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自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所)

結果にコミット! みずから活性化し進化する組織を実現します。

■ときどき、

「すべては患者様のために」

といった理念を掲げる病院があります。

 

しかし、

昨今は、

「CSよりもESだ大事」

とも言われます。

 

「患者満足よりも職員満足」

ということです。

 

たしかに、

「職員が元気な方が、患者さんに良い対応ができるかも」

という気がしないこともないでしょう。

 

しかし、

そんな傾向がある、といった緩やかなものではありません。

 

実は、

「職員満足度が高まらなければ、

患者満足度は決して上がらない」

のです。

 

■そもそも、経営者・上層部が

「CSこそが大事だ」

と言うことは、

職員にとっては、

「しなければならない義務(MUST)」

が増える話にほかなりません。

 

それは、職員みずからそうしたいという価値観から始まるわけではない以上、

職員にとっては、

「価値観の押し付け」

です。

 

そのため、職員に負荷を課すばかりの

「エネルギー・ロス」

であり、

やらせ過ぎれば、職員が疲弊することにつながってしまいます。

 

無用に職員が疲弊すれば、

ESはもちろん、

結局は、CSも損なわれ、現場からなくなってしまうことでしょう。

 

■一方、

「ESが大事だ」

ということは、職員にとっては、

元気を与えてくれるものであり、

「もっと頑張ろう(WANT)」

を喚起する話です。

 

組織が、職員の背中を押してくれる

「価値観の引き出し」

であるため、

職員にとっての

「エネルギー・チャージ」

にほかなりません。

 

そして、

職員ののびのびとした活躍を永続させるには、

職場は、職員にエネルギーをもたらすものでなければなりません。

 

■では、どのようにして、

ESの向上を計れば良いのでしょうか?

 

まず、職員は

利益を与えてくれる組織にたいして、どう答えようとするか?というと、

その利益にかなう働きをしようとするだけとなり、

自発的・創造的にCSを伸ばしてゆくことにはつながりません。

 

やはり、金銭による動機付けは、

労働契約関係の域を出ないからです。

 

では、金銭的利益を与える以外に、

組織は、職員に対して、どんなESをもたらすことができるのでしょうか?

 

自発的・創造的、臨機応変な対応によるCSといった

労働契約に具体的に書かれていないないことを、

職員にどんどんやってもらうにはどうすればよいのでしょうか?

 

そもそも、

人は、金銭などの何かを得るために

「しなければならない」

という動機からは、

自発的・創造的な行動をすることはありません。

 

他者との約束を果たすための行動は、

責任を問われないようにすれば、

それ以上に考え実践する必要はないからです。

 

ということは、

自発的・創造的な行動を促したければ、

「そのこと自体が魅力的だから」

という自己目的の動機を喚起しなければならない、ということがわかるでしょう。

 

すなわち、職員がCSに対して

自己目的を持つことができる環境を

組織が与えることです。

 

職員が

「患者さんに向き合うこと、それ自体が魅力的だから行動したい」

と思えるようにすることこそ、

最も大きなモチベーションであり、

そうしたモチベーションを与えることができてこそ、

組織が職員に愛情を持っていると言えるのではないでしょうか。

 

■では、そうなるためには、どうすればよいか?

 

多くの組織や現場で忘れられていることですが、

仕事の魅力の本質は、

エンド・ユーザーから喜ばれること以上のものはありません。

 

しかし、人間はとかく目先のことにとらわれがちで、

眼前の業務に没頭し、

日々の環境の中に埋没してしまうために、

気がつくと、

「なんでこんな仕事をしているのだろう?」

「なぜこんな職場で働かなければならないのだ」

「上司の考えについてゆけない」

「同僚の誰々が嫌い」

と不満を感じるようになってしまいます。

 

自分が選んでいまの立場になり、

今の仕事をしていることを忘れて、

不幸に陥っている人が多いのは、滑稽なことです。

 

そして、それは、そもそも

自分の仕事の社会的な意義を見失い、

「エンド・ユーザーの存在を忘れている」

からに他なりません。

 

むしろ、

多くの組織の多くの職員が

エンドユーザーからの感謝の声や喜びの表情を生み出しているにも関わらず、

日ごろ直接目にすることがないので、

つい見失っているために、

モチベーションが上がらずESも上がらない、

という構造にあるのです。

 

職員を愛する上で、上司が褒めることも大事ですが、

それには限界があります。

 

というのも、

上司から褒められても、

それは、

自分の、その立場でしか通用しない価値が

証明されたに過ぎないからです。

 

それ以上に、患者さんから感謝され喜ばれることは

強烈なモチベーションを与えてくれます。

 

なぜなら、

患者さんから感謝され喜ばれることは、

自分が社会に貢献でき、社会に通用する価値があることを

証明されているからです。

 

そして、

「社会に貢献していること」

「患者さんの喜ばれること」

こそが、

「この仕事についた最大の目的」

だと感じられるのではないでしょうか。

 

「これをやるためにこの仕事に就いた」

とさえ思える医療従事者の方々も少なくないことでしょう。

 

これ以上の「自己目的」はありません。

 

このように見てみれば、

「CSの喜びこそが、最大のES」

であるということが明らかでしょう。

 

したがって、

「CSの喜び」

に満ちた現場にすることこそが、

最大のESを測ることであり、

自発的・創造的なCSを実現することであり、

そんな自己目的のCSとESとが永続する組織を創ることそのものだということだと言えるでしょう。

 

■かねてから、

医療現場では職員の定着率を向上したいという声が

ありました。

 

そのためには、

「どうやってモチベーションを上げるか?」

が大きな課題になっています。

 

では、

2007年から謳われているワーク・ライフ・バランスの

取組において、

何が挙げられていたでしょうか?

 

その代表は、

・残業を少なくする

・有給休暇を取りやすくする

・福利厚生を充実する

・評価報酬制度を整備する

となっていて、制度設計が主なものとなっています。

 

しかし、

・やりがいある職場づくり

は挙げられていながらも、具体的な施策は講じられていません。

 

また折からの働き方改革においても、

まず推奨されているのが、やはり

・残業を少なくする

・有給休暇を取りやすくする

となっています。

 
そして、この春、労働法が改正されて、
・残業時間については、
上限が法律で定められました。
 
これまでは36協定の特別条項を設ければ
実質上、残業を無制限にさせることが可能だったので、
そんなブラック企業には、
今回の法改正が良い法整備だったと言えるでしょう。
 
また、
・有給休暇についても、
時期指定義務が法律で定められました。
 
年10日以上の有給休暇を付与される職員に対しては、
雇用者は、年5日の有給休暇を
取得させなければならない、という規定であり、
有給を普通にとることができないブラック企業には、
これも良い法整備だったと言えるでしょう。
 
しかし、いずれも
相当なブラック企業には有効ですが、
世の中の多くのそれほどでもない職場においては、
「ま、フツーですー」
という感想が聞かれそうな気がします。
 

そして、やはり挙げられている

・やりがいある職場づくり

は挙げられていながらも、具体的な施策は講じられていません。

 
こうしてみると、
「このような取組で、職員が幸せになるのか?」
と聞かれれば、
こうした制度設計によって、
職員が幸せになることはない、
ということはみなさんも感じておられることでしょう。
 
ブラック企業で奴隷のように働かされている人たちが
救われることを除いては。
 
■なぜ、せっかくの行政施策が、
多くの労働者の幸せにつながっていないのでしょうか?
 
それは、ピントがズレているからです。
 
上記のような労働法改正は正しいことですが、
それは大前提であって、
さらなる必要な施策が講じられていないということです。
 
そもそも、職員の幸せを考えるとき、
2つに分けて考えなければならないことを見失っているのではないでしょうか?
 
