20数年前に家を建て直しました。
仮住まい先に引っ越す為に、全ての荷物を片付けなければなりませんでした。
結婚してから子供が中学生になるまで過ごしましたので、片づけも追いつかなかったので、まず、家の荷物の整理整頓に苦労しました。
そして、夫の両親が建てた物置がありましたが、広さ10畳以上はあったかと思います。
そこに置かれた、夫の両親と夫の荷物。
この片づけを一人でやりました。
「物などしまった時点で不用品」と思い知りました。
不用品候補はまず手に入れない事。
定期点検をして、早めに処分する事。
これを怠ると、あっと言う間に不用品の山になります。
不用品に占拠され、窮屈に暮らしていたのは、実家の親も同じでした。
これは定説と言ってもいいかと思います。
しかし、溜めこむだけで、片づけをした事がない人間には理解できないのだとわかりました。
「粗大ごみを頼むけど、何かない?」とこれまで何十回声をかけても「ない」と言う夫。
小さな収納場所は粗大ごみでしか出せないような大きな釣り道具などに占拠されているのです。
建て替えの時に会った事もない夫の親の荷物まで一人で片づけをさせられ、自分は散らかすだけなので全くわからないのでしょう。
この不用品のために家が狭くなり、使ってもいない面積の税金を払っているのかとうんざりします。
不用なものを見極めるのは生きる力ではないでしょうか。
物はもちろん、人間関係でも同じかと思います。
もう終わった、終わらせてよい人間関係はおしまいにすれば、この先必要なものが入ってきやすいと感じます。
捨てなければ先に進めないのに、夫はずっとそこで停滞するつもりでしょうか。