吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。

 

あれよあれよという間に年が明け、すでに一月も後半。

 

遅ればせながら、皆さん、2025年もよろしくお願いいたします。

 

 

昨年末に引き続き、年明け早々店は連日バタバタしている。

 

 

私 「虎太郎、Nー1はもう地板の仕上げに入れるかな?」

 

虎太郎 

「えーっと、、Nー1はまだです。Nー1以外はもう全部ザラ(回し)見てあるんですけど、N-1だけザラ見る前にアレックスが面取りに入っちゃったんで。」

 

私 「んー、、そうか。 じゃあ、とりあえず週明けからはS-1の仕上げに入るかな。」

 

真下 「あ、その前に香箱の裏のペルラージュやらないとです。」

 

私 「えっ、まだやってなかったの?」

 

真下 「輪列の受けはやってあるんですけど、、香箱受けはまだです。 香箱が出来上がってなかったんで、。」

 

私 「そっか。 じゃあ、来週まずはS-1、S-2の香箱受けのペルラージュからだな。何とかして来週中に形にしておかないと、来月の定期整備の方が間に合わなくなっちゃうからな。」

 

 

ちなみに、「ザラ回し」とは、ムーブメントに歯車を組み付けて、スルスルとスムーズに回転するかどうかを確認する作業。

 

N-1とかS-1とは、それぞれ「凪」の製造番号一番、「蒼黒」の一番のこと。

 

 

今更ながら、うちはこの5月で創業35年を迎える。

 

これまでずっと続けてきたアンティークウォッチの修復においては、各自、最初から最後まで一つの時計を手掛けるのが基本。

 

他の者と連携しなければならないのは、文字盤やケースに手を入れる辻本とのやりとりの時くらいだった。

 

 

ところが時計の製作を始めてみると、最初から最後まで他の者との連携のしっぱなし。

 

ここからここまでは誰、それが終わったら誰、それが進行しているうちにこっちの者とそっちの者で並行して仕事を進める、みたいな。

 

それも何年かやっていれば慣れてきて作業は自然に進むだろうし、全体のペースもわかってくると思うのだが、、何しろMPシリーズに関しては、今回が初年度の製造・納品。

 

サンプルの凪と蒼黒の一つずつを作ればよかった去年とも違って、「同じものをできる限り均一に複数本作る」という作業にまったく慣れていないわけだ。

 

 

連携といえば、もう一つややこしい点がある。

 

ご存じの通り、現在、Masa&Coというブランドには、自社キャリバーMP1を搭載した「凪」と「蒼黒」の他に、篠原が進める「那由多モデル」があるのだが、それぞれの仕事配分がなかなかに難しい。

 

どういうことかというと、、、

 

私 「辻本くん、蒼黒の文字盤が終わったら、そのまま針の製作に入っちゃって。」

 

辻本 

「えーっと、、けど篠原君から那由多モデルの文字盤渡されてるんですよね、。 とりあえずギョーシェを彫るところまではやっておこうかと思ってるんですけど。」

 

私 「え、そうなの。 それ、どのくらい掛かりそうかな?」

 

辻本 「んー、全部で10枚なんで、、一月ちょっとくらいでなんとかなると思うんですけど、ギョーシェやスモールセコンドはその後なんで。」

 

私 「わかった。 じゃあそれが終わったら針の方頼むね。」

 

 

次はえーっと、アレックスの面取り面取り、と。

 

 

私 「アレックス、歯車の面取り、どの辺までいってる?」

 

アレックス 「ウン、モースグオワリ。 コレがサイゴ」

 

 

「オーケー。 それじゃ、次はS-1から順にテンプ受けの面取りに入って。」

 

篠原

「あ、中島さん、アレックスには、那由多モデルの歯車の面取りもやってもらいたいんですけど、、いつ頃になったらできますか?」

 

私 「あー、まあまだ当分掛かるね。 なんて言ってもMPの納期が迫ってるからな。」

 

