ポール・マッカートニー 語録 1156-6 コラボレーション ユース | ポール・マッカートニー 語録

ポール・マッカートニー 語録

Paul McCartney In His Own Words

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 ポールとのコラボレーターの中でやや控えめな(そして

実のところ、あまり知られていない)アーティストの一人が、

ミュージシャンでありプロデューサーのユースとの仕事である。

 

ユースは本名をマーティン・グローヴァーと言い、最初に頭角を現したのはポスト・パンク・バンド、キリング・ジョークの

ベーシストとしてだったが、彼のダンス・ミュージックに惹かれたポールは、1993年のアルバム『Off The Ground』制作時、

数曲のリミックスを依頼したのだった。

 

このパートナーシップは、まず同年のアルバム『Strawberries Oceans Ships Forest』という形で実を結んだものの、

これはザ・ファイアーマンという名義でリリースされた作品で、スリーヴにはポールの名前もユースの名前もクレジットされて

いない。それから現時点までに、更に2枚のアルバムが

具現化されているが、1枚は1998年、もう1枚は

それから10年の時を経て世に出た。

 

ユースはこう回想している。

 

「ある日、ポールがリンダと一緒にどこかへ行かなきゃ

ならなくなって、俺はひとりでザ・ミル(サリー州にある

ポールのスタジオの名称)に残って作業してました。

彼らのヘリコプターが戻って来たのはかなり深い時間で、二人は既にシャンパンを何杯か引っかけてて、子供たちも一緒でした。ポールが俺に向かってこう言ったんです、

『僕ら、もうちょっとここらで観ててもいいかな?』って。

まるでそこが彼のスタジオじゃないみたいにね。

結局彼らはみんなそのまま居残って、

太陽が出るまで音楽に合わせて踊ったりしていました」

 

ファイアーマンのセカンド・アルバム『Rushes』は、

リンダが1998年4月、56歳の若さでこの世を去る直前に

ポールが録音作業を行なっていたプロジェクトのひとつだった。ユースはこう説明する。

 

「俺たちがそのアルバムをレコーディングしてたのは、ちょうどリンダの癌治療が最後の段階に差し掛かってた時でした。

彼女はまたプロジェクトに積極的に関わり出していたんです。

彼女が亡くなった時はもの凄く悲しかった。

今アルバムを聴くと、まるで彼女へのとても美しい

レクイエムみたいに感じられます」

 

6月 18, 2023 udiscovermusic.jp