セブンイレブン、値引きした店に契約解除通知 アサヒコム 
 
   コンビニエンスストア最大手のセブン―イレブン・ジャパンが、弁当などの値引き販売をしている東京都内の加盟店主に対し、フランチャイズ契約の解除を通知したことが分かった。セブン側は「値引きが理由ではない」としているが、店主は不服だとして、近く東京地裁に地位保全を求める仮処分を申請する方針。

 契約を解除されたのは八王子南口店(八王子市)を経営する増田敏郎さん(60)。値引き販売をする店主らでつくる組織の中心人物の一人だ。

 本部側は契約解除の理由について、会計処理や弁当の鮮度管理などの点での契約違反に加え、来店した本部社員との話し合いの様子を勝手に撮影してテレビ番組に提供した「背信行為」を挙げ、書面で来年9月1日付の解除を通知した。

 一方、増田さんは「問題点は本部の指示通り改善してきた。値引き販売を認めるように活動してきたことへの報復としか思えない」と話している。

 セブンは今月5日、値引き販売を不当に制限したとして、公正取引委員会から出された排除措置命令を受け入れたと発表している。

 ~ 引用終わり~

 セブンは今月5日、値引き販売を不当に制限したとして、公正取引委員会から出された排除措置命令を受け入れたと発表している。

セブンイレブン やな気分  ネットゲリラさん 

  年間2兆4000億円を売上げる世界最大のコンビニチェーン「セブン・イレブン・ジャパン」(東京都)。その悪事の数々を告発する単行本『セブン-イレブンの正体』が11月末、『週刊金曜日』の発行元である株式会社金曜日から発売された。

しかし、大手取次会社「トーハン」(東京都)がこの本の配本を拒否するという事態が発生している。セブン-イレブン・ジャパンの実質的創業者である鈴木敏文・代表取締役会長兼CEOは、トーハンの取締役副会長も務めているのだ。トーハン側の担当者は、「委託配本するということは、トーハン取締役(鈴木氏)の不利益になるような商品を積極的に販売することになり、そのようなことはできない」などと金曜日側に説明したという。

しかも、金曜日が指定した書店に配本することについても拒否している。トーハンはこれまで、「違法な出版物」の類について配本拒否をしたことはあるが、このようなケースでの配本拒否は初めてのことだという。


一般人はあまり知らないだろうが、日本では出版物の流通は「トーハン」「日販」の大手二社が牛耳っているわけだ。ネットではAmazonなんてのもあるんだが、アレは大阪屋というのが中の人で、Amazonが日本に進出した時にトーハンで断られ、日販で断られ、だいぶランクの落ちる業界三位の大阪屋で拾われたという経緯があったりする。なので、版元や物書きは、口が腐ってもトーハン日販の悪口は言えません。ひぇ~、ガクブル。で、

マスコミの大口スポンサーでもあるセブンイレブンでは、例えば雑誌に企業の問題記事が載ると、その雑誌の発効日に全国13,000店のセブンイレブンのレジ画面に緊急同報が流れます。 

詳細はSC画面でオーナーが確認しますが、我々が見て些細な内容でも、本部の情報検閲は厳しく、不適正な記事が掲載されているとして対象雑誌を総て返品処理するように指示されます。 1店10冊の返品で13万部の返品です。 此れではマスコミも何も言えません。

セブンイレブンの錬金術というサイトです。このサイトでは色々と興味深い事が書いてあるんだが、ここで問題なのは、セブンイレブンの親分がトーハンの副会長でもある、という構造にある。トーハンとか日販とか、株主の構成を調べてみると面白いんだが、大手出版社が軒並み、大口株主として名前を連ねているわけだ。それが、最近では雑誌の売れ口が書店ではなくコンビニになって、いつの間にやら、セブンイレブンがトーハンの副会長w 副会長というのもまた「微妙」なポジションなんだが、実はこの
鈴木敏文という人物、もともとトーハンの出身なわけです。トーハンから30歳でイトーヨーカ堂に移って、セブンイレブンを立ち上げた。成功の秘訣は「商品毎に売れ筋と死に筋をタイムリーに把握し、発注精度を高める」単品管理なんだが、もともとトーハンというのは「流通業」なわけです。「運送業」でもあり「金融業」でもあるんだが。出版というのは無駄の多い商売で、出荷した商品の半分が返品されて戻るわけだ。なので、もう何十年も前からコンピュータ導入して返品管理やっていた。雑誌や単行本の流通管理方式を元にしてコンビニ事業は成り立っているわけで、縁が深いわけだな。だから、そら、自分の悪口を書いた本は売りたくなかろうw

ところで、時々ブンブンではフェアーをやっていて、頼んでもいないのに妙なモノが当たったりするわけだ。あまり売れてなさげなドリンクとか、なんだが、

この当り賞品の多くが動きの悪い死に筋商品だ。 加えて当り数は発注ロット数を割るものが大半で中には発注ロット数10個の商品で当り数2個なんてものもある。つまり、8個の死に筋商品在庫(何れ値下げ販売か廃棄が必要)が増える。 

フェアー終了後も気をつける必要がある。

発注は売れ筋や在庫を画面で見て行なうが、 死に筋商品も当り賞品として通常商品と同様に売上処理されている為、売れ筋と間違えて発注することが多い。
この祭りで本当に喜ぶのは、お客様と本部だけかも知れない。

というわけで、アレにも裏があるようで、コンビニの闇は深いです。

  セブンイレブンの正体 はこちら 


  個人的に家の近くのセブンイレブンは好きなので複雑な気分だ。 

   オーナーの皆さん頑張って下さい。   
  

    「掃除をしなさい。」  


    「笑いつづけなさい、一週間。」

     

     講談社文庫 グレープフルーツ・ジュース 

   
     
     いやはやこれが難しい。

     
   【オリコン訴訟の何が問題なの?~もっと詳しく】

1)記事を掲載した「サイゾー」および発行会社「インフォバーン」を訴訟対象にしないことで、烏賀陽を孤立させ、経済的に抹殺しようとしていること。

 オリコンの請求金額は5000万円。この訴訟を受けるために必要な烏賀陽の弁護士費用はいくらか。

 旧日弁連の報酬規定に従うと、烏賀陽に必要な弁護士費用は着手金だけで219万円、運良く勝訴したとしても請求金額の10%=500万円、つまり719万円という驚くべき高額になる(注:現在は弁護士報酬は自由化されている)。

 これは烏賀陽個人が負担するにはあまりに過重であり、経済的に破綻させるに十分である。つまりオリコンは裁判に勝っても負けても、烏賀陽を社会的に抹殺し、沈黙させるという目的は達成できる。

 また、この5000万円という請求金額には何の合理的根拠も示されていない。オリコン適当に決めた金額で、訴訟を起こすだけで(訴状一枚を裁判所に提出するだけでよい)、烏賀陽を経済的に抹殺できる。法律の抜け穴を利用した悪質かつ暴力的な訴訟である。

 この手法を応用すれば、新聞社やテレビ局の社員ジャーナリストを組織から孤立させ、個人として訴えることが可能である。つまりフリー記者だけでなく新聞社やテレビ局の社員記者を企業批判から萎縮させることができる。

 これは9.11テロと同じほどのインパクトを日本の言論界にもたらしたと言っていいだろう。例えフリーでなくても、企業記者であっても、組織から切り離して個人として訴えればいいのである。これが記者に与える萎縮効果は計り知れない。

 また、インフォバーンからの人的バックアップから切り離されることで、烏賀陽が仕事においても家計においても疲弊し、生活に支障をきたしていることは言うまでもない。




2)オリコンは言論妨害のために高額の恫喝訴訟を起こしたことを自分で認めている。

 同社は06年12月25日付の小池恒社長名義のニュースリリースで「我々の真意は損害賠償ではない」「(烏賀陽が)事実誤認に基づく誹謗中傷があったことを認め、その部分について謝罪するなら、提訴をすぐに取り下げる」と述べている。また同社IR担当者は、06年12月19日付ニュースウエブサイト「J-CAST NEWS」記事中で「賠償金が欲しいというのではなく、 多額の賠償金を課すことで抑制力を発揮させたい」と述べている。

 これはつまり「烏賀陽をまず高額訴訟で血祭りにあげることによって、他の同社への批判的な言説もすべて封じる」=言論妨害が訴訟の目的であることを自認しているにほかならない。つまりほかのジャーナリストなど言論人への「萎縮効果」が欲しい、と自分で言っているのだ。このような訴訟は悪質な「報道・言論の自由」への挑戦状であるばかりでなく、民事訴訟法が禁じる「濫訴」(訴訟権の濫用)に当たる。

3)オリコンは出版社のくせに「言論」という土俵で戦うこと=論戦から逃げた。そして司法という公権力の行使を要請した

 もし仮に万一、当該コメントが事実誤認だとしても、まずサイゾー編集部に訂正または削除を申し入れるのが言論界のイロハである。また「サイゾー」の誌面を使って当該コメントへの反論を掲載するよう申し入れることもできたはずなのに、一切していない。

 同社は「オリジナル・コンフィデンス」はじめ多数の出版物を出す出版社でもある。だから、もし万一当該コメントが「事実誤認だ」というのなら、そこの紙面上で思う存分「このコメントは事実誤認である。なぜなら理由は××」と反論を述べればいい。烏賀陽およびサイゾー編集部もまたどこかの媒体で反論する。これこそが本来の「言論界のルール」である。意見が違うものは高額の恫喝訴訟で黙らせる、というのは民事訴訟の体裁だけ装った暴力行為である。



