昨日は打ち合わせで京都に行ってきました。

その打ち合わせ先が、私の母方の祖父が昔住んでいたところのすぐ近くだったのです。

思ったより早く終わり30分程余裕があったので35年ぶりくらいでその地に足を踏み入れました。

たぶん10歳くらいまででしたが毎年の夏休みをそこで過ごした思い出があります。


古くなって誰も住んでいない家や新しく建て替えられた家などもありましたが、場の空気はなんと35年前そのままだったのです。


二人で手をつないで両手を広げると届きそうな道の両側の家。

低い軒先と所々に残る町家の格子窓。

見覚えのある家々。

昔と同じ名前の銭湯。

当時と同じように店先に品物を並べている八百屋さん。

ちょっと嫌味な奴がすんでいた洋装店(今は閉店していた)。

建屋はそのままに改装して指圧マッサージ店となっていた駄菓子屋さん。

紙芝居のおじさんがきた辻広場。

走り回った路地裏。


何だかせつなくて、悲しくて、でもとても愛おしい、そんな場所でした。


私たちは次の世代の子供たちにこんな愛すべき場所を残してあげることが出来るのだろうか?

土地の記憶、場の記憶をもっと大切にまちを考えないといけないと思い返した瞬間でした。


理屈ではなく、思い浮かぶままに書いてみます。

 

ネット上の個人情報を消去するビジネス(これから必要かな)

過去を消去するビジネス(映画や小説でありそう)

記憶を消去するビジネス(上に同じ、ピアノマンはどうなった?)

貯まったカードを消去するビジネス(たくさんのカード管理大変ですよね)

借金を消去するビジネス(こんなのできたらって思う人山ほどいる)

臭い・匂いを消去するビジネス(特に日本人は敏感ですから)

ばい菌を消去するビジネス(最近どんどん怪しい菌が増殖している模様)

汚れを消去するビジネス(潔癖症が異常増殖している現代社会、どんな汚れも落とします)

痛み・苦しみ・悲しみを消去するビジネス(同時に楽しみも消えちゃうかも)

音を消去するビジネス(電車の放送うるさすぎ!)

災いを消去するビジネス(地球温暖化、異常気象、もう止まらない)

悩みを消去するビジネス(癒し系ブーム、でも悩みを楽しみに変えなくちゃね)

いじめを消去するビジネス(ビシッと怒ったろか)

近所迷惑を消去するビジネス(ビシッ、バシッと怒ったろか)

社会のゴミを消去するビジネス(いろんなゴミがあります。あなたはどう?)

家庭のガラクタを消去するビジネス(いろんなガラクタがあります。あなたはどう?)

家庭からCOX・NOXを消去するビジネス(COX、NOXってわかります?)

会社の不用文書を消去するビジネス(シュレッダーだけじゃゴミがたまるだけ、元から絶とう!)

会社の不用人材を消去するビジネス(シュレッダーだけじゃ消せない)

 

まあ既に存在するビジネスもありますが視点を変えるといろいろと応用できます。

それと実は上記については全く逆のビジネスもありそうです。

世の中、プラスがあればマイナスがある。楽があれば苦がある。

一枚のカードの裏表でビジネスは展開できそうですね。


少子高齢化と消去するビジネス・・・。

少子高齢化によって消去されるもの・・・。

 

小中学校・高等学校・大学の統廃合の加速(否応なく消去される学校はある)、

学校の先生(生徒がいないのだから)、

塾(同じ)、

小学校の概念と小学校区のコミュニティ(小学校区の規模がばらばらになっちゃう)、

町内会の繋がり(子供がいるから繋がっている部分は大きい)、

まちのお菓子屋さん・駄菓子屋さん(既にほとんどない)、

ちょっと変わって・・・、

公的年金制度や公的保険制度(言わずもがな)、

子供の我慢、子供を叱る親、親孝行(ちょっと極端?)、

若年労働者、労働力の低下(当然の結果です)、

etc・・・、

 

他にもいろいろありそうですが、きりがないのでこのあたりで。

さて、このような事柄をざっと見ますと何か感じませんか?

