ポール・マッカートニー&ウイングスをイギリスで撮影した
ことで知られる浅沼ワタルさんの貴重な逸話のレポートです。
浅沼:僕は、1976年の『オーヴァー・アメリカ』ツアーの
オフィシャル・カメラマンにノミネートされてたんです。
ツアー同行一日幾ら、オフは幾らというギャランティで
イギリス人カメラマンと僕がノミネートされ、
広報の人は僕を推してくれてたんですけど
最終的にポールの決定でイギリス人に決まったんです。
僕がロンドンでお世話になったのがカメラマンのデゾ・ホフマン(初期のビートルズを撮影したカメラマン)、
彼のオフィスに居候してました。
そこでビートルズの写真やグッズを見せてもらって、
4人のサインが入ったポストカードも、僕、持ってます。
そのビルはオーナーが中国人で、
ずっと“出てくれ”って言われてたけど、
(デゾは)亡くなるまで居たんじゃないですかね。
僕のイギリスでの保証人はデゾ・ホフマンなんですよ。
(ウイングスを撮影していて)
ポールは一番忙しくていつも報道陣に囲まれていて、
一対一で話す機会ってないんですよ。
だからリンダが色々と気をつかってポールを呼んでくれたり(“ちょっと待ってうちの旦那呼んでくるから──”って)、
デニー・レインは報道陣とも話をするけど
結構暇な時もあるので、僕は一緒に過ごす時間も多かった。
今だと、<アタマ3曲>(コンサートの1~3曲撮影OK)
って言いますけど、当時は全曲OK。
ステージ前のカメラマン・エリアで、
テレビカメラが入ってなければ自由に動いて撮れました。
僕の場合はポールがメインで80%ポールを撮って、
残りをリンダ、デニー・レイン、ジミー・マカロックを撮る。
(撮った写真はポールからOKをもらう?)
ないです、全然ない。
(そのまま全部ミュージック・ライフへ送って)
そうです。
(ポールの写真は)撮りやすいです──っていうか、
リンダが年中撮ってポーズも色々つけてるから、
こちらが言わなくても勝手にやってくれますよ。
僕が撮った中ではスティングがこだわりがあって、
こちらがポーズとかの指図をすると
“ワタル、俺はモデルじゃないんだから”って言って、
自然体で撮って欲しいんですね。
(あなたにとってのポール・マッカートニーとは?)
僕の場合は被写体です。被写体からもらった音楽を聴いて、
<あぁこういうミュージシャンなんだな──>という立場なん
です。音楽から入って写真を撮るんじゃなくて、被写体から
音楽を耳にする。どんなアーティストもそうなんですよ。
源流の人 第28回 ◇ 浅沼ワタル (フォトグラファー)
https://shosetsu-maru.com/interviews/genryuno-hito/28