感性と人間 | 愛は痛い。

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目に見えるもの、わかりやすい事、はっきりとしたもの。

それを好むのは良し。

だがそれだけじゃ人間としてあまりに薄っぺらだと俺は思う。

目には見えない、意味がわかりにくい、ぼんやりとしてる。

そんな事柄を如何に感じるか、どれだけ深く考えれるか、何を見出だせるのか。

それこそが人間の感性だと思う。

機械や他の生物には判断しにくい事柄、それを感じてこそ人間と呼べるのでは。

勿論感性は理性には及ばない。
しかし感性を磨く事で理性を高める結果も得られるだろう。

本を読む、絵画を観る、映画を観る、音楽を聴く、感性を磨く術は幾らでもある。
問題は如何に理解するか。
好きじゃない、わかんない、つまらない。
それで終わっては駄目なんだ。
そこから何を感じとるか、何を意図してるか、そして自分はそれにどう思うか。

そこまでするべきだろう。感じるとは即ち心とも言える。
地球上で頂点の知的生命体として、情動ではない心を磨く事は非常に大事。

薄っぺらな人間でいい訳がないだろう。
機械や動物ではない人間らしさを俺は大切に生きたい。

科学技術が進めど、本質の曖昧な法や自由が尊重される社会でも、俺は人間らしさを忘れずに死にたい。