社会を構成する根本的なものが欠落していくと言うことです。

国家としての体制が非常にアンバランスで歪んだ状態になってしまうと言うことです。

ですから世界中が注目しているのです。

 

漠然と少子高齢化といっているだけでは頭で理解していても実感として捉えていないのじゃないでしょうか。

年金制度や保険制度はマスコミが散々取り上げているのでわかるでしょうが、その他はいかがでしょう?

 

アンバランスな国家、歪みのある国家とは具体的にどういうことでしょう。

端的に言うと、ピラミッド型の社会構造の崩壊です。

これまでの社会構造、産業構造を維持できないと言うことです。

ではどうなるのか、これは好むと好まざるに関わらず「フラットな社会」に移行するしかないのです。

(現体制を維持するために国外からの移住を大幅に認めると言う方法もないことはない。これもひとつの選択。)

 

この「フラットな社会」と言う考え方にもいろんな考え方があるようです。

インターネットで言うところのフラットな社会、

産業構造としてのフラットな社会、

就業機会のフラットな社会、

 

いろいろな使い方がされています。

総じて言えることは、既存の流通システムや上下関係が崩れていくと言うところでしょう。

ここに価値の転換とシステムの変革が起こると言うことです。

 

ここでビジネスとしての最初の着目点は何か?

ピラミッド構造からフラット構造に移ったときの矛盾です。

その矛盾を埋めるものが新しい価値です。

 

例えば、現代社会のピラミッドの底辺を支える若年労働層がこれから低下します。(もちろん若年とは限りませんが)

そのかわり賃金の高い中高年層がだぶつきます。

さらに、高齢層がどんどん増えていきます。

フラットな構造の社会では、現在では矛盾と考えるこの状態を正常な状態の社会であるように価値転換させようとします。当然、産業の転換が求められますし、ここにビジネスシーズが発生します。

今はまだ対処療法的なものですが、実際どんどんと進んでいますし、この考え方にたったワークシェアリングのような動きもあります。

一億総ワークシェアリングくらいのことでないと駄目です。

それをコントロールすることやマネジメントしてみたいですね。

 

年金・保険問題でもそうです。将来的な破綻は誰もが覚悟しているところです。

ではその先の社会はどうなるのか、そこが全く提示されていないのです。

欧米でも20年くらい前から同様の問題を抱え、いろんな取り組みがされています。

その結果、大きなビジネスとして成長した企業はたくさんあります。

既存の保険会社だけの問題ではありません。

銀行にも保険会社にも頼らない将来設計とそれを実践できる仕組み。一人じゃ無理でも・・・。

 

高齢者が増えることは間違いないことです。

そのような暮らしに適したまちづくりがされていますか?

ユニバーサルデザインなんてことがよく言われていますが、それは非常に部分的なことであり、ある意味、行政や自治体の責任逃れ的に行われているようなところもあるのです。

本当の意味でのユニバーサルデザインとは何なのかを良く考えないといけないと思います。

「スローライフ」なんていうことが言われますが、ではこれを実践できる都市がどこにあるのでしょう。

生活にゆとりのある高齢者だけの特権のようなものであってはいけないのです。

それを実現させるために何が必要か?

ここにもビジネスシーズがあります。ちょっと複合的な事業戦略が必要ですが・・・。

 

以上、ちょっと思いつくままに書いてしまいましたが、どうやらここでもキーワードになるのは、ちょっと前に書いた「集団化ビジネス」という枠組みにはまりそうです。(使い方、考え方を誤ってはいけません。注意が必要です。)

 

 

次にちょっと視点を変えましょう。

上記で書いた消去されるものでなくなると困るものはなんでしょう?