4)烏賀陽は「サイゾー」の電話取材に答えただけであり、一行も執筆していない。つまり「被取材者」である。

 烏賀陽は訴訟の争点となっている記事やコメントの「筆者」ではない。(朝日新聞の記事見出しがまったくの誤解)

当該コメントは、サイゾー編集部・副編集長K氏が電話で烏賀陽に取材し、K氏が記事を執筆したものである。烏賀陽はただの一行も書いていない。オリコン側が提出した「証拠」にも明記されているように、文責はサイゾー編集部にある。烏賀陽は「サイゾーの取材に応じた人間」にすぎない。

 オリコンはその「取材に応じただけの人間」に5000万円という高額訴訟を起こした。

 取材に応じてコメントが掲載されただけで5000万円の訴訟を起こされるリスクがあるなら、取材に応じる人間は萎縮し、取材に答えること自体を忌避するようになるのが自然である。これは取材という報道活動の根幹を破壊する、フリー記者、社員記者を問わない報道活動全体への挑戦状である。 
 
  引用終わり
   
 

【オリコン訴訟の何が問題なの?】

★結論★ この訴訟は「オリコン」が烏賀陽ほか同社に批判的な言論を封じるために起こした、民事訴訟の体裁だけ取り繕った「恫喝」=「言論妨害」である。

 武富士がジャーナリストに対して起こした訴訟と同じ。民事訴訟法が禁じる訴訟権の濫用でもある。欧米でもこうした企業批判を封じるための高額訴訟が社会問題化しており、これを「SLAPP」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)という。

* 記事を掲載した「サイゾー」および発行会社「インフォバーン」を訴訟対象から外すことによって、烏賀陽を孤立させ、経済的に抹殺しようとしている。この手法を応用すれば、新聞社やテレビ局の社員ジャーナリストを組織から分離して、個人として訴えることが可能である

* オリコンは「烏賀陽の発言を抑止する」ために高額の恫喝訴訟を起こしたことを自分で認めている。
*
* よってオリコンの狙いは烏賀陽を経済的、肉体的に疲弊させ、発言を封じることである。
*
* オリコンは出版社でありながら「サイゾー」編集部に記事の訂正や削除の申し入れを一切していない。自社の雑誌を使って「言論の土俵で戦う」という選択肢を飛ばして、いきなり恫喝訴訟という暴力的な手段に訴えた。
*

* 烏賀陽は「サイゾー」の電話取材に答えただけであり、一行も執筆していない。執筆者はサイゾー編集部である。つまり烏賀陽は取材に応じただけである。
* 取材に応じてコメントを掲載されただけで5000万円を請求されるリスクがあっては、取材に答える者は激減する。これは「取材」「報道」という民主主義の根幹を破壊する、日本国憲法が保障する「言論・表現・報道の自由」への挑戦状である。
 
  引用終わり 
 
  

  ものすごーくわかりやすく言うと「脅し」ですわ。天下の大企業が一個人を相手に。

 
  よけいなこと言うやつは訴えるぞと。 黙っとけと。

 
  これが通用したらとんでもない社会になりますわ、兄さん。
 
 
  烏賀陽さんホントに辛抱強く戦いましたね。

    
 
    
    オリコン裁判の烏賀陽弘道さんが勝訴してた~  

 
    知らなかった、けどヨカッタヨカッタ。

 
    和解との発表だけど、どう考えても勝訴。

    
    
    逆転勝訴と報じたのは朝日新聞のみ・・・何だかな~ ぺっ!
   
    

    詳しくはまた後日・・・   

 
    とりあえず皆の大好きなウィキ先生はこちら  
    


■フリーランス出版人の労働組合「ユニオン出版ネットワーク」(出版ネッツ)の東京高裁へ提出された意見書■
「出版社とフリーランサーに大きな力関係の差が存在するため、フリーランサーの権利が侵害される」






陳述書

東京高等裁判所民事第16部御中

日本出版労働組合連合会(出版労連)
ユニオン出版ネットワーク(出版ネッツ)
執行委員長 竹内隆志
東京都文京区本郷4-37-18 いろは本郷ビル2F
TEL・FAX 03-3816-2973

 私は、出版およびその関連産業で働く労働者で組織する日本で唯一の産業別労働組合、日本出版労働組合連合会(略称=出版労連)に加盟する労働組合のユニオン出版ネットワーク(略称=出版ネッツ)の委員長をしています。
私は1949年に兵庫県で生まれ、現在59歳です。高校卒業後、小学校用の学習図書教材、問題集などを発行している出版社に就職し、文部科学省の学習指導要領に準拠し、教科書を使った授業の理解を助けるため学校教育の場で使われる問題集の編集、校正などの業務に携わってきました。1995年に退職し、現在までフリーランサーとして、全国の小学校、中学校で使われているワークブックやドリルブックなどの問題集の問題作成、編集、校正などの仕事をしております。
 同時に、出版ネッツの委員長、執行委員などを歴任してフリーランサーの仕事の紹介やトラブル(労働)相談に携わり、また出版労連大阪地域協議会の事務局次長として出版産業の発展や争議支援、表現の自由を守る活動などに取り組んできました。オリコンが烏賀陽弘道さんを訴えた訴訟についても、当初から烏賀陽さんの支援に関わっています。
 そうした経験と、出版ネッツでの話し合いにもとづいて、オリコン訴訟について考えていることを申し上げたいと思います。

1、出版ネッツについて 
 労働組合というと日本では会社に雇用されている人たちが結成する場合が多いのですが、出版ネッツは、出版関連産業のさまざまな分野で活動するフリーランサー、すなわち特定の会社に雇用されることなく働いている専門職の人々(編集者、ライター、校正者、デザイナー、イラストレーター、漫画家、カメラマンなど)が結集している職能ユニオンです。なお欧米では企業別ではなく、雇用形態の違いにかかわりなく職能別に結成されたユニオンが一般的で、日本でも日本音楽家ユニオンやプロ野球労組は職能ユニオンです。
出版フリーランサーの労働条件の維持および向上、経済的・社会的地位の向上、著作権をはじめとする諸権利の擁護と拡大をはかっていくことを主たる目的として1987年に結成され、2008年8月現在、全国約170人の組合員が加入しています。
 出版ネッツでは、上部団体である出版労連とともに、職能向上のための勉強会、仕事情報の交換や人脈づくりのための展示会やパーティ、お花見や温泉旅行などのレクリエーション、病気やけが・事故などに備えた共済(出版共済会)、トラブル(労働)相談、表現の自由を守る活動などに取り組んでいます。こうした活動は、厚生労働省の「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」で座長を務めている東洋大学の鎌田耕一教授(労働法)や、マスメディア・ジャーナリズム論を研究する東京大学情報学環の林香里准教授ら研究者にも注目され、論文等でも紹介されているところです。

2、オリコン訴訟支援の取り組みと支援の理由
 私たち出版ネッツは、オリコンが烏賀陽弘道さんを訴えたこの訴訟についても、出版労連や、出版労連が加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)に加盟する新聞、テレビ、映画、印刷などで働く仲間たちとともに、2006年11月17日にオリコンが烏賀陽さんを訴えた直後から、出版ネッツに加入した烏賀陽さんを支援してきました。私たちは出版労連とともに、裁判傍聴、シンポジウムの開催、機関紙での報道などさまざまな支援活動に取り組んできました(別紙1)。
 労働組合なのだから、こうした活動をするのは当たり前と思われるかもしれませんが、固定収入のないフリーランサーが仕事の時間を削ってこうした活動を手弁当で継続するのはよくよくのことです。出版ネッツとしては近年で最大級の裁判支援であり、出版労連全体でみても、不当解雇事件と同じように重大な位置づけの取り組みになります。
 私たちが全力をあげて烏賀陽さんを支援してきたのは、オリコンによる提訴が「裁判を使った口封じ」であり、この国の表現の自由にとって非常に重要であるとともに、フリーランサーの生活を守るためにも見過ごせないと考えたからです。
 私たちは近年、大手消費者金融・武富士がジャーナリスト三宅勝久さんと株式会社金曜日(雑誌『週刊金曜日』の発行元)を訴えた訴訟でも、ジャーナリストを支援してきました。この訴訟で東京地裁(阿部潤裁判長)は、武富士による提訴が「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するため」の違法な行為だとして、武富士と武井保雄会長(当時)に損害賠償を命じました(2006年9月22日判決、武富士側の控訴断念で確定)。
 オリコンによる提訴は、武富士による提訴以上に不当なものだと私たちは考えます。なぜなら、武富士が訴えたのは記事を書いた筆者と、記事が掲載された週刊誌を発行した株式会社であったのに対して、オリコンは筆者も雑誌社も訴えず、一人烏賀陽さんという取材源、情報提供者のみを訴えたからです。武富士事件にあてはめて考えれば、同社が三宅さんも(株)金曜日も訴えず、借金に苦しんでいる本人や家族、あるいは真実を明かした同社従業員を狙い撃ちにしたようなものです。
 取材、報道が成り立つためには、何よりも取材源、情報提供者が守られることが前提です。いきなりかかってきた電話による取材に無償で答えただけで、いきなり5000万円払えと訴えられる事態がまかり通れば、取材に応じる者はいなくなり、調査報道は成り立たなくなります。その結果、官公庁や大企業による不正が隠されたままになれば、この国の民主主義体制にとっても損失が生じることは明らかです。
 こうした考えから、私たちはオリコンに裁判の取り下げを求めてきました。また、オリコンによる不当提訴を追認した1審、東京地裁判決には強いショックと憤りを覚え、貴裁判所が慎重な審理を重ね、表現の自由を尊重した公正な判決を出されることを信じて烏賀陽さんを支援しています。

