吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。

 

ヤツが宿泊しているホテルの近く、上野の店で、私達は集まることになった。

 

Kenと彼のフィアンセ、Gと私の4人に、少し遅れて私のカミさんと長女も合流する運び。

 

カミさんがKenに会ったのは、私たちがロサンゼルスで最後に会った時たった一度だけだけど、そのカミソリのような目に強烈な印象が残っていたようだし、今年25になったばかりの長女は当然本人に会ったことがないが、子供の頃からKenのことは何度も話して聞かせていたから、連絡すると間髪入れずに「行きます」と返事が返ってきた。

 

 

先に店に入った私とGは小さな個室に案内され、ビールを飲みながらKen達の到着を待つ。

 

まだ顔を見ていないGは、事の経緯に興奮が収まらない。

 

ほどなくやってきたKenと通路で出くわすと、、一瞬、互いに驚いたような様子を見せながら、人目もはばからず、ガッチリと乱暴に抱き合った。

 

 

35年ぶりの3人は、最初こそお互い不思議なものを見るような様子になったが、しばらくすると、不思議なくらいにあの頃のままに戻った。

 

最初から飲みっぱなしの私とG、そしてほとんど酒をやらないKenのグラスには、いつまでも一杯目のビールがずっと残ったままオーバーアクションで話す。

 

思い起こせば、老朽化した借家に棲んでいたあの頃の私たちは、いつもそうだった。

 

 

「でさ、なんで急に連絡取れなくなったんだよ。周りも誰も居所を知らなかったぞ。」

 

「うん。実は子供ができたのがきっかけだったんだ。マサが日本に帰ってから、しばらくした頃だったかな。」

 

「ん、子供?」

 

「うん。35になる息子がいるんだ。台湾にいて、オレの会社を引き継がしている。カミさんとはとうに別れたけどね。」

 

「そうなんだ。でも、それとこれと、いったい何の関係があんだよ?」

 

「うん、まあ。あの頃、オレがどういう連中と付き合い始めてたか、知ってるよね?」

 

「ああ知ってるよ。 最後に会ったときに連れてきたスティーブっていうヤツ、、オレは悪いけど好きになれなかった。 俺とカミさんが泊ってた安宿に拳銃持ってきて、ニヤニヤしながらカチャカチャ玉を込めてたヤツな。」

 

「スティーブは死んだよ。」

 

「あ、そうか。いや、悪かったな。 まあ、ヤツ自身が特別に嫌いだったってわけじゃないんだけど、、、なんていうか、あういう連中とお前がつるみ始めたのが心配だったんだ。」

 

「わかってるよ。 他の仲間もほとんど死んだ。 生きてるヤツは、みんな刑務所だ。2生涯の終身刑なんてのもいるよ、ワハハ。」

 

 

「ところで、マサはなんでまた時計屋になってんだ? 時計をしてるのなんか見たこともなかったし、いつもGと海の話しばっかりしてたのに。」

 

「まあな。いろいろあってさ。 Gだって、あれからしばらくしてメキシコの娘と結婚して、何年か前に帰ってくるまで、メキシコに25年もいたんだぜ。」

 

「へー、メキシコのどこ?」

 

「ラ ・パズってとこ。 バハカリフォルニアの先端のあたりだよ。」

 

「そうなんだ。 なるほど、、あのあと、みんないろいろあったってことだな。 なにしろ35年だからな。」

 

 

しばらくすると、カミさん、それに続いて長女もやってきた。

 

二人を紹介しながら、みんなで乾杯のやり直し、しばし賑やかな時間が過ぎたが、、まだ、私の中の「謎」 は解けないまま。

 

フィアンセのMさんは慣れない日本酒がかなり回ったようで、、彼女をいったんホテルに送り届けに行ったKenが戻ってきてしばらくすると、「申し訳ございません。そろそろ閉店のお時間ですので、、。」

 

時計の針は、とっくに12時を回っていた。

 

 

「まだまだ話し足りないけど、部屋にいる彼女が心配だし、明日は出発前に観光の予定があるんだ。 そのかわり、近々改めてどこかで集まろうよ。 必ず。」

 

フィアンセと翌日帰国するKenを、これ以上引き留めることはできない。

 

