少子高齢化と消去するビジネス・・・。
少子高齢化によって消去されるもの・・・。
小中学校・高等学校・大学の統廃合の加速(否応なく消去される学校はある)、
学校の先生(生徒がいないのだから)、
塾(同じ)、
小学校の概念と小学校区のコミュニティ(小学校区の規模がばらばらになっちゃう)、
町内会の繋がり(子供がいるから繋がっている部分は大きい)、
まちのお菓子屋さん・駄菓子屋さん(既にほとんどない)、
ちょっと変わって・・・、
公的年金制度や公的保険制度(言わずもがな)、
子供の我慢、子供を叱る親、親孝行(ちょっと極端?)、
若年労働者、労働力の低下(当然の結果です)、
etc・・・、
他にもいろいろありそうですが、きりがないのでこのあたりで。
さて、このような事柄をざっと見ますと何か感じませんか?
社会を構成する根本的なものが欠落していくと言うことです。
国家としての体制が非常にアンバランスで歪んだ状態になってしまうと言うことです。
ですから世界中が注目しているのです。
漠然と少子高齢化といっているだけでは頭で理解していても実感として捉えていないのじゃないでしょうか。
年金制度や保険制度はマスコミが散々取り上げているのでわかるでしょうが、その他はいかがでしょう?
アンバランスな国家、歪みのある国家とは具体的にどういうことでしょう。
端的に言うと、ピラミッド型の社会構造の崩壊です。
これまでの社会構造、産業構造を維持できないと言うことです。
ではどうなるのか、これは好むと好まざるに関わらず「フラットな社会」に移行するしかないのです。
(現体制を維持するために国外からの移住を大幅に認めると言う方法もないことはない。これもひとつの選択。)
この「フラットな社会」と言う考え方にもいろんな考え方があるようです。
インターネットで言うところのフラットな社会、
産業構造としてのフラットな社会、
就業機会のフラットな社会、
いろいろな使い方がされています。
総じて言えることは、既存の流通システムや上下関係が崩れていくと言うところでしょう。
ここに価値の転換とシステムの変革が起こると言うことです。
ここでビジネスとしての最初の着目点は何か?
ピラミッド構造からフラット構造に移ったときの矛盾です。
その矛盾を埋めるものが新しい価値です。
例えば、現代社会のピラミッドの底辺を支える若年労働層がこれから低下します。(もちろん若年とは限りませんが)
そのかわり賃金の高い中高年層がだぶつきます。
さらに、高齢層がどんどん増えていきます。
フラットな構造の社会では、現在では矛盾と考えるこの状態を正常な状態の社会であるように価値転換させようとします。当然、産業の転換が求められますし、ここにビジネスシーズが発生します。
今はまだ対処療法的なものですが、実際どんどんと進んでいますし、この考え方にたったワークシェアリングのような動きもあります。
一億総ワークシェアリングくらいのことでないと駄目です。
それをコントロールすることやマネジメントしてみたいですね。
年金・保険問題でもそうです。将来的な破綻は誰もが覚悟しているところです。
ではその先の社会はどうなるのか、そこが全く提示されていないのです。
欧米でも20年くらい前から同様の問題を抱え、いろんな取り組みがされています。
その結果、大きなビジネスとして成長した企業はたくさんあります。
既存の保険会社だけの問題ではありません。
銀行にも保険会社にも頼らない将来設計とそれを実践できる仕組み。一人じゃ無理でも・・・。
高齢者が増えることは間違いないことです。
そのような暮らしに適したまちづくりがされていますか?
ユニバーサルデザインなんてことがよく言われていますが、それは非常に部分的なことであり、ある意味、行政や自治体の責任逃れ的に行われているようなところもあるのです。
本当の意味でのユニバーサルデザインとは何なのかを良く考えないといけないと思います。
「スローライフ」なんていうことが言われますが、ではこれを実践できる都市がどこにあるのでしょう。
生活にゆとりのある高齢者だけの特権のようなものであってはいけないのです。
それを実現させるために何が必要か?
ここにもビジネスシーズがあります。ちょっと複合的な事業戦略が必要ですが・・・。
以上、ちょっと思いつくままに書いてしまいましたが、どうやらここでもキーワードになるのは、ちょっと前に書いた「集団化ビジネス」という枠組みにはまりそうです。(使い方、考え方を誤ってはいけません。注意が必要です。)
次にちょっと視点を変えましょう。
上記で書いた消去されるものでなくなると困るものはなんでしょう?
子供を叱る親とか親孝行なんていうのはどうでしょう。
「子供を叱るビジネス」「親孝行ビジネス」
ありえるかもしれません。
「駄菓子屋さん」
これは最近ちょっと一部で見直されています。但し、まちにあるのでなく繁華街にあるというのが全くコンセプトが違います。間違っています。
なぜ、まちに駄菓子屋が必要か、それは駄菓子屋は子供たちの社交場だからです。
社交場、つまり子供時代に必要な社会性を得ることができる場所だからです。
10円、50円といった自分の小遣いの中で、自分の欲しい物を選りすぐり、考えた挙句にようやくそれを手に入れる。トイザラスで親に何千円も何万円もするものをおねだりして買うのではないのです。
コンビニでもそのような体験はほとんどできません。
コンビニと駄菓子屋をミックスなんていうことも考えてもよいでしょう。
ちょっとだらだらになってきました。悪い癖です。
今日はこの辺にしておきます。m(__)m