自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所) -26ページ目

自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所)

結果にコミット! みずから活性化し進化する組織を実現します。

■ある航空会社系研修会社の接遇セミナーで、

こんな講演がなされていました。

 

「ある暑い日。

搭乗時間を過ぎようとした時に、

ようやく最後の一人の乗客が大急ぎで機内に乗ってきました。

 

そして、

『ねえちゃん、水をくれないか』

と言いました。

 

暑い中、急いできたこの男性に水を出す時、

氷を入れた方が良いでしょうか?それとも、入れずに水をサービスした方が良いでしょうか?」

 

講師の答えはこうです。

 

「氷を入れないでお出しするのが良いですね。

 

なぜなら、飲む時に氷が歯に当たってしまうから」

 

そして、こう言いました。

 

「このように想像力を働かせて、

察して差し上げてこそ、ホスピタリティです」

と。

 

最近は航空会社系研修会社の中には、

「医療機関は、

多くの専門職が協力しあって働かなければならない点で

航空業界と同じなので、

航空業界が培ってきたノウハウを参考にすると良い」

とも話していることがあるのを、

お聞きになったことがある方もいるのではないでしょうか。

 

それほど近い気がしないのは、

わたしだけでしょうか?


ともあれ、

「氷を入れない方が良い。

それを察するのがホスピタリティだ」

という結論には、驚きました。

 

そして、

このような接遇研修が、

航空会社系研修会社によって、

何十万円から何百万円という価格で

医療機関にも販売されているということです。

 

■むしろ、

こんにちでは、

「察しているつもりで、必ずしも良い接遇になっていない」

ということが多発していることはご存知の通りです。


それは、

そういう時代背景があることも事実です。

 

なぜ、そんなことが起きているのか?

 

そもそも、日本は単一民族・単一文化が永く続いてきて、

島全体が日本村と言っても良い状態でした。

 

農耕民族は緊急の判断より伝統的判断が大事とされる傾向があり、

価値観が一様でしたから、

「国民的〇〇」という言葉にも違和感はありませんでした。

 

なので、

「言わなくてもわかるよね」

という以心伝心できることや、

口に出して言われなくてもわかるほど、

その奥ゆかしさが美徳とされていました。

 

現に、

俳句や能など、

「いかに少ない情報でわかり合うか」

を楽しむのが日本の伝統的文化になっていることも、その表れです。

 

たった17文字で!

お面と光の角度だけで!

 

「そんな情報量でも深い感情を伝えられる私、凄い!」

「それでもちゃんとわかった私がステキ」

ということを喜びとしていたのが古来の日本人です。

 

このように単一文化の中だから成立しているその極みは

「内輪ウケ」

です。

 

「あの人のあの俳句の趣を踏まえて読まれたのがこの句です」

「あの句のあの場面ですよねー、わかりますわかりますー(わたしなら)」

と、同じ教養を共有していることもまた、

確認できるたびに喜ぶのです。

 

映画でも、

伏線が緻密に張られていることがあり、

それが作品を奥深いものにしていることがあります。

 

もちろん外国映画でも、

単館上映されるような作品ならば、

難解だったり考察させるものが多い傾向があります。

 

これに対して、

多民族の代表でもあるアメリカのハリウッド映画は、

起承転結が明確で、

「ハイここで笑って、ハイ次はここで泣いて!」

と、まるで観客の反応までシナリオに書いてあるのではないかと思われるほど説明的すぎるので、

感動作品であっても、

組成が浅い印象を受けることが多いものです。

 

■そんな我が国の歴史的背景があるため、

接遇研修でも、

「察してあげるのが素晴らしいホスピタリティだ」

と教えてきたのでしょう。

 

しかし、これは今や、単一民族単一文化の昭和の遺物と言わなければなりません。

 

いまや、第一に、日本も多民族・多文化国家です。

 

地方都市の医療機関でも、

どんどん外国人の患者さん・ご家族が来院・入院される時代です。


そればかりか、

外国人の職員も増えてきています。

 

第二に、日本人同士でも、親子間で文化が違います。

 

日本人がずっと避けてきた

「死生観」

に直面する場面も日常の中に存在するようになり、

医療現場の職員の方々は、多様な死生観に答えなければならない時代となりました。

 

さらには、第三に、

医療機関自体が、より良い業務の遂行上、

より緊密な他職種連携を行ない、

異なる職種同士が尊重し合い連携し合わなければならない時代になっています。

 

このような、

価値観が多様化する中では、

「察することが美徳です」

という考え方は限界があることでしょう。

 

そもそも、上記のようなこんにちの状況の中では、

「察することができる」

という考えが思い上がりであることがおわかりでしょう。

 

日本人同士でも、

「良かれと思ってやったのにクレームになった」

ということが珍しくありません。

 

■では、どうしたら良いか?

 

「察してあげるのが美徳」

は、過去の産物です。

 

これまでの

「原則として察しましょう。必要に応じて例外としてお訊きしましょう」

を逆転して、

「原則として訊きましょう。必要に応じて例外として察しましょう」

へと、180度、発想を切り替えた方が良いでしょう。

 

■患者サービス研究所の接遇研修でも、

「臨機応変で個別具体的な対応が大事です。

どんどんオペレーションを超えた対応をしましょう」

と話すと、

必ずと言っていいほど、

「そんなの嫌がる患者さんもいるのではないか。

私だったら、そこは勝手にしないでほしいと思う」

などの意見が上がります。

 

人それぞれ価値観が異なるのは、

当然です

 

では、どうするか?

 

「どちらが良いか? ご本人に聞けば良い」

それだけのことです。

 

■ただし、

患者さんやご家族に意思確認をしながらの対応をしていても、

それでも、

職員の方々がみずから気づき考え話し合い行動する

「自律進化組織」

となれば、


その現場では、

ドラマチックな感動的な場面が生まれます。

 

患者さんから手を握って感謝されたり、

涙を流して喜ばれたり、

「そこまでしてくれるのか」

と驚かれ、

「一生忘れられません」

とお便りをいただいたり……。

 

本当のホスピタリティとは、

「氷を入れるか入れないかを察する」

心ではありません。

 

本当のホスピタリティの本質を学びたい方は、

患者サービス研究所の

HIT-Bitセミナーに、遊びに来られることをお勧めします。

 

ルールもマニュアルも捨てましょう。

 

それが本当の接遇の原点です。

 

ルールもマニュアルもなしに、どうやって接遇を向上するのか?

