ガイドくんに見せてもらった神の愛のイメージは
右回転を続けてるひとつの輪と
そこに左回転の輪が縦向き(右回転の輪とクロスする向き)に
回転したまま、右回転の輪の中を出たり入ったり、
そーいうイメージでした。
それを真上に視点を変えて観察すると
ふたつの輪がちょうどプラス(十字)の形に見える。
でも接触はしていない。スコスコ動いてる。
(これをセッ☆クスの動きに似ていると言っていたのかなー)
そのスコスコの中心あたりからあまりにもたくさんのスパーク
(放電)と無限の粒子がとめどなく生まれてきて、
そしてまた入っていく粒子もあり。
それらはみんなちがう。同じものがない。
一番ベースとなる素材は母体が同じだから一緒なのだけれど
生まれた粒子は同一ではない。みなちがう動きをしている。
同じ親から生まれても兄弟みんなちがうみたいなものかな。
違いも、個性も無限。
そこの営みが宇宙の中心みたい。
それを、ガイドくんは神の愛の世界と言った。
その中心と同じものが、人間の中にもあるのだって。
だから、人間のやること、やろうとしていることの延長線に
神のやること、神のやろうとしていることがあるという風に
表現したのかな。
ま、ここはあくまでわたしの推測、想像だけども。
ガイドくんが言えない、というのは
わたしの脳みそではフィルターがかかりすぎてて
理(ことわり)を理解できないだろーということなのかもしれないw
ものすごい寝起きや寝入りばなに
カタカムナ文字の渦がホログラム状に
(渦の回転をしている映像)見えるのですが
その真ん中のあたりが、先述の輪っかふたつのスコスコに似てるなーと、個人的に思ってます。
ちなみに、このカタカムナの文字ひとつひとつは
詳しいことは知りませんが、リズムに思えてならないです。
龍に意識を向けるととくに、これを感じるの。
熊野大社で土下座した話①へつづく