ご案内がきていたので、参加してみます![]()
父の日にする事と言えば母の日の時と同じで、基本的にはいつもメールをして感謝を伝える形です✉️
コロナ禍が始まる前までは帰省してプレゼントを渡していましたが……
って、母の日の時と同じ内容になりそうなので、
↑貼っときます😅
代わりに、今回は私の父がどんな人なのかを書いてみようかと思います
誰も興味ないと思いますが![]()
一言で言うと、厳しい頑固親父です![]()
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子供の頃は厳しく厳しく育てられました。
とても強い精神の持ち主で、どんな時でも父は私や家族を守ってくれて、本当にそこにいるだけで心強くて安心な存在でした。
でしたって書いたけど生きてます笑
子供の頃の私は父が一番大好きで、完全パパっ子でした![]()
父は若い頃、ラガーマンでした![]()
高校から32歳頃まで続けたそうで、私が子供の頃もまだやっていたようです。
父のプレーが新聞に載った事があったようで、家のアルバムに切り抜きが貼られていました笑
ラグビーを辞めた後は野球をやっていて、最終的にはチームの監督になっていました。
うちの地元はスケートの町なのですが、父はスケートもうまくて私は父からスケートの滑り方を教えてもらいました⛸️
そんなスポーツマンな父の元で育ったので、子供の頃の父との遊びといえばキャッチボールがメインだったように記憶しています![]()
父に鍛えられたお陰で、割と肩も強くなって遠くまでボールを投げられるようになりました。
ただ、私は運動神経は全然なくて、スポーツの才能が開花する事はありませんでしたが😅
スポーツの得意な父ですが、音楽も得意な人でした。
私が音楽をやるようになった本当に元々のきっかけというのは、父の存在です。
自分の親のことを良く言うのもとても変なのですが、
父は音感が大変優れていて、歌唱力が高いのは勿論の事、人の歌声を聴いて瞬時に正確なピッチでハモリを入れられるような人でした。
私は、それを小さな頃からずっと聴いて育ってきた為、
「人の歌声に瞬時にハモれる」
のは、誰もが当たり前に出来る事なのだと本気でずっと思っていました
と言っているくらいなので、私自身も小さな頃から、人の歌声を聴いてすぐにハモる事ができる子でした。
それは自惚れでも何でもなくて、それがごく当たり前という環境で育ってしまっていた為でした。
小さな頃から、おそらく私が赤ちゃんだった頃から、父のハモリの声を聴いていたんだと思います。
父は歌が好きで、家の中でもいつでも歌っているイメージでした。
ちなみにハモれる事が当たり前ではないという事に気づいたのは、中学生の頃だったと思います。
合唱コンクールのパート決めの時に、私は迷わずアルトパート(一言で言ったらハモリですよね)に立候補していたのですが、他の子達は大体ソプラノ(主旋律を歌うパート)をやりたがっていて…
一緒にアルトになった子達は、「ソプラノにつられる!」と言って練習に苦戦していました。
その姿を見た時に、ハモれるのは当たり前じゃないのかという事に初めて気がつきました…遅いよって話なんですが😅
そして同時に、
「お父さんってすごいんだなぁ」
とも思いました。
父はギターもやっていて、よく弾き語りを聞かせてくれました。
父の奏でるギターの音色に心から憧れ、私も小6からギターをやり始めました。
将来ギタリストになりたい!と一時期本気で思っていた事があります。なれるわけないんだけど😅
父の背中を見て育つ、とかよく聞くと思うのですが、こう振り返るとそれって本当だなぁと感じます。
厳しい厳しい頑固親父ではありますが、それと同じくらい優しい人でもあります![]()
私は、どんな人がタイプかと聞かれた時必ず
「誠実で思いやりある人が好き」
と答えるのですが、それって父だな、と思いました。
いや、かと言って父みたいな人と結婚したいとかは全く思わないんですが![]()
思わないどころか、それは絶対にイヤって思います![]()
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何故でしょう、父の事は大好きなのに矛盾してしまう不思議😅
そういうものなんでしょうかね…
父ももうすっかりおじいちゃんになりました。
母と同じで、たまに会うごとに小さくなって行ってるように見えます。
ただ、もう70も過ぎているけれど、地元のお寺の仕事を手伝ったりしてアクティブに活動しているそうで。
定年退職した時に彼は、
「俺は何かしていないといられない人間なんだ」
と、自分でも言っていました。
黙って家にいるだけ、は出来ないみたいです😅
でも、その気持ちは私にはとてもよくわかります![]()
私もきっと同じだから。
何にせよこれからも体に気をつけて、長生きして、孫とたくさん遊んでもらいたいなぁと思います![]()
父の日 当日には感謝の気持ちを伝えたいと思います![]()