 

一緒に学びましょう。

 

「HIT-Bit」

については、1Dayセミナーを行なっています。

 

本当に効果が永続する組織づくりを実現したい方は、

ぜひご参加ください。

◆ 2019年11月29日(金)13:30〜16:30【東京】

◆ 2019年12月23日(月)13:30〜16:30【東京】

◆ 2020年2月1日(土)13:30〜16:30【東京】

お申込みはこちらから

◆参加費:1人当り4,000円

 

■自律進化組織が6ヶ月で生まれる方程式「HIT-Bitプログラム」

については、

ブックレットで概略をお読みいただくことも可能です。

 

A5判、76ページ

1部800円となります。

お求めはこちらから

 

■「職員のモチベーションを上げたい」

と思わない経営者・管理職はいないでしょう。

 

しかし、モチベーションを上げようとする側が、

「モチベーションとは何か」

を知らなければ、

人にモチベーションを持たせることなど、できるはずがありません。

 

そもそも、

「モチベーションには2種類ある」

ことを踏まえているでしょうか?

 

■1つは、

「自己目的のモチベーション」

です。

 

つまり、

「仕事自体が面白い」

「この職場で働いていることが楽しい」

というモチベーションであり、

「一次的モチベーション」

とも言えます。

 

「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」

「この職場には、お金では買えない体験がある」

という感情と考えて良いでしょう

 

もう1つは、

「別目的のモチベーション」

です。

 

つまり、

「給与がもらえるから勤めたい」

「休みの日の趣味が楽しみで勤務する」

「自己研鑽に理解のある職場だから勤務する」

「シフトの希望を聞いてもらえるのでここで働く」

などのモチベーションであり、

「二次的モチベーション」

とも言えます。

 

「仕事そのものの価値ではなく、

他の価値が得られるから、ここで働く」

と、

仕事とは別の目的のために働くモチベーションです。

 

ところで、

「怒りは二次的感情」

と言われます。

 

怒りという感情は、

何もないところで突然生まれることはなく、

あることを望むという一次感情があり、

それが思うように実現しなかった時に

初めて生まれるのが怒りです。

 

そのため、

「怒りは二次的感情である」

と言われているのです。

 

したがって、怒りをコントロールしたければ、

怒りが起きないように我慢したり注意をそらすなど、

二次的感情である怒りそのものに向き合っても

本質的な解決にならず、

 

怒りの原因となった

一次的感情に向き合わなければ解決にいたりません。

 

炎の先に水を浴びせても、火は消えず、

火を消したければ、火の元に水を注がなければならないのと同じです。

 

ちょうどそれと同じように、

モチベーションをコントロールしたければ、

休みや給与や福利厚生を充実するなど、

二次的モチベーションに向き合っても、

本質的な解決にならず、

 

「この職場、お金じゃない」

「この仕事、理屈じゃない」

といった一次的モチベーションに向き合わなければ、

底力を発揮するモチベーションを喚起することはできません。

 

なぜなら、

「お金のため」

「プライベートを充実したいから」

「休みのため」

というモチベーションで働くということは、

「お金や休みを受け取る代わりに労働を差し出す」

という取引関係だからです。

 

従来からうたわれているワークライフバランスや働き方改革で

挙げられているのは、

残業時間の削減や、有給休暇取得の促進など、

残念ながら、

ことごとく二次的モチベーションしか

見えていない施策ばかりであり、

 

「もっと頑張りたい」

というモチベーションの喚起につながっていないことが

必然であるということが見えてくるのではないでしょうか。

 

■取引関係からは、

限界のあるモチベーションしか生まれません。

 

なぜなら、取引とは、

得るものに見合うものを差し出すだけだからです。

 

待遇面を変えることによって、

二次的モチベーションに上げようとしても限界があるということです。

 

待遇でモチベーションを上げるということは、

待遇を上げることができる資力次第、経済力次第

ということになります。

 

芸のない組織づくりと言わざるを得ないでしょう。

 

■したがって、

限界のないモチベーションを引き出したいならば、

一次的モチベーションを探究すること、

 

すなわち、

「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」

「この職場には、お金では買えない体験がある」

という声が現場から上がるような組織づくりをされることをお勧めします。

 

こうした自己目的の動機があった時、

「もっと頑張りたい」

という限界のないモチベーションとなるでしょう。

 

では、どうすれば、

「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」

「この職場には、お金では買えない体験がある」

という自己目的のモチベーションを築くことができるか?

 

これまでにも述べて来ましたが、

また別の機会に、ここでお伝えしたいと思います。

 

■日頃、組織の課題や将来への不安を感じていれば、

どうしても、

「組織を変えたい」

と考えがちです。

 

そして、

「組織を変えるには、どんな施策を講ずれば良いか?」

と考えてしまいます。

 

しかし、このように、

「組織を変えよう」

としているうちは、組織は変わらないのです。

 

■なぜなら、この発想では、

「変えようとした自分」

「変わってくれた現場」

との二者の構造になっているからです。

 

「変えれば変わってくれる職員」

をたくさん創りたいのでしょうか?

 

そうではないはずです。

 

本当に実現したいのは、

「変えようとした自分」

と同じく

「変えようとする仲間」

をたくさん創ることではないでしょうか?

 

「どうにか変えなければならない」

と真剣に考えているみなさん自身と

全く同じように課題を感じ、執念を持って、

「どうにか変えなければならない」

と考え行動する人が増えることが、

もっとも望んでいるゴール像ではないでしょうか。

 

だとすれば、

みなさんは

「組織を変えよう」

としてはいけません。

 

「組織を変えたいと、みなさんと同じ真剣さで熱く語り合う仲間」

を創ることです。

 

■つまり、

「あの部署を、こんな風に変えたい」

と思うならば、

「どうすれば、あの部署を、こんな風に変えられるか?」

を考えてはなりません。

 

そして、そのためにあの部署に足を運ぶなど、

自分が動いてはなりません。

 

「どうすれば、

『どうすれば、あの部署を、こんな風に変えられるか?』と

一緒に考えてくれる人を創れるか?」

を考えることです。

 

そして、動くのは、必ず、

自分と同じ気持ちになってくれた他の職員であることが

重要です。

 

シンプルに言えば、

自分自身では決して動かないことです。

 

「組織を変えよう」

としてはなりません。

 

「組織を変えようとする仲間を創ろう」

としましょう。

 

今日から、

「自分自身では動かない」

ことをお勧めします。

 

■では、どうすれば、みなさんの期待する職員が、みなさんと同じように

「どうすれば組織を変えられるか?」

と考えてくれるようになるでしょうか?