3、「コメント」の責任に関する1審判決の誤り
 そこで以下、1審判決の誤りの一因になっている、「コメント」掲載に関する烏賀陽さんの「同意」という事実認定(1審判決29~31ページ)について、編集実務と、フリーランサーの実情に通じた者として意見を述べていきたいと思います。
 一般に、雑誌に取材されてそれに答えた人は、自分の答えた内容が掲載されるかどうか、掲載されるとしても、話したことのうち、どの部分がどのような形で掲載されるか、掲載される「コメント」がどのような文脈のなかで使われるのかについて、コントロールすることは不可能です。これは、雑誌の編集権を雑誌の発行会社が独占的に有するということが、取材結果の扱いやコメント掲載に対して表れる結果といえます。
 1審判決も、「出版社からの取材に応じた者のコメント内容がそのままの形で記事として掲載された場合であっても、その者が出版社からの取材に応じたことと、そのコメント内容がそのままの形で記事として掲載されそれにより他人の社会的評価を低下させたこととの間には、原則として、相当因果関係がないものと解するのが相当である」と正しく捉えています(1審判決29ページ、11行目以下)。
 ところが1審判決は、上記の「原則」に対し、いわば「例外」があると主張したうえで、烏賀陽さんのケースをこの「例外」に当たると判断しています。しかし、1審判決のいう「例外」の枠組みも、烏賀陽さんのケースについての事実認定も、ともに誤っています。
 まず上記原則の「例外」として、1審判決は2つの場合、すなわち「出版社からの取材に応じた者が、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載されることに同意していた場合」か、もしくは「自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いことを予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対してコメントを提供した場合」を挙げます。こうした場合には、取材を受けた人の話したことと名誉毀損との間に相当因果関係があると解される、というのです(1審判決29ページ16行目以下)。
 ここでまず問題なのは、15分でも30分でも1時間でもいいのですが、取材に来た記者や編集者に話したことが「そのままの形で記事として掲載される」ことは、国会議事録や首相会見の採録のような特殊な文章を除いてほとんどありえないということです。
実際には、取材に応じた人が話したことのなかから、適当と思われる個所を抜き出し、あるいは要約し、語調を整えて、記事にあった「コメント」を筆者がつくるのです。「つくる」といっても、話した内容をまとめる行為はねつ造とはまったく異なりますが、「コメント」部分も含め、記事の筆者の著作物であるというのが雑誌の実態なのです。
 また、あらゆる発言は、文脈(コンテクスト)のなかに置かれることで意味をもち、読者に理解されます。雑誌記事に「コメント」が掲載される場合、取材に応じた人がもともと話していた文脈から切断されてごく一部の言葉が取り出され、雑誌記事のストーリーというまったく別の文脈のなかに「コメント」が置かれることになります。すると取材に応じた人の言葉は、話した意図とはまったく違った印象を読者に与えることがあります。つまり雑誌記事がどのような文脈になるかは、「コメント」の印象を大きく左右するのですが、これも取材に応じた者にはコントロールしようがありません。
 さらに1審判決は掲載について「同意」とか「容認」という言葉を用いていますが、一度取材に応じた場合、コメントの扱いについて自由に同意、容認したりしなかったりする選択権が取材対象者にある場合は多くありません。掲載の可否についての選択権のない場合、「同意」や「容認」が成り立たないことは言うまでもありません。

4、烏賀陽さんは「同意」していない
そのことを踏まえ、『サイゾー』に「烏賀陽さんのコメント」が掲載された経過をみていきたいと思います。1審判決の認定は以下のようになっています。

被告は、本件本訴の提起前である平成18年6月30日、原告の代理人弁護士からの通知書(甲4の1)に対し、「06年3月6日、烏賀陽は『サイゾー』編集部の小林稔和氏から電話でコメント依頼を受けました。…烏賀陽が電話で小林氏の質問に答え、小林氏が烏賀陽の発言を文章にまとめました。まとめたコメント部分はメールで烏賀陽に打ち返され、修正・編集を加え、若干の意見交換ののち掲載の形にまとめられました。」とFAX文書で回答している(甲5)。このFAX文書によれば、被告は、本件記事(サイゾー)の編集者が作成した本件コメント(サイゾー)の原案に自ら修正及び編集を加えた上、編集者との間で若干の意見交換をした事実が認められ、この事実によれば、被告は、自己のコメントである本件コメント(サイゾー)がそのままの形で本件記事(サイゾー)に掲載されることに同意していたことが認められる。したがって、被告が本件記事(サイゾー)に関する取材に応じたことと、本件コメント(サイゾー)が本件記事(サイゾー)に掲載されそれにより原告の社会的評価を低下させたこととの間には、相当因果関係が認められる。
(1審判決29ページ下から3行目から30ページ中段)

 すなわち1審判決は、烏賀陽さんは自分のコメントがそのまま記事に載ることに同意していたというのですが、それは間違っています。FAXには烏賀陽さんが「同意した」とは一言も書かれておらず、実際にも、烏賀陽さんが掲載に同意した事実はありません。
 オリコン代理人あてのFAXが示している主要な事実は、コメントは「小林氏がまとめた」ということと、烏賀陽さんがコメント部分をみて「若干の意見交換」が行われたことと、その後に「掲載の形」にまとめられたことです。同意/不同意について、そこには何も書かれていないのです。
 では、実際にはどのような「意見交換」があったのでしょうか。
烏賀陽さんは1審の法廷で、宣誓のうえ、自分の話した趣旨を曲げてジャニーズ事務所を批判する記事に無理やり「コメント」を使われたことを知って小林氏に連絡し、サイゾー編集部のある渋谷のエクセルタワー内の喫茶店で小林氏と面談、小林氏がつくった「コメント」を掲載しないよう求めたと証言しました。それに対し小林氏は「もう締め切りは過ぎた」「今から取材をやり直す時間がない」などと答え、烏賀陽さんの抗議を受け付けませんでした。
烏賀陽さんの証言はリアリティに富んでおり、他方、それを否定する主張も証拠も、オリコン側からは一切出されていません。
 校了(編集部での校正が完了し、印刷に回す段階)直前に、取材された人が編集部の近くまでわざわざ出向いて「載せないでほしい」と談判するとは、よくよくのことです。それに対する小林氏の対応は誠実なものとは思えませんが、その点は措くとしても、「載せないで」と強く求めた烏賀陽さんを「掲載に同意した」と決めつけた1審判決は重要な点で事実認定を誤っています。
また、烏賀陽さんが「載せないで」と求めたのに掲載されたということは、本件では烏賀陽さんに、掲載を同意したり断ったりする選択権がなかったことを意味しています。選択権がない人に対しては、同意するとかしないという議論自体が成り立たちません。

5、出版社とフリーランサーとの力関係
 では、1審判決はなぜ上記のような誤った事実認定をしたのでしょうか。
それはおそらく、掲載に同意しなかったのなら、なぜ掲載を差し止めるべく法的手段を取らなかったのか、なぜオリコン代理人の内容証明への回答でもっとはっきり「私は抗議した」等と書かなかったのか、等と1審裁判官が考えたからでしょう。そうした疑問の前提には、「出版社とフリーランサーは互いに自由にものが言い合えるような対等な存在である」という誤解があると思われます。
そこで、取材・掲載のいきさつには再び立ち返ることにして、出版社とフリーランサーに大きな力関係の差が存在するため、フリーランサーの権利が侵害されることが少なくなく、フリーランサーの側の権利主張も容易ではないという事情を、多数のトラブル相談(労働相談)にのってきた経験から説明したいと思います。
出版ネッツは、以前からフリーランサーのトラブル相談を受け付けていますが、2007年7月から2008年6月までの1年間においては、19件の相談を扱いました。
件数の増加と事例の悪質化が特徴でした。相談の増加は、出版労連の労働相談でもみられます。19件の相談の内訳は、未払い・不払い8件、倒産・民事再生3 件、その他に減額、支払遅延、契約書の内容、経費分担、パワーハラスメントなどとなっています。フリーランサーの置かれた状況をご理解いただくために、最近の相談事例などから、いくつかのケースの概要を紹介したいと思います。

権利主張したら契約打ち切り
エンターテイメント作品の翻訳・編集・校正をA出版から請け負い、翻訳者、校正者を手配、マネジメントと編集実務をし、年12冊の書籍(毎月発行)を数年間つくってきたBさんは、2006年10月末、9月発行の本に誤植があったことを理由に、すでに振り込まれていた編集料と校正料(約34万円)を全額返還するようA出版から求められました。A出版は業務委託契約書にある「品質保証」を盾にとってきましたが、Bさんが担当した以外の本にも、それ以上の誤植がありました。
A出版がこうした要求をしてきた背景には、経営不振のためにBさんのような下請けを整理したいとの意向があったようです。Bさんは出版ネッツに加入して話し合いを求める内容証明を送ったところ、A出版は、組合に相談したのが「業務委託契約にある『守秘義務』違反だ」としつつ、「今回は全額返金を撤回する」と通知してきました。しかしA出版はその後、Bさんへの仕事を打ち切りました。
「いつ仕事を打ち切られるかわからない」ということが、出版社からの仕事を請け負って生計を立てているフリーランサーの不安の一因になっており、権利主張がしにくい背景にもなっているのです。Bさんは組合に入ってきちんと権利主張をしましたが、その結果、権利(34万円)は守ったものの、仕事は切られてしまいました。

