問題解決の扉 -3ページ目

問題解決の扉

生活の中での創意工夫に努力しています

 

 

友人からご自身の病気について相談をされていました。

 

眼科の手術後の状態がよくないことから、病院を転々としています。

 

意に沿った対応をしてくれる病院を探しまわっているうちに、もはや前後不覚状態。

 

人はもろい面があります。


24時間その事が頭から離れない状態です。

 

以前、自分にとって大切な存在を簡単に紹介すると、とんでもない結果になることを思い知りました。

 

感謝どころか最後は逆恨みをされるのが関の山と思い知ったので、今は極力、紹介は控えております。

 

それでも、困り果てている友人を見過ごすことは辛く、

 

「自分を被害者と思ったら、この先もあなたが被害者であるできごとしか起きないのでは?現況と闘って下さい」と伝えました。


これは自分に向けたメッセージでもあります。


私は被害者ではない。


被害者意識を持たず、物事に向き合わねば。


そして、一か所の病院を紹介しました。


彼女は診察をして、すぐに


「辛いね。大変だね。もう大丈夫。治すからね」


と言ってもらえると本気で願っていたと思います。

 

そちらで

 

「最初の病院は検査機器がとてもよい。あなたのこれまでのカルテもそこに揃っている。戻って、しっかり相談して治療をするのがベスト」と言われたそうです。

 

私には真っ当で善意あふれるメッセージに聞こえますが、ご当人にはどうだったかは不明です。

 

被害者意識を持っていると、ずっと被害者でいることに執着するのだと思います。

 

 

 

母が突然、「目薬がなくなった。目がかすむ」と騒ぎだし、翌日に無理をおして往復2時間以上かけ、母を眼科に連れて行きました。

 

大変ではありましたが、これで三連休は少し休めるから、逆によかったと思う事にしました。

 

何をしようが、翌日に「昨日はありがとう」などの電話はない母から昨日電話がきました。

 

死にそうな声で「腰が痛い」。

 

不調を訴える時、母は必ずこのような声で電話をしてきます。

 

しかし、よくしゃべるので、その声色が続かず、数分後にはいつもの声に戻るのは今回も同じ。

 

ありとあらゆる手をつかい、自分がいかに苦しいかを訴えます。

 

腰痛は嘘ではないとは思いますが、休みの日の夕方に「痛い」と1時間も離れた所に住んでいる私に電話をかけてきて、何をしてほしいのかと思います。

 

母が大好きな内科の先生は毎回「87歳だからね」とおっしゃいます。

 

どこかが痛いとかどこかの不調は年齢からくるものとおっしゃっているのですが、母は「医者にかかればもとに戻れる」とでも思っているかのようです。

 

これ以上病院にかかっても、鍼灸院に行っても仕方ないし、誰が付き添うというのか。

 

介護保険を使って、訪問マッサージを受けられるようケアマネさんに相談してみようと1時間に及ぶ電話を終わらせました。

 

あまりに疲れ果て、早くに寝ようとしたら、夫が居眠りをしながらまたテレビをつけています。

 

「どうせ寝ちゃうから、もう消して、寝てはどうか」と言うと、「寝ない。テレビをみる」と逆らいます。

 

深夜1時。煌々と電気がついているリビングで夫は寝ていました。

 

すごいキャラに囲まれた生活。

 

私には短時間、集中して睡眠をとることも許されないのでしょうか。

 

蟻地獄のような生活です。

 

 

 

 

20数年前に家を建て直しました。

 

仮住まい先に引っ越す為に、全ての荷物を片付けなければなりませんでした。

 

結婚してから子供が中学生になるまで過ごしましたので、片づけも追いつかなかったので、まず、家の荷物の整理整頓に苦労しました。

 

そして、夫の両親が建てた物置がありましたが、広さ10畳以上はあったかと思います。

 

そこに置かれた、夫の両親と夫の荷物。

 

この片づけを一人でやりました。

 

「物などしまった時点で不用品」と思い知りました。

 

不用品候補はまず手に入れない事。

 

定期点検をして、早めに処分する事。

 

これを怠ると、あっと言う間に不用品の山になります。

 

不用品に占拠され、窮屈に暮らしていたのは、実家の親も同じでした。

 

これは定説と言ってもいいかと思います。

 

しかし、溜めこむだけで、片づけをした事がない人間には理解できないのだとわかりました。

 

「粗大ごみを頼むけど、何かない?」とこれまで何十回声をかけても「ない」と言う夫。

 

小さな収納場所は粗大ごみでしか出せないような大きな釣り道具などに占拠されているのです。

 

建て替えの時に会った事もない夫の親の荷物まで一人で片づけをさせられ、自分は散らかすだけなので全くわからないのでしょう。

 

この不用品のために家が狭くなり、使ってもいない面積の税金を払っているのかとうんざりします。

 

不用なものを見極めるのは生きる力ではないでしょうか。

 

物はもちろん、人間関係でも同じかと思います。

 

もう終わった、終わらせてよい人間関係はおしまいにすれば、この先必要なものが入ってきやすいと感じます。

 

捨てなければ先に進めないのに、夫はずっとそこで停滞するつもりでしょうか。