 

もちろん

「見つければよい」

という発想は間違いです。

 

見つからなければそこで改革は止まってしまうからです。

 

では、どうすれば良いか?

 

説得も説明も、人を動かす充分な力はありません。

 

研修で啓発することも困難でしょう。

 

データや理論を突きつけても人はなかなか動きません。

 

話し合わせて目標を立てさせるなどは、

モチベーションを上げる効果がない、

最もやってはいけないことです。

 

本当に問題意識を共有するための方法については

(以前にもこのブログで紹介していますが)、

また別の機会に、ぜひお伝えします。

 

■患者サービス研究所では、

この延長上にある、

みなさんが、指示や命令をしなくても、

部下職員がみずから、

気づき、考え、話し合い、行動する、

「自律進化組織」

を創るためのプログラム

「HIT-Bit」

をお勧めしています。

 

「HIT-Bit」

については、1Dayセミナーを行なっています。

 

本当に効果が永続する組織づくりを実現したい方は、

ぜひご参加ください。

◆ 2019年11月29日(金)13:30〜16:30【東京】

◆ 2019年12月23日(月)13:30〜16:30【東京】

◆ 2020年2月1日(土)13:30〜16:30【東京】

お申込みはこちらから

◆参加費:1人当り4,000円

 

■自律進化組織が6ヶ月で生まれる方程式「HIT-Bitプログラム」

については、

ブックレットで概略をお読みいただくことも可能です。

 

A5判、76ページ

1部800円となります。

お求めはこちらから

 

■今回は、シンプルに結論からお伝えします。

 

「人間を美化してはならない」

ということです。

 

「人は、自分には良いところがたくさんあると思いたい」

のと同じように、

「人間は、人間を素晴らしいものだと思いたい」

傾向があります。

 

どんなに自己評価の低い人でも、

「一応は合格。

多少は改善すべき点はあるけど」

と、

「おおむね問題なし」

の評価をしているものです。

 

なので、組織づくりにおいても、

つい、

「これまでの取組はおおむね正しい」

「うちの組織はおおむね良くできている」

と、合格点を出すところから始めてしまいます。

 

そのため、

どうしても抜本的な改革ができずにいる、というわけです。

 

■たとえば、新しい経営計画に沿って、

目標を達成した部署もある、という場合、

「できる部署があるのだから、みんなもできるはず。

なぜ、他の部署はできないのだろう?」

と考えることが多いでしょう。

 

こうなると、

「原則としてできるはず。

できないのが例外だ」

と、考えるので、

見直しは、マイナー・チェンジの域を出ません。

 

また、

「できるはずのものが、なぜできない?」

という、答えの出ない謎に迷い込んでしまいます。

 

しかし、幸い、抜本的な改革が必要だと思っていないので、

「おかしいなぁ、不思議だなぁ」

と言いながら、そのままで居続けてしまうのです。

 

しかし、

できていない部署が多いならば、

「現場では、原則としてできない。

例外として、できている部署もある」

と考えなければなりませんから、

ドラスティックな改革の方法を探し出すことになります。

 

また、

「なぜ?」

ではなく

「なるべくして、なっている」

という前提なので、

思い切った根治療法も、可能となるのです。

 

人間や、

自分や、

自分の組織を美化すると、

本当の病巣が見えないばかりか、

「なぜ?」

という謎に迷い込んで答えが出ず、

抜本的な改革ができないので、

対処を誤ってしまうということになるのです。

 

■世の中は、なるべくしてなっていると感じた方が、

現実を見て、根治療法が可能となるのです。

 

「なぜ、研修の効果が続かないのか?」

 

「なぜ、管理職が部下のモチベーションを上げられないのか?」

 

「なぜ、スタッフが自分から考えて行動しないのか?」

 

「なぜ、フィッシュ哲学を始めても長続きしないのか?」

 

「なぜ、カリキュラムを整えても、受講しないのか?」

 

「なぜ、MBOを実施しても、目標を書けないのか?」

 

「なぜ、目標シートの提出や目標面談の期日が守られないのか?」

 

「なぜ、研修を企画しても、スタッフは感謝しないのか?」

 

「なぜ、職員は新しい取組を拒もうとするのか?」

 

「なぜ、意見を聞かずに物事を決めると文句を言うのに、

意見を聞いても何も言わないのか?」

 

「なぜ、職員は業務を遂行するだけで、それ以上のことを考えようとしないのか?」

 

「なぜ、業務以外のことに目を向けようとしないのか?」

 

「なぜ、評価されなければモチベーションが上がらないのに、

評価されることにも拒否反応を示すのか?」

 

「なぜ、自分から決めようとしないのに、

上司が決めたことには文句を言うのか?」

 

「なぜ、職員同士のコミュニケーションが大事だとわかっていながら、コミュニケーションが旺盛に行われる現場にならないのか?」

 

……挙げればきりがないほど、

このように、現場には

「なぜ?」

が充満していますが、

 

これらは、ずべて、

おかしいことでも不思議なことでもありません。

 

したがって、

そうなるべくしてなっている必然の結果なのだという前提に立てば、

抜本的な対処の方法が、自動的に見えてきます。

 

■その結果、

「考えてみれば、そりゃ、そうなるわけだった」

ということに気づくでしょう。

 

そして、

「変えるなら、当然、こうなるよね」

という対処も見えてくるものです。

 

このわたしたちの眼を曇らせているのが、

いつの時代の人間も、

どうしても捨てきれない

「自己美化」

というメガネなのです。

 

「あれもできない、これもわかっていない。

それが人間のデフォルトだ」

と理解してしまえば、

 

もはや

「おかしいなぁ、不思議だなぁ」

と悩む必要もありません。

 

「因果関係を遡って打てる手を打てば良い」

と、すぐに対処に進むことができるのです。

 

■みなさんも、ぜひ、さまざまな組織論、

コミュニケーション論、

リーダーシップ論、

ホスピタリティ論などをご覧になってみてください。

 

その多くが、

「自己美化された人間観」

を前提にすることによって、いびつな理論になっていることに気づかれることでしょう。

 

人間は、

博愛や向上心もなければ、

無償の貢献や無欲の成長を望むこともなく、

人を幸せにするためにどんな苦労も厭わないということもなく、

そんなに崇高ではない

……と前提した方が、世の中の事象の多くをスッキリと理解することができることでしょう。

 

それはそのまま、組織づくりにおいても、

同じことが言えると考えられます。

 

「人間はもっと賢明なはずなのに、

なぜ、もっと前進できないのだろうか?