②契約書なく1年以上不払い
 デザイナーのCさんは、編集プロダクションD社から依頼され、写真をふんだんに使ったミュージシャンについての本を、いく晩も徹夜して制作しました。ところが仕事が終わり本が発行されたにもかかわらず、D社が突然、「Cの納品データは使えなかったから代金は払えない」という虚偽の主張を展開。15万円の契約だったのに、1年以上にわたって1円も払いませんでした。
 出版労連の労働相談を通じて出版ネッツに加入したCさんは、3回の団体交渉を経て、D社に「制作費を分割で支払う」と約束させることができました。D社は、商工ローンの借金を抱えるなど経営が苦しく、フリーランサーにしわ寄せしたと考えられます。
 出版ネッツでは、フリーランサーにも出版社にも契約をきちんと交わすことを勧めていますが、長年の業界慣行に加え、フリーランサーの側には「あまり強く契約書を求めると、『だったらお前はいい』と言われて使ってもらえないかもしれない」という不安もあります。いくらもらえるかわからないまま仕事をする ――そんな前近代的な実態が残っているのは、フリーランサーの立場の弱さの象徴です。
Cさんも契約書を交わしておらず、そのため出版労連に相談する前に訪れた自治体の「市民法律相談」では、担当の弁護士さんから「代金を取るのはなかなか難しい」と言われたそうです。フリーランサーをめぐる争いでは、書類だけでなく「実態」を見てほしいと思います。

③追加作業は無料奉仕
 イラストレーターのEさんは、F出版から、実用書のイラストを制作してほしいという依頼を受けましたが、料金などの条件は、F出版の担当編集者から口頭であいまいに言われただけで、書面では提示されませんでした。「グロスでいくら」(まとめていくら)という言い方で、安い料金でした。納品後、著者や編集者の意向で多数のイラスト変更が求められました。大きな変更が入ると、新しくイラストを描くことになりますが、追加料金はほとんどありませんでした。その上、入金日は「本の完成から2ヵ月後」とされました。イラストは完成していたのに、本文の原稿確定が遅れるというEさんにはどうしようもない事情のために本の発行が遅れたため、Eさんが代金を受け取ったのは、イラストの納品から半年近くも先になってしまいました。
契約にあたって発注書等を交付しないのも、タダでやり直しをさせるのも、納品から60日以内に代金を支払わないのも、下請代金支払遅延等防止法(下請法)にふれると考えられます。しかしEさんは、「こうしたケースはいつものことだ」と言います。
出版ネッツは「仕事の受注関係の近代化」を掲げ、「発注者と受注者の双方が、安心して良い出版物をつくれるように、対等な契約を交わす慣行をすすめます」と、活動目標に掲げています。また出版労連とともに下請法順守に取り組んでいますが、裏を返していえば、契約書が交わされず法律さえ守られていない取引実態が少なくないということです。

以上の例は特殊な事例ではありません。出版社とフリーランサーは残念ながら、対等でも何でも言い合える関係でもありません。力関係に大きな差があり、そこから違法不正なことが起きること、また、フリーランサーの多くはものが言いにくく、もし出版社の機嫌を損ねれば契約打ち切りなどの不利益を受けるかもしれないという不安を抱いている事情が、おわかりいただけると思います。
 こうした構造は、出版のフリーランサーに限った問題ではありません。大企業が仕事を出し、中小零細企業や個人事業主が仕事を請けるという関係があるところでは、多くの場合、元請けが強く下請けが弱いという力関係が存在し、買い叩きや不当なやり直し、支払い遅延といった行為が繰り返され、下請けはものが言いにくい状況に置かれてきました。
下請法ができたのもそうした構造を是正していくためですが、中小企業庁は2008年7月25日、「(2007年度)下請法違反のおそれのある6954社の親事業者へ警告文書を発出しました。一方、違反容疑の高い979社には立入検査を実施し、この結果、902社に対して1860件に上る改善指導を書面により実施しました。また、重大な違反行為を行った1社について、公正取引委員会へ措置請求を行いました」(「下請適正取引等の推進について」)と発表しており、問題の根深さがうかがえます。

6、烏賀陽さんと『サイゾー』とのやりとりについて
 烏賀陽さんと『サイゾー』とのやりとりを正しく評価するためには、上記のようなフリーランサーと出版社との力関係を念頭におく必要があります。なぜなら、烏賀陽さんはオリコンについて取材を受ける前に、吉住氏という『サイゾー』編集者から「タワーレコード倒産の本当の理由」という原稿を依頼されるなど、『サイゾー』から今後も仕事を請けることを期待する立場にいたからです。当時、フリーランサーになって9ヵ月だった烏賀陽さんは、できれば『サイゾー』の仕事を請け続けたいと願い、そのためには『サイゾー』編集部の意向に逆らうのは難しい状況にあったといえます。

 次に、①烏賀陽さんが電話取材に応じた場面、②烏賀陽さんが掲載に抗議した場面、③烏賀陽さんが内容証明に回答した場面にわけて、具体的に述べたいと思います。

  ①烏賀陽さんに対する電話取材で、『サイゾー』編集部の小林氏は「吉住の上司」と名乗っています。烏賀陽さんが取材自体を断れば、「うちの編集部に協力的でない」と思われ、仕事の注文がこなくなる可能性を覚悟しなければなりません。また、烏賀陽さんはこの取材に対しコメント料等の代価を一切受け取っていません。
『サイゾー』に掲載された記事が仮に名誉毀損の不法行為にあたるとしても、記事を業務として作成、発行して給与をもらった筆者や編集部員、記事が掲載された雑誌を販売して売上を上げ利益を得た発行会社インフォバーンの責任を不問にして、1円も利益を得ていない取材源(烏賀陽さん)だけに一人責任を取らせようとする1審判決の結論は社会的公正に反するのではないでしょうか。

  ②烏賀陽さんが話した内容を、小林氏は自分たちが考えていた文脈に沿ってまとめ原稿を作成しました。烏賀陽さんが編集部近くの喫茶店まで出向いて抗議しますが、小林氏は受け入れませんでした。この一件は、烏賀陽さんがコメント掲載に同意しなかったことを示していますが、1審裁判長は本人尋問の際、烏賀陽さんに対し「なぜ書面で抗議するなり、記事を掲載しないよう法的措置を取らなかったのか」と問われました。しかし、もし烏賀陽さんがそこまでするなら、「すぐ裁判に訴える扱いづらいライター」といった噂が立てられ、仕事が難しくなる恐れがありました。そうしたなかでも、烏賀陽さんが抗議に出向き、掲載しないよう求めた事実をまっすぐに見てほしいと思います。

 ③内容証明にどう答えるかについて、小林氏は「内容はできるだけアバウトに書け」と指示しました。抗議や掲載拒否、トラブルがあったことを隠せという意味だと烏賀陽さんは受け止め、この指示を断るのは難しいと考えましたが、それもまったく自然です。そして、そのような指示の下に書かれた回答においても、烏賀陽さんが「コメント」掲載に同意したとは一切書かれていない点にこそ注意を払うべきです。

 仕事を出す出版社と仕事を受けそれで生計を立てるフリーランサーとの力関係を理解し、『サイゾー』と烏賀陽さんとの実際のやりとりを素直に見るなら、小林氏がつくった意の沿わない「コメント」を自分の名前で出されることに対し、烏賀陽さんが精一杯の抵抗をしていることがわかります。代価を一切もらわず、掲載に同意しなかったどころか、精一杯抵抗した取材源に掲載の責任を被せるのは、あまりに不当で不条理です。

7、おわりに
私たち出版ネッツは、優れた出版人の育成と、出版界に蓄えられた諸先輩の財産をまもるためにも、フリーランサーの権利を認め活かすことは、出版文化の質を向上させ、パブリッシャーとしての使命を全うするために有効であると考えます。そしてその権利の核となるのが、憲法21条で保障されている表現の自由です。
 おいしく安全な水を飲むためには水源を守らなければならないように、表現の自由を守るためには、表現の源にあたる取材源、情報提供者を守ることが不可欠です。彼らに不当な迫害、圧迫が加えられることなく、自由に、のびのびと、思ったこと、信ずるところを語る権利と条件が整えられなければなりません。
 貴裁判所が、1審判決の誤りを正し、表現の自由とその基盤をなす取材源、情報提供者の権利を守る司法判断を下されることを切に願っています。

