死に関するエピグラフ

死ねば死にきり、自然は水際立っている

高村光太郎

生死の中に仏あれば生死なし

『正法眼蔵』

自己に執着する考えを打ち破って、世界を空であると見なさい。そうすればあなたは死を乗り越える。

『スッタニパータ』

人間五十年 化天のうちをくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり

幸若舞「敦盛」

露と落ち 露と消えにし わが身かな
難波のことも夢のまた夢

豊臣秀吉

人間には直視できないものが二つある。それは太陽と死だ。

ラ・ロシュフコー

知らず、生まれ、死ぬる人、いずかたより来りて、いずかたへか去る。

鴨長明

死をはじめて想う。それを青春という。

山田風太郎

死は終りを意味するが、残された者には始まりを意味する。

E・シュナイドマン

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

正岡子規

少なくとも僕の場合は唯ぼんやりとした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である。

芥川龍之介

「僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってたんだ」

ゴッホ

「今夜は電灯が暗いなあ」

宮沢賢治

人間は、死と無知について不可抗なので、幸福になるために、それらについては考えないことにした。

パスカル

あなたを、きらいになったから、死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、いやになったからです。みんな、いやしい、欲張りばかり。井伏さんは悪人です。

太宰治

I don't have the passion anymore, and so remember, it's better to burn out then to fade away.

Curt Kobain

君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』より

散るをいとう世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

三島由紀夫

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

村上春樹『ノルウェイの森』より

多病な私が何故生き残っているのだろうか疑ってみる。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。

夏目漱石

時がくると、私の人生にはピリオドがうたれる。だが、父親になれた男の死はピリオドではなく、コンマなのだ。

寺山修司

生が終って死がはじまるのではない。生が終れば死もまた終ってしまうのである。

寺山修司

人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。

寺山修司

私の墓は、私のことばであれば充分。

寺山修司

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

松尾芭蕉

不生不滅明けて鴉の三羽かな

秋山真之

果実に芯があるように、人はだれでも自分の死を自分の中に持っている。

リルケ

霊魂なるものは火なり。肉体は薪なり。薪尽きて火滅す。かくのごときのみ。

中江兆民

私、死にますとも、泣く、決していけません。

ラフカディオ・ハーン

一たび生を受け滅せぬもののあるべきか

幸若舞『敦盛』

人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている。

正宗白鳥

友よ、拍手を——喜劇は終りぬ!

ベートーヴェン

おちついて死ねさうな草萌ゆる

種田山頭火

幸福な人々の死だけを悼もう。つまり極く少数の人々だけを。

フローベール

死はおそらく、生よりも私たちにあかすべき秘密を持たないのではあるまいか。

フローベール。

あなた方は死に方など知らなくても少しも案ずることはない。自然がその場で、あますところなく充分に教えてくれるだろう。

モンテーニュ

死は、戦場よりもベッドの中のほうが、いっそう卑しく、長く、つらい。

モンテーニュ

ミラノ人、アッリゴ・べイレ。生きた、書いた、愛した。

スタンダールの墓碑より

誰にも世話をされずに一人で寂しく死んでいくことなどあってはならない。

マザー・テレサ

速く生き、若く死に、美しい死体になろう。

ジェームズ・ディーン

人皆生を楽しまざるは死を恐れざる故なり

吉田兼好

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

孔子

あらかじめ死を考えておくことは自由を考えることである

モンテーニュ

充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

歌う者は勝手に歌い、死ぬ者は勝手に死ぬ。

机竜之介

死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生を下り坂を下って行く。

森鴎外『妄想』より

雪はげし書き遺すこと何ぞ多き

橋本多佳子遺句集『命終』より

生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死んで死の終に冥し

空海

そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。

鴨長明『方丈記』より

我死なば焼くなうめるな野に捨てて飢ゑたる犬の腹をこやせよ

安藤広重

エウリポスよ、わたしをのみこめ。わたしはお前を理解することができないから。

アリストテレス

これがまあつひの栖か雪五尺

小林一茶

神に愛された者たちは若くして死ぬ。

メナンドロス

大多数の人間は、死なないですますわけにはゆかないので死ぬだけである。

ラ・ロシュフコー

我は日本のため 日本は世界のため
世界はキリストのため すべては神のため

内村鑑三

死というものは、実は人間にとって最大の祝福かもしれない。

ソクラテス

いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

斎藤茂吉

うつしよはゆめ、よるのゆめこそまこと

江戸川乱歩

もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?