おかしいなぁ、不思議だなぁ」

という

「自己美化」

のバイアスを今すぐ捨てることをお勧めします。

 

■どんな指導も教育も、

相手がそれを受け入れる気持ちになっていなければ、

施す方にとっては徒労に、

受けさせられる側にとっては不快感になるだけになり、

効果が上がらないばかりか、

関係性も悪くなってしまいます。

 

その点、

「職員は頑張って働きたいはず」

という昭和の時代の感覚から抜けきれずにいる組織が多い一方、

平成・令和の時代の職員は、

「それほどでもない」

という感覚なので、

多くの職場で、日々摩擦が起きているのが実情です。

 

たとえば……、

 

上司は

「みんな今度から、こうするからな」

と一方的に言い、

 

部下の方は、

「それ、意味があるんですか?」

と反応するので、

 

上司は

「意味がないわけがない。なぜつべこべ言うのだ」

と憤慨したり呆れたりし、

 

部下の方が

「もっとちゃんと指示してくれないと」

と言うのを聞いて、

 

上司が

「いまの若い者は、甘えすぎだ」

とさらに怒る、

 

……という構図が、珍しくないはずです。

 

■そこで、

職員教育とか技能研修の前に、

心理構造について学んだ方が良いということに気づかなければならないでしょう。

 

特に、職員が同じ方向を見て進むようになるためには、

なにごとも職員が

「自分自身で選択している」

ことが必要、

という心理構造を踏まえておくことが重要です。

 

上司から新たな指示や命令があった時に、

部下が幸せな顔をすることはあまりありません。

 

人にはそれぞれの価値観があるので、

一方的な押し付けには抵抗を感じるものだからです。

 

では、

上司が、職員に意見を聞こうとすると、

「わたしは、どちらでもいいです」

「決めてもらえればやります」

と返事されることも多く、

部下が喜ぶかといえば、必ずしもそうではないのです。

 

他人からの押し付けには抵抗があるのに、

なぜ、自分で選択しようとしないのでしょうか?

 

それは、

「このようにさせてください」

と自分の意見を述べれば、そこに責任が伴うからに他なりません。

 

「言った以上、絶対にやれ」

という(大抵は上司に対する)重い責任が課されることがなくとも、

日本人の場合には、軽い責任も嫌う傾向があります。

 

軽い責任とは、

「これ、誰が言い出したの?」

と否定的に取られるのではないか?という仲間に対する不安感です。

 

口に出して非難されることがなくても、

「本当は、みんな迷惑に感じているのではないか?」

「もしかしたらうとましく思われているのではないか?」

と、周囲に対して、勝手に不安を抱くのが、日本人の傾向です。

 

責められるほどでもない責任を

みずから感じて萎縮していることが多いのです。

 

その証拠に、講演の最後に

「なにか質問はありますか?」

というと、手をあげる人はなかなかいない割に、

 

司会者が

「では、こちらからお聞きしてみましょう。

そちらの列の一番前の方、なにかご質問はありますか?」

と聞くと、

「ずっと気になっていたのですが、○○についての具体的な例をいくつかあげてもらえないでしょうか?」

などと、すらすらと質問をしだす(質問あるんかーーい!)、

というパターンを、

みなさんもよく見ることでしょう。

 

これは、

「自分の質問で、みんな時間を奪ったと思われたくない」

という不安感によるものだといえます。

 

なぜなら、指名された場合には、

「この質問でみんなの時間を使っているのは、

わたしではなく、司会者だ」

と、自分の責任ではなくなるから質問できる、

という心理構造が働いているからです。

 

忖度しすぎるのが、私たちだということもできるでしょう。

 

また、自分で決めたことは、

「自分で決めたんでしょ?」

と言われて、逃げ道がなくなってしまうということも、

人が、自分で決めたがらない原因です。

 

他人に決めてもらっていれば、

なにか問題が生じても、

「わたしが決めたのではない」

という逃げ道を残しておける、ということを

本能的にわかった上で選択していることも多々あります。

 

これが他責発想の構造です。

 

■こうしてみれば、

人には

「自分で決めたい(他人の押し付けは嫌だ)」

という価値観と、

「自分で決めたくない(他人から非難されたり、自分の逃げ道がなくなるのが恐い)」

という価値観との、

自己不一致があるということです。

 

そして、時と場合と自分の都合によって、

指示や命令による押し付けに文句を言ったり、

自分で決めることを回避したりしている、ということです。

 

一方、自分で決めていれば、

すべての結果に納得がゆきます。

 

また、自分自身で選択するということは、

他責発想を排するので、

無限の可能性を開くことになります。

 

逆に、

他者に決めてもらうのは責任がないので楽であり、

うまくいかなかった時にも、

他人のせいすればよいので、

つねに傍観者的な立場にいて済む、という気楽さはあります。

 

その代わり、

他人に任せている以上、

自分の思うようにいかないことの方が多くなります。

 

そして、他人をコントロールすることはできないので、

他人任せにしている以上、

その不満を解消する出口はありません。

 

■さて、みなさんの職場では、

人間のこのような心理構造の中にあるということを、

職員に伝えているでしょうか?

 

こうした心理構造をみんなで共有しておくことで、

「あ、あの人は、いま楽を選んだ」

「自分で決めずに、他人を責めている」

「非難を恐れず提案して立派だ」

などと、

 

なんとなく自己不一致の間で都合よく動いていたことが、

言語化されるようになり、

職員の心理が前向きに働いているかどうかを

顕在化・共有化することが可能になるのです。

 

■みなさんの現場では、職員の方々に、

「人間には、

責任は負いたくない、楽したい、という心理もある。

しかし、他人のせいにしてみても、

思うようにいかないことが多く、

納得いかないし、

現実を変えることもできない。

・・・あなたは、そんな人生を選ぶのですか?」

と話す機会があるでしょうか?

