前回の記事


からの続き。


機内アナウンスで目が覚めた。
窓から下を見るとレゴブロックのようなマンション群が見える。
あそこにどれだけの人が住んでいるのだろう。

当時、香港国際空港は離着陸が難しいといわれた空港。
着陸時は建物のギリギリを攻めるのでマンションで洗濯物を干している様子もはっきり見える。

ちょうど昼前に着いて空港を出る。
タクシーで街中へ向かう。
中国に返還直前の香港。
街に着くと今まで訪れた場所に比べてもまた一段と活気がある。
思ったよりもエネルギッシュだった。

宿探し。
バックパッカーを見かけると声をかけてくる。
料金交渉すると1泊約1500円で泊まれることになった。
宿は重慶大厦(チョンキンマンション)という複合ビルの中にあるゲストハウス。

この中には商業施設もあり住民もたくさんいてカオスだ。
建物はかなり古く見え薄暗い。
エレベーターに扉はなく蛇腹式の柵。
柵から首を出したら間違いなくギロチンになる。
各階の奥は暗がり。
何かの闇取引が行われそうな雰囲気だ。

十何階だったかかなり高い階だった。
部屋は通りを下に臨むわずか2畳の部屋。
1畳はベッド、半畳は小さなテレビと荷物置き。
残り半畳はドアの内開き部分で終了。

エアコンは付いていたがほとんど冷えず扇風機代わり。それでも十分だった。

地上に降りて街を探検。
当時の香港は旅行先としては特に女性に人気。
買い物ツアーやグルメツアーで日本人観光客は多かった。

そんな日本人観光客がキラキラしたレストランに続々と入っていく。
それを尻目に地元の人たちが集う食堂に足を踏み入れる。
ジャッキーチェンの映画に出てきそうな食堂である。
肉団子入りのお粥ワンタンを。
味付けはテーブルにある調味料で自分好みに。
美味い。お粥がこれほど美味いとは。

九龍付近をウロウロして屋台で軽食をテイクアウト。
土産物屋を物色したり高級ホテルのロビーでまったりしてみたり。
夜が更ける前まで街をふらつく。

相変わらずの水シャワーでさっぱりしたところでベッドでウトウト。
部屋はネイザンロードという大きな通りに面していて、建物に反響する地上の車の音やクラクションがやかましい。
どうやら香港にも暴走族がいるようでしばらくバイクの音がうるさかった。


朝は蒸し暑さで起きた。
ちょっと早起きしてしまったので朝の散歩。
公園では老人が太極拳をやっていた。
あれだけうるさかった通りはほとんど車が走っていない。

裏道の食堂はもう営業している。
迷路のような細道を抜けるといくつかの食堂が外に椅子とテーブルを広げていい匂いが漂う。
さっぱりした優しい味の麺を食べた。

この日は香港島に渡ることにした。
フェリーで渡る。
香港島はオフィス街。
地下鉄を使って島内を移動。
飲茶もした。
昼過ぎに一旦宿に戻る。

休憩しつつテレビをつけてみる。
ちょうどその頃に中国の指導者鄧小平がなくなったようだった。
映像は天安門広場で北京市民がインタビューを受けているところだった。
しかしその映像に字幕がついている。
ん?同じ中国語のはずなのになぜ?と思ったが、どうやら北京語の発音と香港の広東語の発音はだいぶ違うということらしかった。


体力を充電したところで夕方、ヴィクトリアハーバーから香港島を眺める。
辺りが暗くなるにつれビル群の灯りがクッキリと浮かび上がる。
100万ドルの夜景」だ。
ビクトリアピーク(山の上)から眺めたかったが機を逃した。(結局翌年に行くことになる)

宿に戻り喧騒にも慣れ今までの旅の行程を思い出していた。
長い旅の最後の夜だ。
バンコクから始まりペナン、シンガポールと渡り歩き最後はここ香港。

明日には日本に帰る。
もう旅が終わるという寂しさとやっと日本に帰れるという安堵感が交錯する。

窓から見える煌びやかなネオンを眺め、タバコを燻らせながらそんなことを考えていた。


翌朝。
早起きして肉まんを買いに行く。
公園で太極拳をする老人たちを見ながら食す。
静かなそして穏やかな香港の朝。

その後タクシーを捕まえ空港へ。
手続きを終えそして離陸。
雲の上の景色をずっと眺めていた。

日本の街や山や森が見えてきた。
やっと帰ってきた。
空港に降り立った時、何とも言えない充足感があった。
つい十数日前ここから旅立ち、今ここにまた立っている。
たった十数日。
20歳の若者はわずかながら成長しただろう。



旅に何を求めるか。
楽しみや癒しや感動。
それも間違いない。
この旅で自分が求めたものは結局
「自分の可能性」
だったように思う。
言葉も全ては通じない、勝手がわからない中でどれだけ自分を信じて乗り越えられるか。
不自由さの中で自分がどう立ち回れるか。

旅を終えた当時の自分に言ってやりたい。
お前よくやったな。