 以上、意見を陳述し提出申し上げます。

別紙1
出版ネッツ・出版労連のおもなオリコン訴訟支援活動

2006年12月22日 MICのパーティで烏賀陽さんが支援をもとめる発言。
2007年 1月 出版ネッツ機関誌『forum』で、オリコン訴訟など表現の自由を特集。
2月13日 第1審第1回口頭弁論を傍聴。終了後に東京・文京シビックセンターで報告会(約50名参加)。
2月15日 出版労連「烏賀陽弘道さんに対するオリコンの不当な裁判に関する声明」を発表(別紙2)。
2月28日 出版ネッツ「オリコンの不当な訴訟に抗議し、烏賀陽弘道さんを支援する声明」を発表(別紙3)。
3月15日 MIC春闘決起集会で烏賀陽さんが発言。
4月3日 第2回口頭弁論を傍聴。
4月30日 「毎日新聞」がメディア面でオリコン訴訟を特集。取材に協力。
5月14日 出版労連機関紙「出版労連」にオリコン訴訟に関する津田清委員長(出身=小学館)のインタビュー掲載。
6月12日 第3回口頭弁論を傍聴。
7月27日 出版労連争議支援ビアパーティで烏賀陽さんが支援を訴える。
7月31日 第4回口頭弁論を傍聴。
9月14日 大阪・ドーンセンターで開かれた出版ネッツ関西支部の仕事展(フェスタ)の企画としてオリコン訴訟報告会を開催。烏賀陽さんが支援を訴える。
10月2日 第5回口頭弁論を傍聴。
10月11日 東京・文京区民センターで開かれた出版ネッツ結成20周年パーティでオリコン訴訟支援ソングを合唱。
11月29日 出版労連・MIC共催の「表現の自由を考えるシンポ」の準備に協力。パネラーに烏賀陽さん、山田厚史・朝日新聞編集委員、西岡研介さん(ジャーナリスト)、田島泰彦・上智大学教授ら。ジャーナリストの斎藤貴男さんも発言。140名参加。
12月11日 第6回口頭弁論を傍聴。
12月19日 MIC争議支援望年パーティでオリコン訴訟支援ソングを披露し、CDなどを販売しカンパを募る。
2008年 2月19日 第7回口頭弁論を傍聴。
3月13日 MIC春闘決起集会で烏賀陽さん、壇上で紹介。
4月22日 判決言い渡しを傍聴。東京・文京シビックセンターで報告集会。
4月30日 出版労連、「オリコン訴訟・東京地裁判決に関する声明」を発表(別紙4)。
5月30日 2007年11月のシンポの内容を中心とするブックレット『表現の自由が危ない』(田島泰彦+MIC+出版労連編)が花伝社から発行。
7月23日 出版労連と日本ジャーナリスト会議共催の集会「表現の自由と高額訴訟」で烏賀陽さんがパネラー。
7月26日 関西MIC・京都MIC主催の文化フォーラム「表現の自由が危ない」
 で烏賀陽さんが講演とパネラー。

別紙2
烏賀陽弘道さんに関するオリコンの不当な裁判に関する声明

ヒットチャートで知られるオリコン株式会社(以下オリコン=小池恒社長、売上57億円)は、昨年11月17日付けでフリージャーナリスト烏賀陽弘道さんを名誉毀損で東京地裁に提訴しました。その内容は、烏賀陽さんが月刊誌『サイゾー』に寄せたコメントを事実誤認として、5000万円の賠償金の支払いを求めたものです。
 これに対して烏賀陽さんは、オリコンの提訴自体が「裁判を悪用した表現の自由の破壊」だとして、2月8日にオリコンを反訴しました。2月13日に第1回口頭弁論が開かれました。現在、5000万円の支払いを求められている被告として、同時に反訴の原告としての裁判が進行しています。  
 この事件の特徴は、第1に音楽業界の巨大メディアであるオリコンが、いきなり雑誌社からの電話取材に応じたフリージャーナリストのコメントに対して、 5000万円もの巨額の賠償を請求したことにあります。第2にオリコンは、提訴に際して争点となっている自社のヒットチャートの集計の根拠も明らかにせず、コメントを掲載した「サイゾー」編集部に記事の確認や問い合わせもしないまま、あえて出版元を提訴の対象から外して一個人を対象としたことです。
 近年の言論・表現の自由に関わる裁判では、大手消費者金融・武富士が批判封じのために乱発した高額訴訟が知られています。武富士とフリージャーナリスト三宅勝久さん及び『週刊金曜日』の訴訟で東京地裁は、昨年9月22日に言い渡した判決(確定)において、「表現の自由が民主主義体制の存立とその健全な発展のために必要とされ、最も尊重されるべき権利である」「言論による批判に対しては、民主主義社会においては、資料の裏付けのある言論で応酬することが求められている」と説き、「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するために訴訟を提起した行為は違法」と武富士と同社元会長を明確に断罪しました。この判決の趣旨からみても、自社メディアを有するオリコンが、あえて自社媒体での言論による反論を放棄して、烏賀陽さんを狙い撃ちにした提訴は言論人にあるまじき行為ともいえます。
 出版産業は、言論・報道・表現の自由に依拠しています。私たちは一市民として時には取材に応じることもあります。まして、メディアに携わるものとして取材活動と真実を伝えることは私たちの責務といえます。こうした関係のもとで私たちはよりよい仕事が可能になり、そこからメディアに対する信頼が得られていきます。
 今回、オリコンがフリージャーナリストに対して、5000万円もの損害賠償請求をしたことに空恐ろしさを覚えます。取材源に対する直接的な攻撃がまかり通れば、フリージャーナリストだけでなく、労働者でも市民でも研究者でも巨額の賠償請求で訴えられることになります。裁判の勝ち負けにかかわらず、訴えられただけで数百万円にのぼる裁判費用を負担しなければならないようなことを許すわけにはいきません。仮にそのようなことが許されるならば、公権力や企業が隠している事実を調べることも知らせることもできなくなってしまいます。訴えられる不安から取材・報道が大きく制約され、誰も自由にものがいえない社会になってしまうでしょう。これは一人のフリージャーナリストの問題ではなく、個人の権利や自由を制約し多様な表現活動を圧殺することを意味するものです。この点で、従来のマスコミ攻撃とはまったく性質の異なるものとして捉えざるをえません。
 私たちは、業界の巨大メディアが金の力で烏賀陽さんのペンを折るために、しかも裁判所という公器を介して言論を封殺しようとしていることを許すわけにはいきません。オリコンがこの不当な訴訟を早期に取り下げ、烏賀陽さんに謝罪することを強く求めます。烏賀陽さんの裁判闘争は言論・表現の自由に深くかかわるものとして、出版労連の総力をあげて支援することを表明します。

2007年2月15日                               日本出版労働組合連合会                              中央執行委員長 津田 清

別紙3
オリコンの不当な訴訟に抗議し、烏賀陽弘道さんを支援する声明

ヒットチャートなどで知られるオリコン株式会社(小池恒社長)が、2006年11月、フリージャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道さんに対し、5000万円という巨額な損害賠償金を支払うよう求める訴訟を東京地裁に起こしました。烏賀陽さんが月刊誌「サイゾー」の電話取材に答えたコメントが「名誉毀損」だというのです。それに対して烏賀陽さんは2007年2月8日、この提訴は民事訴訟法で禁じられた訴訟権の濫用として反訴しました。2月13日に第1回口頭弁論が開かれました。
私たちは、次のような理由から、オリコンによる訴訟は不当だと考えます。

1、オリコンは提訴する前に、異論があるならば、出版元や編集部に記事のことで連絡し、万一誤りがあれば、指摘するなり、訂正の申し入れをするなりできたはずである。あるいは、オリコンで発行している雑誌などの媒体で反論を載せることもできた。ところがオリコンは、言論ではいっさい反論せずいきなり訴えたこと。
2、記事を掲載した雑誌の出版元や編集部を訴訟の対象から外していること。
3、取材に応じてコメントした個人だけを名誉毀損で訴えていることは極めて異常なこと。
4、5000万円という「損害額」の根拠は不明で、訴状からは見出せないこと。
5、烏賀陽さんに高額の弁護士費用を負担させ、経済的に疲弊させるために5000万円という高額を決めたと思われること。

言論・表現の自由に関わる裁判では、大手消費者金融・武富士が言論封じのために起こした高額な名誉毀損訴訟があります。

武富士の訴訟では、私たちの組合員であるジャーナリストの三宅勝久さんと「週刊金曜日」が勝訴し、さらに武富士に対する反撃訴訟でも2006年9月、勝訴しました。判決では「言論による批判に対しては、民主主義社会においては、資料の裏付けのある言論で応酬することが求められて」いるとし、「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するために」訴訟を提起した行為は、「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」と言論抑圧のための訴訟を違法としました。

憲法で保障されている言論・表現の自由がまもられなければ、私たちの言論、出版活動の根幹が脅かされることになります。取材源を高額訴訟で狙い撃ちすれば、取材に応じる者はいなくなり、取材・報道という行為そのものが成立しなくなります。そうなれば、民主主義の根幹である報道の自由は崩壊してしまいます。
また、批判封じのための高額訴訟は、フリージャーナリストにとって、裁判費用や裁判のために使う時間の負担が重くのしかかり、死活問題となります。まさにこれは、言論を封じる民事訴訟の体裁だけ借りた暴力にほかなりません。

私たちは、オリコンの不当な提訴に抗議し、裁判の即時取り下げを求めます。

私たちユニオン出版ネットワーク(出版ネッツ)は出版関連産業に働く個人加盟の職能ユニオンで、産業別労働組合である出版労連に加盟しています。フリーランスの仕事の条件や社会的地位の向上、言論、出版、思想、表現の自由をまもり、出版文化の発展をめざしています。
私たちは組合員である烏賀陽さんを支援し、言論・表現の自由のために共にたたかう決意です。

