要支援から要介護になった母。
ケアマネさんも変わりました。
とりあえず顔合わせと言う事で母はお会いしたようです。
「どんな方だった?」と聞くと、私くらいの年齢だったと答えました。
「私の年齢だと、会社なら定年退職になってるけど」。
母はよく「60過ぎたら、楽をしたい」と言っていました。
私は楽はしてないかもと思いつつ、娘の年齢も忘れて、自分の為にあれこれやってもらいたい気持ちばかりが前に出る母を感じました。
昨日は友人から「明日は医者にかかるけど、今から施設にいる母に会ってきます」とLINEをもらいました。
暑い中、大変ですね。明日、その不調をしっかり理解してくれる先生だといいですねと返信。
近況報告として、母は要支援から要介護になりましたと書いたところ、
「要介護1なんて、問題ありません」と返信が。
そうでしたね、あなたにとって問題は暑い中の面会とかご体調不良です。
一刻も早くLINEを終わらせたく、「そうですよね!頑張らないとね」と返信と変なスタンプを送りました。
自分が一番可哀想でいたい人は、他人の問題は認めたくないのだと思いました。
母は娘がいい年齢で疲れたり、家にも要介護がいたりは認めたくない。
友人も母が要介護になったなど、聞きたくもなく、明日の治療の話をしたかったのかもしれません。
でも、「自分が一番可哀想」な位置に執着していると言う事は、そこから出る機会は永遠に失うように思います。
夏の暑さを忘れるひと時でした。