 

子供を叱る親とか親孝行なんていうのはどうでしょう。

「子供を叱るビジネス」「親孝行ビジネス」

ありえるかもしれません。

 

「駄菓子屋さん」

これは最近ちょっと一部で見直されています。但し、まちにあるのでなく繁華街にあるというのが全くコンセプトが違います。間違っています。

なぜ、まちに駄菓子屋が必要か、それは駄菓子屋は子供たちの社交場だからです。

社交場、つまり子供時代に必要な社会性を得ることができる場所だからです。

10円、50円といった自分の小遣いの中で、自分の欲しい物を選りすぐり、考えた挙句にようやくそれを手に入れる。トイザラスで親に何千円も何万円もするものをおねだりして買うのではないのです。

コンビニでもそのような体験はほとんどできません。

コンビニと駄菓子屋をミックスなんていうことも考えてもよいでしょう。

 

 

ちょっとだらだらになってきました。悪い癖です。

今日はこの辺にしておきます。m(__)m

一昨日から偏頭痛(migraine)に苦しんでいます。

偏頭痛の症状は人それぞれだと思いますが、私の場合はとにかくじっとしているとますますひどくなると言うのが不思議なところです。

一眠りすると直る人もいるようですが、全く逆なんです。横になるとひどくなる一方です。

 

最近は眠っている深夜に頭痛で目が覚めることもあります。(これってちょっとやばい?)

深夜に目覚めて、明け方までリビングを行ったり来たりウロウロします。

ほとんど動物園の熊状態!

これは日中でも同じような行動をとっています。

(ですので周りの人が見ても頭痛で苦しんでいるのかどうかとかがほとんどわからない。)

 

それで頭痛が治るときは良いのですが、治らないときは寝不足とダブルパンチです。

今日はほぼ治まっていますのでブログできるわけですが、本当に困ったものです。

どろどろ血、眼精疲労、肩こり・・・原因はいろいろでしょうけど、ちょっと気が緩むと忽ち襲ってきます。

 

でも歩き回って改善すると言うことは基本的には血液の循環とか新陳代謝の問題なんだろうなと考えています。

世の中の偏頭痛もちの皆さん、偏頭痛になったときはごろごろ寝るのではなくちょっと上を向きながらボーっと家の中をうろうろして下さい。(口は半開き。ちょっと危ない!)

でもなんとなく痛みが和らぎます。一度、お試しあれ。 


少子高齢化と消去するビジネスを掘り下げると言ってましたが、その前に脇道に入ります。(またかよ!)

えー、お題は「イズムなき闘争」って感じですか。

 

ちょっとお堅い話しですが、イデオロギーの消滅なんてことは皆さん感じてますでしょうか?

社会主義や資本主義、その後の市場経済主義、そしてグローバリズム・・・。

みんな、時代のイズムですね。

この中で特に市場経済主義以降のビジネスというところは皆さんも体験されているところだと思います。

フォーディズムから始まる大量生産、大量消費、これを支えるマス・マーケッティング戦略(ちょっとはビジネスっぽくなってきた・・・;^_^A)

これらのイズムによって多くのモードが世に送り出されてきました。

 

ところが現在はそれを支えるはずの、はずだった「いわゆるイズム」がない時代に突入してしまったのです。

その結果、根無し草のようにモードは浮遊し、気まぐれに止まり木に羽を休めるのです。

このアンバランス、この恣意性が現代的なのです。

これを時代のモードや、果てはイズムと勘違いして集団的行動に走るのです。

 

このように考えると、多くの企業がまだまだマスマーケッティングの手法にこだわって商品開発を行っていることがいかにバカバカしいか良くわかります。

まあしかし仕方がないです。イズムなきモードなんて世の中のおじさん連中には理解できないのですから。

 

消去するビジネスというテーマですから、そこに話しを持っていきます。

イズムが消去された現代社会ではイズムを代替するライフスタイルを表現しているモードがもてはやされます。

(いきなり結論かよ・・・□\(- -;) ・・・)

この辺りがビジネスシーズの探しどころでしょう。

このような構造を理解することは、今日的ビジネスの作り手である現代のクリエイターにとっては必須です。

つまり、商品単独での発想では駄目ということです。生活や人生、時代の空気みたいなことをトータルに表現する、ディスプレイするといったことになるのです。

こうなってくると、マスマーケッティングとか顧客最優先という発想だけではなく、いかに提案し、特定の顧客を集団化させるかということになってくるのです。

今日的ビジネスの狙いは「集団化ビジネス」といえます。

 