篠原 「うーん。 3月くらいにはこっちの作業に入ってもらえないと、秋までに間に合うかどうか心配なんですよねー、。」

 

 

小さな工房内で、文字盤や彫りを担当している辻本と、歯車や受け板の面取り仕上げをやってるアレックスの取り合いみたいなことが起こるのだ。

 

 

もっとも辻本は別として、那由多モデルにしろMPシリーズにしろ、開発段階ではアレックスはまだいなかった。

 

当初、那由多モデルの面取りは佐々木、MP1は私が担当するつもりで進めていたのだけど、、タイミングよくアレックスが来てみると、専門でやっていただけあって、手際がいいし仕上げりもいい。

 

自ずとすべての面取りをアレックスに任せるようになって大忙しなのだけど、、困ったことに、去年の9月に申請を出した就労ビザが、未だに下りていない状況。

 

したがって、現状、週に28時間以上は働けないのだ。

 

ホント、早くなんとかしてくれーっ、てなもんだ。

 

 

5月に注文を受けたMPシリーズは、あと3ヶ月でお約束の納期12ヶ月になるところ。

 

大半の部品や外装品は揃ったが、部品の仕上げ、組み立て、調整、試験と続くここから先が、本当の正念場になりそうだ。

 

 

 

 

今年もバタバタしているうちに年の瀬がやってきた。

 

例年、夏が終わるとなんでこうも早く年末になるのか?

 

いつもそう思うけど、今年それを特に早く感じるのは、、春にMPシリーズ(凪・蒼黒)、秋に那由他モデルの受注があったからだろうか。

 

 

来春に35周年を迎えるマサズパスタイムにとって、2024年は大きな節目の年になったと思う。

 

思えばはじめて「自分の時計ができたらいいなぁ」なんて思い描いたのは、遠い昔。

 

まだジャンクヤードが東村山にあった、1995年頃の話なんだから。

 

 

開店当初、アンティーク雑貨の山の中に混ざっていたのは、ビンテージの腕時計。

 

ハミルトンやエルジン、ウォルサムにロンジンやオメガとか、、ほとんどはステンレスや金張りの普及品だったけど。

 

そのうちちょっとしたきっかけから懐中時計が混ざり始めて、気がつけばいつしか懐中時計の方が多くなり、、長女が生まれる前に吉祥寺に移ってジャンクヤードがパスタイムになった2000年には、すっかり懐中時計専門になっていた。

 

 

そこからさらに、四半世紀。

 

長年の夢であった「完全自社製の時計」がついに完成。

 

発表しても一つも注文が入らず、なんて最悪な場面も想像していたのが嬉しい意味で意外な結果になり、、しかしそうなったらそうなったで、今度はちゃんと予定通りに納品ができるのかという心配が始まり、やっぱりバタバタ。

 

ご存じの通り懐中時計は今でも在庫があるけれど、、仕事の中心は完全に腕時計の製造販売になっている。

 

今までもそうだったけど、、これは私が意図して計画したことではなくて、時代の移り変わりに適応するための、きわめて自然な変化なのだろう。

 

 

さてさて、今年の営業は今日で終了。

 

明日から充分に充電して、年明けからは全力で突っ走ります。

 

 

皆さん、2024年も本当にありがとうございました。

 

心より感謝いたします。

 

良いお年を。

 

 

中島正晴

 

 

ガタン、ゴゴーー !