それは、
「身体が求めるもの」
「心が求めるもの」
です。
 
そして、
「身体が求めるもの」
とは、
「快適性、癒し、休息」
ですから、たしかに、
残業を減らしたり、有給休暇を取得するようにして、
時間を与えることや、
福利厚生を充実して、
職員旅行や、テーマパークに遊びにゆけるなど、
リフレッシュをできるようにすることは意味があります。
 
ところが、
「心が求めるもの」
とは何でしょうか?
 
それは、
「価値観の解放」
の他なりません。
 
価値観の解放ができなければ、人は健全に生きることはできません。
 
イメージがわかない方のために、
具体的に話しましょう。
 
■もし、上司が
「お前が何を大事にするべきだと考えているかなど、
どうでもいい。
言われたことを早くやれ。
仕事なんだから、責任を果たすのが当り前だ」
と指示と評価しかしない職場だったら、
みなさんは、
「気持ちよく勤めよう」
と、何日、思い続けることができるでしょうか?
 
そんな時、
「残業は少ない」
「有給は取りやすい」
「評価制度がちゃんとしている」
といったことが、支えにならないことは、
想像に易いでしょう。
 
これは価値観を解放することができず、
その反対に、価値観を抑圧されているからです。
 
そして、価値観を抑圧されると、
人はあっという間にモチベーションを損ない、
できるはずのこともしたくなくなってしまうのです。
 
価値観を解放できず、心が死んでいたままという
職場が多いので、
どんなに身体が求めるものを与えられていても、
慰めにならず、
心が病んでしまう人が後を絶たないのは、
むしろ当然だということがわかるのではないでしょうか。
 
■この反対に、もし、上司が、
「正直、お前の話にぼくはピンとこないのだけれど、
でも、お前がそこまで言うなら、
わかった、応援しよう。
お前が納得いくようにやってみろ!
やるからには、しっかりやれよ」
と自分の価値観を理解し、応援し、承認してくれる職場だったら、
おそらく、
「よし、誰が何を言おうと、気が済むまでやらせてもらおうじゃないか」
と心から思えるのではないでしょうか・
 
これは価値観を解放されているからです。
 
そして、上司も同僚も、
周囲がみな、このように自分の価値観を解放してくれる職場であれば、
日々、心が活き活きとするはずです。
 
人が、
「この仲間と一緒だから、もっと頑張れる」
と思えることがあるのも、
こんな職場だからです。
 
寝食を忘れて、仕事に熱中できるのは、
自分の価値観を解放できた時に他ならないでしょう。
 
■こうしてみると、
ワーク・ライフ・バランスにおいても
働き方改革においても、
この
「心が求めるもの」
については、まったく眼中にないことが、
どんなに制度設計をしても、
職員にとって「フツー」となることはあっても、
決して「幸せ」にはならず、
離職やメンタル疾患が減らない原因だ
……ということが見えてくるのではないでしょうか?
 
では、どうすれば、
「価値観の解放」
が当り前になされる職場を創ることができるのでしょうか?
 
「理解・尊重・承認したくない」
という人ばかりの職場はありません。
 
それなのに、なぜ、
「理解、尊重、承認」
が日常の中で当り前に行われないのでしょうか?
 
それは、そうしたメッセージを発信し合うような
「関係性」
「機会」
が職員同士の間にないからです。
 
そして、それは現場から自然発生することはありません。
 
ということは、
経営者・上層部が、
「理解・尊重・承認のメッセージを発信し合う関係性と機会」
を意図的、作為的に創ることが必要ということです。
 
そのための、もっともシンプルな方法が、
患者サービス研究所の提唱する
「HIT-Bit」
です。
 

「HIT-Bit」

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■今日も、東京都の勤務環境改善支援の施策で、

医療機関において、

働き方改革に関する話をすることになっています。

 

しかし、昨今の働き方改革といえば、

もっぱら今年4月の労働法改正が主なテーマとなっています。

 

制度には強制力があるので、

どうしてもそうなってしまうのですが、

それが本当に、

健全な職場づくりの主な施策なのか?というと

必ずしもそうではない、と

つくづく感じます。

 

というのも、労働法などの制度設計によってどうにかなるのは、

「職員は働き続けるものだ」

という前提があった昭和の時代のカルチャーがあってこそだからです。

 

ところが、最近の人は、

ワーキング・プアどころか、

ワークレス・プアも辞さないこともあり、

簡単に辞めてしまいます。

 

しばらく前にもニュースになったように、

「ひきこもり歴40年」

などということが可能な時代なのです。

 

むかし、

『ロビンソン・クルーソー漂流記』を読んだことがありますが、

いまや漂流したい放題の時代といっても良いでしょう。

(ある意味、ストイック!)

 

そんな時代になっていることに、

経営者・管理職が、いまだに慣れていないため、

「職員のモチベーション」

「職員のやりがい」

「職員の定着率」

などを向上するため労働環境を整えようとするときにも、

どうしても、

制度設計や待遇改善に終始してしまうのです。

 

しかし、

同じ業界の中で、大して労働条件が異ならないのに、

定着する組織とそうでない組織があるのは、

病巣は労働条件ではないからだ、

ということに、

もう気づいても良いのではないでしょうか。

 

■従来、わが国でモチベーションの課題といえば、

「職員が持っている1のモチベーションを

どうやって3や5にするか?」

というものでした。


1が0になることはなかなか無かったので、

精神論を掲げてしごき放題…でも

成り立っていたのです。

(電通の鬼十則も、です)


しかし、社員がすぐ辞めてしまう現代では、

「職員のモチベーションが0なのを、

どうやって1にするか?」

を考えなければならない時代なのです。

 

むかしは、上司や先輩は

「この職場に来た以上、モチベーションはあるはず」

と考えており、

実際、部下や後輩も

「入ったからには頑張ります。

石の上にも3年と言いますから」

と思っていたものです。

 

ところが、昨今は、

「母から手に職をと勧められたので」

と看護師になったという人も少なくありません。

 

専門学校に入り、

病院実習を経て、

国家試験を通り、

入職して来たにも関わらず、

「大してやる気もない」

「親に言われたから」

で、ここまで来た人もいまや珍しくなく、

それはそれで、むしろすごい!

 

そんな昭和の、

科学では説明のつかないことが起きているのです。

 

■「職員は勤め続けるもの」

という前提のカルチャーでは、

「達成感を与えれば、モチベーションが上がる」

と言われて来ました。

 

みなさんも、そんな気がしているでしょうか?

 

しかし、いまのモチベーション・ゼロの職員は、

達成感なんか欲しくない!のです。

 

せっかく何かを達成させても、そこまで頑張ることにコミットしていないので、

「むしろもう二度とごめんですぅ」

となるだけです。

 

山本五十六の

「やって見せ、言って聞かせてさせてみて、

褒めてやらねば、人は動かじ」

も、モチベーション・ゼロの職員には通用しないのです。

 

「やってみせるから、見ていなさい」

「えー、嫌ですー」

「次は、説明するから、聞きなさい」

「まだ終わらないんですかー」

「いよいよ自分でやってみなさい」

「しんどいですー」

「よくできた!センスが良いな」

「もうやらなくていいですよねー」

「どうだ、もっと頑張りたくなっただろう?」

「お腹すいたー」

となるからです。

 

良い・悪いは別として、そんな時代になったことに

「驚いている場合ではない」

という客観的な事実を

経営者・管理者は、踏まえておかなければならない時代なのです。

 

「そんなの信じたくない」

と思って、認めないようにしていても、

必ず、ギャップに直面させられる時が来るのですから。

 

■さらにいえば、

一般的に、経営者・管理者は、モチベーションを上げるために、

ついつい評価とか表彰をしようとする傾向があります。

 

これも、昭和の体質なので昨今の職員には響きません。

 

そもそも、評価も表彰も、上から目線です。

 

人は誰でも、(自分からエントリーする場合以外は)

他人のものさしで測られたくないものです。

 

しかし、

「せっかく入職したからには、褒められたいよね?」

という前提があるために、ついそれを押し付けてしまうのが、

評価とか表彰なのです。

 

みなさんも、

もし、自分が好きで描いた絵について、

勝手に、好きでもなく尊敬もしていない誰かから

「かなり良いけれど残念ながら85ミヨシです。

もう少し頑張れば90ミヨシに届くでしょう」

と言われたらどうでしょうか?