今日的ビジネスといったのは、それが通用するのは今だけということです。

おそらくこの10年、長くて15年くらいかなと感じています。

 

将来的には次のイズム?が新たな地平を生み出すことになります。

その時は、当然ながらパラダイム転換が起こり、現代的価値に変化が起こるのだろうと思っています。

それを見越して今から準備しても良いですが、価値観が異なるのですから今はビジネスになりません。

ここが押さえどころです。

このあたりのストーリーを見間違うと、先走りしすぎて息切れしますし、遅すぎると置いてけぼりをくって、後は衰退あるのみです。・・・_| ̄|○

 

感性の強い方はもう気がついていると思います。

でも、この社会の構造まで注意深く考えて行動する人は少ないようです。

皆さんも注意してください。(^o^)/~

「消去するビジネス・その3」の前に、今日はちょっと寄り道です。

テーマは「モードの逆襲Ⅱ」です。

まず、なぜⅡなのかって言うと、Ⅰは既に宣言済みだからです。

↓ココをご覧下さい。

http://www1.ocn.ne.jp/~workship/f-lsd.html  

 

モードの逆襲・初級編:(素直にエンジョイ派)

過去に現れたいろんなモード(ファッション、デザイン、、、)を見直し、これらを現代生活の中に取り入れていくもの。

これはよくありそうです。

特にファッション・モードの世界ではよく言われますね。

スカートの長さとかは見事に繰り返されます。(ちょっと例が単純すぎる?!)

そういう意味では、逆襲というより「繰り返されるモード」といってもいいかもしれません。

町家の再生なんていうのもファッションとして位置づけられているところがちょっと悲しい。

 

モードの逆襲・中級編:(ちょっとねじれた斜め読み派)

現代において新たに現れたと思っているが、実はその根っこ、根本的な考え方は過去のモードの置き換えであるようなもの。

これについては、少し世の中の現象を凝視して、分析的にならないと読み解けないようです。

クールビズ、これなんてとうの昔から言われ続けています。

いまさら何を・・・という感じです。初級レベルかな。

韓流ブーム、いろんなことが言われているので細かい分析はしませんが、そんなもんです。

「セカチュー」も同じようなものか?(テレビと映画)

逆襲しようとして大失敗なのは愛知万博?何だか情けない、やらなきゃ良かったのに。

ちょっといい意味での逆襲は「作法」という言葉の復権か。(「style」といってもいいです)

でもなんにでも「・・・の作法(style)」とつけるのは止めてほしい。

 

モードの逆襲・上級編:(深読み的分析派)

これはちょっと普通ではなかなか気づかないところですが、個々の現象はさることながら、その時代の雰囲気というか、流れみたいなことが過去のそれと酷似していて、その結果、過去のモードと相似したモードが現れるもの。

憲法改正論や自衛隊問題、ニート問題、そして劇的ビフォア・アフターという見世物。

何だか脈絡なく書いたようですが、その深層では見事に繋がっているのです。

ビフォア・アフターの変わりに渡辺篤のお宅訪問でもいいです。

(ビフォア・アフターやお宅訪問そのものは初級編だな)

美しいモードの逆襲ということで、隠れた万年筆ブーム?

書くということ、日本語の持つ文字の深さと美しさ、でも、オタクっぽい人が多いのがたまにきず。

その背景を深読みすると結構面白い。

 

モードの逆襲・特別編:(瞬間的快楽派)

突然変異的に出現するモード。

「電車男」「痴漢男」・・・あーあ、こんなのでちゃった。_| ̄|○

 

関係ないけど、小川洋子は良いですね。骨太?で美しい文章です。

キーワードは消えること、消えていくということ。(消去するビジネスに多少繋がるか?!)