スティーブ・ジョブズ

死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。

ドゥワミッシュ族の格言

賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。

モンテーニュ

我々は命あるものを、使い古したら捨ててしまう靴や身の回りの品のように扱うべきではない。

プルタルコ

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。

ダリ

人は誰しも、一人で生き、一人で死ぬものである。

ヤコブセン

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。

シラー

人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である。

シラー

あらゆる生あるものの目指すところは死である。

フロイト

死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず。

ラスキン

生きている兵士のほうが、死んだ皇帝よりずっと価値がある。

ナポレオン

死を願望するものは惨めであるが、死を恐れるものはもっと惨めである。

ハインリヒ四世

生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。

ウェーバー

人生は一歩一歩、死に向かっている。

コユネイル

生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ。

シェークスピア

死とは、私達に背を向けた、光のささない生の側面である。

リルケ

真理は瀕死の人の唇からもれる。

マシュー・アーノルド

人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。

坂口安吾

私達は生まれたとたん死にはじめている。

マリニウス

生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。ただ、生きていく態度が重要なのだ。

稲垣足穂

花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

井伏鱒二

命というものは、はかないからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。

トーマス・マン

昨日まで 人のことかと 思いしが おれが死ぬのか それはたまらん

蜀山人

どのみち死なねばならぬなら、私は、納得して死にたいのだ。

梅崎春生

死は人生の終末ではない。生涯の完成である。

ルター

人生に執着する理由がない者ほど、人生にしがみつく。

エラスムス

人間、死ぬときは死ぬのがよい。

白隠

死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。

レーントン・ワインダー

命とは、セックスで感染した病気である。

ガイ・ベラミイ

天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、本当の絵描きになってみせるものを。

葛飾北斎

生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである。

セネカ

人は死ぬ瞬間までも、もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。

武者小路実篤

死ぬ前に病気にならんことを決めたよ。ぽっくり死ぬのが一番だ。

ソルジェニーツィン

死ぬということは、生きているよりいやなことです。けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。

谷崎潤一郎

人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ。

川端康成

僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。

マルロー

墓場は、一番安上がりの宿屋である

ラングストン・ヒューズ

私はあの世なんて信じない。だけど、着替えと、少しばかりの金は持っていくつもりさ。

ウディ・アレン

哲学とは死の練習である。

ソクラテス

あわ雪の中に立ちたる三千大千世界(みちおほち)
またその中にあわ雪ぞふる

良寛

人は死ぬ。だが死は敗北ではない。

ヘミングウェイ

死は人生の終末ではない。生涯の完成である。

マルティン・ルター

ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。

藤原新也

武士道というは、死ぬことと見付けたり

『葉隠』より

死に至る病とは、絶望のことである。

キルケゴール

死とは、モーツァルトを聴けなくなることだ。

アルフレート・アインシュタイン

人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。

武者小路実篤

生者は死者のために煩わさるべからず。

梅原竜三郎

もし私が神であったなら、青春を人生の最後に置いたであろう。

アナトール・フランス

死ぬとは、とても手間のかかるものだな。

アナトール・フランス

「ヘイ、ラーマ」(おお、神よ)

マハトマ・ガンジー

「私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前たちも休んでおくれ」

南方熊楠

友みなのいのちはすでにほろびたりわれの生くるは火中の蓮華

川端康成

「エス・イート・グート」(よろしい)

