世界一のジェントルマン | やっくんの事件簿ブログ

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   「日本において、彼ほどの紳士を私は見たことがない」


先の大東亜(太平洋)戦争の際に、米軍の太平洋艦隊最高司令長官であったダグラス・マッカーサーが、後に日本の(昭和)天皇裕仁陛下(以下、昭和天皇もしくは天皇)について語ったと言われる言葉です。


-1945年9月某日 この日、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)において、敗戦国、日本の昭和天皇とダグラス・マッカーサーの会談が行われることになっていた。

マッカーサーは日本の天皇が、来るということは何を意味するのか、当時の通例から、だいたいは分かっていた。

”富や財産と引き換えに、命は助けて欲しい...”

敗戦国の王は、その様に言って、命乞いをするのが相場であった。あとは適当な言い訳を並べるぐらいだろうと。

その日本の天皇の命運は、マッカーサーの手の内にあった。

天皇を殺すも、裁判にかけ絞首刑にするも、アメリカ本国へ送るも、彼の言葉一つであった。

天皇到着の報告があった。しかし、出迎えに行く気にはならなかった。長官室の椅子にドッカリ腰をおろし、ご自慢のマドロスパイプを咥えて、自身に一瞬でも地獄をみせた敗戦国の王が、いったいどんな顔で現れるのか、なまじ楽しみでもあった。

程なくして、日本の天皇が通訳を連れ、長官室へ通された。

写真で見たことはあったが、以外にか細く、実際には自分よりも、20歳、いやそれ以上若く見えた。

”この男のために日本の若き兵隊は次から次へと、一身を賭していったのか...”

マッカーサーは日本の天皇とやらを凝視した。

お互いの挨拶の後、記念撮影を行い、そして、中央のアメリカ人には少々手狭なソファに腰を降ろした。

すると、すぐ様、天皇はマッカーサーの脇に立つなり、こう発言した。

「私は日本国の天皇であります。今回の戦争の責任は全て私にございます。私の命を捧げる代わりに、どうか、日本国民が飢えることのないよう、今、一心に殿下におすがりしております」

天皇は涙を流しながら、そう語った。

困ったのは通訳でした、”天皇陛下は命を投げ出すと、仰せになられたが、果たして、そのまま訳して良いものか?”

しかし、天皇陛下の催促もあり、直訳した。

マッカーサーは天皇陛下のただならぬ覚悟と決意を感じ取っていた。

その直訳を聞くや否や、マッカーサーの表情は一変し、そして彼はすぐさま立ち上がり、天皇の脇に立ち、背筋を正し、こう繰り返した。


「天皇陛下というものは、かくもこういうものでありましたか。天皇陛下というものは、かくもこういうものでありましたか」

こう同じ言葉を2度繰り返した...

天皇の短いお言葉であったが、その中に、日本が日本たる所以、それが天皇の存在であるということをマッカーサーは感じ取った。

後にマッカーサーはこの時の事を振り返っている。

「私は、天皇陛下のこの言葉を聞いた際に、骨の髄まで揺さぶられた」

「あきらかに、自分の責任では無いことも、全て自分の責任と主張し、国民を守る。その一点の思いで、彼は、ここへやって来た」

「もし、生き延びたいと思うなら、国外逃亡も出来たろう、しかし、彼の態度からは、そんな考えは、微塵も感じられなかった」

「命乞いに来るのだろうと考えていた自分に、憤りを感じずにはいられなかった」

「この時に、私は対日本政策は方向転換せざるを得なかった」

「この国から、天皇を取り上げてしまったら、再び猛烈な戦火に包まれたであろう」

会談後、マッカーサーは予定にはなかったが、天皇陛下を表玄関までお連れし、深々と頭を下げて御用車を見送った。


天皇とマッカーサー
※昭和20年(1945年)9月27日、GHQ本部にて撮影 会談前の様子、さすがにサングラスは外したが手を腰に当て横柄なマッカーサーは....



その後の、GHQによる、対日本占領政策は大きく転換された。天皇の命はもちろん、この天皇の影響力を最大限、利用するよう占領政策に盛り込まれた。
ロシアからの分断統治の話しも、マッカーサーにより一蹴された(分断統治されていたらと思うと、ゾッとします、朝鮮半島やドイツはそうなってしまいましたが)。

かくして、日本は戦争には負け、日本軍(武力)は無条件降伏であったが、日本自体の国体(天皇を中心とした古来からの体制)は護られた。

この国体が護られたことは、とてつもなく大きい。

2600年間、日本が護られていたのは、この天皇を軸とする国体があったからです。

天皇が孤高の存在としてあり、その天皇から信任を受けた、時の指導者が政をつかさどる(時代によっては直接政治に携わっていましたが)。

(シンプルにみえて、このシステムは外国にはあまり見られない。)

天皇が全てを掌握していたなら、とっくにこの国は崩壊していたでしょう。

この天皇を軸とした体制さえあれば、日本は必ず復活する。

それを日本人は分かっていた。
マッカーサーも分かっていたのかもしれないが、この昭和天皇との対峙で初めて気付いたのかもしれない。

しかし、彼にはそれを自分の手で、奪うことが、いったいどんな罪深いことなのかも、あの戦争の日本軍の人智を超えた奇蹟的なあの粘りも、この時悟ったのだろうと思います。

最後の最後に、天皇陛下の自らの命を”かた”にした交渉が、威厳と人間力になり、敵軍の将の心を動かし、日本国民を護った。

日本はこの時、裕仁殿下が天皇で良かったのかもしれませんが、もし、この状況が、明治天皇であったなら、現在の天皇陛下であったなら、もしくは、現皇太子であったなら、どうだったでしょうか。

きっと、同じ言動を取ると思います。

長きにわたって、日本統治の中心に存在した天皇。

国民のことを思い、毎日の祈りを欠かさない天皇。

そういった系譜を代々護ってきた天皇家とは、マッカーサーの言葉をかりれば、日本の天皇とは”かくもこういうもの”なのです。