 

「せっかくだから、

ぜひもうちょっと頑張って、90ミヨシをとろう!」

とは思わないはずです。

 

「だいたい、その変な単位はなんだ!

大きなお世話だ」

となるでしょう。

 

そんな、頼んでもいないのに、

他人によって上から目線で測られるのが評価とか表彰なので、

勝手に評価・表彰される方の身になってみれば

鬱陶しいだけだとわかるでしょう。

 

「ここで働き続けたい」

というコミットメントがない職員に対しては、

かえって不快感を与えることにしかならないということです。

 

■そもそも、辞めてしまうことが珍しくない時代

つまり、

「辞めることが常に選択肢の中にある時代」

なのですから、

今日も出勤して働いてくれていることに価値があることを

忘れてはなりません。

 

職員には

「あなたが話し合いのテーブルについてくれるだけで嬉しい」

という気持ちを持っていることです。

 

相手には、

テーブルについてくれない選択肢、

つまり、この職場で働かない選択肢もあるのですから。

 

なので、

経営者・管理者の価値観を押し付けるのではなく

(尊重すべき相手として目上の人に感情を伝えるのと同じで)、

いかなる職員にも、敬意と感謝を持たなければなりません。

 

言葉だけではなく、態度、

その表現力の引き出しも増やさなければなりません。

 

考えてみれば自分自身も、

頑張って働いていることに対して、

上司や同僚が

「やって当り前だ」

としか見てくれなければモチベーションは上がらないでしょう。

 

■「コーチングをすればなんとかなる」

と思っている人が多いのも、

「相手はテーブルについてくれるものだ」

という都合の良い昭和の時代の前提が抜けきらないから、

に他なりません。

 

「部下や後輩のモチベーションを上げよう」

と思うのは良いことですが、

実際、こちらがコーチングをしようとしても、

相手が2人だけの時間をとるかといえば、

もともとそんな関係性がないから、日頃のコミュニケーションがとれず、


そこでコミュニケーションの技法を学ぼうということになり、

コーチングを習っているわけで……。

 

しかし、

日頃のコミュニケーションがとれていれば、

実はコーチングはもう必要ありません。

 

■では

「どうすれば、モチベーション・ゼロの職員の

モチベーションを1にすることができるのか?」

 

「どうすればテーブルについてくれない職員を

テーブルにつかせることができるのか?」

 

「どうすれば、辞めることが常に選択肢にある職員に、

働き続けることにコミットさせることができるのか?」

 

そのための引き出しはいろいろあり、

また、

その引き出しを導き出すための公式もあるのですが、

今回ここではご紹介しきれません。

 

ただし、まずは、

「使う言葉を変えること」

をお勧めします

 

前述したように、

「評価・表彰」

はなるべくやめましょう。

 

そして、代わりに大事なのが、

「感謝と敬意」

「驚きと喜び」

です。

 

こちらのものさしに照らして良い・悪いを判断する

「評価」用語をやめましょう。

 

代わりに、本人の価値観を尊重し認める

「承認」用語を使うようにしましょう。

 

(評価用語・承認用語のリストも、いずれご紹介しましょう)

 

もはや昭和の時代の、

理屈抜きの上命下服や体育会系の

「上下関係」

は過去のものです。

 

さまざまな選択肢(引きこもる自由さえも!)もある中で、

一緒に働き続けてくれていることが

当り前ではない、と思えば、

上下関係ではなく、水平関係だということが見えて来るでしょう。

 

この発想の転換ができずに、

経営者や管理者側のものさしをいつまでも押し付けていれば、

部下職員が、

「ぜひここで頑張り続けよう」

というモチベーションを抱くことはありません。

 

重要なのは、制度設計だけでなく、

それ以上に、「関係性」を変えることだということです。

 

■(注意)

みなさんの目の前の職員の方々がコミットしていない、という意味ではありません。

 

コミットしていない感覚が当り前のカルチャーの中から来てくれた、ということです。

 

経営者・管理者は、

「入職して来た以上、職員は、

頑張って働き続けることにコミットしていて当り前だ」

と思わない方が良い、という意味です。

 

■一般に職場においては、

「もっと自分で考えて行動してほしい」

といった声が聞かれることもあれば、

「仕事なんだから楽しい必要はない。与えられた業務をいかにきちんとやるかだ」

といった声が聞かれることもあります。

 

珍しくないフレーズだという人も多いでしょう。

 

しかし、実は、この2つの意見は、

お互いに矛盾していることにお気づきでしょうか?

 

■「自分で考えて行動してほしい」

と言われる時には、

「創造性」

を期待されています。

 

創造的なことは、

「みずから新しいことを生み出したい」

という

「Want」

がなければ実現しません。

 

つまり、新しいことを生み出すことを

「楽しい」

と感じる気持ちが、

創造的なことを実現するためには、必要不可欠なのです。

 

強制によって、

良い絵が描けるでしょうか?

 

強要されて、

素晴らしい歌を歌えるでしょうか?

 

押し付けの価値観によって、

のびのびとした、

それまでにない新しい発想や行動が生まれることはないのです。

 

なので、部下に

「もっと自分で考えて行動してほしい」

と願うならば、

「楽しい」

職場にすることが必要となるのです。

 

■また、新しい発想や行動には、

「必ずうまくいく」

という保証はありません。

 

つまり、新しいことを実現することは、

つねにチャレンジであって、

うまくいかなかったという無駄が必ず発生するものなのです。

 

それは、

「効率第一」

「結果重視」

「成果主義」

といった、ストイックな文化の下では、絶対に実現しないものなのです。

 

そのため、

「仕事なんだから楽しい必要はない。与えられた業務をいかにきちんとやるかだ」

という

「トライ・アンド・エラーが許されない」

職場では、新しいことへのチャレンジは絶対に生まれないのです。

 

強制ややらされ感による行動でもどうにかなるのは、

定型的なことだけです。

 

定型的なことなら、

「やったか、やっていないか」

やらせる側のものさしに照らして、

目で見ればわかることなので、

本人がどんな気持ちであろうと、

強要することができるからです。

 

しかし、創造的なことは、そうはいきません。

 

やらせる側のものさしの届かないところで、

新たなことを考え、話し合い、実践してほしいのですから、

「やらされている」

という消極的な気持ちでやれるようなことではないからです。

 

■したがって、

創造的に仕事をしてもらいたいのであれば、

「きちんとやるべきだ」

という

「Must」

よりも、

「ぜひやりたい」

という

「Want」

を引き出さなければ、絶対に不可能だということです。

 

■自発的な

「やりたい」

を喚起するためには、どうすればよいでしょうか?

 

人間の行動の動機は、大きく分けて3つあります。

「得になる」

「楽になる」

「たのしい」

の3つです。

 

まず、仏教では五欲と言って、5つあるとされていることは、みなさんもご存知かもしれません。

・食欲

・財欲

・色欲

・名誉欲

・睡眠欲

 

これらを整理すると、

・身体由来の欲(食欲、色欲、睡眠欲)…楽になる

・精神由来の欲(財欲、名誉欲)…得になる、たのしい

となるでしょう。

 

うち、精神由来の欲を言い換えれば、

・財欲は、モノ・カネによって得られるものを求める欲求です。

 

「得になる」

という行動動機になるでしょう。 

 

そして、

・名誉欲は、人間関係によって得られるものを欲する欲求の総称と考えて良いでしょう。

 

それは、

「勇気が出る」

「元気がもらえる」

「心の支えを得られる」

などの表現もあり、

「心が明るくなるから」

「たのしいから」

という行動動機になるでしょう。

 

■こうして考えてみると、

これらの中で、お金がかからずに得られるのは、

「良い人間関係」

です。

 

「この仲間だから頑張れる」

「わかってもらえる」

「この仲間だからできる気がする」

・・・といった意味での

「たのしい」

という気持ちは、

新しいことに対しても、

楽しんでチャレンジできるマインドとなります。

 

職場の仲間同士がつねに、

感謝・敬意・承認・尊重しあい、

そのメッセージを送りあっていれば、

勇気と元気を得られない人はいません。

 

新しいことへのチャレンジが自然とできることでしょう。

 

その楽しさこそが、

創造的な仕事をするための必要不可欠な要件ではないでしょうか。

 

■みなさんの現場では、

これまでにない新しい施策をどんどん探そうという時、

それを

「楽しくやろう」

という気持ちが職場の方々の中にあるでしょうか?