カント

「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」

幸田露伴

人間は誤解されたまま生き、誤解されたまま死んでゆく

石川達三

いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。

『論語』より

 訃報ドットコムより  
   
 「何事につけても善を行うことしか考えない人間は悪しき者
  の間にあっては破滅せざるを得ない。悪しきものである
 ことを学べ

 美徳と見えることでもそれを行うことによって破滅につなが
 ることもある

 不正義があっても秩序ある人間は正義があって無秩序な
 人間より遥かに良い結果を生む

 必要に迫られたとき,大胆で果敢に行動すること

 人の最も大切にしている物を奪い取ってはならない

 不平・不満は何事にもつきものだが,自らの生き方に
 自身とプライドがあれば,相手を非難したり羨んだり
 する気持ちは自らのゆとりの気持ちの中で大らかに
 処理することができる

 自らの権威を傷つける恐れのある妥協は絶対にするな

 譲歩に譲歩を重ねる恐れのある妥協は絶対にするな

 運命の女神は征服したい,勝利したい欲望露な人間の方に
 なびく

 恩義で結ばれている愛情などは利害が絡むと,平然と
 断ち切られることを肝に銘じること

 中ぐらいの勝利で満足するものは常に勝利者であり得る
 また反対に圧勝することしか考えないものは
 落とし穴にはまる

 人間失敗を恐れるな 晴天の日は翌日雨が降るとは
 考えないだけなのだ

 天国へ行く最も有効な方法は地獄へ行く道を
 熟知することである

 簡単に出来ることは簡単に壊れることを肝に銘じる
 べし 特に男女関係はそれにあたる

 修羅場をくぐった体験のあるものは背水の陣でことに
 のぞむ苦しさもその快感も知っている 凝縮された
 力と迫力が違ってくる

 常に明朗でいること ひまわりが太陽に向かって
 花を咲かせ,虫が灯のまわりに集まる 灯には
 常に虫が群がる 灯の近くでは死ぬ宿命しかないと
 知りながらなお群れ続ける 明るさとは抗しがたい
 魅力である

 教養とは学歴と最も遠いところにある 日々反省し
 後ろを振り返り自分を変化させることである

 真に人を愛すると言うことは自分だけのお人形さん
 にするのではなくその人を許してあげること

 個人の自由は決してそれを貫いてはならない
 自分の拠って立つ全てを失うから

 天才とは人 時 所 が神から与えられる人のこと

 本当に死を覚悟した人間はけっして死にたいとはいわない

 勝負は一瞬にして顔で決まる」
    
 ネットでの拾い物ですが出典は不明
  

  「無常は無情に通ずる」 

 
  何かで読んだことのある言葉 


  最近この言葉の意味が心の底から理解できるようになった。 


   
     

  
  シークレット・ガバメントが最も恐れるのは、アインシュタインのような世界に大きな影響を与える人物が、「平和運動」を行って、「軍事力の停止を訴える運動」を世界規模で起こされることです。さらにその上に彼らには、まだ恐れることがあります。


それは「神」の存在の証明につながり兼ねない、あらゆる理論と情報の誕生です


 彼らが神を信じて恐れているわけではありません。人々が「神」を自分たちや社会構造の倫理観に置いてみたり、その存在を信じたりすることを恐れています。そうなれば、おのずと人々の目指す理念は「戦争のない平等な世界観」となり、シークレット・ガバメントが目指す、経済と富みの独占機構、並びに強大な軍事力を背景とする世界的軍事機構と警察国家的支配体制の樹立にとって、脅威になりかねない事態を内在しています。それと同じ事は、既に2000年ほど前のエルサレムで起きています。

 「神の存在」と「博愛主義」を唱えるキリストの存在が、宗教的支配者側の自分たちの存在を危うくすると恐れたサンヒドリン議会が、巧みな罠を仕掛けてイエスを十字架上で殺そうと企てています。このサンヒドリンもシークレット・ガバメントも同じような立場にあり、特に聖書の真実性や実証につながる全ての証拠や理論は、小さな物なら無視できても、巨大な理論体系と物証を伴なってあらゆる世相に渡って大きな影響を与える場合は、徹底的な排除、又は壊滅させる必要が生じてきます。