 

別れを告げた私たち4人は裏手の居酒屋に移動して、Kenの話しの続きに思いを巡らせつつ、朝方まで安酒を飲み続けたのだった。

 

 

(続く)

 

それがヤツだとはっきり分かった私は、、作業台を回り込んで、大急ぎで店のドアを開けた。

 

「おー、Ken! 本当にお前か?!」

 

「Hey、、 Masa、、」

 

ガッチリ抱き合ってみると、少し太くはなったが、やっぱりそれはゴツゴツしたKenの身体だった。

 

 

中に招き入れた2人と、テーブルをはさんで向かい合うが、、まだ実感が湧かない。

 

話したいこと聞きたいことは山ほどあるけど、あまりに突然の再会は、しばらく気持ちの整理がつかないもんだ。

 

Kenの横にはアジアっぽい綺麗な女性が静かに座っていて、聞けば、これから結婚することになっているフィアンセだという。

 

どう見ても親子ほど年が離れているから、、Kenは再婚なのかな?

 

興奮した私たちの顔を見ながら微笑んでいるところをみると、、彼女は、どうやら私たちの過去の経緯をよく理解しているようだった。

 

 

それにしても、、あれだけ探して、どうして今まで何の手掛かりもなかったのか?

 

何故今日、ここにいきなり現れたのか?

 

聞きたいことは尽きないけど、、それはKenも同じようだった。

 

この店で、今何をしている?

 

ダイビング屋に戻るために帰国したはずだったのに、、どうして時計屋をやっているのか?

 

35年という年月は、、2人のかつての義兄弟を、まるで知り合ったばかりの知人のようにしてしまうのだ。

 

 

まずは2人に、私をみつけて、店を訪ねて来るまでの経緯を聞く。

 

タイ人の彼女は幸い英語が話せて、私ともすぐにうちとけることができた。

 

「日本に行って、Masa  をみつけるぞ!」

 

そう言いだしたKenの手助けで、SNSをやらないヤツに代ってFacebookやインスタグラムで検索し、彼女が私の居場所を突き止めたという。

 

これは心底、ありがたかった。

 

 

話を聞いているうち、目の前にいる中年の台湾人がかつての自分の弟分だということに、ようやく実感が伴ってきた。

 

そうだ。

 

たしかに、こんな腕をしていたな。

 

目つきは大分柔らかくなったけど、なんとなく面影は残っている。

 

 

そうなると、今度は私の番だ。

 

「Hey、Ken. いったい全体、オレがどれだけ探したと思ってんだ! あれからずっとだ。 35年だぜ、35年!」

 

「そうだね。35年か、。」

 

「誰に聞いてもみんな知らないっていうし、台湾でも探したんだ。 オヤジさんが旅行会社やってたはずだから、陳ていう社長のやってる旅行会社探したり」

 

「ちょっと待った。 オヤジがやってたのは旅行会社じゃないよ。 医療機器の製造会社だ。 」

 

「え?、、そうなのか。なんでオレは旅行会社だと思い込んでたんだろう? まあいいや。 とにかく、突然連絡が取れなくなってから、ずっと夢にも出て来るし、、最後の方は妙な奴らとつるんでたから、オレもGも、お前は殺されちゃったんじゃないかって言ってたんだよ。」

 

「あれからホントにいろいろあったんだ。いずれゆっくり説明するけど、、そろそろ、あんまり仕事の邪魔しちゃいけないから、日を改めようか?」

 

 

私の知っているヤツには、まったく似つかわしくない言葉。

 

あの頃、血気盛んな10代のKenが、こういう物言いをしたことは一度もなかった。

 

予定があって内心急いでいるのか、それとも、私の仕事場だということで、本当に遠慮しているのか?