 

「楽しく」

が無ければ、

思いがけない新しい問題に気づくことも、

思いがけない新しい対策を発見することも、

そんな新しい取組を現実に始めることも、

さらには、

その取組をのびのびと持続することもできないのです。

 

「楽しく」

 

それが、

自律進化の組織体質には不可欠な要素です。

 

■「心は目に見えないから、わからないもの」

と思われます。

 

実際、思いがけない人から

思いがけない言葉が飛び出してきたり、

思いがけない行動に驚かされたり、ということが

日常において、

当たり前のように起きています。

 

そのため、

「心はわからないもの」

と感じることが多々あります。

 

人の心以前に、

自分の心がわからないということもあります。

 

自分の心を客観的に見ている人ほど、

自分の心のもろさ、危うさ、変わりようを認識しているものです。

 

■しかし、

「目に見えないから得体の知れないもの」

と思っていては、

自分の心をドライブすることも、

他人の心に適切な配慮をして接することもできません。

 

そこで、

その性質を断片的に理解することができる一つの視点を

共有しておきたいと思います。

 

それは、

「心と身体はパラレル」

だという視点です。

 

心に起きたことが

「なぜだろう」

と思った時に、

「身体だったらどうだったか?」

を考えると、

大抵の場合、理解できるからです。

 

■まず大前提として、

 

相手の身体に何かを提供しようとすれば、

それは、快楽や癒しや休息ということになるでしょう。

 

なぜなら、身体が求めているのは、

多くの場合、快楽や癒しや休息を得ることだからです。

 

わたしたちが

音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、旅行に行って普段と異なる環境をに身を置くのも、

すべて、快楽や癒しや休息を自分に与えるためでしょう。

 

一方、心が求めているのは、

周囲から理解・承認・尊重されることと言えるでしょう。

 

わたしたちが、

人と会ったり、家族や恋人に電話をして、話を聞いてもらったりするのは、

すべて、理解され承認され尊重されることを期待しているからでしょう。

 

なので、

他者の身体に何かを与えてあげるならば、

快楽・癒し・休息となり、

他者の心に何かを与えてあげるならば、

理解・承認・尊重となるでしょう。

 

■身体は、

栄養を摂っては、老廃物を排出する

あるいは、

酸素を吸い二酸化炭素を吐くといった

物理的な「代謝」が行なわれているときに、

「生きている」

と言えるものと思います。

 

一方、心は、

情報や刺激を得ては、言葉や態度や行動によって発散したり表現するといった

精神的な「代謝」が行なわれている時に、

「生きている」

と言えるのではないでしょうか?

 

身体が、

呼吸をやめ代謝をしていなければ、それは死んでいることを意味します。

 

いますぐ、AEDや人工呼吸などで蘇生術を施さなければなりません。

 

なので、

目の前の人が、情報や刺激を受け付けず、言動によって表現をしていなければ、その人の心は死んでいるのではないでしょうか。

 

いますぐ、本人の感情を吐き出させて、心の蘇生術を施さなければ、病んでしまうことでしょう。

 

多くの職場で、職員が病んでしまうことがあるのは、

この心の代謝をさせていないからではないでしょうか?

 

思いを吐き出させることで心の代謝を促し、

周囲によって理解や承認や尊重するなど、

心にとってエネルギーとなるものを与えるといったことが

行なわれていないのではないかと考えられます。

 

■従来、労働者の自殺やメンタル疾患が社会問題となり、

職場を健全にしなければならないという観点から、

ワークライフバランスとか働き方改革が提唱されてきました。

 

しかし、こうして見てみれば、

それらが、

有給休暇の取得や残業の削減、福利厚生の充実など、

ことごとく、

身体に対する施策でしかないことがお分かりでしょう。

 

そして、

心に対してのアプローチは、ストレスチェックの義務化でしたが、

それは心を元気にする施策ではなく、

病んだ時に早めにわかるようにするための対症療法でしかないのは、

お粗末というほかありません。

 

■なお、身体と心がパラレルなシーンは他にもあります。

 

たとえば性質①のように、

身体的には

「勢い余って」

「振り上げた拳の下ろしどころがない」

ということがあります。

 

運動エネルギーは、一瞬で解消することはなく、

時間をかけたり、

エネルギーを分散して

解消するほかありません。

 

それは心も全く同じで、

ずっと取り組んできたことや愛着を注いできたことについては、

一瞬で、価値を感じなくなることはありません。

 

それが、

「惰性」

という身体や運動エネルギーの性質に該当する

「執着」

という心の性質です。

 

なので、こうした心の性質を踏まえれば、

いかなることであっても、

突然心にブレーキをかけてはならない、ということがわかるでしょう。

 

反対に、性質②のように、

時間をかけて悪くなった身体は、

治るにも時間がかかるものです。

 

それは心も全く同じで、

心を病んでしまうときは時間がかかるものですが、

それが治るには同じくらい時間がかかるものです。

 

環境を変えれば

すぐにメンタル疾患が治ると思ったら間違いで、

生活習慣を改めれば、

すぐに臓器の生活習慣病が治ることはないように、

時間がかかるのが当り前だと考えておいた方が良いでしょう。

 

■また、身体や心の成長にも同じ性質が見られます。

 

たとえば、身体の場合、

トレーニングという負荷のIN-Putによって

身体が丈夫になると思われがちですが、

実はそうではなく、

トレーニングによって破壊された組織が、

修復しようとする組織活動のOUT-Putによって、

(この時に筋肉痛をともなうのですが)、

筋肉が再蘇生されて、

結果として筋肉が厚く強力なものになるのです。

 

同じように、心の場合、

勉強とか研修といった情報のIN-Putによって

思考や情操が向上すると思われがちですが、

実はそうではなく、

学んだことや受け取った情報を記憶・加工し、

さらに他者に向けてOUT-Putしたり、

行動によってOUT-Putすることによって、

初めて自分のものとなり、

結果として精神が成長するのです。

 

■さらに、

大切な人を失った悲嘆を「グリーフ」と呼びますが、

その心情を推し量れない人もたくさんいます。

 

大切な人を失った時、

自分自身も生きる気力を失い、

「あの人のいない人生がまた始まるなら、朝が来なければ良い。

このまま死んでしまいたい」

という人もあります。

 

「それがグリーフか」

と言葉で理解していては、その本心に迫ることはできません。

 

「今にも死んでしまった方が楽だ」

という心情は、

「心が瀕死の状態」

だといっても良いでしょう。

 

したがって、身体でいえば

「心肺停止の状態」

だという認識をした方が良いと考えられます。

 

目の前にそんな人がいる、と考えれば、

「いますぐ、自分にできることは何か?」

と居ても立っても居られない、

どれだけ深刻で重大な事態かが見えてくるのではないでしょうか。

 

■このように考えてみれば、

「心は目に見えないからわからない」

ものではなく、

身体にたとえてみれば、

目に見えるかのように心が見えてくるのではないでしょうか。

 

心のうち、

「どんな思想か」

「なにを正しいと考えているか」

といった思考部分は、

その人の人生経験や文化によって、

人それぞれのものがあり、複雑怪奇ですが、

 