でもまだ、「博士の愛した数式」読んでない・・・(爆 _| ̄|○

 

以上、ちょっと寄り道しました。

「消去するビジネス」・・・実はいろんな分野で既に行われているのも事実ですが、ちょっと今日は概念的な思考から入って考えてみようと思います。

 

イメージしやすいものから考えるとリサイクルや廃棄物処理などは非常に端的なものです。

但し、この分野は案外業界の縛りが強くて、時代の先端であるべきなのにかなり後進的な業界であると言うことができます。逆に考えると、これからもっと風通しの良いシステムへの転換が進み、その流通システム、中間処理、最終処分という大きな流れで業界の再編とシステム構築が図られることでしょう。

かなり広域的な地域システムの構築が必要になると考えています。

そして、これは世界主要都市への応用や展開が可能です。

 

少しソフトな分野に目を移すと情報の問題があります。

デジタル化が進みあらゆる情報が小さなチップの中にあり、いつ、どこで、誰が、どのようにして管理しているのか、特に日本においてはこのような問題に対する意識が低いようです。元々、知的財産とか目に見えないものに対する価値評価ということに疎い国ですから、日常でそのようなことに神経を研ぎ澄ますことは少ないようです。しかし、これからはそうも言っていられません。

情報を蓄積し、管理することは研究されていますが、これを消去すると言う視点でシステム管理はされていません。ちょっと複雑な言い回しになりましたが、消去する必要性をシステムに組み込んだ時点で、集積・管理するシステムも大きく変わるはずです。最近、ようやく個人情報問題を背景に注目され始めています。

 

ちょっと視点を変えてみますと、日本は今世界に類を見ない急激な少子高齢化の進む国として非常に注目されています。本当に、人口の急激な減少という今までになかった事態に直面したとき何が起こるかと言うと、まず、地方すなわち中山間地域の衰退が起こるでしょう。その結果、放棄された町や村は当然廃墟として朽ちていきます。このような消去された地域をどのように考えるかと言う問題がたちまち発生します。(既に起こっていますが・・・)

そこで極端に言えば山林に戻すとか、国外移住者を募り新しいコロニーの形成を図るとかいったことも考える必要が出てきます。

次に都市部の衰退です。都市と地方は実は密接に繋がっていて、それぞれが単独で存在することはないのです。現在でも、そのバランスは崩れてきているようですし、至るところにその現象が見え隠れしています。社会経済においてもそのような動きは加速しているようです。

それはさておき、都市部で消去されるものは何か?ちょっと難しいところですが、たぶん、最初に学校が急激に少なくなります。その結果、教育の衰退というか混乱は避けられないでしょう。これを阻止するために、例えば児童や学生が半分になった状態を想定して教育システムをシミュレートするなどの検討が必要になります。あるいは、徹底的に国外からの居住を推進するか、そのためにはどのような法制度や自治システムが必要かなどということも検討したりしないといけません。

また都心回帰が進み、大都市周辺の中小都市の衰退も並行して進みます。土地余り現象が起こり、日本の土地本位制的な金融システムも消去してしまうのでしょう。

 

このようなことは決して悪いことなのではなくて、日本が先進として世界に新しいパラダイムのモデルを示す絶好の機会と捉えるべきなのです。


次は、この最後の視点を掘り下げてビジネスシーズを探索してみます。

私たちは一般的に新しいビジネスを考える時、

 

「新しい何かをつくろう」

「今までにない価値創造をしよう」

「見たこともないようなものをつくろう」

 

というようにイメージを膨らませていこうとします。

 

ところが、ふと考えてみると何かを生み出すことばかり考えていて、その後のことや最終的に役割を終えたそのものがどのように消去されるのかを考えていないことが多いようです。

 

このことはモノに限らず、コトも同様です。もっと目に見えない何ものかとも言って良いでしょう。

 

地球上は人間によって生み出されたモノ・コトであふれています。

 

これらのモノ・コトの始末をつけなければならない時代がもう来ています。

 

これはあらゆる領域に及ぶと考えていますが、これを「消去するビジネス」と名付けてみました。

 

次はこの「消去するビジネス」を具体的にイメージ展開してみたいと思います。

「20世紀は戦争の世紀」とはよく言われている言葉です

それじゃ「21世紀は・・・?」ということが今日の「ウタカタの思い」です。


ブッシュ、アメリカ、イラク戦争、報復の連鎖・・・金正日、北朝鮮、東アジアの謀略的対立、アジアとグローバリズム・・・EU、新たなる挑戦、経済的不調和、東ヨーロッパ・・・ロシア、旧ソビエトの傷跡、民族的紛争・・・終わりなき中近東の宗教的対立、イスラム教とキリスト教、宗教と経済、利権をめぐる争い・・・エネルギー資源という利権、エネルギー問題と地球環境の危機、持続可能社会への転換・・・出口の見えない南北問題、残像として残る東西問題、旧ソビエトに変わる中国の台頭・・・。


イデオロギーの時代から、経済中心の時代へ。

その中で、最大の消費活動は何か?