 「衝突する宇宙」の著者であるベリコフスキーの場合は、まさにこのケースに該当しており、たとえ彼自身が無神論者であろうと、理論体系自体に危険性が内在している場合は、同じ処置が取られることになります。初めは、アカデミズム側を倒壊の恐怖でそそのかして、学術的に認めなければ最終的に封じ込めが成功しますが、それ以後発見された多くの物的証拠が、「ベリコフスキー理論」を復活させてしまっています。
 そのため、封じ込めの象徴的存在だったアインシュタインが、急にベリコフスキーの後盾となり、彼の説を実証する確約をしてしまったために、最後の手段である「暗殺」を速やかに実行する方法しかなくなりました。ベリコフスキーを消し去っても、理論が残る以上は何の効果もありませんが、世界的影響力をもつアインシュタインの存在を消せば、原爆反対の急先鋒になりつつある矢先だけに、一石二鳥のメリットが期待されてしまいます。同じユダヤ人のアインシュタインが死亡すれば、ベリコフスキー理論を実証へと駆り立てる者などほとんどいなくなります。

 NSA(国家安全保障局)の暗殺手段は様々にありますが、薬物の殺傷技術の研究においては、その当時から世界のトップの地位にありました。アインシュタインの死亡原因は、心臓動脈にできた大動脈瘤の破裂でしたが、いくつかの大きな謎が残されています。アインシュタインがベリコフスキーに全面的な協力を約束したのが4月9日で、急に心臓の辺りに激しい痛みを感じたのが4月13日、プリンストン病院に担ぎ込まれたのが4月15日、そして死亡したのが、4月18日となっています。それも、家族や友人の誰もいなくなった深夜に、


ただ1人しかいない状態で死亡しています。


 正確には1人の看護婦はいましたが、何故か医者はいませんでした。

 現在、心臓に大動脈瘤などの時限爆弾をもった患者を殺す薬は無数に存在すると言われています。CIAの開発した暗殺薬で一番傑作なのは、「ハンド」という暗号名で呼ばれている代物で、相手と握手をした手の平から薬を染み込ませて、心臓にダメージを与える薬物です。心臓に鋭い痛みを感じたアインシュタインはそのまま病院に運ばれましたが、入院5日目になるとなぜか病院側は、心配して集まった家族や知人たちを家に帰しています。それはアインシュタインが安心できる状態に持ち直したのが理由ですが、その直後に死亡しています。彼の死に病院側は関与しておらず、病院はX線検査や心電図検査などの結果から見て大丈夫と判断できたので、家族や親類などを家に帰しました。何かの医療ミスなどではなく、医師側の判断は正しかったということです。


アインシュタインの暗殺に使われたのは薬物ではなく、注射器で空気を注入された結果の「心臓麻痺」と言われています。


 家族などが帰った後に、誰かが病院に侵入して暗殺されたという見方が有力です。
 彼の心臓は大動脈瘤のため、いつ心臓が停止してもおかしくはない状態ではあったので、それほど疑いを持たれる心配もなかったわけです。この方法なら解剖しても何の証拠も残らず、薬物反応も残りません。病院側の予測とは違うアインシュタインの死には、不可解な事が多すぎるというのが真相です。

 こちらから      
またぞろ「豚インフルエンザ」がメキシコを皮切りに流行しはじめ、何十人死んだ、何百人死んだと、マスゴミが騒ぎ出した。
 本来は、豚にだけ感染するはずのインフルエンザウイルスが、変異して豚から人へ、さらには人から人へ感染するようになったのでは、という疑いが出てきたとか。
 「鳥インフルエンザ」と同じ手口と見える。つまり遺伝子操作して新たなウイルスを作ったのではないか。

