80年代終盤にポールが新しい曲作りのパートナーを見つけようと決めた時、白羽の矢を立てたのがエルヴィス・コステロだった。いざ始めてみると、ポールはその作業が多くの点でジョン・レノンとの共同作業に酷似していることに痺れてしまった。
2人でそれぞれ向かい合わせに腰を下ろすところ、
アコースティック・ギターやピアノ、ノートを用いるところ、
そして彼のパートナーがレンズの分厚くて動物の角で出来た
フレームのメガネを掛け「素晴らしく辛辣なトーンを含んだ声」をしているところまでも。ポールはこう語っている。
「僕が歌うのに合わせて、(エルヴィスが)それを引き立てる
ような、辛辣さとウィットに富んだラインをひねり出すんだ。
僕はこう言った『なんてこった、今のはまさに僕とジョンの
スタイルそのものだ』って。僕が何かロマンティックなものを
書くと、ジョンはいつだってそいつに手厳しい反駁で応えて
くれたんだ」
コステロ側からすれば、畏敬の念で圧倒されないようにするのは容易なことではなかった――少なくとも最初のうちは。
「当然のことながら、そりゃあちょっとばかりはありましたよ、『ヤバいどうしよう、ポール・マッカートニーだぞ』って。
何しろ山のように有名な曲を書いてきた人ですからね……
彼はソングライティングに対してはとても合理的でした
――面白いもんで、実にフォーマルだったんです」
その結果として生まれた1989年のアルバム『Flowers In The Dirt』は、商業的にも批評家視点においても成功を収めた。
それに触発されたポールが、10年ぶりにツアーに出ることを
決めたほどに。