昨日、
「ご先祖様たちの力を借りても危機を止めたい」
なんてブログを書いたら、ふと
母の保険金関係の手続きに郵便局へ
行った時のことを思い出しました。
(その時の様子はこちら。)
複雑な手続きに辟易しながら、(+_+)
せっかく空けた平日なので、
病院の窓口も開いてるし、
このまんま(書類依頼のため)
病院もはしごしてしまえ!と
駅を目指しました。
バスに乗り、電車に乗り換え、
病院を目指す中でつらつらと思ったんですよね。
(私が乗ったのは普通電車でしたが、
車窓に広がる風景はこんな感じ。
画像はWikipediaより)
今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
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平日の昼間、大阪市内へ向かって、ではなく、
郊外へ向かう電車は、空いてました。
コロナの影響ももちろんあるのでしょうが、
電車の利用人数は明らかに減っている。
そんな少ない人数を乗せて、
電車は乗り換え駅まで進んで行きます。
冬とはいえ、晴れてお日さまものぞいてた日。
車窓にはうらうらとした田園風景が
広がってました。
「普段、こんなふうに(のんびりと)
電車に乗るって、ないよなぁ~」と
車外の光景に目を細めてて
ハッとしたんですよね。
これって、生前の母も眺めた景色だよな、と。
実家からその病院までは、
バス→電車→電車と乗り継ぎ、
病院の最寄り駅からは坂を下って徒歩10分強。※
※高齢の母は駅からタクシーを使っていました。
元気で書類の手続きに行くだけの私には
どうってことない景色であり道のりですが、
病と不安を抱えて辿り続けた母の心境は
どうだっただろう?と。
通院生活の途中からは、
近くに住む友人の方に
車で送り迎えして頂いてましたが、
そのご親切を母はことのほか喜んでいました。
それだけ一人で通院する道のりが
寂しかったんだろうなぁ、
寄り添ってくれる人が
欲しかったんだろうなあ、、、
って思うと、痛烈な後悔が。。。(-_-;)
もちろん、医療の専門家ではない
私や弟や妹が一緒にいたって、
治療という面では何の助けにもなりません。
しかし、それでも
そばにいてほしかったんじゃないか。
(こんなふうに横にいてほしかったんじゃないか。)
車窓に広がるうらうらした田園風景と
空いてる車内。
そんなのどかな時間に身を置きながら、
なんとか仕事の隙間を空けてでも、
母の通院に付き添ってあげれば良かった。
他愛ない会話でも、
いえ、たとえ喋らなくても、
傍らにあることの意味と大切さが
身に沁みました。
近しい人(親子・恋人・親友等)の間では、
言葉なんて要らないのかもしれません。
ただ傍にあってあげる。
彼の地で起こってる戦争は、
そんなことさえできないほど、
人と人の仲を引き裂いている。
大切な人やモノやコトと共にあれることの価値を、
「あって当たり前」と思っていることの真価を、
多くの人が心に刻めば刻むほど、
戦争は早く止められるような気がしてなりません。
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