2024年1月29日に日本共産党中央委員会書記局がこんな発表をしました。

 

中央委員会常任幹部会は、第29回党大会で選出された中央委員会の機構と人事を、つぎのように決定しました。(○印は新任)

 

理論委員会

 責任者  ○田中  悠
 副責任者 ○岩崎明日香
 同    ○山口 富男
 事務局長 ○谷本  諭
 委員   ○土井 洋彦
 同    ○岡  宏輔
 同    ○庄子正二郎
 同    ○中祖 寅一
 同    ○岡村 千尋
 同    ○小山  農
 同    ○小松 公生

 

 

 

理論委員会!

 

ああ、これまでさんざん最近の党員は勉強しない、マルクスも読まないなんて、左派の「さざ波」グループから批判されていたもんね。

これで大丈夫です。

 

理論委員会の責任者は、田中悠氏。

 



書記局次長です。

『日本共産党の百年』編纂(へんさん)作業に参加しており、「しんぶん赤旗」座談会にも参加していました。

理論委員会の副責任者の岩崎明日香氏、山口富男は田中悠氏とともに「しんぶん赤旗」座談会にも参加しています。

 

(左から、参加者は、編纂作業に参加した田中悠書記局次長、山口富男社会科学研究所副所長、村主明子学習・教育局長代理、国民運動委員会の岩崎明日香氏)

 

この座談会は、わきあいあいと、共産党の100年の歴史が話されたのです。

 

松竹伸幸氏の除名問題を念頭に置いた50年問題ではこんな感じでした。

 

村主 「党首公選制にすればいいじゃない」と言う方には、派閥や分派をつくることがどんなに党にとって有害なことか、この時期の苦闘を知っていただきたい。特に若い党員の方には、諄々(じゅんじゅん)とこういうことがあってね、こうだったんだよ、というように伝えていきたい。

 

村主氏は、松竹氏の主張を「党にとって有害なこと」ってちゃんと言い切っていますよね。

 

 

 

 

 

50年問題について、この座談会では、ちょっと誤解を受ける総括をしていましたね。

 

山口 第2節は、スターリンの干渉と「五○年問題」です。党の前進を恐れて、立ちふさがってきたのはアメリカ占領軍です。党を「民主主義の破壊者」と攻撃し、松川事件その他の謀略事件を、党と労働組合が引き起こしたかのように宣伝して弾圧に出ました。

 

この時期に、より深刻な形でわが党の進路を破壊したのが、ソ連のスターリンによる謀略的な干渉でした。この干渉に呼応して分派をつくった人々が、公職追放という、中央委員会への弾圧を利用して、中央委員会を解体、党を分裂させる暴挙に出る。

 

これが今日、私たちが「五○年問題」と呼んでいる、党に危機的な事態をもたらしたわけです。

 

これだと、まるで「悪者=スターリンの干渉を受け入れた者=党を分裂させた者」「善者=スターリンの干渉を受け入れなかった者=党を分裂させなかった者」みたいな対立に見えますね。
でも実際はそんな単純な対立ではありません。

中北浩爾『日本共産党』ではこう書かれています。
 

一九五〇年一月六日、コミンフォルムの機関紙「恒久平和と人民民主主義のために」に解論員という筆名で掲載された論文「日本の情勢について」は、日本がアメリカ帝国主義の植民地な支配に置かれ、その軍事的冒険のため基地となり、民主主義が抑圧されているにもかかわらず、野奴が占領下でも社会主義への平和的移行が可能であると主張としていると批判した。ソ連は水面下で日本共産党に平和革命路線の転換を求めていたか、踏み切ろうとしなかったため、アメリカおよび占領軍と対決するよう公然と促したのである。

 

この論文の執筆にはスターリンが関わったといわれ、翌日、ソ連共産党の機関紙「プラウダ」に転載される。それは国際共産主義運動の指導党のソ連共産党から、野坂の理論が「マルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないと否定されたことを意味した。

 

日本共産党は、外電を「デマとみなすなど混乱状態に陥った末、一月十二日に政治局の声明「日本の情勢について」に関する所感を発表し、コミンフォルム批判の結論を、受け入れ例人れ難い」と表明した。受け入れを拒否した理由は、「日本における客観的ならびに主観的条件は、一定の目的を達するにあたって、ジグザグの言動をとらなければならない状態におかれている」という一節に表現されている。すでに民族独立の課題を掲げていた日本共産党は、アメリカ帝国主義批判に反対ではなかったか、それを実現するには占領軍の弾圧を避けることが戦術的に賢明であり、かつ可能だと考えていた。

 

この「所感」は「共産党が、いかに行動すべきかについて、十分な考慮をはらっていないことを、きわめて遺憾とする」と述べたうえで、「同志野坂は、もっとも勇敢な人民の愛国者として大衆の信順をえている」と締め括り、野坂を擁護した。

 

 


つまり、コミンフォルムという国際共産主義運動の本部から日本革命について、アメリカ帝国主義と対決し、中国のように武力も動員した急進的な革命をするようにという指示に対して、野坂らは自主独立のために拒否するという「所感」を発表したのです。

 

このあたりの詳しいことは、パトラとソクラのバックナンバーで。

 

 

 

 