 

「うわーっ、びっくりしたー。 もう着いたのか。」

 

「ホント、早いですね。」

 

羽田を出るなり眠っていた私は、着陸の衝撃にいっぺんで目が醒めた。

 

 

ほぼ2年ぶりの香港。

 

著名な時計コレクターでもある香港の実業家「Mark Cho」の主催するトランクショーに参加した前回とは違い、今回はオークション会社Phillipsが開催する時計のオークションに参加するためにやってきた。

 

オークションに出品するのは、篠原がプロデュ―スするNayuta Model A の特別仕様「刻バージョン」

 

今回は、Phillipsが「日本の時計師の時計」および「日本のコレクターが所有していたコレクション」に的を絞った「刻」というテーマのオークションを企画し、そこで、うちを含めた日本の小規模メーカーが特別なモデルを出品する。

 

つまり、近年世界から評価を受け始めている「日本の時計」を、この機に大々的に売り込もうというなのだ。

 

 

「、、というわけで、11月のオークションに向けて御社の特別仕様の時計を作って出品いただけないですか?」

 

Phillips 日本法人のSさんからそんなメールが来たのは、なんと今年の夏だった。

 

「えーーっ、、11月ですか、、?」

 

実はそんな企画があることは今年の始め頃にMark Choから聞いていたのだが、、いつまでも先方から連絡がないから、すでに企画倒れになったと思い込んでいたのだ。

 

特別仕様の製作に掛けられる時間は、2ヶ月少々、、。

 

5月にリリースしたMP1シリーズ(凪・蒼黒)の納品準備に追われている私には、とても時間がない。

 

ということで、前年度分のNayuta Modelの納品がほぼ済んでいる篠原に「刻」仕様の特別モデルの製作を任せた形になったわけだ。

 

 

オークションが開催されるのは、翌々日の11月22日(金)。

 

しゴしその2日前からプレビュー(下見会)が始まるので、私と篠原、それから篠原の通訳兼アシスタントとして香港入りしたうちの長女の3人は、翌日から会場入りした。

 

そこから2日間は、日中次々と訪れる入札希望者に対しての商品説明やパネルディスカッションでのおしゃべり、夜はMark Choはじめ各関係者とのパーティ→パーティ→パーティの強行軍が続き、、そしていよいよオークション当日。

 

今回のオークションには100数十点の時計が出品されたのだが、その大半は、日本のコレクターに所有されていたスイスのビンテージウォッチ、そして最後の幾点かが、うちを含む日本の小規模メーカー、および時計師の作品という構成になっていたので、、開始後の4~5時間は会場に詰めている必要がない。

 

ということで私たちは、独立時計師の菊野氏、Naoya Hida &Coの飛田氏その他関係者の面々とMark Choの運営する中心地の店舗The Armoury内のサロンで、スクリーン越しにオークションの動向を見守っていた。

 

 

「うわーっ、すごい値段まで行ったねー!」とか「このロレックスは全然上がらなかったじゃん」なんて言いながら、一同スクリーンにくぎ付け。

 

実際オークションというのは意外な展開を見せるもので、、予想落札価格の10倍以上も跳ね上がる時計があるかと思えば、こんなに安いなら俺も入札すれば良かったなんて値段で終わってしまうものがあるのだ。

 

そんな中で、ちょっと寂しい想いのする場面があった。

 

他のみんなは気にしていなかったろうけど、、、数点出品されていた懐中時計の落札価格が、まったくもって振るわなかったのだ。

 

特に、100年ほど前に製造されたドイツのLange &Sohne。

 

永久カレンダーにミニッツリピーター搭載、K18のケースも豪華絢爛でコンディションも抜群、さすがにコンディションにうるさい日本のコレクターの持ち物だなーとうなるような懐中時計だったが、、、結局1400万円くらい(確か)で落札。

 

本来なら、数倍の値がついておかしくない代物なのに、、一瞬、これなら無理してうちで買ってもよかったか?なんて思っけど、冷静になって考えてみれば、仕入れたとしても、利益が出るような値段で買っていただける自信はない、。

 

同業者にその話しをすると、「うーん、、やっぱり懐中時計だとねぇ」

 

やはり国際的に懐中時計の取引は低調で、、思い返せば、それこそが数年前から私がうちの仕事の軸足を「腕時計の製造」に移した要因に他ならないのだ。

 

 

スクリーンを見ながらワイワイやっているうち、午後7時になった。

 

