JWのオイル交換キャンペーン 1(はじまり) | 元エホバの証人 スッパイ大作戦のブログ 

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数十年間,JWのカルトの奴隷でした。開放された残りの人生を
精一杯楽しみたいと思っています。

今日も,いいことがたくさんあるといいなー。

皆さん,こんばんは。元JWのスッパイです。

 

やしの木

1999年を過ぎた頃,日本では,平成の大合併があり,多くの市町村が合併しました。スッパイがいた町では,いろいろと問題があり,町の合併がいいところまで行って,なかなか進まなかったのにも関わらず,会衆のほうの合併は,簡単に進みました。もちろん、話し合いで進んだのではなく,ほぼ巡回監督(静養洋梨兄弟)の命令でそうなったのです。

 

一つの会衆(きつね会衆)が消えます。王国会館もなくなりました。そのきつね会衆の成員は,5分から15分もあれば集会に行けたのに,合併してからは,30分から45分もかけて,スッパイのいた,たぬき会衆の王国会館に行かなければなりません。スッパイは,合併のあと数年して,他県の会衆に移動しました。その後,東日本大震災のあと,たぬき会衆の王国会館は使われないことになったそうです。さらに20分から30分以上かけて遠くのどん兵衛会衆の王国会館まで通うはめになりました。

今や,きつね会衆の兄弟姉妹は,1時間以上かけて,集会に通っていると思います。

 

やしの木七夕

合併を命じた巡回監督(静養洋梨兄弟)は,自分が「洋ナシ」だと言っていました。何のことだろうと思っていたら,結局,この訪問を最後に巡回監督を降りることが決まっていたのです。このころから,用無しになった,老いる兄弟たちを若い兄弟たちに交換する,オイル交換キャンペーンが始まったような気がします。洋梨兄弟は,この巡回区での訪問が一巡すると,関西地方のある会衆に特別開拓者として任命されることになっていました。用無しの老齢の兄弟は,巡回監督であっても,さっさとお払い箱になってしまいました。

 

この静養洋梨兄弟は,大変,口の悪い兄弟なので,移動する予定になっている会衆の皆さん,

気の毒な気がします。

 

やしの木七夕クリスマスツリー

オイル(老いる)交換キャンペーンについては,ものみの塔に書かれていたわけでも,長老の手紙に載せられていたわけでもないのですが,地区大会や,巡回大会でお会いする兄弟たちの中で,噂のようになっていました。「組織は,今,若返りを計画している。将来に備えて若い人を訓練している」というのです。

 

しかし,いろいろと問題も多く,その言葉にも疑問が残りました。実際のところ,このキャンペーンが始まってからも,会衆や組織は,一層,高齢化が進んで,若者がいなくなっています。交換しようと思っても,交換できる若者が,ひじょーーーうに,少ないんですけどねー。大丈夫でしょうか。

当時,そんな余計な心配をしたものです。