「どんな想いか」

「なにを快く感じているか』

といった感情部分は、

生まれた瞬間から人間が持っているもので、

人生経験や文化によって左右されない部分であるため、

万人共通であり、シンプルなものなのです。

 

■以前、こんなことがありました。

 

その病院では、

すでに様々な組織改革のための施策を進めていましたが、

なかなか軌道に乗らない、という悩みがありました。

 

たとえば、

職員からの提案を端緒にして、

改善施策することを奨励しており、

 

実際に、

職員の提案から勤怠管理システムが

導入されるという大掛かりな取組が進んでいます。

 

しかし、

「その次の提案が上がらない」

とのことです。

 

また、

職員の自己研鑽を支援するため、

業者・教育機関と提携をして、

さまざまな研修を受けられるようにしました。

 

しかし、

「受講を希望したのは、ごく一部の職員だけで、

その後の希望者が現れない」

ということでした。

 

そこで、

「どうすれば、もっと職員が手を挙げてくれるようになるのか?」

という相談になったのです。

 

■ここで重要なのは、

「どちらが原則なのか?」

という視点を持つということでしょう。

 

勤怠管理システムの導入のような大掛かりな施策を

提案する方が奇特であって、

それ以外に手を挙げる人がいないということは、

「手を挙げるのが原則ではない」

と考えた方が良い、ということです。

 

また、

さまざまな研修を受けようとする方が奇特であって、

後に続く人が現れないということは、

「受講するのが原則ではない」

と考えた方が良い、ということです。

 

■しばしば、経営者や管理職の中には、

部下の中に一部でも動きがあれば、

「動いてくれる人がいるのに、

なぜ、他の部下たちは動いてくれないのだ?」

と嘆く人がいます。

 

「きちんと挨拶してくれる職員もいるのに、

なぜ、他の多くは挨拶しないのか?」

 

「一部の人は気づいてやってくれるのに、

他の多くの職員は、なぜかやってくれない」

 

「意見を言う人はいつも決まった人だ。

他の人たちは、どういうわけか全然発言しない」

 

……そんな不満の声が聞こえて来ない現場はないのではないでしょうか?

 

しかし、

「やってくれる職員もいるのだから、

他の職員もやるようになるはずだ」

という思考、つまり

「動いてくれるのが原則で、動いてくれないのが例外だ」

というのは

「幻想」

だということを前提にした方が、

有効な対策を講じることができるはずです。

 

現に、

動いてくれる職員の方が少数派で、

大多数が動いてくれていないのであれば

「動かないのが原則で、動いてくれるのが例外」

なのです。

 

ところが、人はつい、

「一部の人が動いてくれるのだから、

他の職員も動いてくれないはずはない」

と、都合の良いように考えて、

「動いてくれるのが原則で、動いてくれないのが例外」

と信じ込たくなってしまう傾向があるようです。

 

そのため、

動いてくれない大多数の職員に対して、

「なぜ例外の人たちのようにならないの?」

と呼びかけ続けてしまう、ということが起きるのです。

 

■みなさんの投げかけに対して、

もしも、応じる人が少ない場合には、

「なぜ?」

と疑問に思ったり、

「なんとか全員を奇特な人たちにしよう」

と努力するのではなく、

 

その投げかけは、

「応じてもらえないのが原則で、応じてくれる人が奇特」

なのだと冷静に客観視した上で、

その原則・例外が逆転する仕掛けを講じた方が良いのです。

 

■たとえば、資格試験は、

その種類によって合格ラインが異なります。

 

60点以上が合格とされている試験であれば、

模擬テストで、75点だった時に、

「おおむね合格水準。ただし、もう一歩」

と考えて良いでしょう。

 

つまり、

「原則として現状で良い」

という前提で、

「これまでの勉強方法をベースにし、

その延長上で、さらに改善をすれば良い」

という対策で良いと思われます。

 

一方、

90点を取らなければ合格できない試験であれば、

模擬テストで75点だった場合、

「このままでは不合格」

と考えた方が良いでしょう。

 

つまり、

「原則として現状ではダメ」

と言う前提に立って、

「これまでの勉強方法を根本的に見直すべき。

こまかな改善はその後だ」

という考えで対策を講じなければならないでしょう。

 

みなさんも、

部下に対する人事評価でも、

こどもの通信簿でも、

5段階評価で4がついたときに、

「5に近い4なのか」

「3に近い4なのか」

で、その後への対処を変えるのではないでしょうか。

 

5に近い4

ならば、原則として現状を守りながら、

例外的に変化をつけることになり、

 

3に近い4

の場合には、例外的に良いところを残すとしても、

原則的には、全面改装しようと考えることでしょう。

 

■冒頭の事例のような場合においても、

「なぜ後に続く人がいないのだ?」

と悩むのではなく、

 

「たまたま手を挙げてくれる奇特な人がいただけ。

大多数の人が手を挙げるにはどうしたらよいか?」

と抜本的な改善を考えた方が現実的です。

 

勤怠管理システムの例に続いて

職員発の提案をさらに増やしたいのであれば、

「手を挙げてくれるのを待つ」

というスタンスを抜本的に見直して、

「勤怠管理システムのような大掛かりな提案でなくても良い」

と感じさせ、

小さな意見や小さな提案を挙げやすいようにする

職場環境づくりをすることが必要です。

 

そのためには、

提案を募集する経営者側vs全職員

という二極構造を壊す必要があるので、

その二者の間に、

小さな意見や小さな提案を促す役割を

管理職に担ってもらうことが有効です。

 

すると、

「全職員からの応募を待つ」

という姿勢から、

「管理職に、意見や提案を促す役割を担ってもらう」

という動きへと、

アプローチの仕方が根本的に変わることになります。

 

また、研修についても、

受講希望者をさらに増やしたいのであれば、

「手を挙げてくれるのを待つ」

というスタンスを抜本的に見直して、

何よりもまず、

学ぶ必要性や学ぶ魅力を感じさせ、

「ぜひ学びたい」

と思わせることが必要です。

 

そのためには、

受講してほしい経営者側vsそうでもない全職員

という対立構造を壊す必要があるので、

学ぶことが必要だと感じる体験や

学ぶことが魅力的だと感じる体験を

設計することが不可欠です。

 

それは

「学んだ方がいいですよ」

と教える講義ではありません。

 

言葉や理論やデータは、

思考にはアプローチしますが、

感情にはアプローチしないので。

「感じさせる」

ことはできないからです。

 

「感じさせる」には、

  • 足を運ばせて見せること
  • 人と会わせること
  • 身体を動かして実践させること

です。

 

そして、

「全職員からの応募を待つ」

という姿勢から、

「機会を設ける」

という動きへと、

アプローチの仕方が根本的に変わることになります。

 

■ほかにもたくさん

「なぜ?」

と感じることがあるでしょう。

 

「なぜ、目標管理シートに、目標を書けないのか?」

 

「なぜ、接遇の意識が高まらないのか?」

 

「なぜ、もっと自分から考えようとしないのか?」

 

「なぜ、研修の効果が持続しないのか?」

 

「なぜ、提出期限などの基本行動ができないのか?」

 

「なぜ、会議ではみんな意見を言わないのか?」

……などなど、です。

 

一部の都合の良い反応を見て、

「なぜそれが全体に広がらないのか?」

と考えて

「良い反応をするのが原則だ」

という幻想を抱いてはなりません。

 

一部しか良い反応がないのであれば、

「全体が反応しないのが原則なのだ」

と冷静に客観視することです。

 

病巣を見極めて、初めて適正な診療が可能になるはずです。

 

■みなさんは、職員から

「接遇は、どれくらい重要なのですか?」

と訊かれたら、

どのように答えますでしょうか?

 

「重要。できたら意識して欲しい」

でしょうか?

 

それとも、

「重要。しっかり意識して欲しい」

でしょうか?

 

それとも、

「重要。医療行為と同じくらい真剣に実践して欲しい」

でしょうか?

