今日のナゾはそのまんま、
「納得できない人は、なぜあんなにも偉そうなのか?」です。
そもそも、
「納得する・しない」というのは、
本人の中の問題だ。
「私は納得した」
「私はまだ納得できない」
「どうにも腑に落ちない」
ここまでは完全に本人の自由。
本当に好きにしていい。
そして、「納得できない」に対して
「納得できるまで説明します」
「ちゃんと理解してもらいたい」
つまり相手があって
「納得してほしい」と願っている場合は
話は違ってくるけど
これは需要と供給が成り立っている。
説明する側に「納得してほしい」
という需要があり、
聞く側にも「納得したい」
という需要があるからだ。
ところが、ソウジャナイ
「納得できない」の場面がある。
「このように決まりました」って
ただ決定事項を報告しただけなのに、
「納得できません」
「納得できるまで説明してください」
と食い下がってくる人がいる。
はぁ?
あなたが納得することは、
この決定の成立条件だろうか?
「納得できない」という言葉は不思議。
「私は嫌です」と言われたら
それは一個人の意見なのに、
「私は納得できません」と言われると、
なぜか「あなたの説明に問題がある」
または「あなたには私を納得させる責任がある」
という話にすり替わる。
そして、
「私が納得するまで説明しろ」となった瞬間、
本人は決定権を持っていないにもかかわらず、
決定を止める力を持ち始める。
なんと恐ろしいイリュージョン!
本人には権力を振り回している自覚がない。
「私はただ納得できないと言っているだけ」なのだ。
でも、その一言によって周囲が、
説明する。なだめる。再検討する。
会議をやり直す。他の人まで巻き込む。
そんなことを始める。
すると、
「納得できない」
↓
周囲が動く
↓
決定が揺らぐ
↓
「やっぱり納得できないと言えばいい」
という学習が成立してしまう。
本人は知らないうちに、
「納得できない」というカードを切ることで、
組織を動かす力を手に入れてしまうのだ。
私はこれを「泡沫のような権力」と思った。
そしてここにはもう一つ、
大事な区別がある。
「納得できない」と
「受け入れられない」は
同じではない、ということ。
「私は納得できない。でも決定には従います」
これは成立する。
納得はしていないけれど、
決定を受け入れることはできる。ってやつ。
一方で、
「私は納得できない。だから決定を撤回しろ」
となったら、それはもう「納得」の問題ではない。
決定権 の問題になってしまう。
この二つを混ぜてしまうと、
「私は納得していない」
↓
「だからあなたは説明し続けなければならない」
↓
「私が納得するまで、この決定は有効にならない」
というトンデモナイ権力が爆誕する。
このタイプの人が組織で孤立していくの、
わかる気がする。
本人の世界では、
「みんなが私の話を聞いてくれない」
「誰も私を理解してくれない」
「私は納得したいだけなのに」
なのかもしれない。
実際によく言ってたなと。
でも周囲からすると、
「この人に説明しても終わらない」
「決まったことまで覆そうとする」
「付き合っていると進まない」
となっている可能性がある。
つまり本人は「自分が排除された世界」を生き、
周囲は「自分たちが拘束されている世界」を生きている。
「納得できない」自体は、正当な感情だと思う。
納得できないものは納得できないから。
それでいい。
ただしそこには
「だから相手は私を納得させる義務がある」
まで付いてくるわけではない。
この境界を越えたとき、
ただの感情だった「納得できない」が、
他人を動かすための権力になる。
しかも泡沫だから、
自分が権力を持っていることに
本人は気づかない。
「私はただ、納得できないだけなのに。」
控えめに見えるその「だけ」は
全然「だけ」じゃない
恐っそろしいバケモノたから気をつけてほしい。
紅弦10月の予定
【鑑定所】
10月10日(土)静岡PARCO「占いのアリーナ」
10月18日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
10月25日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
【個人鑑定】
えにし屋、静岡PARCO占いのアリーナ以外での対面鑑定をご希望の方はお気軽にお問い合わせください。
【電話鑑定】
鑑定所以外では、平日20時以降の電話鑑定を承っております。
遠方に在住等、対面では時間が合わないかたは、調整可能ですので
お気軽にお問い合わせください。
■ご予約、お問い合わせ■
お電話、SMS 09054506306
Eメール kumasakakougen@gmail.com
Eメール kougen-zen@docomo.ne.jp