お二人の方から。
お一人は、子を持つ親として。
お一人は、お金を見つめ直して。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
ご紹介させて下さいね。(^^♪
お一人の方から。
「少し離れた大型スーパーではなく、
まだ活気のある近所の商店街で
積極的に買い物するようにしている我が家。
結果、ウチの2歳児がしっかり挨拶できる子になりました。
各お店さんが娘のことを知ってくれていて、
親としても安心感があります。
安い所で買うのが賢い買い物ではないんですよね」。
子どものいない私は、そういう視点、というか、
そういう効果(?)というのを“実感”したことがないので、
これって“生きた経世済民”やん!と、驚き感動しました。
広報を職業にしてる関係上、
「町の商店街と子どもたちの育ち」は
~いつも大人の目があるので安心~
~大人の働く姿を見せられる~
等の形で、いわば“社会事象”や“事例”という形で
知ってはいました。
でも“生の”状況というか、
件の方の主体的関わり方とは、
重さ/深さにおいて、天と地ほども差があります。
自分が「どこで」、「どういうふうに」、「何を思って」
お金を使うかって、
自分の懐(ふところ)との相談だけでなく、
子どもや大切な人の未来をも考えること。
それを突き詰めると、
この国の未来、ってことでもある。
今自分が使う100円が、1000円が、
いえもっと大きな単位のお金でも、
結局、それを
≪何を思って、誰に託すのか≫ってこと。
コメント頂いた方のお嬢さんがまだ2歳なのに、
「しっかり挨拶」ができ、「周りの人に顔を覚えてもらった」
というのは、その≪幸せな結果≫。
決して最初から、それを“狙った”わけではない。
回りまわって、お金の神さん(←もしいるとしたら ^^;)が
経世済民の人に微笑んだ≪結果≫。
(こういうこと・・・かも・・・。^^;)
「金は天下の回り物」っていう諺があります。
その意味は一般的に
「金銭は一つ所にとどまっているものではなく、
今持っている者もいつか失ったり、
今ない者もいつか手に入れたりする」
ということなのですが、私にはこう思えました。
お金そのものに価値があるのではなく、
そこに込められた意志(思い)が
カタチ≪=目に見える価値≫となって、
世を巡るのだ、と。
そんな価値ある使い方の“軸”を、
もうお一方がコメント下いました。
「お金を使うということは、
あなたを、信じます、ということ」。
すごい一言だな~、と思わず、
「そうですよね。(^_^)/
『あなたを、信じます。あなたに、託します』
ってことなんですよね」
と返信していました。
消費税が10%に上がった時に、
どうやって還付するか机上であれこれやってる人、
「(マイナンバー)カードを持ちたくなければ
持って行かないでいい。
その代わり、その分の減税はないだけだ」
と語ったどこかの大臣、
(確かこういう人・・・(-"-))
あなた方の目に映っているのは、
あなた方が「お金」と考えているのは、
きっと書類の上の数字でしょう。
そこに羅列された、0がいくつもついた
全く実感の持てない、無味乾燥な数字。
でも「お金」って決して、
株価ボードに点滅してる数字じゃない。
生きて、人の手から手へと渡る
≪見えない意志≫のことなんですよ。
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