無常と無碍 | 愛は痛い。

愛は痛い。

ブログの説明を入力します。

捉われる事のないよう、常に広い視野で偏りなく物事を見る事に努めた。そうでないと本質を見極められない人間で終わってしまうと感じたから。

だが捉われたくないと思った瞬間から既に捉われている。
人間には所詮無理な事なんだね。
人が恣意的になるのは感情があるから。
感情があるから個性が異なる。仲間を求める。派閥が出来る。そして対立する。犠牲者が生まれる。

人間らしさとは情動か。
感情あってこそ人間か。

俺は理性と情動のバランスを欠いていたかもしれない。
怒りに支配されるのはその為か。
合理的に考えるあまり感情論を否定していたのか。

だが宗教の分派や対立、国会での討論。人種差別や戦争。
どれをとっても合理性に欠けるじゃないか。
根本は全て人が恣意的だからと繋がらないか?
進化の妨げ、自殺行為に繋がらないか?

それともこれも確証バイアスか。
所詮偏った発想なのか。

答えが欲しい。

人の価値はどこに。
俺はどうあるべきなのか。

人は将来どう変わっていくのだろう。

同胞を苦しめる事のない世界は来るのだろうか。

不変な物などない。
しかしその言葉は不変。

世界も変わる事は無いのか。

俺自身変われる事はないのか。