私は今、まだ子供がいません。

でも私たち夫婦は子供が欲しい目標に向って
努力を厭うことなく頑張っています。

今まで私たちは「子供が出来るまで」とか
「どのようにして子供もができるのか?」などを
学んできました。

私たち自身、学んだことには絶対の自信を持っていますし
かけがえのないものだと思っています。

そこで私は次に考えるようにしました。
それは、「子供の育て方」です。


私たちははっきり言って
結婚してすぐに子供を授かれた方、
できちゃった婚の方々よりも
遥かに子供に愛情をそそげるだろうし
妻をパートナーを愛せると思います。

しかしだからと言って子供を育てるのには
それだけではいけないって事を思ったんです。

私には最近好きな言葉があります。

それは最近私の幼馴染から「子供が出来た」って
報告を受けたときにその友人に送った言葉です。

その友人は、自営業者で毎日毎日ほとんど休みなく働いていて
私から見ておそらく奥さんや家族との時間をあまり取れていない
ように見えました。

まあ・・・夫婦二人だけでまだ結婚2年目でしたら
それで何とかやっていけるのかとは思いましたが
子供が出来るってなると話は変わってくると私は思いました。

やはり、子供を育てるには親が仲良くなくてはいけないと思う。
例えまだ子供が小さくても、理解する能力はすでに持っている。

「子供は親の生き方を見て育つ」

その通りだと思う。

夫は妻を一番に大事に思い、
妻は夫を一番に大事に思う。

私は友人にこの言葉を送りました。

「人は必要性を知るギリギリまで、変わろうとしない。」



私の気持ちをすべてこの言葉に載せました。
後は友人がどう感じてくれるか?ですが。


まあそういうこともあり
やはり私たちは治療に対して自分が変わったように
今度は自分たちの目標が達成されたときの事に対しても
変わらなければいけないと思っています。

人はなぜ自分の尺度で話してしまうのか?

そして私は妻を追い込んでしまった。

そして涙を流さしてしまった。


人と人

同じ人間だがお互いに育ってきた環境が違う。
そして得意なものが違う。
同じ物事や質問に対しても考え方が違う。

私はあるお願い事を妻にした。
その私の願いを叶えるには人に迷惑がかかる内容だった。

妻の考え方は、
「人に迷惑をかける事をしてはいけない。」
それがまず頭にくる。

だから妻は私の願いを却下した。
「それは、あなたのわがままだと。」
「その願いによって周りの人に迷惑をかけるのは必至」
「だから今回はそれは我慢して欲しい。」と


私は言う
「そう言われると確かにわがままかもしれない。
 でもそれでも私にはしなければいけない事がある。
 だから協力してほしい」と

すると妻は涙を流しはじめました。


妻「私もあなたの願いを受け入れたいと思う。
  しかし、どうしても人に迷惑をかけるのは出来ない。
  そしてそれが私だけががんばればいいものならいいけど
  あなたの願いは、私の出来ないことをしてくれと言う。

  私は心が小さい・・・

  おそらくこれが逆の立場で、私があなたに同じような
  お願いをしたとしたら、あなたは快く受け入れてくれたと
  思う・・・

  でも私には出来ない・・・どうしても出来ない」と


私は、なぜそこまで考えてしまうのか不思議でした。
でも思ったんです。
妻は本当にそれが出来ないんだと、
私には簡単に思えることでも、他人にはそれが難しい場合が
あるのだと

私はその願いを断念しました。

少し残念でしたが、私はこう考える。
よかった!!また学習ができたと
そして自分の欠点が1つわかった。
たまに自分の勝手な判断で人に押し付けてしまうときがある。と

妻に対して
「なんで、ダメなんだ!!」って
怒ったり、恨んだりすることは簡単だ。
でも私はそれを選ばなかった。

なぜなら、私はいつも自分に言っていることがあるからだ
「人を許すこと、そしてもし怒りや憎しみが生まれた時
 立ち止まって自分に問いかけてみること」


すいません、意味があまりわからない内容で・・・
でも何だかスッキリしました。








妻は治療になると、視野が狭くなる。

頭の中がすべて「治療、治療、治療」
何をしていても頭のどこかで気になっている。
そしてそれが自分の中で圧倒的に大きくなっている。

それに対して私はどうでしょうか。

確かに、傍にいる時にはもちろん治療に関して
話し合いをしたり、考えたりする。

しかし、仕事をしている時はどうでしょう。

正直、忘れてしまっているし考えていない。


仕事中に妻からメールが来る。

「病院に行ってきたよ。治療の日はいついつです。
                  一緒に病院行ける?」

この時に気付く、心の中で
「あっ!ごめんな、考えてなかった。」

この差は大きい。


実際、治療で私がすることはほとんど無い。
私の体の中で新しい命が生まれることは無い。
基本的に背負うものが無いんですね。

しかし、妻は違う。
女性として生まれてきた。
子供を授かれる体で生まれてきた。
新しい命を自分の体で感じられる体として生まれてきた。
そう自分にプレッシャーをかけているようだ。

だから、私に申し訳ないと思う。
自分に腹が立つ。
どこにもぶつけようの無い気持ちがある。

私は妻に出来るだけプレッシャーをかけないようにする。
しかし、妻は私が何も言わないことにプレッシャーを感じる。
見えない何かにプレッシャーを感じる。
自分ですべてを背負った気持ちになる。

心はもういっぱいだ。

私の細かい行動が気になってしかたがない。
そしてそれを指摘してしまう。
そしてそんな事を言ってしまう自分が嫌になる。


それがわからない時は私もイライラして
言い返してしまう。
些細なケンカだ。
結局何が原因でケンカしたかお互いわからなくなる。

次の日になっても二人の間には
モヤモヤした感情が続いている。
そして何日か後にまた同じようなケンカをする。
その繰り返し・・・


私はもっと早くに気付くべきだった。
妻はホントにホントに重たいものを背負っていた。

「これを気付くか気付かないかで大きな違いだ。」
頭の中が180度変わる。

今は妻の言葉に気を使うようにしている。
その言葉の裏には何があるのか?
本当に言いたいのは?
と考える。

私は思う。
治療そのものの協力は気持ちが入らなくてもできる。
でも、それだけでは妻一人が戦っているだけにすぎない。と

今は思う。
妻が「痛い、痛い、痛い」と言う。
「しんどい、つらい、」と言う
些細な事で怒ったりする。

それはすべてサインだと。


私はまず考え方を変えました。

    「協力」

とは違う。これは一方的なものでしかない。

 「二人が同じ目標に向う心をそれぞれ持つ」

そうすれば、お互いに何をしなければいけないか。
どういったことをすれば相手にとっていいのか。
一つ一つの言葉に気持ちをのせる事が自然と出来る。

私はそう思う。