自分にとってのカッコよさとは | 紅弦Worldへようこそ

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失敗した時に激しくひどく落ち込むのだが、

何に落ち込んでいるのかというと

「自分、もっとできる子だと思ってた」という

できる子✨という 理想の自分と

そんな理想とかけ離れた、

残念な自分の有り様に対して落ち込んでいる、ということがわかった。


さて、わたしはどれだけ

自分が有能だと思い込んでるのか?

失敗しないとか、スマートにカッコよくこなすとか

出来杉くんばりの姿を思い浮かべているのかもしれない。


でもさ、それ以前に問題があるだろう。

齢45にして できる「子」とかいう時点で

危険なにおいと痛々しさ、できの悪さに満ちているではないか。

スマートなわけがない。カッコ悪すぎる。

そりゃ助けも必要で、落ち込む権利もない。



そして失敗を最速リカバリーするために、全力で助けを求める。

泣きながら「やらかしてしまいました!助けてー!!」と

助けてくれそうなあちこちに連絡をする。

ここは鼻が利いているのか、

最も効率的に助けてくれる人を見事にかぎ分けていることも判明した。

いつも最速リカバリーするのは、わたしではなく、周りの人達だ。

わたしを助けてくれる人達、みんなカッコいい。神様に見える。

「ありがどうゴザイバズぅぅぅぇっうぁぁあ!」

問題を片付ける、という目的を達成するには

こうするしかなくて、

手段を選ぶ余裕など微塵もないのだ。







わたしは助けられながら生きている、

ということを心にきちんと留めて

自分自身が誰かから助けを求められた時に

「任せろ、こんなの朝メシ前だぜ!」って

誰かのカッコいい人になりたいと思うんだ。