8月14日、安倍首相より「戦後70年談話」が発表される。
メディアや左翼団体は「侵略」「お詫び」「植民地支配」などのキーワードを入れさせるよう、最後の念押しを繰り返している。
そして、6日には有識者懇談会より、報告書が安倍首相に手渡された。
その報告書の内容については、戦後のGHQが作成したのかと、耳を疑う内容です。
※8月6日、有識者会議の代表が安倍首相に報告書を手渡す。
一部抜粋して紹介します。
報告書は、先の戦争について、「日本は満州事変以後、大陸への”侵略”を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化などという流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無防な戦争で、アジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」
敢えて説明するのも、バカバカしくなるほど、どの部分を切り取ってもめちゃくちゃな論理(左翼史観満載?)の文書ですが、少し反論させていただきます。
まず、満州事変のきっかけにもなった孫文による辛亥革命は、満州人による清国政府からの分断です。
孤立する満州、そして、その満州人の故郷である当時の満州は無法地帯であり、中国人による窃盗や犯罪が横行していた。
また、放って置くとロシアに支配され、日本の安全保障上、重大な問題をはらんでいた。そこで日本は石原莞爾や板垣征四郎を中心とする関東軍が満州の権益獲得へ動いた訳です(ちなみに世界的な指揮者の小澤征爾はこの2人の名から命名されている)。
そしてその後、日本は不拡大方針で幾度も停戦交渉しているが、日本と中国国民党を戦わせようとする、中国共産党による、テロや妨害工作が頻発し、戦線が拡大していった。関東軍としては、在満州日本人を守るための戦いになっていきます。
よって、いわゆる”侵略”とは言い難い。また、世界的に”侵略”の定義が定まっていないといわれますが、当然でしょう、その定義が定まればアメリカや欧米の国々の戦争責任が問われます。
また、”民族自決”とは、どこに結びつくのか、また、”戦争違法化”というが、日本ほどパリ不戦条約や、ハーグ条約を守る国はない。
また、報告書では”無謀な戦争”というが、そこに追い込んだのはアメリカです。日本は日本国民を守るために戦争に踏み切らざるを得なかった。そして本来ならば早期停戦する必要があったが、それをさせなかったのもアメリカです。
※石原莞爾(かんじ) 関東軍作戦参謀 天才戦略家であり満州国を作った男 後に東條英機と意見を違え辞職する。
※板垣征四郎 関東軍高級参謀 石原と共に満州国を作るが、その責任を問われA級戦犯として48年刑死。
有識者とは名ばかり、これほど反日的な間違った見解で有識者とは...
これが、日本人のスタンダードかと思うと悲しい限りです。
安倍首相には、くれぐれもこのデタラメな報告書を参考にはしないでいただきたい(どこまで許容出来るかの判断か?)。
今回ご紹介するのは、前回の天皇陛下とマッカーサーとの会談をご紹介したエントリー記事のその後の話です(少し長くなりますが是非最後までお読みください)。
日本の昭和天皇との会談で、陛下の人間性に衝撃を受けたマッカーサーは、その後の占領政策の転換をしてゆきました。
その中で、いままでの勝者至上主義から、敗者の観点を持つことが占領政策において、重要であることを悟ったんだろうと思います。
後の1951年の米国上院議員議会において、マッカーサーは太平洋戦争について以下のような驚愕な発言をしている。
ーマッカーサーの「真実の証言」1951年5月3日、米国上院軍事合同委員会の公聴会にて
日本のみなさん、先の戦争はアメリカが悪かったのです。
日本は何も悪くありません。自衛戦争をしたのです。
イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に引き込んだのです。
アメリカは日本を戦争に誘い込むため、いじめにいじめ抜きました。そして最後通帳として、ハルノートを突きつけました。
中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったのでしょう。
当時アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人は良くて、日本人は許さなかったのです。
ハルノートのことは私もアメリカ国民も知りませんでした。あんなものを突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。
戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と我々の脅威とならないよう周到な計画を立てました。
アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。
戦後アメリカはそれを忠実に実行しました。
まず、日本の指導者は間違った軍国主義をとって、アジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。
日本がアジアを白人の植民地から解放したとう本当の理由を隠すため、「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました。
東京裁判は芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争が出来ない国にしました。
公職追放を行い、まともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばらまきました。その教え子たちが今、マスコミや政界などで反日活動をしているのです。
徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。
ラジオ、新聞を使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。
これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立出来ない状態が続いているのです。
私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです。
戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。
最後に私が生きていた時の証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。
(驚愕な発言です。アメリカ側にとって、当時の米軍兵太平洋艦隊司令長官という、作戦のトップの発言としては重過ぎる。そのトップが米軍の正義を否定して、謝罪までしてしまった。しかも、その見立ては戦後たったの6年の発言とは思えないほどの正確な見解です)
そして、この後マッカーサーは以下のように、1951年米上院議員議会にての公式声明を発表している。
「私は日本を誤解していました。日本の戦争目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。
太平洋において米国が過去百年の間で犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大にしてしまったことです。東京裁判は誤りだったのです。
日本は八百万人近い膨大な人口を抱え、その半分は農業人口で、あと半分が工業に従事していました。潜在的には、日本の擁する労働力は量的にも、質的にも私がこれまで接したいずれも劣らぬ優秀なものです。歴史上どの地点においてか、日本の労働力は人が怠けているときよりも働き、生産しているときの方が幸福なんだということ。つまり、労働尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くという材料が必要だということを意味します。
彼らには工場を建設し、労働力を有していました。しかし、彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。日本原産の動植物は蚕を除いてほとんど無いも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出もない、錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。しかし、それらほとんどがアジアの海域には存在したのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から、二千万の失業者が出るだろうことを彼らは恐れたのです。
従って、日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」
※マッカーサー GHQ最高司令官
このマッカーサーの証言についてはマスコミはスルー、教科書にももちろん載っていないものです。
もし、この証言が広く報道され、教科書にも載ることになっていれば、日本は自虐史観から抜け出し、独立国として自立をし、180度違った歴史感が日本人に定着していただろうことを考えさせられます。
今からでも遅くはない、安倍政権は戦後70年談話を発表した後で、このマッカーサーの証言を教科書に掲載するよう閣議決定するべきでしょう。
間違ったことは訂正し、真実をつまびらかにしない限り、日本の真の独立は永久に出来ないと思いますがいかがでしょうか。