やさしいJWの作り方 5 (終わりが近い)  | 元エホバの証人 スッパイ大作戦のブログ 

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数十年間,JWのカルトの奴隷でした。開放された残りの人生を
精一杯楽しみたいと思っています。

いつも,お読みくださり,ありがとうございます。

元エホバの証人のスッパイです。

 

 

「見よ!」の小冊子でエホバの証人と研究を始めてから,わずか2か月半で伝道者になっていました。小冊子を朗読し,質問に答え,カルト宗教にどっぷりつかっている人たちと毎週,王国会館で,集まりあうようになってから,明らかに自分が変わっていくのを感じました。親もそう思ったようです。

 

イルカ音符うお座

一軒一軒,見知らぬ人の家を訪問するなど,絶対にしないと決めていたのです。でも,終わりが近い今,人々に愛を示す最高の方法は,良いたよりを,伝えることだと巧みに繰り返して教えられました。集会に出席している多くの人も,伝道が苦手で,やりたくなかったという人がほとんどでした。しかし,会衆の神権宣教学校での訓練と,聖霊の助けで,いまでは,野外奉仕を楽しめるようになったと,だれもが,口をそろえて言うのです。

 

実際に,伝道を始めると,ドキドキして,何を言っているか分からない気持ちになりました。それでも,厳しい言葉で断る人は,それほど多くはなく,文書を喜んで受け取る人も,当時は多かったのです。伝道に参加することで,自分の考え方が,どんどん変わっていくのが分かりました。聖書を知らない人は,なぜ,犯罪や戦争や悲しみが多いのか,その理由を知らないし,解決策もあらない。だから,こうやって,家々をまわって教えてあげなければいけないんだと,本当に考えるようになっていきました。恐ろしいことです。わずか数か月で,自分の身に,大変化が起きたのですから。でも,その後,人生の設計図も書き直されていきます。

 

イルカ音符うお座

伝道を始めたのは,あの1975年の2月の初めだったと思います。その年の秋には,ハルマゲドンが来て,楽園が始まっているかもしれないと,皆が,本気で信じていました。近所には,親戚が多く住んでいました。両親も,スッパイが,大学に行くものと思っていました。もし,これが,1975年でなかったら,進学していたのではないかなー。もちろん,エホバの証人と出会っていなければ,確実に大学に進んでいたと思います。この,何とも言えないタイミングに,当時も,ずいぶん悩みました。親は,未信者ですから,大学へ行くことを望んでいました。スッパイ自身も,当然,大学に進むつもりで普通科の高校を選んだのです。でも,高校2年生の終り,進路を決定しなければならない時に,よりによって,エホバの証人と出会ってしまったのです。ほんのまもなく,当時のエホバの証人が,何年間も待ち続けていた1975年の10月がやってくるのです。

 

 

イルカ音符うお座

自分は,いそいでエホバの証人になる必要はないと思っていました。家族はいろいろと苦労を経験していて,経済的にゆとりはありませんでした。もちろん,スッパイも貧乏でした。なので,自分なりに,考えてみました。まず,就職して,ある程度蓄えができたなら,エホバの証人として,がんばればいいのではないか。

 

1975年の10月の初めだと,確かに言っていました。その時,最初の人間が創造されてから,ちょうど6000年目になる。その10月には,千年王国が始まり,6000年と1000年を足すと,エホバの創造の第七日目の7000年が完了する,と確信を込めて,その頃のものみの塔に述べられていました。

 

考えようによっては,スッパイは,歴史的瞬間を目撃できる,一番,良い時代に,ちょうどよい時にエホバの証人になったと,思えるようになっていました。

 

イルカ音符うお座

性格的に,スッパイは,伝道者には,向いてないと思っていました。人に何かを勧めるなんて,とんでもないことだと,考えていたのですが,「見よ!」の小冊子にかかれていることが本当なら,伝道者になるしかない,と思い始めていたのです。まだまだ,疑問はありましたが,「残された時間は,とても少ない」と言われました。このように,決定を急がせることで,思いがコントロールされていきます。長い人生をどのように生活していくかを考えるべき時だったのに,近づく大患難を生き残るかどうかという問題が,一番の問題になっていきました。

 

イルカ音符うお座

ほんの3ヶ月前には,高校に通う,普通の学生でした。そろそろ,大学に進む準備をしようと思い始めていました。それが,一人のエホバの証人と出会ってしまい,一冊の小さな本を勉強したことで,突然にがらりと変化してしまったのです。

 

ジブリ・ムハンマド・タモリ兄弟は,かなりたくさんのエホバの証人を生み出してきたようです。ただ,ものみの塔の提案する方法を,当てはめていただけです。

 

小冊子を手渡し,質問と答えで討議をすすめて,集会に誘うだけです。

 

スッパイのように,いとも簡単に料理されてしまう人も当時は,非常に多かったのです。でも,当然ですが,応じない人のほうかはるかに多かったはずです。

 

 

イルカ音符うお座

「やさしいJWの作り方」,この方法は,今では,ほとんど,うまくいかないと思います。1995年ぐらいまでは,この方法で,簡単にエホバの証人を量産することができていました。今活用できる,やさしいJWの作り方は,たぶん,まったくないのではないかと思います。以前,どなたかのブログか本で読んだのですが,カルト宗教の寿命は,150年ほどだと書かれていました。カルト宗教の教祖の2代目ぐらいになると,たいてい衰退してしまうということだったと思います。エホバの証人の場合は,ちょっと複雑で,たとえば,今の8人の統治体は教祖という扱いではないと思います。それにしても,ものみの塔の創刊が1879年なので,150年たつと2029年になります。数日前,あるサイトによると,またまた,ものみの塔の古い文書を大量破棄するようにとの指示が出ているようです。役割を終えたカルト宗教の商売をたたむ準備を着々と進めているように見えて仕方がありません。たしかに,このカルト宗教も終わりが近いしるしが,はっきりと見えるようになってきました。

今後の進展が楽しみです。