この座談会でもうひとつ気になったのは語られないことでした。

語られたことより、語られないことのほうに関心が向きます。
 

山口 「第一の躍進」の重要な特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の前進という強固な土台のうえに実現した躍進ということにあります。これに対し、70年代前半から反共戦略が本格化していきます。ここで重要なのは、その時、党が、党の前進は“結束した強力な反革命”をつくりだし、それに正面から立ち向かうことによって、党が鍛えられて、「ほんとうの革命党に成長する」というマルクスの「階級闘争の弁証法」――今日「政治対決の弁証法」と呼ぶ――をつかんで前進への道を切り開こうとしたことです。攻撃に立ち向かう中で、党の立場が前進していったという流れがよく分かる部分です。

 

70年代、反共攻撃が強まるなかで、とりわけ激しかったのは、宮本顕治委員長(当時)への攻撃です。国会が反共攻撃の場になるわけです。『百年』史では、その攻撃の最中に、宮本さんが、「ロッキード事件の追及と国会審議の正常化にむけた五党党首会談、衆院議長裁定への筋道をつける役割を果たし(た)」と記述しています。攻撃をはね返しながら、同時に、国政の場では堂々と役割を果たしている。前進してきた党の活動は、反共攻撃でもおしこめることはできなかったのですね。

 

田中 第4章は、80年代から90年代の時期です。60年代から70年代の躍進に対して、「社公合意」によって「オール与党」体制が敷かれるというところから80年代がスタートします。

 

これに対して、党が、「無党派の人々との共同」という新しい統一戦線運動を提唱し、81年に全国革新懇が結成されます。革新懇運動は、その後、あらゆる統一戦線運動を草の根から支える土台となっています。


 全国革新懇が結成された頃、「日本はこれでいいのか市民連合」という小田実らベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動に参加したことのある人たちの運動がありました。

1980年の「文化評論」に、小田実氏と上田耕一郎日本共産党副委員長(当時)との対談を掲載されました。事前に宮本顕治日本共産党委員長(当時)も了解した企画である掲載号は完売した数カ月後に、小田実氏が公の場で共産党を「市民運動などを自党に系列化する既成政党」と批判していたことがわかりました。この日本共産党批判を受けて、共産党と小田実の関係が悪化しました。この影響で党内ではこれを企画した有田芳生氏までも批判されました。
有田氏は日本共産党から長時間の「査問」(追及)を受けた末に自己批判書を書かされ、1984年に党籍剥奪はされなかったものの日本共産党系出版社である新日本出版社から追放され、日本共産党は除籍処分となりました。

もちろんこのことは一切「党史」では語られません。

 

共産党は市民運動について、党の影響力があるかどうかの関心が高く、市民運動を色分けしているように見えます。

つまり、共産党が主導しているもの以外は市民運動とは捉えない。


また、有名な田口不破論争についても一切語られません。

党内の論争はどんどん衰退していき、それと比例するように共産党の市民運動への影響力も低下していっています。

田口不破論争の頃、原水爆禁止運動をめぐって組織への介入をしたことが話題になりました。

このことも運動を衰退させたり、離党者を増やした要因でした。

しかし、共産党の党史では語られることはありません。

 

 

 

理論員会のメンバーには、ほかにも見たことのある名前がありますね。

 

事務局長は、谷本諭氏。
 

谷本諭氏と言えば、先日、中北浩爾氏を批判していた人ですね。

 

 

 

 

 

あと、委員に土井洋彦と中祖寅一氏。

 

この二人は、松竹伸幸氏の除名処分を推進した人たちですね。

 

土井氏は松竹氏を「かく乱者」と呼んだ人。

 

 

 

中祖氏は、松竹氏が党攻撃をしていて、それを朝日新聞が擁護していると書いた人。

 

 

 

ああ、これでもう共産党は理論的に大丈夫です。

 

革命党として、「かく乱者」には厳しく、ドロドロの歴史はオブラートに包んでソフトに。

そういう委員会活動になると思います。

 

今、日本共産党では深く考えちゃダメなのです。

考えは浅く、明るくがモットーです!

 

いやいや長老・副責任者の山口富男氏はマルクスの『資本論』についても書いているんだという声が聞こえてきそうです。

 

 

 

この本の構成はこうなっています。

 

目次
第1章 新型コロナ危機のもとで『資本論』を読む(マルクスと『資本論』―現状を見据え、活路を探る;マルクスと『資本論』―新たな社会への展望と変革の諸条件)
第2章 新版『資本論』の刊行とその特徴(新版の刊行とその条件;全三部それぞれの特徴から;刊行後の反響から)
第3章 マルクスの労働時間・工場法論と現代(日本共産党綱領と『資本論』;第一部第八章「労働日」を読む)

 

あれ、これって『資本論』の入り口で終わっていますね。

 

同じ入門書ならこっちがお勧めです。

 

 

「商品論」から入って剰余価値説のことがわかります。

資本主義的生産様式と蓄積様式は、つまり資本主義的私有は、自己の労働に基づく私有を破壊すること、すなわち労働の収奪を前提にしている。否定の否定、収奪者の収奪が、資本主義の高度な発展過程を経ることなくしては、決して実現できない過程であることは、マルクスが最終的に達した結論であることがわかります。

 

理論委員会では、ソ連・東欧の社会主義が失敗したことを振り返るような兆しもありません。

ユーロ・コミュニズムの果てに共産党が無くなったことを分析するようなことももちろんしないでしょう。

 

まあ、そんな小難しいことはともかく、日本共産党は、とにかく浅く、明るくなのです!

深く考えちゃダメ!

そんなことをして会議で発言しようものなら、指導か処分対象になっちゃうから。

 

これで、これから安心して、130%の党勢拡大に邁進していくことができます。