2007年2月28日
 ユニオン出版ネットワーク 執行委員会

別紙4
オリコン訴訟・東京地裁判決に関する声明

 ヒットチャートで知られる音楽業界の巨大メディアであるオリコン株式会社(以下オリコン=小池恒社長)が、フリージャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道さんに対し5000万円もの損害賠償を求めていた名誉毀損訴訟で、東京地裁の綿引穣裁判長は、原告のオリコンの主張を認めて烏賀陽さんに100万円の支払いを命じる不当判決を出しました。
 この事件でオリコンは、月刊誌『サイゾー』が電話取材をしてまとめた記事について、『サイゾー』編集部に確認や問い合わせることもなく、また出版社は提訴の対象から外して、いきなり取材に協力したフリージャーナリストに対して巨額の賠償請求をしました。そもそも、オリコン自体がメディア企業として自社媒体を持っています。この媒体で記事に対する反論、根拠を明らかにすることも十分に可能でした。
 これに対して、烏賀陽さんは損害実額の説明も不十分なこと、取材に応じたフリーランスを相手に恫喝的な高額訴訟であるとして、オリコンの提訴を違法とする立場から反訴で争いました。
 4月22日の東京地裁判決は、オリコン側の主張を容認したもので、同時に進行していた烏賀陽さんの反訴も退けました。判決にはいくつかの重要な問題点がありますが、第1は電話取材に応じただけの個人(取材源)の不法行為責任を安易に認めたことです。電話取材に答えただけで多額の損害賠償を課されるなら、およそ取材行為は成立しなくなり、報道の自由と知る権利が制約されることになり、マスコミの企業活動そのものが出来なくなります。
 第2は、従来の「取材源秘匿」を根底から否定したことです。判決では、烏賀陽さんが話した内容の真実性を裏付ける証拠について、取材源が明らかにされていないことを主な理由としてことごとく排斥しました。この点に関しては、米企業の所得隠し報道をめぐる訴訟における読売新聞記者の証言拒否の是非が争われた事件で、06年6月14日、東京高裁(赤塚信雄裁判長)は、「自由な情報流通を確保する利益」のために「記者の取材源秘匿」を広く認める決定を出しています。
 こうした司法判断に照らしても、「取材源秘匿=証拠の信用性なし」という予断にもとづく判断であり、表現の自由を定めた憲法21条の精神を踏みにじる不当なものと言わざるを得ません。
 私たちは、『週刊金曜日』の武富士事件、講談社発行の『僕はパパを殺すことに決めた』などの問題で、情報源に対する直接的な圧力が加わり、結果として表現活動が規制される動きが相次いでいる流れが今回の不当判決にも繋がっていることを看過できません。
 出版労連は烏賀陽さんを支援し、表現の自由を守る運動を強化することを表明します。
                                         以上

2008年4月30日
日本出版労働組合連合会
 中央執行委員長 津田 清


  
 

■日本出版労働組合連合会の意見書■

「東京地裁はオリコン側提訴の異常性を充分かつ公正に吟味せずに、「一般に、不法行為責任を負担するものが複数存在する場合に、その被害者がすべての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務を負うことはない」という、現実的ではないこと甚だしい考え方をもって、烏賀陽さんの反訴を退けました」


陳述書

東京高等裁判所民事第16部御中

日本出版労働組合連合会(出版労連)
執行委員長 津田 清
東京都文京区本郷4-37-18 いろは本郷ビル2F
TEL・FAX 03-3816-2973

出版およびその関連産業で働く労働者で組織する日本で唯一の産業別労働組合、日本出版労働組合連合会(略称=出版労連)を代表して、オリコンより名誉毀損による損害賠償請求の訴えを起こされた、出版労連組合員の烏賀陽弘道さんを支援するために、意見を申し述べます。

1.日本出版労働組合連合会(出版労連)について
1953年4月に7社企業組合、6社個人加盟組合が参加した「出版労働組合懇談会(出版労懇)」が母体となり、1958年3月に33単組3,100名を擁する「日本出版労働組合協議会(出版労協)」が結成され、現在の出版労連がスタートしました。日本出版労働組合連合会(出版労連)と改組したのは、 1975年7月です。現在は、小学館労組、岩波書店労組、有斐閣労組、三省堂労組、平凡社労組、東洋経済新報社労組など、約130組合6,000名が加盟しています。
烏賀陽さんが所属するユニオン出版ネットワーク(略称=出版ネッツ)は、出版労連直属のフリーランスの個人加盟組合として、特に重要な位置づけをしています。
出版労連は以下のことを目的として掲げ、活動しています。
1.低賃金と労働強化を打破し、労働者と労働組合の諸権利を拡大し、社会的地位の向上をめざす。
2.平和と民主主義を守り、思想、言論・出版の自由のためにたたかう。
3.出版産業並びにその関連事業の労働者の団結を強め、全労働者階級の統一につくす。
今年2008年は出版労協結成から50周年の節目の年となります。そこで3月以降、出版労連結成50周年記念行事として、出版産業を支える諸団体、?日本書籍出版協会(書協)、?日本雑誌協会(雑協)、?日本出版取次協会(取協)、日本書店商業組合連合会(日書連)、出版健康保険組合(出版健保)、出版厚生年金基金と連携をし、出版産業の発展を念頭に置いた学習会などを行ってきました。
このように、出版労連は、出版産業界に大きな影響を持つ、唯一の産業別労働組合として、労使双方から大きな信用と信頼を持たれている組織です。

2.オリコンの提訴が言論を抑え込む行為であること
オリコンの提訴は明らかに音楽ジャーナリスト烏賀陽さん個人の発言を封じるための訴訟であり、訴訟権の濫用といわざるを得ません。
オリコンがプレスリリースで、「この訴訟の目的は名誉毀損の損害回復ではなく、烏賀陽氏に発言の過ちを認めさせ、謝罪させることだ」と公言したことは、今回の訴訟の目的が言論・批判封じにあることを明示しています。

しかも、5000万円という高額の訴訟によって発生する被告側の弁護費用などの経費は、フリーのジャーナリストにとっては死活問題ともなるほど大きな金額です。この金額はフリーのジャーナリストのその後の発言を押さえ込むためには、十分な恫喝となりえます。
まさに、民事訴訟の体裁を取った脅迫行為(SLAPP)と言えます。
欧米ではこのような高額の賠償金による恫喝訴訟は禁止されています。また、日本の司法においても、先般の武富士によるいわゆる「批判封じのための恫喝訴訟」が、「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するために訴訟を提起した行為は違法」と断罪されていますし、「言論による批判に対しては、民主主義社会においては、資料の裏付けのある言論で応酬することが求められている」との司法判断も下されています。
そのため烏賀陽さんは「訴訟に名を借りた違法な言論封じ」としてオリコンを反訴しましたが、東京地裁はオリコン側提訴の異常性を充分かつ公正に吟味せずに、「一般に、不法行為責任を負担するものが複数存在する場合に、その被害者がすべての不法行為責任者に対して訴訟を提起する義務を負うことはない」という、現実的ではないこと甚だしい考え方をもって、烏賀陽さんの反訴を退けました。
さらに、「原告が5000万円の損害賠償を求めている点も、一般に、名誉棄損訴訟においては、損害額が比較的に高額に設定されるのが通常」だから違法とは言えないという、一般常識とは大きく隔たった判断を示しました。
このように今回の東京地裁判決は、それ以前の司法判断の流れにも逆行し、「高額訴訟による言論封じ」「個人に対する恫喝」「取材源そのものへの攻撃」を容認する、憲法の原則に反する判決との認識に立って、私たち出版労連は烏賀陽さんを支援するものです。


3.出版社の編集責任の重さについて
オリコンが提訴したサイゾーの記事に対して、烏賀陽さんは全く執筆をしていません。烏賀陽さんはサイゾー編集部の取材を受けて、コメントをしたにすぎないのです。
著作物には必ず著作権が発生します。雑誌サイゾーに掲載された記事にも当然、著作権が発生しています。今回の提訴の原因となった記事の著作権はどのようになっているのでしょう。このことは一審では明らかにされていません。

烏賀陽さんがコメントした内容がそのまま掲載されたのならばその部分の著作権は烏賀陽さんに帰属します。そのような場合には当然のことですが、著作権者が権利を放棄したり、著作権使用料の支払いを免除したりしないかぎり、出版社は著作権者に対して著作権使用料を支払わなければなりません。今回の取材に対して烏賀陽さんは、サイゾー編集部から著作権使用料についての話をされていませんし、それどころか1円の謝礼さえ受けていません。
なぜならば、烏賀陽さんのコメントはそのままサイゾーに掲載されたのではなく、烏賀陽さんのコメントを一つの素材としてサイゾー編集部が記事をまとめたからです。この場合、一般的には出版社に編集著作権が発生します。したがって、その記事の内容に対する一切の責任は出版社が負うことになります。

新聞記事の場合は編集著作権とは別に編集権の存在が広く知られています。雑誌の編集についても同様の立場から編集権の存在が考えられます。雑誌編集者が編集権を主張した場合、取材を受けてコメントした烏賀陽さんが掲載記事に対する責任を持つ必要は全くありません。それどころか、編集権者の前では、烏賀陽さん個人の主張はないに等しいと言っても過言ではありません。
それだけ、出版社の編集責任は重いのです。それが出版業界の常識であり、今回のオリコンの提訴が出版業界の常識からみて、かけ離れているものであることを、強く示すものです。