 

 

でも私としては、やっと会えたこの機会に、何とかして謎を解きたいのだ。

 

ところで、今夜の予定は何か決まってるのか? どこかで一緒にメシでも食えないか? 」

 

「いや、今夜は何もないよ。 Masaは時間、いいのかな?」

 

「何言ってんだよ。よし、決まり! Gにも声を掛けるから、あとでゆっくり話そうぜ!」

 

「そいつは嬉しい。 3人揃うなんて、夢みたいだよ。」

 

 

そうして、私たちはその夜、35年の溝を埋めるべく、Gや私の長女、カミさんと一緒に、上野の料理屋に集まったのだった。

 

 

(続く)

 

 

 

  

 

 

 

「Hey, guys.  Party is over.  My mother is sick, and I'm going home.」
 

それが何月のことだったかは思い出せないが、1987年のこと。
 

オンボロの車をKenに譲り、2人を残して帰国した私は、3年ぶりに、八王子にあったYさんのダイビングショップに戻った。
 

 

スクーバダイビングのライセンス講習や各地のツアーで忙しい日が続き、1年があっという間に過ぎる。
 

ちょうどその頃Yさんは引退を考えていて、やがて店は私の上の先輩2人、後輩数人のメンバーに引き継がれ、独立した形になった。

 

それはそうと、わたしの母の癌の件は、、まったくの作り話だった。
 

私を帰国させるために2人が結託したのか、それともYさんの独断だったのかは、今でも聞いていない。
 

でも、自分でも内心そろそろなんとかしなきゃいけないと思っていた私にとっては、嘘でも何でもそれで良かったのだと思う。

 

ロサンゼルスに置いてきた2人のうち、Gは現地の日本法人で職を得て勤めを始め、Kenは自分のアパートに戻り、みんなバラバラになっていった。

 

一方、仲間とショップで働いていた私は、ちょっとしたことで先輩たちと意見の対立が生じて、結局ショップを離れることになり、その後1990年にアンティーク雑貨の店「Masa’s Junkyard」を始めたのだが、、、弟分のKenと会ったのは、その頃が最後。

 

初めての買い付けに訪れたロサンゼルスで最後に会ったKenは、、明らかに素性の怪しい連中と一緒に現れ、それ以来、ヤツの交友関係は私の心配の種になった、、。

 

 

ジャンクヤードを始めて数年は、気持ちの余裕はまったくなかった。

 

店での売り上げはいくらにもならず、、毎週末の蚤の市、年に3~4回の百貨店催事、その他、地方の骨董市へと駆けずり回る。

 

休んでる暇なんかなし、それに家賃、その他の支払いにいつも追われていて、思うように買い付けに行くこともできない日々。

 

 

その頃からだ。

 

どうしてるかな? なんて思ってヤツに電話してみると、電話口には知らない人間が出る。

 

周りの知り合い聞いてみても、新しい電話番号も引っ越し先も、誰も知らない。

 

その頃すでにメキシコに移住していたGに聞いても、、まったく手がかりは無し。

 

 

時の流れは、驚くほど早いものだ。

 

そうしてKenが音信不通になってから、35年近く経った。

 

その間、東村山のマサズジャンクヤードは吉祥寺のマサズパスタイムになり、、私にも、少しだけ気持ちの余裕が出てきた。

 

そうなると尚更、昔のことを振り返ることが多くなる。

 

あれ以来、メキシコでダイビングサービスを経営していたGも、数年前に資産を売却して、日本に戻ってきた。

 

 

2人とも、思い出したように会うたびに口にするのは、Kenのこと。

 

いったい、どこに行っちゃったんだろうなー。

 

なんで連絡先を知らせずにいなくなっちゃったんだか。

 

アイツ、悪い連中と馴染みになっていたから、、もしかするとさ?

 

2人の中では、、もはやその最悪の想定が、年々、現実味を帯びてきていた。

 

 

その間、2度ほど台湾でも探してみた。

 

最近では、ヤツが夢枕に立つことも、しょっちゅう。

 

 

本当にいいヤツだったなぁ。

 

なんとかして、もう一度会いたい。

 

でももう無理なのか?

 

もっとよく面倒みてやれれば良かった。

 

せめて生きててくれればなぁ、。

 

 

そして、クソ暑いこの夏の午後。

 

「こいついったい誰だ?」

 

通りの向こうから、ガラス越しにこっちを見て微笑んでいる中年の男。

 

私が視線を逸らせても、いつまでも立っている。

 

そしてそれがヤツだと知った時、、、私の頭の中身は、完全に真っ白になったのだった。

 

 

(続く)