 

体感的には、

2つ目のニュアンスの回答をする現場が多い気がします。

 

しかし、それは、

「0でもなく100でもない。その間でやってね」

ということになるので、

事実上、職員任せとなりますから、

「意識して欲しい」

と祈っているのと変わりません。

 

ちなみに、1つ目の

「できたら」

は、多忙を極める現場職員にとっては

「できなくても良い」

と言っているのと同じことを意味します。

 

■しかし、

「できなくても良い」

「職員次第」

で、本当に良いのでしょうか?

 

それはつまり、

「できていなくてもOK」

で良いのか?という問いでもあるのです。

 

■そもそも、患者さんの信頼はかけ算です。

 

一般に言われる

「一人でも0点がいたら、病院全体が0点にされちゃうのよ!」

という意味ではありません。

 

ここでいうかけ算とは、

「患者さんの信頼=職員の持つ技能×職員が最前を尽くすこと」

という意味です。

 

まず、

職員の技能は、

1点から100点まであるでしょう。

 

一方、

職員が最善を尽くしているかどうかは、

最善を尽くしていれば1、

尽くしていなければ0、

と0か1しかありません。

 

つまり、

職員が100点の技能を持っていても、

職員が最前を尽くしてくれていなければ(0点ならば)、

総合的には0点になるといういことです。

 

■なぜか?

 

患者さんは、

「この医療機関では最善を尽くしてくれているのかどうか?」

を見ているからです。

 

もし、

医療従事者が最善を尽くしてくれていると感じられない場合には、

患者さんは、

「ここでは、ありったけの選択肢を出してくれていないのかもしれない」

と感じることになるので、

「ここじゃダメだ。

ちゃんと診てくれるところで受診し直そう」

と、0点になってしまうのです。

 

逆に、

医療従事者が最善を尽くしてくれていると感じられれば、

患者さんは、

「ここで示してくれた以外の選択肢はないだろう」

と感じるので、

「あとは、ここの技能にお任せするかどうかだ」

となるのです。

 

■そして、

患者さんに

「この病院は最善を尽くしてくれている」

と感じさせることができるのは、

マニュアルでもなければ、

施設設備などのアメニティでもありません。

 

職員一人ひとりの対応の様子です。

 

では、どんな対応があれば、

「最善を尽くしてくれている」

と感じるでしょうか?

 

それは、

「時と場合と相手に応じた柔軟さがあるか?」

で、見られていると考えて間違い無いでしょう。

 

■もし自分が受診した病院で、

職員が最善を尽くしてくれていなければ、

「他にもっと良い選択肢があるかもしれない」

と考えるのが患者さんの心理です。

 

そして、みなさんが患者さんだったとしても、

何よりも

「(他にもっと良い選択肢があるならば)それを知りたい!」

に決まっているでしょう。

 

「他にもっと良い選択肢があるかも知れないけれど、

まあいいや」

と思う人は、まずいないはずです。

 

したがって、

「最善を尽くしてくれる病院なのか?

そうではない病院なのか?」

は、何よりも大問題なのです。

 

「医療に関する技能がどれくらいなのか?」

その後の問題なのです。

 

というのも、

どんなに優れた技能があっても、

その技能を総動員してくれない病院ならば、

最善の選択肢を示してもらえないからです。

 

技能が100点であれ、10000点であれ、

最善を尽くす気がなければ、

患者さんにとっては、

「100 × 0 = 0」

または

「10000 × 0 = 0」

となり、

「0点の病院」

となってしまうのです。


腕は確かだが、

最近どうもやる気にムラがあり、

最善を尽くすかどうかわからないゴルゴ13に、

仕事を頼むでしょうか?


これが

「100 × 0 = 0」

つまり、

「信頼はかけ算」

ということです。


■こんな場面を想像してみてください。

 

あなたが病院で受診したところ、

医師から

「安心してください。

来月にでも手術しましょう。

それで完治することでしょう!」

と治療方針が提示されました。

 

そこで、あなたが訊きます。

 

「先生、念のため、確認したいのですが」

 

「なんでも訊いてください」

 

「今日の診断、最善を尽くして下さっていますよね?」

 

「はい。ほぼ、最善を尽くしていますよ」

 

「ほぼ、とおっしゃいますと、

他の選択肢があるということでしょうか?」

 

 「いえ。

他の選択肢は、ほぼありません」

 

みなさんは、

「ほぼありませんという答えなんかない。

有るのか、無いのか、のどちらかだけだ」

と思うことでしょう。


そして、もし有るならば、

「その最後の一つこそ、

自分にとって最良かもしれない。

その選択肢の長所短所も聞きたい」

と思うのではないでしょうか?


患者さんにとっては、

「時間はかかっても副作用だけは避けたい」

「お金はいくらでも払うので、痕が残らないように」

「とにかく治療や検査に伴う苦痛の最も少ない方法を」

と、それぞれ異なった「最善」があります。


なので、そうした気持ちを抱えながら

「ほぼ全てというのだからいいや」

とは思えないのではないでしょうか?

 

「ほぼありったけすべてを提示していますから、安心して下さい」

と言われて安心できるものではない、

それが患者心理でしょう。

 

だから、

「最善を尽くしてくれている」

ということが伝われば1、

伝わらなければ0…、

その2つしかないのです。

 

そして、それを表現するのが

医療現場における「接遇」なのです。

 

■「できたら」

やれば良いというものではありません。

 

最善を尽くしくれていることが伝わらなければ、

患者さんは、

さらなる最善の選択肢を求めて、

他の医療機関を訪ねなければならなくなるのです。


そして、二度と戻っては来ないでしょう。


これが医療接遇と他の接遇の本質的な違いです。

 

■神戸の小学校での教師による教師に対するいじめ。

 

教師がやっていたというから、なおさら残念、

というより呆れています。

 

加害教師ももちろんですが、

とくにひどいのは校長です。

 

かねがね話は聞いていたとのことなので、

校長がすぐに

(1)介入して事実を把握し、

(2)当事者間の関係調整を

しなければいけなかったはずですが、

まったく動かなかったということです。

 

介入しなかったのは、

関係調整のイメージが持てなかったからではないか、と感じます。

 

■昨日のクローズアップ現代では、

小学生の娘が学校でいじめにあい、

学校に働きかけて解消に努めた母親までもが苦しんだ末、

「死にたい」とまで言っていた娘と

心中してしまった、という事件を扱っていました。

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0817.html?fbclid=IwAR2ZUrB4JLCHjC3VY_Hxk7odFRg1JjIYUWw2mXU2xT_yt5KfqpYCVh46AjU

 

学校の先生は、

いじめた子どもといじめられた娘を握手させて仲直りさせたとのことですが、

娘はそれが心の傷になったようで、

以降、登校できなくなってしまったとのことです。

 

その後、

母親がいじめた子ども側と話し合いたいと申し入れたものの、

学校は応じず、先延ばしにするばかりだったといいます。

 

■いま、

学校の教師に限らず、社会の多くの人たちに、

著しく関係調整能力がなくなってきていると感じられます。

 

対立構造の当事者同士の関係を調整する能力がないだけでなく、

もとより、

自分自身の人間関係においても、

他者との関係を調整することもできなくなっている気がします。

 

対立構造の当事者同士の関係調整においては、

おそらく、

単に「紛争」という不穏な状況しか見えず、

その根底に、

感情や思考の行き違いがあるからトラブルになっているのだ、

ということがわからないため、

 

「何をどうしたら良いか」

がわからないので、

介入もできない、という構造なのではないでしょうか。

 

なぜそうなってしまうのか?