4.金銭の支払いを課せられる恐怖感について
東京地裁は判決で、烏賀陽さんに100万円の支払いを命じました。裁判費用を別にして、この判決で示された100万円という金額は、フリーのジャーナリストにはとても重い金額です。
さらに、烏賀陽さんのように取材に対してコメントをしただけで、100万円もの支払いを裁判所から命じられるような事態が当たり前のこととして定着してしまったならば、だれもコメントをしなくなります。つまり、言論の自由のもとに、さまざまな情報を社会に伝えようと活動するジャーナリストたちが、著名人だけでなく街頭で一般市民に求めたコメントでさえ、拒絶されるような自体が起こりかねません。
そうなればこれは、民主主義の危機です。出版業に関わるものは、憲法で保障された「言論・出版・表現の自由」を標榜し、業務に邁進しています。したがって、出版業の根底を揺るがすような東京地裁の判決を認めるわけにはいかないのです。


5.おわりに
出版で働く労働者は、常に自由な言論の発信者であることを肝に銘じて働いていると言って過言ではないと思います。なぜなら、それがなければ出版産業自体が成り立たないからです。
オリコンが起こした烏賀陽さんに対する名誉毀損訴訟は、自分に都合の悪い言論を封殺するために高額の損害賠償をするという、身勝手な訴訟であり、訴訟権の濫用です。
私たち出版労連は、「言論・出版・表現の自由」の実行者であり、守護者であるとの思いから貴裁判所に強く訴えます。どうか貴裁判所によって、1審判決の誤りを正し、言論・出版・表現の自由とその基盤をなす取材源や情報提供者の権利を守る、まさに正当な司法判断を示していただくようお願いします。

以上、意見を陳述し提出申し上げます。


  
   


■高裁へ提出されたミシェル●テナン氏の意見書■
テナン氏はフランス「リベラシオン」紙東京支局であり、国際NPO「国境なき記者団」(RSF)日本代表。

「この日本におけるオリコン訴訟が、報道の自由という基本的人権をはなはだしく犯していることは外国報道機関の目には明らかです」


東京高等裁判所民事部判事殿
2008年9月12日



控訴人 烏賀陽弘道側証人
ミシェル・テナン
(住所省略)
フランス「リベラシオン」紙東京支局
国際NPO「国境なき記者団」(RSF)東京支局
 

 裁判官閣下

  この書面によりまして、日本の音楽会社オリコンとフリーランスの記者であり文筆業者である烏賀陽弘道氏の間で争われている法廷での戦いが、守るべき重要な原理原則のシンボルとして、日本に駐在する海外報道機関のみならず、ヨーロッパ(フランス、イギリス、ドイツ、イタリアなど)とアメリカを中心とする世界の国々の注目をいかに集めているか、裁判官閣下にお知らせできることを大変な名誉と考えております。

 裁判官閣下、私のささやかな書面を証拠として採用していただけますことにつき、まずは感謝の意を表しておきたいと思います。

 今回の訴訟は、オリコンのような大きな力を持つ大組織が、複数の弁護士を雇い、組織の後ろ盾を持たない、たった一人のフリーランスのジャーナリストに対して、小さな発行部数しか持たない専門誌に意見を表明したというだけの理由で起こしたものです。この点だけでも、まったく完全にアンフェアな訴訟と私は考えます。これは、フランスの新聞「リベラシオン」の記者として、パリに本部を置くフランスのNPO組織「国境なき記者団」の東京代表としても同様の意見を持ちます(『国境なき記者団』は1985年に設立され、世界の報道の自由と表現の自由を守るために活動する国際組織です)。

 現代の日本のような民主主義国においては、報道の自由や表現の自由は憲法で保障された基本的人権です。しかし、私が敬愛する友人である樋口陽一・東大名誉教授が私に繰り返し語ったように、こうした基本的人権は常に攻撃にさらされるため、常に守らなければいけないのです。私の祖国であるフランスでも、報道の自由を守るため行動しなければならないことは同じです。
 しかしながら、このオリコン対烏賀陽裁判のような訴訟自体が、フランスではありえません。フランスでは表現の自由はある種「神聖な権利」とさえいえます。ジャーナリストや文筆業者は企業への疑問を公に表明することができます。こうして批判された企業はジャーナリストを攻撃するのではなく、ただ単純に「反論権」(Droit de response)を行使することにより反論するのです。
 オリコンがフリーランス記者や文筆業者に提訴という形で法的争いを仕掛けたことは、海外メディアや報道の自由を守る国際組織にとっては「純粋な復讐または脅迫目的の行動」に見えます。これは明らかに公権力の濫用であり、社会正義のための行動ではありません。
 また、フランスはじめEU諸国では、ニュースソース(取材源)だけを訴え、編集部や出版社を被告から外すというオリコン裁判のような提訴のあり方はまったく考えられません。
 ゆえに、東京地裁での一審判決がいかに外国の報道機関を仰天させたか、ご想像いただけると思います。「国境なき記者団」の「2008年版世界報告書」日本の章には、オリコン訴訟が「非常に憂慮すべき事態」として記載されています。09年版では、この問題がよい方向で解決し、記述が消えるように願ってやみません。

 この日本におけるオリコン訴訟が、報道の自由という基本的人権をはなはだしく犯していることは外国報道機関の目には明らかです。その社会的イメージや名誉を守るためなら、オリコンは烏賀陽弘道氏の投げかけた疑問に、ただ単純に公的声明やプレスリリースを発表するなり、烏賀陽氏をインタビューした雑誌社に手紙を送るなりしさえすればよかったのです。この訴訟のような敵対的な方法で烏賀陽氏を攻撃することはその方法ではありません。重ねて強調しますが、言論の自由と報道の自由は日本国憲法でももっとも重要な憲法上の人権のはずです。

 オリコン社がその音楽ビジネスをどう運営しているかについて疑問を表明することは、オリコン社が主張するような「罰すべき犯罪」と見るべきではありません。同社にはいつでも、烏賀陽氏の疑問に答える権利があります。それは主にマスメディアを通じた民主主義的なマナーでなされるべきであり、5000万円という高額の金銭を烏賀陽氏に要求するなどという方法でなされるべきではありません。こうした戦略はオリコンの企業イメージを損なうだけではありません。報道の自由と表現、良心の自由が保障された安息の地・日本という国のイメージをも著しく損なうのは明らかです。

 裁判官閣下、この書簡にご興味とご関心をいただいたことを感謝します。そして私が事態を憂慮し、この書簡を執筆する決心をしたことにご理解をいただいたことにも感謝を表明したいと存じます。

 心からの真心と敬意を込めて

ミシェル・テナン(署名と捺印)
「リベラシオン」紙東京支局長
「国境なき記者団」日本代表

 
 ■高裁へ提出されたジャーナリスト/江川紹子氏の意見書■
「このような異常な裁判からは、オリコン社の格別の意図を感じざるをえません。極めて遺憾なことです」


平成20年(ネ)第2839号 損害賠償等請求控訴事件

控 訴 人 烏 賀 陽 弘  道
被控訴人  オリコン株式会社



陳 述 書

2008年(平成20年)8月26日

東 京 高 等 裁 判 所
第 1 6 民 事 部 ロ 係 御 中



(住所省略)

フリーランスジャーナリスト
江川 紹子







(1)私は、昭和57年(1982年)4月に神奈川新聞社に入社し、5年9ヶ月間社会部記者として勤務した後、フリーランスのジャーナリストとなりました。26年間にわたって、自分自身が取材・執筆するほか、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどのインタビューを受けたり、コメントを寄せることもしばしばあります。特に平成7年(1995年)のオウム真理教による地下鉄サリン事件以降は、様々な媒体にコメントを寄せる機会が増えました。こうした「取材を受ける立場」を多数経験した者としての体験や考えを述べさせていただきます。



(2)印刷発行された、あるいは放送された「コメント」は、筆者や新聞社、雑誌の編集部、放送局による編集が行われるので、発言者が取材者に対して行った「発言」がそっくりそのまま報じられるわけではありません。テレビでも、編集によって「発言」の冒頭と最後の部分がつなぎ合わされたり、順序が入れ替えられるようなこともよくあります。その結果、私の意図とは異なる意図やニュアンスで発言が掲載・放送されてしまうことも、時たまありました。

 また、「コメント」は、発言者が言いたい点が取り上げられるとも限りません。オウムの問題では、私は、なぜこういう集団に将来ある若者たちが引き寄せられていったのか、このような事件を繰り返さないために何をすべきか、について事あるごとに述べてきましたが、実際に紙(誌)面や番組で紹介されるのは、事件や教団関係者に対する思いを語った部分がほとんどでした。

 光市母子殺害事件のご遺族の本村洋さんとお話をした際、彼も似たような経験をずいぶんされたと聞きました。例えば、今の彼が被告人の死刑を求めているのは、単純な応報感情ゆえではなく、アメリカで死刑囚に面会したり様々な本を読んだりして悩み考え抜いた末のことで、それについて1時間以上にわたって取材を受けたのに、死刑問題を扱ったある番組は、彼の「コメント」としては「(犯人に)生きてもらいたくはない」という趣旨の一言しか放送しなかったそうです。

 このように、自分の「コメント」が、どのような文脈の中で、どういう位置づけで使われるかも、発言者は通常は分かりません。記事や番組の意図や方向性に関しても、充分に説明されるとは限りません。事前に意図をすべて明らかにしてしまうと、取材を拒否されてしまうことを恐れて、取材者がきちんと説明しないこともあります。

