からの続き。

 

バタワースに着き、少し歩けばフェリー乗り場。

このフェリーに乗ってペナン島へ行ける。

目的地はペナン島。

 

チケットを買いしばらくするとフェリーの出発時刻。

マラッカ海峡の風に吹かれながら対岸のペナン島へ渡る。

 

ペナン島最大の街ジョージタウンへ。

街中のチャイナタウンで宿探し。

安宿はすぐ見つかった。オーナーはもちろん中国系だ。

 

マレーシアだけど街並みは中国。

旧正月の期間だったので街中線香の煙がすごい。

部屋に洗濯物を干せば煙に燻され線香臭のTシャツが出来上がる。

 

近くの中華料理の食堂で夕飯。

長いバスの旅はさすがに疲れたようだ。

宿に戻るとすぐに眠りに落ちた。

 

翌朝は快晴。

朝食を摂らず目的のビーチにバスで向かう。

目的地はバツーフェリンギという場所のビーチ。

バスを降り地球の歩き方で目星をつけていた宿に到着。

部屋はツインしか空いてない模様。1人で泊まるのにツインだと割高。

陽気なマレー人のオーナーは「シングルの料金でOKよ!」と神の一声を。

ここで3泊のステイ。

 

宿からほど近いビーチは人も少なくのんびりできそうだ。

沖縄の海ほど青のグラデーションが美しいわけではなかったが青さは際立っていた。

この地域は海以外特に何があるわけでもない。 そのおかげもあってかのんびりできた。

 

食事も相変わらずチャーハンも食したが、ここでは宿の近くにあったカレー屋

このカレー屋もインド系の店主が作るチキンカレーが秀逸だった。

3日連続で通ってしまったほどだ。

 

ビーチでは同じように一人旅をしていた学生と会話したり、会話の通じない現地の人と遊んだりしていた。

 

気温的にはバンコクほど暑くはなかった。赤道には近づいたはずだが比較的過ごしやすかった。

 

宿のオーナーと仲良くなり、暇なときはずっと話していた。

そのオーナーはおそらく以前に訪れた日本人旅行者に吹き込まれたのか卑猥な日本語をガンガン投げかけてくる。

簡単な日本語をマレー語で訳された冊子みたいなものをいつも眺めていた。

地球の歩き方に載っている宿なので日本人がかなり泊まるのだろう。

とにかく彼のおかげで退屈することはなかった。

 

宿に泊まり始めて2日目だったか3日目だったかオーナーが「いいところに連れていってやるよ!」と車でドライブに連れ出してくれた。

 

オーナーはいつもガラムというタバコを吸っていて、その匂いをふと日本で嗅いだ時には今でもそのオーナーを思い出す。

自分も1本もらったが残念ながら好みではなかった。

ただ車にガソリンを入れているときは吸うのをやめてほしかった。

 

連れていかれたのは森の中にある旧日本軍のトーチカだった。

いまだ太平洋戦争の爪痕が残っているのかと感慨深かった。

他にも風光明媚な場所や現地の人たちに美味いと評判の食堂に連れて行ってくれた。

すべてガイドブックにはないスポットだった。

 

宿には卒業旅行で訪れていた男3人組とも親しくなり宿の中庭で一緒に飲んだりもした。

 

この宿最後の夜、灯を消しベッドに横になりながらウトウトしていた。

その時「ガチャ」とドアが開く音。

顔は見えなかったが男がこっちを見ていた。

とっさに「コラーッ!」と大声を上げると猛ダッシュで男は逃げていった。

現地人のように見えたので物盗りだったかもしれない。

もし刃物を持っていたらと思うと今でもゾッとする。

いやその前に鍵閉めておけよという話。


バツーフェリンギ最終日、チェックアウト前に中庭でまどろんでいると同じようにまどろんでいたドイツ人のしかも瞳孔が散大してしまうほどの美女が笑顔で挨拶してきた。

 

「旅の恥は掻き捨て」である。

話しかけないのは失礼にあたる。(そんなことは絶対にない。。。)

 

自分の英語力というのはどうやら緊急事態美女と話すときに覚醒するようだ。

とは言えたいした知識もセンスもない若造にはたわいのない話を振る程度しかその場をしのぐ術はなかったのだが。

 

オーナーに別れを告げ宿を出る。

バスに乗り再びジョージタウンへ。

まずはいつも通り宿探し。

その前に腹が減った。ちょっとジャンキーなものを食べたくなってきた。

あっ!マクドナルドがあるじゃないか。

当時の日本のメニューとはベースは一緒だが微妙に違っていたような記憶がある。

ドリンクの氷がシャリシャリではなくブロックのでかい氷だったことははっきり覚えている。

 

その後一旦バタワースに渡りシンガポール行きの鉄道のチケットを買いに行った。

バンコク中央駅での4日待ちの再現とはならず翌日のチケットはすぐにゲットできた。

 

またジョージタウンに戻り街中をウロウロしていると同じような風体の日本人青年(C氏とする)が向かってきた。

挨拶がてら少し立ち話。偶然にも同じように宿探しをしているところだった。

話の流れで一緒に探すことになった。

ちょうどいい宿があったのでそこに決めたのだが、シングルとツインではまた料金が違う。

「ツインにして割った方がよくない?」「そうしよう」と即決。

もちろん今までどおりシャワーは水しか出ない。

さっきあった青年と同じ部屋に一晩をともにすることとなった。(もちろん変な意味はない)

 

C氏はインドからシンガポールに渡りこれからタイに向かうとのことだった。

自分とは逆ルート。シンガポールについての情報を得た。

C氏はインド滞在時にアメーバ赤痢に罹り地獄を味わったらしい。

それに影響されたわけではないが自分もその日の夜中初めて下痢になった。

これまでさんざんの悪食をしてもびくともしなかった自慢の腸が崩壊した。

食べ物というよりはスコールで急激に気温が下がったところで寝冷えをしたようだ。

 

なんとか朝には回復していて一安心。

バタワース発の列車は朝早くの出発だったので早朝の暗がりの中フェリー乗り場を目指す。

フェリー乗り場への道中誰もいない道をバックパックを背負い歩いていく。

日が昇る前の澄んだ空気。

 

これからシンガポールへ向かうのだ。

時間通りに列車は駅に到着していた。シンガポールには夜に着く予定。

ただの特急ではあったが自分の中ではもはやオリエンタル急行。

席もそれなりに上質で不満はなかった。

車内販売でサンドイッチだけ買った。まずくはなかったがパンは硬かった。

 

途中クアラルンプールに停車する。

高層ビルもそびえたち思ったより近代化が進んでいるように思えた。

モスクも林立しておりまさにマレーシアのイメージそのもの。

駅を行きかう人々は中国系、マレー系、ターバンを巻いたインド系のバリエーション。

人種、宗教、文化が交じり合う。

 

都会を抜けると車窓から見えるのは森林と田園風景。

夕暮れとともにわずかながら寂寞感がこみあげてくる。

 

ついにシンガポールに到着。

12時間以上椅子に座っているのはしんどい。バンコクからの24時間バスともまた違った疲労感。

駅はしとしとと雨が降っていた。

 

~ 続く ~

『【回想録】衝撃のシンガポール』前回の記事『【回想録】灼熱のバンコク』先日の記事の通り、昔の旅行記を書き記してみたいと思う。  時は遡ること19歳の大学1年の冬。初めての海外、タイにツアー旅…リンクameblo.jp