吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。

 

それ以降、Kenはいつも私達の家に居るようになった。

 

「私達」というのは、ちょうどその頃にはダイバー時代の後輩にあたるGが日本からやってきて、うちで一緒に暮らすようになっていたから。

 

つまり、かなり古い家を借りて一人で暮らしていた私には、2人の仲間が同時にできたわけだ。

 

 

しばらくすると、私もKenも、学校には行かなくなった。

 

ビザが切れてしまうと問題になるけど、、別にどうでもいいやと投げやりだった。

 

 

それぞれアルバイトが終わって夜になると、3人は自然とそこに集まる。

 

10代から20代前半の若者、それももともと真面目でないのが3人集まれば、ロクなことはしない。

 

そもそも台湾で爆破事件を起こしてアメリカに放り出されたKenと、いくつもの高校を退学になり市場で働きながら暴走族をやっていたG。

 

2人とも、それこそちょっと頭に血がのぼると、何をしでかすか分からないタイプだ。

 

 

そういう私も2人とタイプは違うけど、、10代の頃には家裁送りに保護観察処分なんてことも続いていたから、決して人のことは言えない。

 

でも、不思議とこの3人が揉め事を起こしたことが一度もなかったのは、おそらく3人とも仲間を大事にするタイプだったからだろう。

 

とりわけKenには昔の日本人のような気質があって、それこそ仲間のためなら火の中にも飛び込むような男だった。

 

(続く)

 

 

 

Kenと知り合ったのは、今からおおよそ40年前。

 

ロサンゼルス郊外の街で、私が小さなカレッジに籍を置いていた頃の話しだ。

 

「籍を置いていた」というのは、、、私は他の学生のようにきちんと授業に参加していたわけではなくて、夜のアルバイトで帰りが遅くなったり疲れてしまったりすると翌日は欠席、もしくは、学校まで行っても、カフェテリアで仲間とたむろってると、授業に出るのが億劫になってその日は終了、みたいなダメ学生だったから。

 

 

その点では、もともと問題行動が多く、両親の住む台湾から追い出されるようにしてやってきた来たKenも同じだったけど、、違うところもあった。

 

アメリカ人はアメリカ人と英語、メキシカンはメキシカンとスペイン語、中国人は仲間と中国語でワーワーやってるカフェテリアで、奴はいつも一人。

 

なんか一人だけポツンと目つきの鋭いヤツがいるなーなんて気にしていたけど、、ある時、なんかの拍子に話し描けたら、「高倉 健は知ってるか?」

 

「え? 知ってるけど、それがどうした?」

 

「俺のオヤジは高倉健が好き過ぎて、オレに、健て名前をつけたんだ。」

 

そしてその日以来、Kenはいつも私の横に座るようになった。

 

 

以前のブログでもお話ししたことがあるけど、ここでちょっと振り返ってみたい。

 

 

10代の頃にダイビングショップでアルバイトを始めた私は、19歳の春に、フィリピンに送られることになった。

 

当時の私は、一浪の末、大学に入学したばかりだったのだけど、当然のように休学。

 

初めての海外で、マニラでの研修?の後、ジャングルのようなネグロス島に送られ、現地のダイビングガイドをやりながら、結局帰国したのは一年後だった。

 

 

帰国後、しばらくは大学に通いながらアルバイトを続けていたら、、今度はインドネシアに行く話しになった。

 

いつ帰ってくるか分からないから、、ここで大学はあえなく退学。

 

当時はなんとも思っていなかったけど、親からしたら、何やってんだというところだろう。

 

そしてインドネシアから一年後に戻ってくると、今度はアメリカ。

 

でもこれは仕事ではなくて、自分でどうしても行ってみたくなったからだった。

 

 

アメリカでは、最初、アメリカに移民していたフィリピン時代の友達の家に居候していた。

 

その後はそこを出てバックパッカーをやってたけど、いつまでもそれではいられない。

 

ということで、ちょっとヤル気をだしてTOEFLを受けてカレッジに入学し、ブティック、すし屋、レストランなんかでバイトしながら、自分なりに青春を謳歌?していた。

 

 

Kensに知り合ったのは、まさにそんな頃。

 

私が23、彼はまだ18かそこらだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残暑がひと段落した、先週の水曜日の夕方。

 

歩道に面した窓際越しに感じた、、通行人の視線。

 

まあ、それはよくあることだ。

 

大体の場合、それは小さな旋盤作業に興味をもった見知らぬ通行人だったり、塾帰りの子どもだったり、、でなければ、予約済みの来店者が入店前にちょっと立ち止まって覗いて見る、みたいな感じ。

 

 

でも、今日は来店の予約はない。

 

顕微鏡を覗きながらちょっと視線を向けると、、どこにでも居そうな白髪交じりの中年男性。

 

ん? 外国人か?中国系?

 

しばらく旋盤作業を続けていたら、視線は更に近くなる。 

 

もう一度チラリと見ると、その男は真正面にいて、、私を見てニヤニヤと笑っているではないか!

 

 

一体誰だ?

 

予約客ではないし、知り合いでもない、、通行人にしては、いくらなんでも様子がおかしい。

 

おや? 後ろの方を見ると、連れとおぼしき可愛らしいアジア系の女性も、ちょっと離れて控えめにこっちを見ている。

 

 

んー。わからん。 誰だろ?

 

顔を上げて正面から見ても、、やっぱり笑い続けている。

 

もしや、前に来店したことのある、香港あたりのお客さんか?

 

万一のために軽く頭を下げつつ、記憶をたどっていくと、、「あっ!」

 

 

ほんのかすかな、本当にかすかな面影に気がついて、思わず声が出た。

 

まさか、、でも、そんなことあるわけない、、でも。

 

 

急いで作業台を回り込み、入口のドアを開ける。

 

その場でガッチリ抱き合ったのは、、、ロサンゼルスで生き別れてから35年。

 

アメリカでも、台湾でも、探しに探したのに手がかりさえ掴めなかった、、弟分のKenだったのだ。

 

 

(続く)