 またしてもこれは淵源はイルミナティの陰謀であろうし、それに製薬会社、医療業界、石油関連企業、さらには政治家、官僚、マスゴミがグルになって、騒ぎを大きくしていく。すべてカネ儲けのためであり、また大衆操作などさまざまな実験のためであろう。

 WHOもこの騒動でまた仕事ができる。おかげで世界各国から運営費がふんだくれる。TVニュースでは、WHO事務局長のチャンという実に人相の悪い女が出て来て、さも深刻そうに説明し、スタッフと顔をしかめて相談する様子を撮影させていた。
 あのような芝居めいたことをやって、わざわざメディアに撮らせているのだ。ウイルスとは何かを知らない大衆は、ウイルスが命を奪うと思い込んで、恐怖に襲われるだろう。それがWHOの狙いではなかろうか。

 しかしWHOも、その決定を報道するマスメディアも、うっかり豚肉が危ないとは言えない事情があることは、われわれは意外に知られていない。
 それはアメリカには「食品に関する中傷罪」という奇妙な法律があって、うっかり「これを食べると病気になる」とか「死因はこれを食べたからではないか」とマスゴミで発言しようものなら、食品業者から風評被害を受けたとして、訴えられるのである。言論自由より、食品業者の利益が大事とされる。
 それが怖くて、WHOに良心的な研究者がいたとしても、なかなか真相が言えないという面がある。だからWHOとか研究者が言わないからといって、安心なことはない。「豚肉は食べても大丈夫」とマスゴミもWHOも言うけれど、それは必ずしも十分な研究の成果を公表しているとは言いきれない。「危ないから豚肉は控えましょう」と言ったら、巨額の損害賠償を背負うことにもなりかねないから、おいそれと正しいからと言って発言はできない。

 それにまたしてもあの毒薬タミフルが大量に必要だとマスゴミをあげて騒ぎ始めた。タミフル製造の製薬会社とマスク製造会社が豚インフルエンザを作って、騒動にしている可能性もある。
 メキシコ市ではマスクをした人があふれかえっているらしい。マスク製造会社はウハウハだろう。この映像も、しばらく前に鳥インフルエンザを怖れた支那の大衆がいっせいにマスクをつけたのと同じだ。あんなものではウイルスは防げないし、防いだところで意味はない。

 さらに付け加えれば、日本では電通がこの種の報道には「縛り」をかけてくるのは常識というものであろう。製薬会社や食肉関連会社のCMなどを手がけるのだから、電通は不利になる真相報道はさせないのである。

■ ■ ■
 しかし、豚インフルエンザは鳥インフルエンザと同じく、インフルエンザに感染した豚や鳥の肉を食っても本来的には心配は無用である。人から人への感染も、ほとんどは心配には及ばないものだ。

 そもそもウイルスとはどういうものか。「感染」するものなのか?
 ウイルスが原因で「発症」するものなのか、である。

 現象の断片で取り上げれば、ウイルスは人なり鳥なり豚なりが弱っているとき、病気のときに細胞の間を移動するものである。すなわち、弱っている細胞がウイルスを取り込む。ウイルスなるものは、ウイルスであるときは死んでいるようなものなのだ。
 どういうときに生きるかといえば、細胞の機能として調和するときだけに限られる。
 これさえわかれば簡単なことで、病気の原因はウイルスではない。病気だからウイルスが細胞に取り込まれるのだからだ。
 これはわが流派の最高指導者が解かれたウイルス論の一端であるが、いつも言うことだが、私の場合は一知半解、道聴塗説であるから、これ以上紹介することは差し控える。
 いずれ南郷学派が〈生命の歴史〉で、ウイルスの謎を解くであろう。