それは紛れもなく「戦争」でしょう。

一発何億もするミサイルを惜しげもなく敵に放つ。攻撃を受けた地域はこれまで金銭に変えることのできない蓄積をしてきた資産が破壊される。その繰り返し、繰り返し・・・。

そこで消費される物資、必要とされる物資の数はおびただしい。

悲惨な戦地とは裏腹にその恩恵を受ける死の商人が存在することも事実です。

人類が人として目覚めたときから絶え間なく続く戦い、ただ生きるためというのではなく起こすこの戦争という不条理。

イデオロギーという怪物が失われようとしている今、このイデオロギーという鎧に隠れていた経済的対立と宗教的対立(或いは民族的対立)が混然一体となって眼前に現れてきた


最近、この対立構造を超えるモデルの可能性は唯一アジアにあるのではないかと個人的に感じています。

遅かれ早かれ、中国の体制は大きく変わっていくだろう。その時が大きなチャンスになるのではないか。

その時までに、この新たな地平を築く礎を何とか探し出さねばならない。

そのための楔を打ち込まなければいけない。

そんな時代の足音が聞こえてきている気がしませんか?

昨夜はサッカーワールドカップ最終予選、日本vsバーレーン。

なんとか、1-0で逃げ切りました。とにかくcongraturation!

で、ベッドに入ったのは深夜3:45頃でしたが、明け方にちょっと難しい?夢を見ました。

どんな内容かというと・・・。

 

私は何だか複数の人たちとわいわい議論をしています。国籍も言葉も不明の人たちです。

何を喋っているのかわかりません。でも、不思議とその意味はお互いに理解しているのです。

言葉はわからないのに、意味だけは頭の中にストレートに入ってくる状態です。

議論の内容は、日本の生活や文化のことのようでした。

(中略・・・というか目覚めたときは結構細かく覚えていたのですが、今はかなり記憶がぼやけてきました)

そして、皆さんもあると思いますが、二人の自分を感じ始めました。

夢の中で議論を続けようとする自分と、この夢の中身を分析する自分です。

しばらく、そういう状態が続きましたが、突然、分析する自分が「日本の文化はだらだらの法則だ」と妙に納得し始めたのです。

政治然り、メディア然り、挙句に小津映画も然り、といった調子です。そんなシーンが頭の中をぐるぐる回っているのです。

ダラダラはダラダラでも日本は「かわいたダラダラ、あっさり系のダラダラ」で、さらに、同じダラダラの法則を持つ国でもイタリアは「ちょっとウェット系のダラダラ」なんて調子で妙に納得しているのです。

そして・・・。

 

目覚めたとき、「だらだらの文化」これは案外、言い得て妙、といった感じでした。

今の日本の状態はまさにそんな感じがします。もしかしたら、古くからそういうものだったのかとも思います。

それが良いとか悪いとかということではないのですが、自分も含めてそういうものが根っこにあるように感じたのです。

ちなみに広辞苑では「だらだら」を次のように説明しています。

 

だらだら:①粘り気のある液体が糸を引くようにしたたるさま。②なだらかな傾斜が続くさま。③物事の進行が非常に遅く、際限なく続くさま。④無意味に怠けて時を過ごすさま。(広辞苑、第五版)


書き出すと長くなりそうになってきましたので、この夢分析はまた後日やってみようと思います。

それよりも、夢の中ではいろんな国の言語があんなに錯綜するってことがすごい!

実は以前もありまして、なぜかそのときはブルース・スプリングスティーンと自分が英語でペラペラ喋っているのでした。

人間の潜在能力とか無意識に潜むエネルギーってとんでもないものなのかもしれないですね。