ミュージカルのようだ、
と、言われているような、そうでもないようなPerfume。
比較検討してみましょう。
******
******
(2017年公開最新ハリウッドミュージカル映画 LA LA LAND)
①黄金期のミュージカル映画への憧憬と尊敬を込めて作られたであろう映画
②ハリウッドという母艦の大きさをまざまざと見せつけられる、様ざまな演出のスケール感と緻密さ
③カット割り、カメラフレーミング、カメラ視点など、映画産業の歴史に培われた場面構成力
④登場人物の厚みや重みを加味する方向に機能する楽曲と歌詞
正直、演技の中で歌やダンスが突然始まったり、
場面の物理的大きさや人数的スケールで圧倒してみせる手法を好まない私。
そんな負のイメージを抱えた状態で見始めるも、
物語りの進行とともにだんだんと引き込まれていく
シーンごとの多彩なアイデアに溢れたハリウッド演出。
この感情はアニメ映画「塔の上のラプンツェル」鑑賞時にも抱いた同種のものです。
特に、音楽監修されているJustin Hurwitz氏の作曲能力には圧倒されました。
描かれる登場人物の、狭く自己中心的な世界観を拡げる方向に機能する楽曲と歌詞。
音楽の力を思い知らされるミュージカル映画でした。
そんな巨大産業と化しているハリウッドなどのアメリカ文化に挑戦しようともがいている
我が日本文化。
同じ土俵で勝負となるはずもなく。
******
******
(日本の大衆芸能から突然変異的に現れたPerfume)
①日本という土壌から美を見出そうとする自主的で素直な作風のヤスタカ楽曲群
②アミューズという母艦の舵取りの中で偶然生じた音楽と振付演出と演者の融合
③カット割り、カメラフレーミング、カメラ視点など、アートとして大事な要素に無頓着なまま活動
④演者の厚みや重みを加味する方向に機能している、演者自身の芸能活動
偶然性に依るところの多いPerfumeが持つアート性。
計算されたカット割りやフレーミングがなされているのは残念ながら公式MVのみです。
ライブステージを映像作品として残すところに
細部同士を呼応させ合うようなカメラワークは見当たらず、
旧来的な芸能を収める手法のみで画面構成されています。
Perfumeに、楽曲と舞踊の融合感を映像に落とし込む際のディレクションは見当たりません。
この偶然性を、
手間をかけてインスタレーション的に実現させる技術、手法が確立されていない日本の音楽芸能産業。
予算と時間の差というポイントだけで諭されても納得しようのない
実力と歴史の差を感じるハリウッドミュージカル。
”私がコミットしているPerfumeの表現はすでに安泰なのでしょうか”
*「Perfumeとインスタレーション」 2013年5/5の記述
*「Perfumeの政治性」
*「Perfumeの不思議な効果」 ”塔の上のラプンツェル”とPerfumeの関連性について
*「Perfumeと効用音楽」音楽がスクリーンの映像と結合したときに感じる不思議について
*「Perfume依存症」
*「Perfumeと妄想」
*「Perfumeと音楽教育」
******
******
自分と、自分が応援しようとする対象の小さな世界に安心しようとすることは多いと思います。
自分の支配下にあると思い込むことによって安心する感情。
Perfumeには、そんな感情を包み込むようなスケールを感じないでしょうか。
******
******
・・・「LA LA LAND 見てないよっ」・・・とお思いのアナタ・・・
”どうか乾杯を、厄介な私たちに
そして乾杯を夢見る愚か者に
どうか乾杯を、破れた心に”
・・・「見てみるよっ」