 鳥インフルエンザはだから、本来は鳥の弱った細胞にのみ取り込まれて、それなりの調和をつくり出していると考えられる。豚インフルエンザウイルスも同じく。

 考えてもみられたい。家畜としても鳥(ニワトリ)や豚が、いったいどういう飼育をされているか、を。
 野生のニワトリ、野生の豚(すなわちイノシシ)が1羽、1頭生きていくのに、どれほどの自然の面積が必要か。イノシシであれば、1頭あたり何百平方メートルのテリトリーがなければ生きていけない。それを養豚場ではぎっしりすし詰め状態で飼う。必然的に疫病にかからぬように、抗生物質を大量に与えて、薬漬けの肉にするのだ。

 効率よく太らせて、味の良い肉にするだけに養豚業者はしゃかりきになっている。つまりは工業製品みたいな肉を生産している。これは豚もウシも、ニワトリも、である。まあオースラリアやブラジルなどの広大な牧場で放牧すれば、いくらかましではあろうが。そうでないケージ飼いの豚、トリ、ウシはみな半分病気持ちみたいなものだ。

 例えば、牧場にはハエがつきものだったが、今は殺虫剤をしこたま散布している。エサに草を食べさせれば余計な雑草を抑え込むために大量の除草剤がばらまかれる。牧草地の映像を見ると、アルファルファなどの牧草だけが地平線のかなたまで繁っているようだが、自然ではあんな単一の牧草だけが生える事はあり得ない。

 それにウシで言うと、屠殺されるウシの重量の半分は食用にならないのだが、残りの残骸の骨も血も毛も周知のように木っ端みじんに砕かれ、さらに糞まで加えてエサにされる。そういうものをウシは食べさせられる。

 当然弱る。病気になる。野生のイノシシと比べればわかる話だ。だから弱った豚に(遺伝子操作された(人工的に作られた))インフルエンザウイルスは取り込まれる。それを避けるためにおそらく大量の薬を与えているだろうから、薬と相互浸透したウイルスが量質転化して、新種のウイルスに変異することはあり得ると言って間違いあるまい。

 したがって。
 豚肉だろうがトリ肉だろうが、ウイルスは心配せずに食べてもいい。だが、そもそも工業製品と化した食肉を食べること自体に大変な危険性があるのだから、その意味では肉は食わないほうがいい。
 何度もいうがこういう場合の対応は、マスクをしたり、予防接種をしたり、感染者を隔離することではないのだ。
 肉食一般を止め、玄米菜食をし、しっかり睡眠をとり、適度な運動を日常的に行なって、健康体を維持することに尽きる。そうしないで、深夜残業の毎日、休日出勤、深酒、外食、体の冷え、などをやるから「なんとかウイルス」を細胞が取り込むのである。

心に青雲より 
小野寺光一 メルマガより

  (転載開始)
最近、7月7日にヤフーがメーリングリストを不自然に

「すべて内容保存」に一元化して、内容を保存させるようにしむける改悪を
行う。

しかも掲示板形式にするという。実は掲示板形式というのは

第三者でも、簡単に見られる。いくら制限をかけても。

つまり情報の「保存」をした上で「筒抜け」に

なりやすい形に唐突に変更するのである。

これは、第三者に筒抜けになりやすく、また保存を義務付けるために

ブロガーやメルマガ発行者を逮捕する際に、「保存を義務付けておけば」

すぐに裁判所から命令が出て情報提供させることができるという
可能性に道を開くのである。



いうまでもなく、元 小泉政権の亡国の人物側は、

「言論弾圧」をやりたいし、

「弾圧」として考えている手法は、昔から決まっている。

それは、

「名誉きそん」か、

「国税庁」を使うか、

または「著作権法違反」

なのである。


そして

植草氏事件を見てもわかるし、

今回の小沢秘書国策捜査えん罪事件、

または佐藤優氏のえん罪事件、

鈴木宗男氏のえんざい事件を

みてもわかるが、

検察側に「でっちあげの証拠」「虚偽の作り話」

亡国の人物側が提供して、

「偽物の証拠」で強引に政敵を

拘置所にいれている。



しかも政治に都合が本当に悪くなると
不自然な事件が起こり、必ず、当人は死ぬのである。
自殺として処理されていることが多いが
はっきりいって 茶番である。


松岡元農林水産大臣の偽装自殺事件、(被害者は松岡大臣)(選挙前)
厚生労働省事務次官の惨殺事件    (被害者は、事務次官)(選挙前)
ライブドアの沖縄での幹部の刺殺事件と (被害者はライブドア幹部)