 説明を受けていても、記事や番組の方向性が、取材の途中で変わり、当初想定していたのとは違う文脈の中で自分の発言が使われることもあります。従軍慰安婦をめぐるNHKのドキュメンタリー番組を巡る裁判で、最高裁が取材される側の「期待権」は法律上保護されるものではないと判断しましたが、私自身も、当初聞かされ、期待していたのとはまったく違う趣旨の記事の中に「発言」が「コメント」として引用されたことがありました。

 今でも忘れられないのは、坂本弁護士一家が行方不明になった(当時は、まだ殺害されたとは分かっていなかった)事件の後に、私がある週刊誌から取材を受けた時のことです。警察はまだオウムへの捜査を行っておらず、坂本事件はオウムの犯行と断定はできませんでしたが、この事件以外にも、私は元信者の話などからこの教団が問題の多いカルトであると考え、それについて本を書いたり、公の場で発言をしておりました。その週刊誌の記者も、私と同様に教団の問題性を感じたと述べ、私に「コメント」をするよう求めてきました。記事で紹介された私の「コメント」、つまり「」(カギカッコ)の中身は、不正確な引用ではありませんでしたが、記事全体は、私が言うこととオウムが言うことはどっちもどっちで、こういう面白いケンカが起きている、というトーンでした。話が違うのではないかと書いた記者に問いただしたところ、オウムが問題のある団体と判断するのは早いという編集長の判断で、そのようになった、という説明を受けました。

 取材をされる側としては、必ずしも納得はいきませんし、編集長の判断は間違っていたと思うのですが、特に雑誌の場合は、ことほど左様に編集長(編集部)の権限は強いのです。

 このような見込み違いでなくても、書き手と編集部(編集長)の判断にずれが生じ、編集部から手直しが求められることは、そう珍しいことではありません。取材を進めるに従って当初は分からなかったことが分かってきて記事の方向性が変わってくるということはあります。

 そうした経緯は通常、「コメント」のための取材に応じて「発言」した者にいちいち報告されません。

 できあがった「コメント」を使うかどうかも、筆者や編集部、放送局の判断です。長時間にわたって取材に応じたのに、一言も掲載・放送されない、ということもあります。そもそも、そのテーマの番組や記事自体がボツになることはしばしばです。他に大きく取り上げたい話題があったり、取材が不十分だったり、編集部や放送局の方針とそぐわなかったり、様々な理由で掲載・放送が見送られます。

 発言者が取材者の質問に答えた「発言」は、料理で言えば、いわば素材です。それをどのような料理にするか、あるいは上手な料理になるかどうかは、調理人の考えや腕に委ねられるように、「コメント」そのものを使うか使わないか、「発言」をどのようにまとめ、どのような位置づけで、どのような趣旨の記事・番組にするかは、筆者やディレクター、最終的には編集部や放送局の考えや力量次第です。そうした権限があるからこそ、責任も重いのだと思います。もし、記事や番組によって他人の名誉を傷づけられるような事態が引き起こされた場合に、最終的な責任をとるのは新聞社・出版社・放送局でありますし、これまでそうした裁判では、必ずそうしたメディアが被告になってきました。

 私は、オウムのほかにも、ライフスペースという団体に名誉毀損の民事裁判を起こされたことがあります。この時は、テレビ番組のためのコメントの中で同団体を「カルト」と呼んだことで、そのテレビ局ともども訴えられたのでした。裁判所の適切な判断により、いずれも私の主張が認められましたが、オウムやライフスペースのようなカルト集団でさえ、コメントや執筆をした私だけでなく、テレビ局や出版社といったメディアを共同被告にしていました。

 にもかかわらず、オリコン社ともあろう社会的にも評価されている会社が、今回の裁判のように、記事を執筆した筆者や掲載された出版社は訴えず、もっぱら取材者の質問に答えただけの烏賀陽氏を被告とする異常な裁判を起こしたことには、大いに驚きました。

 しかも、出版社や烏賀陽氏に対して訂正の要求をすることもなく、いきなりの提訴であり、損害賠償額も5000万円と、その経緯においても金額においても、きわめて異常と言わざるをえません。個人で活動しているフリーランスのジャーナリストにとっては、こうした裁判は経済的にも時間的にも精神的にも大きな負担となります。仕事にも支障が出てきます(私もそうでした)。

 このような異常な裁判からは、オリコン社の格別の意図を感じざるをえません。極めて遺憾なことであります。

 それにも増して、ここまで極めて異常な訴えを東京地方裁判所が認めてしまったことには、大きな衝撃を受けています。


 この記事全体の正確性については、私はポピュラー音楽の専門家ではないので論評いたしません。ですが、仮に何らかの問題が生じているとしても、その記事は編集長の責任において出されたものであります。

 なぜ、記事がもたらす結果について、一番権限があって責任の重い編集長や出版社、その次に責任のある筆者を除外して、コメントを寄せただけの烏賀陽氏が責めを受けるのでしょうか。

 著しく正義に反します。まったく納得がいきません。

 

(3)このような判決が確定してしまえば、取材に応じた途端に、記事や放送への連帯責任どころか、記事や放送の全体像を知らないまま、コメントを寄せた者が唯一の責任を負わされる、ということになってしまいます。

 コメントを依頼してくるのは、知り合いのジャーナリストばかりではありません。会ったこともない記者から、電話でコメントを求められることがしばしばです。

 大きな事件や裁判の判決などを報じる新聞記事に添えられている、いわゆる「識者談話」(コメント)は、大半がこういう電話取材をもとに、記者がまとめたものです。雑誌に掲載される「コメント」も、特に締め切りが近い時などは、電話取材で行われることがよくあります。

 また、面会をしてインタビューに応じる場合でも、記事の全体像を知らされることはまずありません。調査報道の場合は、記事の全体像は、取材を重ねていく中でできあがるわけで、取材を始めた当初と記事や番組にまとまった時点では方向性が異なってくることもあるので、取材の前に最終的な記事や番組の全体像を教えてもらうことは不可能です。

 しかし、今回の東京地裁判決が確定すれば、取材に応じただけで訴えられたり、高額の損害賠償を命じられたりすることになってしまいます。そのようなリスクの高い行為は避けたいのが、人間の当然の心情ですから、多くの人は取材に協力することに二の足を踏むでしょう。

 これでは、取材そのものができなくなります。

 ジャーナリズムが生き生きと機能していることは、健全な民主主義社会を維持・発展するために不可欠ですが、そのためには広範で自由な取材活動が行えることが前提です。それができなくなれば、ジャーナリズムの弱体化を招き、人々の知る権利が損なわれ、ひいては民主主義は健全に機能しなくなります。

 もし、発表された記事や番組に間違いがあり、話題となった人や企業や団体に損害を与えた場合には、まずは出版社・放送局や筆者・プロシューサーなどは、その損害の回復に務め、場合によってはそれなりの償いをしなければならないのは当然です。

 しかしながら、取材対象者だけに責めを負わせる東京地裁判決が確定すれば、日本のジャーナリズムは大きな危機に瀕し、日本の社会そのものが弱体化していく危険性がおそれがあります。

 そういう意味でも、この裁判の持つ意味は大きく、多くのジャーナリストが注目しております。

 東京高等裁判所が、正義と公平、公正に基づいた判断をなされることを強く望みます。  



                         以 上


 
   

■東京高裁へ提出されたジャーナリスト/佐高信氏の意見書■
「オリコンの提訴と東京地裁判決は、民主主義を著しく阻害する」


平成20年(ネ)第2839号 損害賠償等請求控訴事件

控 訴 人 烏 賀 陽 弘  道
被控訴人  オリコン株式会社



陳 述 書

  2008年(平成20年)8月26日

東 京 高 等 裁 判 所
第 1 6 民 事 部 ロ 係 御 中



101-0061
東京都千代田区三崎町3-1-5
神田三崎町ビル6F
「週刊金曜日」編集委員・文筆業
佐高 信







 日本は「会社国家」であり、会社が強大な力を持っています。「工場の門前で民主主義は立ちすくむ」という言葉がありますが、とりわけ日本の会社では民主主義が尊重されていません。「言論の自由」などないに等しいのです。

 だから、会社は激しい批判にさらされなければ、まともにはならないのですが、オリコンの提訴と東京地裁判決は、この原理に真っ向から対立するものであり、民主主義を著しく阻害すると言わなければなりません。

 オリコンはともかく、東京地裁の判事たちは日本の会社がそもそも反民主主義的な性質をもつことをまったくと言っていいほどしらないのでしょう。

 さらに、オリコンが、出版社や編集部でなく、コメントをした烏賀陽氏だけを訴えているのも、意図的であり、自分に逆らう者は力をもって潰すという封建社会の殿さまを想起させます。

「謝罪すれば提訴を取り下げる」などと言うのはまさに脅迫であり、民主社会において言論の自由がいかに大切かをまったく理解していないことを示しています。

 東京地裁判決は封建社会への逆行を是認したものであり、高裁はそれを民主社会への判決に戻すのか、それとも逆行を続けるのかが問われているのです。

 もともと会社の力が強いこの国で、五千万円もの名誉毀損訴訟を起こして、言論を威圧するのは、それでなくても閉鎖的な「会社国家」をますます傲岸にし、日本を「もの言わぬ国」、いや、「もの言えぬ国」にしてしまうでしょう。

 その点を十分に考慮した判決を望みたいと思います。

以 上