昨日のブログ記事で小学校時代のことを書いたので、その続き。
小学生の時代、何があったかはほとんど覚えていないのだが、小学校3年生か4年生のときから、近所の珠算教室に行くようになったことは覚えている。週に1回、通ったのか、週に3回、通ったのか、週に5回、通ったのかは覚えていないのだが、とにかくそろばん教室に行くようになった。
そろばんないし珠算を続けていくうちに暗算が大変、得意になった。珠算では、珠の位置で数字を表現する。上の段にある珠が数字の5を意味し、下の段にある4つの珠が数字の1を意味して、数字の1から9までを表現することができる。
いつの間にか、頭のなかでそろばんの珠が思い浮かぶようになり、指を使ってそろばんをするのと同様に、頭のなかでそろばんの珠を動かして、計算することができるようになった。
小学校の算数は、加減乗除が中心であるが、いつも満点となるようになっていた。
また、小学校時代から記憶力はよく、授業を聞いているだけで、ほとんど暗記してしまった。理科、社会のような科目は暗記が必要になるが、これもまた満点が続出。
ところで、そろばんといっても、これは時代背景を反映してそろばんだっただけではないのかな。私に子供はいないが、仮に子供がいた場合、自分の子供にそろばんを習わせようとは到底、思わない。21世紀の現代では、そろばんではなく、簡単なコンピュータプログラミングを習わせる。
そろばんのような道具を使って計算するより、コンピュータという道具を使って計算するのが、速いし正確である。また、コンピュータプログラムに用いる言語も、外国語と同様なところがあり、子供のうちに覚えると簡単に覚えられる。
簡単なプログラミングができるだけでも何かと便利であり、多種多様な分野で役に立つ。
ところで、大学で情報学を専攻すると分かるのだが、プログラミング言語を覚えてコンピュータプログラムが書けるようになるのも大事であるが、情報学の本質のようなものは、プログラミングができるようになることより、コンピュータという機械の原理を習熟する点にある。
コンピュータ言語などは、LISP, BASIC, FORTRAN, PYTHONなど流行りすたりもある。ところが、コンピュータの原理が分かっていると、パソコンでも、スーパーコンピューターでも、スマホでも所望の機械を設計することができるようになる。
21世紀初めの現在は、人間が機械に合わせて、プログラミング言語を介して、機械に指示をしている。21世紀半ばとか後半になると、機械がもっと賢くなって、日本語、英語のような人間の言葉で機械に指示すれば、機械が指令を実行するようになる。
そのような時代になると、コンピュータ言語に習熟する必要性は乏しくなる。それでも、コンピュータの原理は習熟していないと、コンピュータを設計することはできない。
また、コンピュータの原理となると、離散数学など高度な数学が必須となる。20世紀前半にコンピュータを開発したのは数学者であるが、当時から高度な数学を駆使している。