途中まで協力していたが、政権の暗部を知り都合が悪くなったら

暴力団ヒットマンがそこにおとづれて息の根を止めているらしき事件が

頻発している。



そして植草氏もベンジャミンフルフォード氏も何者かに
後をつけられて生命の危険を感じたと
ブログに記述をしている。

「私は絶対に
自殺はしません。何者かに追われています」と。

そう、

「亡国のイージ○」「暴力団」「政敵の殺人」この3つ

がある。非常に危険である。


そして、この「政敵の殺人」は

形を変えて、われわれメルマガ発行者や

ブロガーに向かってくるはずである。


その予兆(オーメン)は随所に現れている。


多くのブロガーおよび メルマガ発行者は、下の

会に参加したほうがいい。


「自分の生命は自分で守る。」

これが今回の衆院選の最大のテーマである。



明らかにわれわれの自由な言論に

日本の未来はかかっているのである。


万国のブロガー諸君、団結せよ


以下は高橋清隆氏の呼びかけ文である。

http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/

マスメディアが真実を伝えない中、

個人ブログは重要な情報発信の場となっています。

しかし、最近インターネットに対する権力の監視・規制が強まっています。

その口実にされているのが、自殺や殺人を促したり個人を中傷する書き込み、

著作権の侵害など。ポルノ所持も法改正でこれに加わる見込みです。

 そこでこの度、個人ブロガーたちが集まり、「ワールド・ブロガー協会」

を立ち上げることになりました。

ブロガー同士が連携することによってお互いを守りつつ、

マスメディアが伝えない事実を共に入手しようとの意図です。

 4月21日に設立記念講演・第1回取材会を都内で開くことになりましたので、

1人でも多くのブロガーにお集まりいただきたいと思います。

ブロガーでなくても大歓迎です。ぜひ、真実の発信にお立ち会いください。

名称 「ワールド・ブロガー協会設立記念講演会・第1回取材会」

日時 2009年4月21日(火)13:30 ~16:30

場所 新宿区牛込箪笥(たんす)区民ホール(新宿区箪笥町15番)

参加予定人数 約400人
内容
 第1部 元日経新聞論説員による日経株主訴訟についての報告

 第2部 亀井静香国民新党代表代行による講演

 第3部 亀井氏と丹羽春喜教授による政策討論

参加費:2000円 当日払い可

(振込み:三菱東京UFJ銀行 田無駅前支店 普通 3826681 サソウクニオ)

申し込み:sasokunio2008@live.jp

問い合わせ先:worldbloggerkyokai@gmail.com

 (転載終わり)

 記念公演は終わりましたが一人でも多くのひとに知ってもらいたく、転載しました。

 拘束国家になるか、 自由な国になるか はたして・・・・・ 

 どうなるかわからないけど 

 とことんまで抵抗しましょう 
 

  感謝と共感があれば 


  飯がいくらでも食える


  そんな気がする今日この頃 


 
  実際にはご飯は少ししか食べませんが・・・    
   「それでも、私は心の底でふと感じるんですよ。

   私は決して死んでしまったりはしないのだとね。

   『おい爺さん、もう死にどきだぞ』

   と誰かが言う。 

   でも私は、自分の魂の中で小さな声がこう言うのが聞こえるんですよな。

   『そんなことを信じてはいけない。お前は死にはしないんだ』とね」 

   


   レイモンド・カーヴァー 英雄を謳うまい 村上春樹訳 より  

 
   私は魂の不滅を信じています 

 
   死にはしないんだと・・・