「みんなそろそろ出番だよ。会場に移ろう。」

 

Markが手配した2台の車に乗り込み会場に入ると、オークショニア(競りを進める人)のトーマスが、100番目くらいの時計を競りに掛けていた。

 

 

ちなみに、オークショニアというのは、過酷な仕事だ。

 

昼過ぎに始めたオークションが、延々と夜まで続く。

 

その間、たまにペットボトルの水を口に含むだけで、しゃべりっぱなし、トイレにも行けない。

 

会場の両脇にはスタッフがずらっと並び、慌ただしく電話入札を受け、インターネットでも入札が入る。

 

そこに加えて会場の入札者が手を挙げて入札するから、とにかく目まぐるしいことこの上ない。

 

当然、世界中から入札が入り、そのたびトーマスは英語だけでなくイタリア語やフランス語で入札に応えつつ、時には軽口を交えながら、会場の雰囲気を盛り上げていくわけだ。

 

 

「さあさあ、こっちにどうぞ」

 

私たち日本の出品者は、トーマスの真ん前、会場の最前列に案内され、並んで腰かけた。

 

競りは進む、101番,102番,他人事のようにそれを見ているうち、、ついに日本の時計師の順番がきた。

 

 

まずは会場に来られなかった時計師の時計から始まり、どれも概ね順調に進む。

 

特に、篠原の脇に座っていた菊野氏の時計は、2点とも予想価格と無関係な値段まで跳ね上がり、競りが続いているうちにご本人が小声で「もういいよ。充分です。」

 

それを見たトーマスがすかさず槍を入れる。

 

「ん?ははは、本人が充分と言ってますが、、皆さんどうですか? あ、ニューヨークからまた入った、あ、ドバイからも乗っかった。他どうですか? あ、そこの会場の方、手挙げましたね!ありがとう!」

 

そんな感じで、あっという間に数千万円まで上がっていったのだ。

 

「おめでとうございます! 今夜は菊野さんのおごりかな?」

 

みんなで握手を交わすと「あはは。ほんと信じられないです!」

 

 

前を向き直ると、、いよいようちのNayuta modelの番だった。

 

横にいる篠原の顔を見ると、、かなり緊張しているようだ。

 

あとで聞いたら、緊張でお腹が痛くなりました、とのこと。

 

 

緊張したのは私も同様だった。

 

はっきりいって、単純な損得の感情だけではない。

 

なにしろつい先月、多くの方から定価650万円でご注文いただいたモデルAの特別仕様なのだ。

 

それがたった一月後に、定価を大きく下回る価格で落札されようものなら、、ご注文いただいた方々に対して、なんとも申し訳ないではないか!

 

とはいえ、それまでずーっと順調に来ている日本人の時計の中で一点だけションボリするような結果になった場合、、一番堪えるのは時計を作った篠原本人に違いない。

 

その気持ちは、MPシリーズを主導している私にも容易に想像がついた。

 

 

「香港から入りましたね! お、会場のそこ、その上乗りますか?、お、はいはい、ありがとう!」

 

そんな感じのやり取りが始まり、でもしばらくしてちょっと静かに、、、「どうですか? もういないかな? そこのマサさん、これじゃ、まだまだだよね? ははは。」

 

私を見ながらトーマスが会場を煽るが、しばらく入札は止まり、、いよいよ予想価格近辺でハンマープライスか、と思われたその時、「あ、その方、乗っかりましたね、ありがとう。 あ、香港も入った。はいはい、みなさん、どんどんどうぞ。」

 

 

「おめでとうございます!」

 

「ありがとうございます!」

 

横並びの面々と、それぞれ握手を交わす。

 

 

トーマスの粘りもあって(?)、ありがたいことに「Nayuta ModelA 刻」は会場にいた北京の方により、予想落札価格を大きく超えるHKD$558.800(約¥11,150,000)で落札されたのだった。