ポール・マッカートニー 語録 映画『レット・イット・ビー』修復版 | ポール・マッカートニー 語録

ポール・マッカートニー 語録

Paul McCartney In His Own Words

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 ビートルズは1970年公開のドキュメンタリー映画

『レット・イット・ビー』がディズニープラスで

配信されるのに際してロンドンで劇場上映が行われ、

関係者らが作品の秘話について語っている。

 

劇場上映は現地時間5月7日にカーゾン・メイフェアの映画館で

行われ、レコーディング・エンジニアのグリン・ジョーンズと

ジャイルズ・マーティン、ルイ・セロー、ジェイムス・ベイ、ザ・ライトニング・シーズのフロントマンであるイアン・

ブロウディー、俳優のトビー・ジョーンズらが出席している。

 

マイケル・リンゼイ=ホッグが監督した

『レット・イット・ビー』は54年前に初公開され、

入手困難となり、かなりのブートレッグが出回ることとなった。映画はロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで

1969年1月に行われた通算12作目となる最後のアルバムの

作曲とレコーディングを追ったものとなっている。

 

エディス・ボウマンが司会を務めたQ&Aセッションでアップル・コアで本作のプロデューサーを務めたジョナサン・クライドは

次のように語っている。「最初に2000年に(当時のアップル・コアのトップだった)ニール・アスピナルと話をし始めた時、

彼はあまり気乗りしない感じで『『レット・イット・ビー』でも何かできたらいいよね』と言っていました」

 

「しかし、問題はマスター音源で、20日あまりの撮影で15分のマスター音源のリールが450から500残されていたのですが、

70年代初頭にそれらはアップル・コアから盗まれてしまって

いたのです」

 

「なので、それが誰であったにせよ、私たちにできることは

あまりありませんでした。盗んだ人物はブートレッグ業者に

音源をライセンスして、アナログ盤やCDのボックスが作られていました。そこで、CDの音源を取り込んで、映像のラッシュと合わせようとしたのですが、音と映像がずれてしまうのです。

そうしたら、2003年にニール・アスピナルのところにロンドン市警から電話があって、『オランダの倉庫であなたがたの

資産かもしれないものが見つかった』といわれたのです。

そうして音源が戻ってきました」

 

ジョナサン・クライドはピーター・ジャクソン監督による

『ザ・ビートルズ:ゲット・バック』のドキュメンタリーが「『レット・イット・ビー』を再公開させる引き金となった」と説明している。「昔のバージョンの字幕と比較しても、

多くの会話や音源が聴こえるようになり、

映像の修復は桁違いのものとなりました」

 

ジョナサン・クライドによれば、『ホワイト・アルバム』を

作った時はメンバーが別々のスタジオでレコーディングを

していたが、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで行われた『レット・イット・ビー』のセッションは

「お互いの繋がりを取り戻そうとしていた」という。

 

「『そうだ。始めた時の頃に戻ろう。元々キャヴァーン・クラブやハンブルクでやっていた頃のように、もう一度やってみるんだ』という感じでした」とジョナサン・クライドは説明して

いる。「人間的にも音楽的にも息を合わせて、アルバムの

レコーディングを続けたことで、そうして生まれたのが

『アビイ・ロード』だったのです」

 

しかし、そこからビートルズをめぐる状況は

下り坂を迎えることになる。

 

「その裏ではトラブルがくすぶっていて、衰退が始まっており、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの間には亀裂が走ることになりました」

 

「そして、ビートルズの解散が正式に発表されたのが1970年4月のことでした。映画とフィル・スペクターがプロデュース

し直したアルバムがリリースされたわけですが、メンバーは

『レット・イット・ビー』を気に入りませんでした。

いろんなトラブルと関係していたからです」

 

ジョナサン・クライドはサヴィル・ロウのアップル・コアの

屋上で行われたルーフトップ・コンサートが実現しなさそう

だったことも明かしている。

 

「ライヴの前に日にセッティングはできていて、

クルーや機材はすべて準備ができていたものの、

バンドのほうは『今日じゃないな』という感じで、

マイケル・リンゼイ=ホッグは頭を抱えていました。監督として撮影のクライマックスを見つけなければならなかったからです。彼は責任を感じていました」

 

『ザ・ビートルズ:ゲット・バック』の書籍を手掛けた

『ガーディアン』紙のコラムニストであるジョン・ハリスは

次のように述べている。「屋上でライヴが行われたということはハッピー・エンドと言えるかもしれません。危機一髪でした。

前の晩までジョージはやりたくないと言っていて、

4人の間には懐疑的な見方があったのです」

 

「屋上に出て、そこに立った時、ジョン・レノンは『クソッ』と言っていました。控え目な華やかさが美しいですよね。華々しいものではありません。ミュージシャンとしてどれだけ優れて

いたか、そして、当時のロンドンが描かれているのです」

 

ビートルズの解散について訊かれたジョナサン・クライドは

次のように述べている。「どこかでは解散することになって

いたでしょう。ビートルズは解散を迎えた最初のビッグなバンドであり、当時は衝撃でした。今はそこまでは衝撃的なことでは

ないと思います。ビッグなバンドもどこかで解散を迎えている

からです。それは自然なことなのです」

 

「彼らはビートルズを奇妙な形で卒業することになりました。

それは数年間にわたって影響を与えましたが、

それも修復されていったのです」

 

2024.5.10 NME JAPAN