 

自分自身の人間関係においても、

おそらく普段、

単に「紛争」という不穏な状況であるということしか認識せず、

それを解決するということをせずに、

単純にその関係性から身を引いたり、

相手を締め出すという方法で、

逃げてきた、という人が多いからではないでしょうか。

 

その結果、

今後接することがない相手であれば、

「どんなやり方で相手に不快感を与えても関係なし」

という発想が、いま珍しくありません。

 

その証拠が、最近話題の

「退職代行業者」

です。

 

辞めるとなったら、自分は動かず、

すべて業者任せにするビジネスが、

賛否あるものの、さして炎上することもなく、

ニュースで取り上げられる、ということは、

それを許容する世の中になりつつあるということの

現れに他なりません。

 

法的手続きだけをして退職する、という

最も感情的しこりが残るやり方であり、

これは、ある意味、

裁判に訴えるのと同じ最もドライな方法です。

 

たかが、自分が辞めるのに、です。

 

■今年、こんなこともありました。

 

ある協会で、会員同士の揉め事が起きました。

 

理事の一人が、理不尽なことを言い、罵詈雑言を浴びせましたが、その後は、その話から逃げるばかり。

 

被害を受けた会員の方は、

きちんと話し合う用意があるとのこと。

 

状況をつまびらかにして、

「協会には、公正に対処してほしい」

とのことでした。

 

果たして、その協会の責任者は、

双方の話を聞いたまでは良かったのですが、

結局は、自分で決められず、

理事会に諮りました。

 

当事者でもない理事たちは、

仲間の理事に非があることを感じたからか、

あるいは

仲間である理事に諫言する自信がなかったからか、

最後には、

「あなたはもう来ないでくれ」

と被害を受けた会員を締め出す結論を出しました。

 

■みなさんも、

職員間の問題について、

管理職が、介入する方法を知らないために、

「それは当事者同士で解決してくれ」

と投げ出し、

結局、職員が退職している、ということが起きている現場をご存知ではないでしょうか?

 

このような

管理職が組織管理を放棄する事例は、

他の職員にも多大な悪影響をもたらします。

 

というのも、こうした職場は、

「悪いことは悪い」

と誰も言ってくれない職場だからです。

 

理不尽がまかり通り、

良いことをしても非難されたり、

やっていない人が野放しになることにもなります。

 

「臭いものには蓋をする」

というやり方は、

病巣を温存するだけなので、

その後の理不尽を生み出す温床となるからです。

 

こう考えると、上述の

「無理やり握手させた」

のは、介入しただけ、ましかもしれません。

 

■こうしてみると、

部下と部下の関係調整能力がない上司が多くなってきていることが感じられるのではないでしょうか。

 

関係調整とは、

互いの言い分を聞き、

「良いことは良い、悪いことは悪い」

という軸に基づいて、

「お互いに話し合って妥結点を見出しなさい」

と指導したり、

「妥結できなくても、折り合う努力をしましょう」

と歩み寄らせるなどして

さばいてゆくことです。

 

しかし、実際には、

そうしたプロセスを

イメージできる人がどうやらいない時代にになっているということでしょう。

 

■昨今は、コーチングを学んで、

あたかもコミュニケーションの専門家らしき人が増えてきているが、

流行っているほどに職場の人間関係が良くなっているとも聞きません。

 

コーチングを学ぶ人の中には、

人間関係で自分自身が苦しんだり、

そのために病んできたという人も一定数あり

(だからこそ、コミュニケーションを学びたいと切実に悩み、

コーチングを習いに来るということもあるのでしょう)、

学んだ人すべてが

それを職場で活かせるわけでもない模様です。

 

「とても人の関係調整どころじゃない」

という人もあります。

 

こんなことでは、職場で人間関係トラブルが起きるのは当り前でしょう。

 

言いたいことが言えず、

吐き出せないなら、

折り合いがつくこともありません。

 

そこで、関係調整能力がない管理職は、

配置換えを行なって、

それとなくお互いを引き離す方法をとるという対症療法を選ぶことも多々あります。

 

配置換えをする口実がない場合には、

強制的に一方を締め出すことになります。

 

締め出された方は納得できませんから

こうしたやり方を安易に選ぶのは最悪の管理職です。

 

■更に言えば、

(関係調整能力という技能の問題以前に、

気持ちを汲み取ることができるというマインドの問題で)

当事者の心に寄り添うこともできない人も多く、

そうした人は、

話を傾聴(という手順は実践)しますが、

それ以上介入しない、という傾向があります。

 

そういうタイプの人かどうかは、

行動を見れば一目瞭然です。

 

口では

「わかってあげたい」

と言いつつ(それすら言わない人も多いですが)、

そういうタイプの人は、

その場を見に来ることもありません。

 

また、当事者同士の

「話し合いを設けよう」

と提案することもなければ、

「その場に立ち会うよ」

とこともない。

 

逃げの姿勢では、かえって傷つくだけで、

時間と労力の無駄になる。

 

もし一見解決したに見えても、本心はわからないのだから、

その後どうなった?

大丈夫か?

いつでも話を聞くからな

誤魔化すなよ。

一緒に頑張ろう

と支援することもありません。

 

また、

表面的に解決したように見えたら、

それ以降は、

「その後どうだ?」

「なにかあったらなんでも言ってこいよ」

と、後々までフォローのアプローチをするという発想がありません。

 

根本的に、

「なんとかしてやりたい」

という思いがなければ、

関わり方が雑になり、

フォローが希薄になるのは、必然とも言えるでしょう。

 

神戸の小学校の校長がそれができる人だったら、

今回の事件は防止できたでしょう。

 

いじめで親子が亡くなった事件も、

教員にそれができていたら、いくらでももっと相談できたはずです。

 

■今回、教師の関係調整能力の無さと

それによる介入力の無さが浮き彫りになりましたが、

これは教師に限ることではなく、

いまや、あらゆる管理職にとっても、

大きな課題ともなっています。

 

医療現場では

「コミュニケーションが大事」

「連携を密に」

と言われており、

「そんなこと大事じゃない」

と思っている職員は一人もいません。

 

それでも現場によってはうまくいかないのは、

まさに管理職の部署自治力が足りないから、

という他ありません。

 

職員同士の関係調整力や、

介入力は、

部署を自治するための初歩です。

 

しかしながら、医療現場の管理職研修で、

関係調整力を教えているでしょうか?

 

フォローする方法を教えているでしょうか?

 

そして、

そもそも、

「部下同士の関係を調整することが管理職の仕事だ」

と、伝えているでしょうか?

 

もし、職員のメンタル疾患や、それによる休職や、

さらには職員の離職を防止したければ、

なによりもまず、

管理職が関係調整力を身につけなければなりません。

 

■ただし、

コーチングや、

アサーション、

NLP、

マインドフルネス、

話し方教室といったテクニックではありません。

 

アドラー心理学や

7つの習慣といった思想でもありません。

 

「人間関係をどのように築けば良いのか?」

について、

人間の心理構造を基礎にした

「人間関係を設計する方法」

を学ぶことが必要でしょう。

 

■「全ての職員が高い意識を持って欲しい」

「何事にも当事者意識を持って臨んでほしい」

と願わない経営者・上層部はないでしょう。

 

そんな中で、よく聞くのが

「TQC活動」

です。

 

毎年決まった時期に、各部署から

それまでに行なった改善について発表してもらう、という

イベントです。

 

もちろん、部署によっては、素晴らしいものもあります。

 

一方、

「これが一年がかりの成果?」

と寂しく感じるものもあります。

 

しかし、当然ながら、それを

「これが一年がかりの成果?」

などと思っていても、言う人はいません。

 

特に良い発表についてだけ表彰がなされ、

「参考になったね」

「よかったね」

と褒め合って終わり、

また来年・・・となっている光景をよく見かけます。

 

■本当にそれで良いのでしょうか?

 

「うちはTQC活動をやっている」

といっても、それで本当に

「うちは」

「やっている」

と言えるのでしょうか?

 

実態は結局、

発表会の1ヵ月前から、

各部署の中でもやる人だけがやっている

・・・と言うことが多いとも聞きます。

 

「うちは」ではなく、一部の職員が、

「やっている」というよりも、一部の時期だけ、

取り組んでいる、

イベントとなっているということでしょう。

 

本来、こうした取組の目的として求めているのは、

「すべての職員が」

「常に」

意識を持ってもらいたいと言うことだったはずではないでしょうか?

