ジョン・レノンが妻のオノ・ヨーコと離れていた約1年半、
ジョンとともに過ごした恋人がいました。2024年5月の日本公開が決まった映画「ジョン・レノン 失われた週末」では、
元恋人が忘れがたき日々を余すところなく語っています。
そのドキュメンタリー映画は、
元恋人メイ・パンの印象的な一言から始まる。
「これは私の物語 (This is my story)」
ビートルズを率いて世界的スターになったジョン・レノンは、
最初の妻シンシアと別れて1969年に日本人のオノ・ヨーコと
結婚。80年に米ニューヨークで銃弾に倒れるまで、
愛妻と濃密な時間を過ごした。
ただし、2人が離れていた時期もある。73年9月から75年2月
までの18か月間、ジョンはヨーコと別居。恋人のメイ・パンと
同棲するのだ。メイは当時23歳。ジョンとヨーコの個人秘書で、音楽出版のアシスタントも務めていた。
この時期は、ファンの間では「失われた週末」
(The Lost Weekend)の呼び名で知られている。
世界に向けて普遍的な「愛」を歌うジョンの
イメージとはかけ離れた、やんちゃな一面を表す出来事
として受け止めている人も多いだろう。
そもそもはヨーコがメイに、夫であるジョンとの浮気を
けしかけたのがはじまりで、どうしてそういう展開に
なるのかと、さまざまな想像や憶測も語られてきた。
映画の字幕監修も務めたビートルズ研究家の藤本国彦さんに
よると、「失われた週末」と名づけたのはジョン本人だという。だが、そのネガティブなネーミングとは裏腹に、
ビートルズ解散後のジョンのソロキャリアの中で最も多作で、
商業的にも成功した時期だったとされている。
エルトン・ジョンをゲストに迎え、ソロ活動では初めて
全米シングルチャート1位を獲得した「真夜中を突っ走れ」を
出したのもこの時期だ。
ビートルズの盟友リンゴ・スターとも共演。大げんかをしていたポール・マッカートニーと再会して、一瞬で仲直りした。
私生活面では、シンシアとの間の子どもジュリアンを迎えて
一緒に暮らすなど、おだやかで幸せな日々を過ごした。
映画ではメイの口から、かけがえのない日々が色彩あざやかに
語られる。ジョンとの同棲がどのように始まり、どのように
終わってしまったのか、「真実」が解き明かされていく。
「あの時期のことは誰も何も知らない。
だから真実を伝え、誤解を正したいと思う」
映画の中では、
若いメイがそう語っている過去の映像が登場する。
メイはジョンの死後の89年に結婚し、子どもももうけた。
2008年には「失われた週末」を未公開写真とエピソードで
綴った『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』
(河出書房新社)を発表している。
今回の映画の監督とプロデュースを務めた3人のうちの1人、
イヴ・ブランドスタインさんは、自伝本も発表していたメイに映画化の話を持ちかけ、プロジェクトを大切に温めてきたという。
本作は2022年にアメリカで公開され、映画誌などで
「神話や噂を一掃する数々の証言は感動的だ」
「メイは神話的な存在としてではなく、一人の人間としての
ジョンの興味深いエピソードを披露している」
といった評価を得た。
メイ自身は本作に寄せて、次のようにコメントしている。
「50年近く、多くの作家や専門家、“友人”、知人が私の人生を
語るのを読んだり聞いたりしてきました。ほとんどの場合、
彼らの回想は歪曲されたもので、私の物語はジョンとヨーコが
大衆のために作り上げた神話の一部となってしまったのです」
「ジョンとの時間は、文字通りクレイジーな週末だったと多くの人が思っているでしょう。一方でジョンと私が正式に交際し、
人生を共にし、愛し合っていたことを知っている人もいます。
世間は真実を知る必要があり、私はそれを伝える必要があると
感じました!」
映画には、自身もミュージシャンのジュリアンも登場し、
メイと一緒に当時の思い出を語っている。
これも貴重な記録映像になっている。
2023年11月には、ジョンが残したカセットテープのデモ音源をもとに、ポールとリンゴらがAI技術を駆使して仕上げた
「ナウ・アンド・ゼン」がビートルズの新曲として発表され、
世界的なヒットとなった。
ビートルズ解散から50年以上、ジョンの死去から40年以上が
たった今も、その影響は色あせていない。
映画「ジョン・レノン 失われた週末」が日本で公開される
2024年は、「失われた週末」からちょうど50年という
タイミングとなった。
( 2024年03月20日 HUFFPOST )
ポール・マッカートニー 語録 MP1 メイ・パンが語る
こちらで差し替えた新たな長文をご覧頂けます。