先日「優しさ乞食」という言葉を思いついた。
それは「優しさが足りない」と言う人に対して、
「おまえ優しさ乞食か!」
と思ってしまう理由を掘っていったら、
見えてきたことがある。
「優しさが足りない」というのは、
「私が満足する形で優しくしてください」
という要求なのではないか。ということ。
そして、そこまで考えたら、
当然もう一人の存在が見えてきた。
それは「感謝乞食」である。
「私はこんなにしてあげたのに、感謝が足りない」
「もっと感謝してよ」
「あの人は感謝の気持ちがない」
こちらのほうが、世間では受け入れられやすい気がする。
実際に同意して「うんうん」頷いている人を見かける。
「人に何かしてもらったら感謝しましょう」
それ自体はもっともだと思う。
でも、そこから進化を遂げて
「私はこれだけしてあげたのだから、
あなたは私が満足する形で感謝しなさい」
となると話が変わってくる。
「ありがとう」の言い方が足りない。
もっと喜んでほしい。
後からもう一度お礼を言ってほしい。
お返しをしてほしい。
あの人には感謝しているのに、私にはしてくれない。
相手の「感謝の量」や「感謝の表現」を、
感謝されたい側が採点し始める事態が発生。
つまりそれはもう
「感謝してください」ではなく、
「私が満足する形で感謝してください」
になっている。
これ、謝罪にも似ている。
「謝ってほしい」からのぉ、
「そんな謝り方では謝ったことにならない」
「本当に悪いと思っているなら、
もっと反省した態度を見せるはず」
となる。
愛も同じだ。
「愛してほしい」からのぉ、
「愛しているなら、こうするはず」となる。
不満も同じ。
「私はこう感じた」からのぉ、
「だから、私が納得する形であなたが変わりなさい」
へ変わっていく。
これは狂気の沙汰でしかない。
人間関係において私は、
「自分の感情を伝えること」と
「相手に自分が満足する形で感情を表現させること」は、
分けて考えたほうがいいと思っている。
っていうか一緒になるわけがない。
私は嬉しかった。
私は助かった。
私は悲しかった。
私は謝ってほしいと思った。
私はこうしてもらえると嬉しい。
ここまでは「私」の領域。
でも、
「だから、あなたはこう感じるべき」
となった瞬間、「相手」の領域に入ってしまう。
この領域が味噌クソな人は
「私」と「相手」の境界がないぐらい
距離感が近すぎるのではなかろうか?
もしくは支配欲オバケなんか?
「私」「相手」領域の区別については
自分自身にも適用したい。
誰かに助けてもらったとき、
私は実際には、
「それでも私はありがたかった。ありがとう」
なんて言ってない。
そんな上品な感じではない。
むしろ、
「ねぇ、あんた神様なの?!助けてくれてありがとう!」
くらい言う。
ものすごく助かったなら、ものすごく喜ぶ。
踊る時さえある(歓喜の舞)。
相手が、
「いや、好きでやっただけだから」と言っても、
「そうなんだー」では終わらない。
「マジで神がかってた!ありがとう!」
となる。
相手が何を意図していたかとは別に、
私が助かったという事実はあるからだ。
そして逆の立場。
私が誰かのために何かをしていて、
「ありがとう!」と言われたら、
「知らんうちにやってたから、
神が降臨したんだと思う!神様いぇーい!」
である。
助かったなら喜ぶ。
してもらったなら、全力で崇める。
してあげたらしいことは、神様のせいにしておく。
どうやら私の周りが比較的平和なのは、
このあたりに理由があるのかもしれない。
優しさも、感謝も、謝罪も、愛も
大切なものだからこそ、
「私が満足する形で表現してください」
と要求し始めた瞬間、少し窮屈になる。
いや、少しどころか窒息死しそうになる。
相手の感情は相手のもの。
自分の感情は自分のもの。
その境界を守りながら、
「うわ、助かった!神じゃん!」
くらいの勢いで喜び舞える世界のほうが、
私はずっと好きなのだ。
紅弦10月の予定
【鑑定所】
10月4日(日)芋掘りすんぞ🍠
10月10日(土)静岡PARCO「占いのアリーナ」
10月18日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
10月25日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
【個人鑑定】
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