 

これは、

人間の社会生活あるところには、

古くからあった心理構造でしょう。

 

わたしたちがこうした心理構造の中にあることを

お互いに俯瞰化して、

お互いが賢明な選択をするようにすることが、


はやりのコミュニケーション・テクニックを学んだり、

コミュニケーション・ゲームをやったり、

評判のモデル組織を見学に行ったりする前に、

まず、しておかなければならないことなのではないでしょうか?

 

■みなさんの医療機関にも、

これまで、

管理職経験のある人が面接に来たことがあるのではないでしょうか?

 

そんな時、どんな人だったら

「採用しよう」

と思ったでしょう?

 

 

「こんな経験があります。

こんなことができます」

という人を採るでしょうか?

 

それとも、

「時間と手間とタイミングさえ合えば、やりたいことは山ほどあります。

現場のこのようなことをどんどん変えてゆきたいのです」

というアグレッシブな人を採るでしょうか?

 

管理職を採るとなれば、

前者のような人は採用しないでしょう。

 

そして、採るのはもちろん後者でしょう。

 

■というのも、

医療現場も、

「これまでと同じことをしてくれるだけで良い」

と言っていられる時代ではなくなってきたからです。

 

気候一つとっても、

これまでになかったような台風や豪雨や洪水が

襲ってくることがわかってきた以上、

「今後、どのような対処をしておけばよいか」

を一緒に考えて、

病院全体および自部署に関して

みずから災害時の対策を講じてくれるような人でなければ、

管理職の意味がありません。

 

にわかに働き方改革なるものが始まり、

これまで当り前だった労務管理が通用せず、

医師なりとも、

「出勤退勤のタイムカードを押してくれないんです」

では済まない時代となりましたから、

管理職もまた、

限られた人での中で、

充分に職員に休みを与えつつも、

充分に職員を成長させなければならず、

みずから対策を講じてくれなければ、

管理職としての及第点を与えることはできません。

 

これからは、

障害者雇用だけでなく、

発達障害などの方や

ガンがわかった職員の方なども

一緒に働ける体制をどのように作れば良いか、

企業のみならず、

医療現場でも考えてゆかなければならない時代となり、

もちろん上層部の鶴の一声ではなく、

具体的にどのように受け入れるかは、

管理職が検討してゆかなければなりません。

 

先日は、突如、

経営の見直しを要するとされる

424の自治体病院・公的病院が発表され、

これまでになく強烈な指摘がなされて、

今後も状況に応じて、

行政からのドラスティックな改善促進が行われることが示唆されていますから、

常に、病院としてどのように改善できるか?を

考えられる管理職でなければならないでしょう。

 

■このように考えてみれば、

これから新たに管理職を採用するのであれば、

何よりも

「問題発見能力」

つまり、

「自分なりの課題」

を常に持っている人材でなければならないことは、

明らかでしょう。

 

現場に入ったあかつきには、

「時間と手間とタイミングさえ合えば、やりたいことは山ほどあります。

現場をどんどん変えてゆきたいのです」

と言って、どんどん動いてくれる人でなければ、

採用する価値がないでしょう。

 

■そして、ここからが本題です。

 

では、みなさんの現場に今いる管理職の方々は、

そんな人たちでしょうか?

 

管理職会議では、各人が、

「時間と手間とタイミングさえ合えば、やりたいことは山ほどあります。

現場をどんどん変えてゆきたいのです」

と、アグレッシブな発言が飛び交っているでしょうか?

 

「決めてもらえればやります」

「特にいまのところ課題はありません」

「早々に改善すべき点は、それほどありません」

「いま落ち着いていて大丈夫ですー」

といった、

「置物のような管理職の方が多い!」

ということは、まさか無いでしょうか?

 

もし、いまの管理職の方々から、

「時間と手間とタイミングさえ合えば、やりたいことは山ほどあります。

現場をどんどん変えてゆきたいのです」

という声が聞こえてこないならば、

一刻も早く、そのモードを切り替えさせなければなりません。

 

「災害時の対策は事務長から指示があったら動く」

 

「職員が残業して学んでいたこともこれからは禁止。

でも、それで職員が育たなくても、

それは病院がなんとかしてくれるのでは」

 

「障害者雇用とかダイバーシティとか、

総務課から依頼があったら、どう抵抗するか、だ」

 

「経営を見直すのは、もちろん経営陣の仕事。

方向性が決まったら教えてください」

 

……こんな管理職ばかりだったら、

これからの荒波の連続に、いとも簡単に転覆してしまうでしょう。

 

■「時間と手間とタイミングさえ合えば、やりたいことは山ほどあります。

現場をどんどん変えてゆきたいのです」

 

そう言って、

今でも採用試験をくぐり抜けてくるような精鋭ぞろいでなければなりません。

 

こんな管理職ばかりであれば、

バランスト・スコアカードの

「期初の目標が浮かばない」

などということは起こり得ません。

 

そして、今いる現場の管理職の方々を、

そんなアグレッシブな管理職に変えることが

焦眉の急なのではないでしょうか。


そのためには、

まず最初にしなければならない施策があります。

 

その施策をせずに、組織を変えようとしても、

かえって拒絶反応が起こるだけになってしまいます。

 

では、何をすれば良いのか?

その施策については、また別の機会にお伝えします。

 
 

■わたしたちは、部下職員に対して、

「ああして欲しい」

「こうして欲しい」

と、つい、

「行動を変えて欲しい」

と考えてしまう傾向があります。

 

しかし、実際に、日頃から

「ああしてくれ」

「こうしてくれ」

と、行動を指示すれば、

相手は、指示されたところだけを変えることになります。

 

ルールで縛ろうとすれば、

そのルールを守るだけの変化をするようになります。

 

その結果、部下職員は、

それ以外のことについて、

応用して考えるということはしなくなってしまいます。

 

「とにかく、こうしてくれ」

という指示やルールには、目的が欠けているので、

いわば「頭ごなし」に

行動を「押し付け」ていることになるため、

まさに文字通り、

「形骸化」

するからです。

 

■では、表面的に行動を変えさせるルールがなくても

みんなが同じように考え、

同じ方向性を向き、前進してゆく組織にするならば、

どうすればよいでしょうか?

