昨年、夫の姉が他界しました。癌でした。
三人の娘はそれぞれ結婚して、家庭を持っておりますが、10年に及ぶ闘病生活を支えていました。
容態が心配になってきた一昨年あたりから、私も義姪たちとの連絡がひんぱんになりました。
その事がきっかけで、一人の義姪とよく話すようになり、昨日は二人で会いました。
「母を看取った事は寂しいとか悲しいと言うより、やり遂げた気持ちだけです」。
亡くなった方を非難する意図ではありませんが、最近よく聞く「毒親」のエピソードを聞きました。
「まさか」ではなく、「やはり」です。
スイミングスクールに迎えに来ると約束していたのに、夜の10時を回っても迎えに来ない両親。
三姉妹が一緒だったから待てたけど、パチンコ台から離れられず、夫婦で子供を忘れてしまう。
「看病していても、感謝やこちらの家庭を気遣う気持ちなどなく、なじられっぱなしでした」。
「何よりも自分自身の事が大切な人たちなので、子供を心配などした事はありません」。
実家には一人になった父親がいますが、施設と言う選択肢もある事を伝えました。
母親を見送った後、気持ちはバラバラになってしまった姉妹。
今ぐらいになり、誰かにこれまでの事を話したくなったのかもしれません。
そして、話を聞く私も親には同じような感情を持っておりますので、違和感なく受け止める事ができました。
何事も器用に乗り越えられないと「努力不足」のように言われる事がありますが、乳幼児は親が世界の全てです。
そのスタート時のハンディを乗り越えなければ、多くの人たちと並ぶ事もできないのは持って生まれた「運命」なのでしょうか。