 

「組織体質を創ろう」

としているのに、一部の人だけが一時だけ行なう

「イベント」

をやっているのですから、

「すべての職員が、常に」

意識を持って考え、行動するという

「組織体質」

を創ることができないのは、必然です。

 

典型的な「形骸化」ですね。

 

職員本人たちも

「これって形骸化してるよね」

と思いながらやっているうえ、
経営者・上層部も

「形骸化してるなぁ。本当はそういうことじゃないのになぁ」

と思いながらやらせている、

・・・という構図です。

 

大の大人が集まって大真面目にやっているのに、

こんな愚かなことはないでしょう。

 

組織体質を創りたいのに、

一部の職員だけが関与するとか

一時期だけ職員が関与するといった

イベントをやることで、

「やっている」

気になってしまう

「イベント病」

です。

 

■目標管理制度においても、同じようなことが起きています。

 

年に一回、職員が目標を設定することになっていますが、

目標シートを書くのは、

提出期日の直前の1〜2週間で、

ということが多いでしょう。

 

本来は、日頃から、

「あれをどうにかしたい」

「これを変えるためにはこんな方法がある」

と、各自がつねに問題意識を持っていてほしいという目的から

始まっているはずです。

 

そして、

各自が持っているそれら多くの目標の中から、

「全部書ききれないので、

これとこれをシートに書いて、重点目標としよう」

となるくらいてあってほしいものです。

 

そして目標シートを提出した後は、

「やれやれ」

とホッとして、期末の面談まで、

「どんな目標を立てたか、あまり覚えてもいない」

ということも珍しくないのではないでしょうか?

 

これも、

「組織体質を創ろう」

としているのに、

「イベント」

をしている、という形骸化の典型例です。

 

この目標管理制度についても、

多くの場合、

職員本人たちも

「これって形骸化してるよね」

と思いながらやっているうえ、
経営者・上層部も

「形骸化してるなぁ。本当はそういうことじゃないのになぁ」

と思いながらやらせている、

・・・という構図です。

 

大の大人が集まって大真面目にやっているのに、

こんな愚かなことはありません。

 

これも、組織体質を創ろうとしながら

イベントをやってしまう

「イベント病」

ですね。

 

■もし、本当に組織体質を創ることができれば、

職員は、

日常の中で常に意見を出し合い話し合い改善をしていくので、

「改善事例を発表してください」

「目標シートを提出しなさい」

と言われたら

「では、どれにしようか」

と選ぶだけでいいと言うことになります。

 

みなさんも、もし

「組織体質を創りたい」

場合には、

くれぐれも、

一部の職員だけがするとか、

職員が一時期だけ関わるといった

「イベント」

をしないことです。

 

組織体質を創るならば、イベント病の逆で、

「一部の職員が関与する」

のではなく、

「全職員が関与する」

ことが必要であり、

「一時期だけ関与する」

のではなく、

「日々、日常的に関与する」

ことが必要です。

 

要するに、

「日々、現場において全職員がお互いにリマインドし合う」

コミュニケーション・モデルがなければ、

組織体質を創ることはできない、ということに、

気づかれることをお勧めします。

 

そんな

「全員が毎日リマインドし合うコミュニケーション・モデル」

が、

患者サービス研究所が提唱している

「HIT-Bit」

です。

 

「HIT-Bit」

については、1Dayセミナーを行なっています。

 

本当に効果が永続する組織づくりを実現したい方は、

ぜひご参加ください。

◆ 10月25日(金)13:30〜16:30【東京】

◆ 11月29日(金)13:30〜16:30【東京】

お申込みはこちらから

◆参加費:1人当り4,000円

 

■自律進化組織が6ヶ月で生まれる方程式「HIT-Bitプログラム」

については、

ブックレットで概略をお読みいただくことも可能です。

 

A5判、76ページ

1部800円となります。

お求めはこちらから

 

■職員のエンゲージメントを高めるための

代表的な手法として

あるコンサルタントが挙げているのが

  • MBO
  • 360度評価
  • OKR
  • 1 on 1

でした。

 

■このところ話題になっているのが、

Google社もやっているという

1 on 1ミーティングです。

 

というより、Google社がやっているから

話題になっているということでしょうか。

 

■やはり、職員とのコミュニケーションをとろうとすれば、

基本は1対1であることは間違いありません。

 

大勢で飲んだり食べたりして、

本音の本音を語り合うことなどできません。

 

契約をとりたい時に、

パーティーに招いて大勢の中で、

うまく相手をつかまえて

真剣勝負の商談をする人などいないのと同じです。

 

社員旅行や忘年会、親睦会では、

本当に重要なコミュニケーションはとれませんから、

どうしても、

話をしなければならない職員に時間をとらせて、

1対1で話す機会を設けることになります。

 

ということを考えると、

「1 on 1ミーティング」

と言われて話題になってはいますが、

みなさんも古くから実践してこられたこととなんら変わりません。

 

■ただし、昭和の時代には、

上司が部下のことを思ってか、お酒に酔ってか、

持論をぶちまけ、

部下がそれを聞く、というのが一般的だったことでしょう。

 

それでも、

世の中は勤め続けるのが当り前の時代だったので、

部下は我慢して聞き、

なんとなく上司が自分を思ってくれているのだということを感じ取り、

また仕事に励んだものです。

 

それでも勤め続ければ、安泰な将来が見えていたからです。

 

今の時代ではそうはいきません。

 

会社がいつ傾くか分かりませんから、

上司の話がありがたいとも思いません。

 

それより早く帰ってゲームやネットサーフィンをしていた方が

ずっとリフレッシュになることでしょう。

 

では、上司は

1対1で話す時、どうすれば良いのでしょうか?

 

それは、

「傾聴する」

ことに尽きる、というわけです。

 

部下の言いたいことを聞き、

必要とされた時だけ、助言をし、

陰に日なたに、

つかず離れず、

時には優しく、また時にはとても優しく、

サポートしてみせる、

それが令和の時代の上司です。

 

というわけで、

1 on 1ミーティングの具体的な手法は、

ひところ流行したコーチングがベースとなっています。

 

1 on 1ミーティングの基本には、

コーチングの基本と同様、

  • ペーシング
  • ミラーリング
  • バックトラキング

などが挙げられています。

 

■しかし、

1 on 1ミーティングに呼んでもらったから、と

部下が本音を話すようになるものでしょうか?

 

上司は、

うまく部下の様子を見極めて、

捕まえてミーティングをする、

ということが器用にできるものでしょうか?

 

それができなくて苦労しているのが

ほとんどの管理職ではないでしょうか。

 

部下は、

自分にとって必要な時には、

上司に依頼してミーティングしてもらう、

ということができるものでしょうか?

 

それができる部下ばかりだったら、

離職は起こらないのではないでしょうか。

 

実は、上司部下の良い関係性を築き、

エンゲージメントを取り付けるために

1 on 1ミーティングを効果的に行うには、

 

実は、その前に、

気持ちよく呼んだり呼ばれたり、

聞かれたり答えたり、

本音を話し合えたりする

「良い関係性」

が必要なのです。

 

気軽に1 on 1ミーティングをできる関係性であれば、

改めて1 on 1ミーティングを行う必要はありません。

 

なぜなら、すでに良い関係性があり、

本音で話し合えているのですから。

 

器用な上司は、1 on 1ミーティングをしなくても、

良い関係性を築けていることでしょう。

 

問題は、器用でない大半の管理職ではないでしょうか。

 

■では、その

「良い関係性」

を築くためにはどうすれば良いのでしょうか?

 

システマチックに良い関係性を築くために、

患者サービス研究所が提唱しているコミュニケーション・モデル。

 

それが、

「HIT-Bit」

です。

 

「HIT-Bit」

については、1Dayセミナーを行なっています。

 

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ぜひご参加ください。

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