 

それは

組織の体質、風土、文化から変えるということであり、

価値観を変えることとなります。

 

つまり、

思考の習慣を変えることです。

 

「つねに、このような価値観で考える」

という思考習慣を変えることは

一時的な教育では不可能です。

 

ということは、継続的・日常的に、

「こういうことが大事だ」

「このような考え方をしてゆこう」

と、つねにリマインドしあってゆくことが必要となります。

 

つまり、

「ある行動を変えて欲しい」

ならば、

「その行動を変えさせる」

のではなく、

その根底にある

「価値観を変えさせる」

ことをしなければ形骸化してしまうので、

そのためには、

「価値観をリマインドする」

という行動を習慣にすることが必要になる、ということです。

 

たとえば、

家庭で、夜、ご飯だけはみんな一緒にあつまり、

テレビを消して、

「今日学校はどうだった?」

と話しながら過ごす、という行動習慣です。

 

その時間が、価値観をリマインドしあっている機会です。

 

「そんなことで落ち込まなくていいよ」

「お前が正しいな」

「よくやった、それでこそ男らしい」

「昨日のニュースは悲しかったね」

「あんな大人になるな」

「こうなったら恥ずかしいね」

・・・と、お互いの価値観をリマインドし合うことで、

価値観が形成されてゆくというわけです。

 

そして、

同じ価値観を根底に持つことができるようになるので、

それぞれが、新しい事象に直面した時にも、

近い価値観のもとで応用的な行動ができる、というわけです。

 

子どもが成長するとともに、

部活や習い事で忙しくなったりすると

話をする機会を持つという行動習慣を持つことが難しくなってゆきます。

 

お互いが忙しくなる中で、

隙を見てコミュニケーションをとり続けるのは至難の技です。

 

子どもにも悩みや用事があるので、

ただ単純にいつでも話しかければ良いというものではなくなってきます。

 

だからこそ、

「夕食の時間だけは創るようにする」

など、定型化したシンプルな行動習慣を継続することが大事になるのです。

 

■このように、

価値観を共有するためには、

思考習慣が必要で、

そのためにはリマインドし合う行動習慣が必要だということが

お判りでしょう。

 

もし、

価値観をリマインドし合う行動習慣がなくなると、

いつの間にかお互いの価値観が離れ、

びっくりするような価値観を相手が持っていて、

手に負えなくなっていた、

ということにもなりかねません。

 

同じ価値観を持つよう思考を変えるには、

祈ったり、願ったり、

心がけたり、意識しているだけでは、

その想いが続くこともなく、

相手に届くこともありません。

 

なので、

「日々リマインドし続ける行動習慣」

を持つことが必要となるのです。

 

■みなさんの現場では、

職員の価値観を同じ方向に向けるための

「日々リマインドし続ける行動習慣」

となるようなコミュニケーション・モデルがありますでしょうか?

 

価値観を同じ方向にするためのコミュニケーションは、

今日、どうしても話し合わなければならないことではありません。

 

そして、

価値観を共有するため、

みんなが方向性を同じにするため、

みんなが楽しく納得して働けるための、といった

今日、どうしても話し合わなければならないことでもない

緊急性のないコミュニケーションをとることは、

いま、

働き方改革の影響で、

歓迎されなくなってきているのが実情です。

 

これが、実は

「組織運営上は大問題」

だということは、改めていうまでもないでしょう。

 

もし、コミュニケーション・モデルがなければ、

日々の業務に追われ、

それぞれが違うことを考え、

それぞれの価値観で職場を利用するようになり、

摩擦や抵抗が生まれ、

必要な進化もできなくなってしまうことは、明らかです。

 

また、日々実践するべき行動習慣は、

軌道に乗り習慣にするまでは、

必ず負担感を感じることになりますが、

そこで止めてしまえば、

いつまでも習慣化することはなく、

「コミュニケーションが当り前の組織」

には永遠になれません。

 

■経営者・管理職は、

部下職員の

「負担だ」

という声に流されてはいけません。

 

「コミュニケーションを習慣化する」

という行動だけは、

頭ごなしに押し付けなければならないのです。

 

コミュニケーションをとる・とらないについてまで

部下職員に遠慮していては、

子どもと会話のない家庭にしてしまうのと同じように、

職員同士の価値観がバラバラの職場にしてしまうことになるからです。

 

みなさんの現場では、

職員同士の価値観を出し合う

「コミュニケーション・モデル」

はありますでしょうか?

 

■我が国には、長らく

「失敗が許されない文化」

が浸透してきました。

 

そのため、わたしたちはチャレンジをすることが

大の苦手です。

 

チャレンジどころか、

新しいことを提案することすら気が引けてしまいます。

 

「成功する保証のないことなど、すべきではない」

「成功する保証のないことなど、提案するべきではない」

……という考えに、違和感がありません。

 

その結果、当り前ですが、

誰も新しいことを提案しないので、

現場から新しいことが生まれることはありません。

 

日本人が、

手を加えることは得意だが、

ゼロから作ることが苦手だ、と言われるのは、

そうした現実があるからでしょう。

 

■なぜ、そんな文化になってしまったのか?

 

簡単に言えば、歴史的理由は大きく2つ。

 

1つは昭和の軍国主義の名残りと言えるでしょう。

 

昭和20年の終戦まで、日本は軍国主義でしたから、

「上官の命令は天皇の命令。

絶対服従」

でした。

 

その神聖な命令に盲従できることが美徳とされてきたのです。

 

2つ目は、戦後の高度経済成長期の大量生産の時代の名残りでしょう。

 

軍国主義教育を受けた子供達が社会人となったり、

戦争から帰還した人たちが社会を形成したので、

平和な産業国家になってからも、

企業や組織の中では、

「自分たちを鍛えてくれた軍国主義教育の思想」

つまり精神論が、まだまだ生きていました。

 

上司の命令は絶対で、

セクハラ・パワハラ・職場のタバコ、

上司のゴマスリ、

社内営業、

休日は上司の引っ越しの手伝い、

女子社員は上司のお茶入れ、

社員旅行では女子社員は役員の隣でお酌、

などなど……

米倉涼子の「いたしません!」が聞こえてきそうな項目の

オンパレードですが、

それが当り前の時代でした。

 

