それ以降、Kenはいつも私達の家に居るようになった。
「私達」というのは、ちょうどその頃にはダイバー時代の後輩にあたるGが日本からやってきて、うちで一緒に暮らすようになっていたから。
つまり、かなり古い家を借りて一人で暮らしていた私には、2人の仲間が同時にできたわけだ。
しばらくすると、私もKenも、学校には行かなくなった。
ビザが切れてしまうと問題になるけど、、別にどうでもいいやと投げやりだった。
それぞれアルバイトが終わって夜になると、3人は自然とそこに集まる。
10代から20代前半の若者、それももともと真面目でないのが3人集まれば、ロクなことはしない。
そもそも台湾で爆破事件を起こしてアメリカに放り出されたKenと、いくつもの高校を退学になり市場で働きながら暴走族をやっていたG。
2人とも、それこそちょっと頭に血がのぼると、何をしでかすか分からないタイプだ。
そういう私も2人とタイプは違うけど、、10代の頃には家裁送りに保護観察処分なんてことも続いていたから、決して人のことは言えない。
でも、不思議とこの3人が揉め事を起こしたことが一度もなかったのは、おそらく3人とも仲間を大事にするタイプだったからだろう。
とりわけKenには昔の日本人のような気質があって、それこそ仲間のためなら火の中にも飛び込むような男だった。
(続く)