ポッドキャスト『ア・ライフ・イン・リリックス』の
“Back in the U.S.S.R.”の回でポール・マッカートニーは
ロシアで自分たちの音楽が禁じられていたことについて
語っている。
「ロシアでは誰もがビートルズの時代まで遡って、
レコードを密輸して、小さな部屋でしかかけられず、
人に知られたくなかったことを覚えているんだ」
「政府当局なんかに禁じられたグループを聴いていることを知られたくなかったわけで、僕らはその話を気に入っていたんだよ。
僕らの音楽はリーバイスなんかと共に密輸されていた。
それこそ本当の文化の到来みたいな感じがしたんだ」
司会のポール・マルドゥーンが「アートとは危険なもの」
であることを示唆すると、ポールは次のように答えている。
「一部の人々にとってはそうだよね。
常に僕らは正しい側にいると思っていたから、
僕らがロシア当局にとって危険だとしたら、
それは彼らがまずいということだった」
「それが僕らの思っていたことだった。政府が西欧の影響を
抑え込もうとしていたのは概ね事実だと思う。
『もう大丈夫だ』と思った時期があったのも分かるけど、
そうした抑圧が大々的に戻ってきてしまった。
そうした背景にある政治や現実なんて分かりようがないけれど、
自分としてはこういう曲に逃避することは
素敵なことだと思うよ」
( 2023.10.6 NME JAPAN )
ポール・マッカートニーが『ア・ライフ・イン・リリックス』でポール・マルドゥーンに語ったところによると、
ビートルズの曲『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』は
チャック・ベリーとビーチ・ボーイズを意識したものだという。
1959年のチャックのヒット曲『バック・イン・ザ・U.S.A.』は
アメリカを過剰に肯定し過ぎだと感じたことから、
逆転させてソ連に戻る内容にしたという。
「イギリスにいたから、僕なりにアメリカをからかうことが
できた。ソ連も似たようなものだと思って、チャックの歌詞に
あるアメリカに戻る代わりに、戻る場所を変えパロディが
できるんじゃないかってね。
アメリカから帰ってきたロシア人が、国に戻ったことを
喜んでいる。彼はマイアミからBOAC(ブリティッシュ・オー
バーシーズ・エアウェイズ:英国海外航空)で帰国するのさ」
1968年、瞑想に傾倒しインドを訪れたビートルズは
ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴに偶然会った。
この出会いに触発されたポールは、
『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』で
ビーチボーイズのようなハーモニーを使うことにしたという。
「その頃、彼ら(ビーチ・ボーイズ)から大きな影響を
受けていたから、チャックのパロディでアメリカ式に
ロシア人の感情全部を表現している。
だから、パロディにはビーチ・ボーイズのものを使っている。
『ウクライナの女の子は僕をノックアウトする』という歌詞は、
『カリフォルニアの女の子は僕をノックアウトする』
っていうふうにね」
「特にこの曲は、アイディア全部が驚くほど古いものだと
感じることがある。今、ソ連は消えBOACもなくなった。
君(マルドゥーン)が理解できなかったように、
子どもたちも分かっていないと思う。
ソ連がどういうものだったか知らないからね。
ただのロックンロールの曲ってことさ」
( 2023/10/6 BANG Media International )