理不尽なことにも黙って着いて行ける

「理不尽耐性」

があるほど立派!とされていたのです。

 

稟議書の印鑑は、上司の方に傾けて押すといった

ビジネスマナーがあるとかないとか…、

いまなら、

「そんなことに気を使わずに、仕事しろよ!」

と怒られそうです。

 

そして、製造業立国となった日本では、

マニュアルは上から降りてくるものであり、

「現場職員は自分で工夫も提案もする必要なし。

決められたことを機械のようにやりなさい」

という時代が、平成直前まで続いたのです。

 

このため、

現場では忠実に働く職員がいれば良く、

失敗しないことが美徳だったのです。

 

■昭和の60年間まで、

日本においては、

「言われたことに従う」

ことが前提であり、

「もし、意見が違う人がいても、

そのことを掘り返したり、議論することはせず、

うやむやにして、

表面的に仲良くやって行く」

ことが当り前となっていました。

 

社会においても、議論はしないことが美徳だったので、

学校教育においても、

「議論をして、お互いの異同を理解する」

「意見が異なっても、尊重し合う」

といった教育はほぼ行なわれていません。

 

その結果が、いまの私たちです。

 

おかげさまで、

異なる意見の人と、

お互いに尊重し合いながら気持ちよく話をすることが

大の苦手です。

 

工業立国だった昭和時代までは、

そんな国民性で良かったでしょう。

 

■しかし、

みなさんもご存知の通り、いまや、その逆となりました。

 

サービス立国となり、

答えが一つではない時代になりました。

 

ダイバーシティと言われて久しいですが、

いよいよ観光や技能実習などで外国人が増え、

価値観の多様性を受け入れなければ、

社会が成立しない時代になっています。

 

サービス、多様化、多角化、無形化の文化なので、

失敗というより、

そもそも決まった答えがない時代とも言えます。

 

そのため何より、

組織自体も、

そうした多様な外部環境や、外部の多様な価値観を感知し、

最良の対応を求められるようになりました。

 

そのためには

経営者も

「すべてに自分の目が行き届く」

現場職員も

「大事な指示は上から降りてくるもの」

などと思っているようでは役に立ちません。

 

トップは、

「大部分は、自分の目が届かない」

という前提に立ち、

現場職員も、

「現場の問題は自分たちが感知し、

最良の対応を講じることができるのも自分たちだ」

というボトム・アップを大前提としたカルチャーに

切り替えなければなりません。

 

■そのために、まず何よりも大事なポイントが、

「失敗を許されない文化を卒業すること」

です。

 

もちろん、定められたオペレーションを逸脱して良いということではありません。

 

詳しく言えば、

「一度の失敗によって、その後のチャレンジを妨げられる組織であってはならない」

という意味です。

 

そして、

これまでは、

「失敗して評価を下げるくらいなら、

決められたことをきちんとこなしていた方が良い」

とされていましたが、

 

今後はその逆で

「たとえ結果的にうまくいかなかったとしても、

提案したりチャレンジした方が、

提案もチャレンジもしないよりも価値がある」

という価値観を、組織は打ち出さなければなりません。

 

■みなさんの現場では、

会議で、新しい意見に対して

「そんな突拍子もないことを言っても意味がない」

と笑う幹部がいた時、

 

トップその他の幹部が、

「そういうきみには、どんな新しい意見があるのか?

批判する前に、まず聞かせてほしい」

と言っているでしょうか?

 

管理職がいずれも、

「上期には、あれとこれにチャレンジしました。

いまも、それに取組中です。

下期にもチャレンジしたいことが山ほどあります」

という人であってもらわなければなりません。

 

もし、みなさん自身が管理職であれば、

「手間と時間と費用その他の条件さえあれば、

いくらでも改善してゆきたいことがある」

というのが当り前でなければなりません。

 

みなさんの現場の管理職の方々からは、

そんな声が日々聴こえてきますでしょうか?

 

■決定権者が多数いると、

組織のフットワークが重くなり硬直化することは

ご存知の通りです。

 

病院や施設の多数を有しているある組合では、

理事が40人もいるとのことです。

 

40人もいたら、

「何かが決まる方が凄い!」

のではないでしょうか?

 

そんな大勢の意見が一致することの方が難しいのですから。

 

■そもそも、どんな議題を通そうとする場合でも、

その議題を上げる担当者が最も関心が高く、

それ以外の人は、関心がそこまで高くありません。

 

だからこそ、それ以外の人は発議しなかったのですから。

 

そして、

そこまで関心が高くなく、

また言えている情報が少なければ、

「その話、初めて聞いた!」

という人たちは、

おのずと、

時間や手間や費用のリスクを負うことは自然と賛成しにくくなるものです。

 

「よくわからないけど、費用や手間をかけてやってみましょうよ!」

などという、無駄になるかもしれないことに

他のメンバーを巻き込むようなことは、

気が引けて、賛成できないからです。

 

特に日本人は、

「他者からどう思われるか?

密かに嫌われたりはしないか?」

をとても気にするので、

自分から余計なことは言わない傾向があります。

 

「あの時、あなたが賛成したから、こんなことになった」

と言われるのは、

日本人はとても嫌うものです。

 

「最後は自分でも賛成したでしょう?

各自の意思表示は各自の自己責任なはずです!」

が通用しにくいおかしな文化です。

 

そしてそんな人たちが集まっているので、

お互いに牽制が働いてしまい、

「みんなが賛成しないなら、わたしも賛成しない」

というすっとこどっこいな事態が、

大の大人が集まって真剣に議論している場で、

しばしば起こっているのが実情でしょう。

 

新しいことには、

必ず成功するとは限らないというリスクもありますが、

愚かしいのは、

「みんながどんな不平を言いだすかわからない」

というリスクもあるということです。

 

なので、

お互いに空気を読んで、

全体が賛同的であれば、自分も手を挙げることができるが、

みんなの反対を押し切ってまで、

リスクを伴う取り組みを後押しする勇気はまずないのです。

 

そもそも、

発議した人ほどの情報も関心も少ないのだから

「ぜひやりましょうよ!」

というほどの自信もないのですから、

賛成の意思表示をできないのは当り前です。

 

■大抵の場合、

このような構造下にあるので、

それぞれの役員がこれは大事だと思ったことを提案しても、

得てして、

却下されるのが自然の成り行きとなってしまう、ということです。

 

発議した人以外のみんなが、

情報もなく関心もないのですから、

ドラスティックなことは絶対に生まれません。

 

多くの組織が、

茹でガエルになり、

抜本的な改革が生まれないのは、

役員の意思決定プロセスがこのような構造にあるからです。

 

■このように見てみると、

「なぜ、組織が硬直化してしまうのか?」

ではなく、

「むしろなるべくしてなっている」

と感じられるのではないでしょうか?

