でも突っ込めば良くなると思ったら大間違いです。

 

ディーン・フジオカと木村拓哉を足して2で割っても

藤岡琢也になってしまうのです。

(この例えはマッチしてないなぁー)

 

■本当に考えなければいけないのは、

「集めて伝える」

前の段階についてです。

 

部下職員が、

「この件は重大なことだ」

と、自分ごとになれば、

集められることに感謝し、

伝えられたことを素直に受け止めることでしょう。

 

つまり、本人が

「この問題に向き合いたい」

「この人に向き合いたい」

と思っているか?こそが、最も重要なことなのです。

 

集めて伝える前に、相手の

「向き合いたい心」

すなわち

「Face」

を取り付けているか?

ということなのです。

 

受験するつもりのない子に、

参考書や家庭教師を押し付けても

反発や恨みを買うだけです。

 

本人が、

「受験したい」

と、Faceモードになれば、

みずから参考書や家庭教師を探すので、

それを応援すれば、むしろ感謝されることになります。

 

時々、

「あの部下に少しずつやらせて、

覚えさせているんだ」

という上司がいますが、

 

本人が成長したくなければ、

「大変だけど頼まれるので、やってあげている」

と感じており、

「最近、頼みごとがエスカレートしてきた」

「今日に至っては丸投げだ!」

「もういやだ!」

となり、かえってストレスと恨みだけが残ったということになりがちです。

 

逆に、

自分が「成長したい」と思い、

課題に向き合うFaceモードになっていれば、

自分から

「まず、何を学んだら、それをやらせてもらえますか?」

と申し出ることもあり、さらには、

「一部だけでもやらせてもらえませんか?」

「一度自分でやるので見てもらえますか?」

「もう任せてもらってもいいですか?」

と、みずから成長し、

そこに生まれるのはやりがいと、それを応援してきた上司への感謝ばかりです。

 

■わたしたちが、

誰かに理解をして欲しい時、

誰かに動いて欲しい時、

 

わたしたちは、

その内容の話に入る前に、

相手が、

こちらに向き合おうとするFaceモードになってもらうことが必要です。

 

さらに言えば、

相手のFaceを取り付けていないのに、

用件の話をしてはならないのです。

 

相手が、

「あなたが言うなら、ぜひ聞きたい」

「あなたが望むなら、ぜひ力になりたい」

というFaceを取り付けること、

それこそが、職員を成長させ、組織を発展させるために

最も重要なステップです。

 

相手のFaceを取り付けていなければ、

どんなに話をしても、

相手が心から

「ぜひやろう!」

という気持ちにならず、

いかなるものごとも、首尾よく進むことはありません。

 

にもかかわらず、

「Face」は心の状態であり、

目に見えないことであるため、

だれも意識することができず、

方程式を見出す研究もなされていないのです。

 

ぜひ、みなさんだけでも、

「本題に入る前にFaceを取り付けるにはどうすれば良いか?」

を探究されることをお勧めします。

 

■みなさんの現場には、

「◯◯委員会」

はありますでしょうか?

 

病院ならば、たくさんの委員会が活動していることでしょう。

 

ところが、

「委員会だけが頑張っている」

というケースをよく耳にします。

 

そもそも、

「委員会」

とは、「委ねられて活動する会」という意味です。

 

では、委員会の責任者から

「何を委ねられているのか?」

が明確にされているでしょうか?

 

ズバリ、

「職員全員が関与するのが大変なので、

委員会だけが活動するよう委ねられている」

のか?

あるいは、

「職員全員が活動するようになるように、

啓発することを委ねられている」

のか?

 

つまり、

活動代行委員会なのか、

普及啓発委員会なのか?

 

みなさんの現場の、あの委員会は、どちらでしょうか?

 

■実は、

この点を確認せずに、活動している委員会があまりにも多い、という印象です。

 

というのも、

さまざまな現場で、

委員会の方々が、一生懸命に話し合い、

院内を見て回ったり、

ポスターを掲示したり、

研修を企画していて、

結果、そのように自分たちだけが動き、

活動代行の実態を呈しているにもかかわらず、

 

その委員会の方々たちは、

「なかなか、みんなの意識が高まらない」

と嘆いており、

普及啓発を願っているようにも見受けられます。

 

自分たちが活動代行していては、

現場はますます、

「委員会が活動してくれるもの」

と認識するので、

よもや自分たちが活動するべきとは考えなくなりますから、

普及啓発とは、全く逆の方向へどんどん進んでゆくことになるのは、

明らかでしょう。

 

改めて、振り返らなければいけないのは、

もし、

「普及啓発したいならば、活動代行をしてはならない」

ということです。

 

もし、

普及啓発したいのであれば、委員会が

院内を見て回ったり、

ポスターを掲示したり、

研修を企画してはならない、ということです。

 

普及啓発したいならば、現場職員が、

院内を見て回ったり、

ポスターを掲示したり、

研修を企画するように、

委員会は導いてゆかなければならないのです。

 

なので、

委員がみずから院内を見て回るのではなく、

院内を見て回る人を募り、見て回ってもらうことです。

 

委員がみずからポスターを作って掲示するのではなく、

ポスターを作ってくれる人を募り、ふさわしい場所に掲示してもらうことです。

 

委員がみずから研修を企画するのではなく、

研修を企画してくれる人を募り、内容構成を考え、講師を選び、研修開催の手はずを整えてもらうことです。

 

普及啓発したいならば、

本来、職員を巻き込んで関わってもらうことで、関心を喚起しなければならないにも関わらず、

委員会が、

院内を見て回ったり、

ポスターを掲示したり、

研修を企画してしまっては、

その他の職員はみな、

「そういうことは全部、委員会がやってくれるもの」

と理解してしまうからです。

 

「委員会がやっているのだから、わたしたちがやる必要はない」

「なぜ、わたしたちがやらなければならないのか?」

と、ますます関心を希薄にしてしまうことにしかなりません。

 

■実は同じようなことが他にも多々あります。

 

たとえば、

外来フロアにコンシェルジュを配置している病院もありますが、

そのために、

医事課職員が、

「フロアでの患者対応はコンシェルジュの仕事」

と他人事になってしまっているケースがあります。

 

そんな認識になっている医事課職員に対応された患者さんからは、クレームが生じても不思議はありません。

 

また、たとえば、

QC活動と称して、年に1回、各職場から改善事例を発表させている病院も多々ありますが、

発表に関わる職員だけが、

発表に関わる時期だけやっているが、

それ以外の職員は、

「改善なら、他の職員がしている」

と思い、またそれ以外の時期には、

「発表できるとおり改善している」

と思うようになってしまっているケースがあります。

 

本来は、

「全員が」

「常に」

意識を持ち、さまざまな改善をできる組織になって欲しいのではないでしょうか?

 

■なにごとも、目的が大事です。

 

「普及啓発」したいのならば、

職員を巻き込むことを常に探究し続けることです。

 

そして、間違っても、自分たちが「活動代行」してしまわないことです。

 

みなさんの現場では、委員会は、

「普及啓発したいのに活動代行している」

ということはありませんでしょうか?

 

もし、みなさんが

「普及啓発」を重視するならば、

みなさんの現場の委員会で「活動代行」をしてしまってはいないか、確認し、

すぐに「活動代行」をやめさせることが必要です。