 

このような組織の硬直化はどこでも起きていますが、

テレビドラマなら、

見識のあるトップがいて、

守旧派が驚くような改革をしようとする主人公の人柄を見込んで

肩を持ってくれて、

「やらせてみようじゃないか」

と英断を下してくれる、という

ドラマチックな展開があります。

 

が、実際にはそんなことはありません。

 

そんな理解のあるトップがいたら、

そもそもそんな守旧派も一掃されているからです。

 

■では、現実の現場では、どうすれば良いか?

 

それは、

「発議者1人 vs その他」

という構造を変えることです。

 

発議者側一人が、

大して関心のないその他全員を引っ張って行くことは不可能です。

 

ということは、誰かが発議した時には、

「そのことに関与し、関心を持っている人が他にもいる」

という状態にしておくということです。

 

具体的には、

「役員は、一つの領域を担当するのではなく、

一つの課題について、複数の役員が取り組む」

ことにする、ということです。

 

マーケティングはA理事、

商品開発はB理事、

海外展開はC理事

……などと、

「一領域に一役員が担当」

となっていることが多いでしょう。

 

これを、

主担当理事の他に副担当をつけるなどして、

一領域の課題について、

普段から数名の理事が関与するようにさせておく、

ということです。

 

役員会議に発議される場合には、

すでに3~4名の役員が当事者として関わってきていた、

という状態であれば、

「発議者の主観的・個人的な意見だ」

という目で見られることはありませんから、

より説得力も強くなります。

 

また、

発議された時点で当事者が複数いるということは、

「決済が降りた後、

実動部隊となる人もそれだけいる」

ということなので、

他のメンバーも賛成しやすくなります。

 

このように、発議するときには、

建設的な話し合いができるような関係性を構築しておいてから

会議に臨むようにすることです。

 

でなければ、

本質的で大胆な施策ほど、

全員が賛同することに躊躇してしまい、

決裁が下されず、

本当に必要な改革ができない組織を

いつまでも卒業することができないのです。

 

■組織の要が管理職であることは

すでにご存知の通りです。

 

なぜなら、トップの目指す方向性を

現場の職員に浸透させることができるのは、

管理職をおいて他はないからです。

 

管理職がその役割を果たせなければ、

その部署は活きた部署にはなりません。

 

では、みなさんの現場では、

管理職に

ミッションを伝えているでしょうか?

 

評価の仕方や面談の方法、稟議書の書き方などは、

ずっと後でもよいのです。

 

そもそも、そうした作業を、

何のためにやるのか?

が分かっていなければ、

適切な評価も、

部下を目指すべき方向へ向けさせる面談も、

稟議を上げることの適否も

すべて間違ってしまいます。

 

■では、

管理職のミッション、

最も求められる能力は何か?

 

それは

「問題発見力」

と言って間違いないでしょう。

 

その前提に、

「どうにかしてもっともっと良くしたい」

という意欲を持っていることは

言うまでもありません。

 

■なぜ、

問題発見力が必要なのか?

 

まず、

経営者がすべてのリスクや外部環境を感知することはできません。

 

各部署に関わるリスクは、

各部署から上げてもらわなければ

組織が正しい判断をできないのです。

 

そのために最も重要な役割が、

問題発見すること、ということになります。

 

管理職が問題を挙げられなかったとすれば、それは

非の打ち所のない幸せいっぱいの職場が完成したか、

または、

進化をやめ死んだ部署になったか、

の、どちらかです。

 

したがって、

管理職が、いくらでも課題を出していけるようでなければなりません。

 

管理職が、

「別に問題がない」

「それなりにやっています」

と言っているようでは、何も見ていないのと同じだと言えるでしょう。

 

完璧な現場は無いので、

次から次へと、課題を上げようと思えばいくらでも上げられるはずです。

 

なので、管理職は、

「時間と手間と費用をかけられるならば、

片っぱしから改善してゆきますよ!

そして理想の部署にしてみせます!」

という人間でなければなりません。

 

管理職を中途採用する場合を振り返ってみていただければわかると思いますが、

面接の際に、

「現場の問題を掘り起こして、

どんどん改善してゆきますよ!」

というアピールがない人は、

みなさんも、これまでに採用しなかったのではないでしょうか?

 

■ただし、

管理職なのだから自分で課題を発見できなければならない、

というわけではありません。

 

むしろ、

自分の部下を最大限活用して、

自分の見えないところを見させて、

自分の思いつかない答案を出させることができるなら、

その方が

管理職としても有能であり、

部署としても生産性が高くなります。

 

したがって、

管理職に必要なのは、

部下から課題を引き出す力、

「引出力」

と言っても良いでしょう。

 

さらに望ましいのが、

課題を引き出した上で、

それを解決するための

改善提案引出力があるかどうか、

ということになります。

 

■このように、

管理職には、

放っておいたら、

部下を最大活用して

どんどん課題を発見し、

どんどん対策を展開し、

部署をよくするばかりでなく

病院全体をよくする人が求められている、と言えます。

 

それができない管理職で、

業務の指示を部下に出し

業務の結果を上司に報告するだけでは、

ただのおつかいに過ぎません。

 

「いちおう改善しているからいいじゃないですか」

「結構やっています」

「これ以上はやらなくていいのでは?」

などと言うようでは、こんにちの管理職は務まらない、

と言うべきでしょう。

 

トップがそんなことを言う組織ではだれも頑張れないのと同じように、

管理職がそんなことを言う部署ではだれも着いてきません。

 

■こうしてみると、

管理職は組織の要であり、

その管理職に

何がミッションなのか?を、

明確に伝えなければ、

組織づくりは始まらない、ということが

より明確になったのではないでしょうか?

 

みなさんの現場では、

管理職に、

何がミッションだと、どのように伝えているでしょうか?